バスター・ウィリアムス

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バスター・ウィリアムス
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基本情報
生誕 (1942-04-17) 1942年4月17日(77歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニュージャージー州
ジャンル モダンジャズ
担当楽器 ベース

バスター・ウィリアムスBuster Williams, 1942年4月17日 - は、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれのモダンジャズベース奏者

1960年頃から活動を始めたプレーヤーである。フィラデルフィアでプロとしてデビューした後ジーン・アモンズソニー・スティットのクインテットやベティ・カーター、ナンシー・ウィルソンサラ・ヴォーンといった女性歌手のレコーディングに参加、1960年代後半にニューヨークに移りハービー・ハンコックのグループに参加、一時期マイルス・デイヴィスの下でも活躍した。以降はケニー・バロン、デクスター・ゴードンジョー・ファレル他にも多くのミュージシャンと活動を共にしている。

ロン・カーターなどと同じく、黒ナイロン巻きスチール弦を用いた個性的なトーンを特色とする。

経歴[編集]

幼少期およびキャリア[編集]

Buster Williams Victoria Oslo Jazzfestival (210724).jpg

父親チャールズ・アンソニー・ウィリアムズ・シニアもベース、ドラム、ピアノの音楽家だった。幼い頃からジャズに親しんだ。ニュージャージー州の家で父親のバンドのリハーサルをやっていた。

「スターダスト」におけるオスカー・ペティフォードのベース演奏に注目し、十代で演奏を始めた。彼がまだ中学生だったときプロとしての最初のギグがあった。

ジミー・ヒースのバンドとサム・リードのバンドを掛け持ちしていた。父親はRIPというクラブでジャムセッションを開催し、ウィリアムズは1959年に、月曜日の夜のショーで父と一緒に演奏した。

高校卒業直後の1960年にジーン・アモンズソニー・スティットと共演した。ウィリアムズは、1961年8月にアモンズ/スティット・グループと彼の最初の録音を行った。

教育[編集]

ウィリアムズはフィラデルフィアの音楽大学でアモンズ、スティットたちと働く間およびそれ以後、不規則に学ぶこととなる。構成・作曲・和音・理論をロナルド・ウィギンズ博士から学ぶ[1][2]

ボーカル伴奏者[編集]

ベティ・カーター (1962年) とサラ・ヴォーン (1963年) と共演。ヴォーンは、フランスのリビエラでの公演に彼を連れて行った。

1964年、ウィリアムズはナンシー・ウィルソンといくつかのアルバムをキャピトル・レコードに録音し、ロサンゼルスに移住した。

シャーリー・ホーン、ジョナサン・シュワルツ、カーメン・マクレエ、ロザンナ・ビトロ、ヘレン・メリル、ジョン・ルシアン、マルグリット・マリアマ、チャンピオン・フルトンとも共演した。

西海岸[編集]

西海岸ではナンシー・ウィルソンとのツアーやレコーディングをこなし、ジャズ・クルセイダーズと5枚のアルバムをアトランティックに録音した。

ケニー・ドーハムやハロルド・ランド / ボビー・ハッチャーソンのクインテットと録音し、マイルス・デイビスと1967年に数ヶ月間共演した。

ハービー・ハンコックセクステット[編集]

1968年にニューヨークに行き、アート・ブレイキーハービー・マン、メアリー・ルー・ウィリアムスと共演。

アトランティック、ブルーノートプレスティッジマッコイ・タイナーデクスター・ゴードンロイ・エアーズスタンリー・タレンタイン、フランク・フォスター、イリノイ・ジャケー、ジーン・アモンズと共演。

ハービー・ハンコックとマイルス・デイビス・クインテットで共演したのをきっかけに、ウィリアムズはハンコックとのバンドMwandishiで3枚のアルバムを録音。

ムワンディシ六重奏団はジャズの新しい電子音を探求し、ウィリアムスはアコースティックとエレキベースの両方で演奏した。

リーダーとしてのデビュー[編集]

1975年にリーダーとしての彼のレコーディング・デビューを果たした。

映画やテレビの仕事[編集]

ウィリアムズはいくつかの映画のサウンドトラックやテレビコマーシャル(コカ・コーラバドワイザー、オールドスパイス)で演奏した。

1969年の映画『マッケンナの黄金』の音楽ではクインシー・ジョーンズと共演。

1990年代には、アンジェロ・バダラメンティとデヴィッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』サントラに参加。

スパイク・リーの映画『クロッカーズ』にも参加。

ブランフォード・マルサリスが率いる(テレビ番組)「トゥナイト・ショー」のハウス・バンドとも共演した。

ウィリアムズは2004年のスティーヴン・スピルバーグ監督映画『ターミナル』に自分自身として出演し、ベニー・ゴルソンのカルテットでマイク・レドンヌとカール・アレンと共演した。

私生活[編集]

ウィリアムズは中学で出会ったベロニカと1965年に結婚。2014年の時点で妻とカムデンに住んでいる。

1972年に妻が交通事故で脳震盪を起こして以来、仏教に帰依し、南無妙法蓮華経を唱えている。彼の信仰はハンコックやウェイン・ショーターに影響をあたえた。

盤歴[編集]

参照[編集]

  1. ^ Colligan, George. "The Buster Williams Interview", Jazz Truth. Blogger, July 7, 2013. Web. February 19, 2014.
  2. ^ "Biography" Archived 2012-01-25 at the Wayback Machine., Buster Williams website.