パク・ジニョン
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パク・ジニョン | |
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![]() 2011年 | |
基本情報 | |
別名 |
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生誕 | 1971年12月13日(49歳) |
出身地 |
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学歴 |
延世大学校地質学科卒業[1] 延世大学校大学院政治外交学科修士課程中退[2] |
ジャンル | |
職業 | |
活動期間 | 1992年 - |
レーベル | ジニーミュージック |
事務所 | JYPエンターテインメント |
公式サイト |
パク・ジニョン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 박진영 |
漢字: | 朴軫永 |
発音: | パク・ジニョン |
英語表記: | Park Jin-Young |
パク・ジニョン(朴 軫永[5]、朝: 박진영、 1971年12月13日 - )は、JYP[6]やJ.Y. Park[6][7]の名で知られる韓国の男性シンガーソングライター、音楽プロデューサー、実業家。JYPエンターテインメントの創業者で、god、ピ、Wonder Girls、2PM、2AM、miss A、GOT7、15&、DAY6、TWICE、Boy Story、Stray Kids、ITZY、NiziUらをスターダムに導いたことで知られる。身長は185cm、体重は74kg[8]。あだ名は「トッゴ、떡고(餅ゴリ[9])」(餅が大好きなゴリラ)[10]。
略歴[編集]
韓国ソウル特別市で生まれる[11]。父親の転勤で小学1年生の時に渡米、2年余りニューヨークに居住する[12]。ブラックミュージックに触れ、音楽にのめり込む[13]。また高校生の頃、KUWATA BANDの「スキップ・ビート」を聴きアジア人でも黒人音楽ができると衝撃を受ける。これらの経緯から大学入学後、歌手になることを決意する。
1992年にグループ「パク・ジニョンと新世代」で歌手デビューするも振るわず、再デビューのために受けたオーディションにも次々落選。その後、歌手キム・ゴンモのマネージャーに拾われバックダンサーを務めていた時に、作曲家のキム・ヒョンソクと知り合い意気投合。ヒョンソクの家に転がり込み音楽理論を学ぶ。1994年にソロのR&B歌手として復帰、当時は珍しいメディア戦略やセクシャルな衣装とダンスで注目を集め、一躍人気者となる[14]。
1997年にデヨンAV(現ポイボス)から独立し、「テホン企画」(現JYPエンターテインメント)を設立[15]。プロデュース活動も開始し[16]、R&Bやヒップホップ調の曲に家族愛など庶民的な内容の歌詞を付けて歌わせ、男性アイドルグループ「god」を幅広い年齢層から支持される国民的グループに押し上げるなどの手腕を発揮する[17]。その後も自社所属のピ(Rain)やワンダーガールズを人気歌手に育て上げ、JYPエンターテインメントを韓国3大芸能事務所[注釈 1]のひとつにまで成長させた。
2001年4月、イニシャルを取って「JYPエンターテインメント」に社名を変更。8月、KOSDAQ上場。
2003年に米国に進出。ロサンゼルスを拠点にプロデュース活動を行う[18][19]。2004年にメイスの復帰作に曲を提供したのを皮切りに、Cassieやウィル・スミスのプロデュースを手掛けるなどの実績を築く。日本でも活動し、AIやSMAPとコラボレーションを行った。
2007年、6年ぶりに歌手活動を再開。2008年、大統領直属諮問機関「未来企画委員会」の民間委員に任命された[20][注釈 2]。
2014年、「セウォル号沈没事故」後、ジニョンの妻がフェリーを所有する清海鎮海運の実質オーナーであった救援派の牧師兪炳彦の姪であり、JYPに不法資金の疑いがあるなどの噂が立つ。これに対し「姪であることは事実だが、不法資金が流入した事実はない」と説明した[21]。
2015年に韓国・日本・台湾出身の多国籍ガールズグループTWICE、2018年にボーイズグループStray Kids、2019年にガールズグループITZY、2020年に日本人グローバルガールズグループNiziUをデビューさせた。また、2020年10月7日には日本でベスト・アルバム『J.Y. Park BEST』が発売された[22]。
人物[編集]
- 自らリーダーになれ
- JYPオフィス会議室の壁にスローガンとして掲げられている[23]。
- J-POP愛好家
- 雑誌『日経エンタテインメント!』2011年10月号では小室哲哉と対談し、小室が作曲を手がけた『My Revolution』(歌:渡辺美里)を、中学生の時に聴いたと述べた[24]。2019年のインタビューでは、聴いたことがある日本のアーティストとして、チェッカーズ、安全地帯、安室奈美恵、TUBE、久保田利伸、KUWATA BAND、LL BROTHERS、ZOO、小室哲哉の名を挙げた[25]。
- 親類・家族
- 1970年代に一世を風靡した大学生グループ・サウンズ「サンドペブルス」の初代リーダーで、盧武鉉政権で青瓦台(大統領府)農漁村秘書官を務めた尹彰培を母方の叔父に[26]、金大中政権で法務部長官(日本の法務大臣に当たる)を務め、新千年民主党や民主党の代表、統合民主党の初代共同代表も務めた朴相千を母方のいとこおじ(母方の祖母の甥、母親のいとこ)に持つ[27]。
- 1999年に結婚し、2009年に離婚。2013年に9歳年下の一般女性と再婚した[28]。
- 宗教
- 元はクリスチャンであったが、両親の信仰によって自らの信仰対象が決まったことを疑問に思うようになり、悩んだ挙句、無宗教となった[29]。
- 語学力
- Nizi Projectで日本人とのコミュニケーションを行う為に日本語を勉強した。
- ただし、日本語のメールや手紙などでよく使われる漢字、カタカナ、ひらがな、同音異義語(例 はし⇒お箸、橋、端っこ)を理解して、自分で文章を書いたり、沖縄弁や東北弁のような日本各地にある難しい方言を理解しての会話は難しく、日本語のイントネーションや読み書きにはまだまだ勉強が必要だが、日本のニュースで流れるような標準語ならば、ある程度は理解が出来るようになった。
- 他に出来る外国語は英語がある。
エピソード[編集]
- オーディション
- 1994年にソロデビューする前のパクは、SMエンターテインメントなど、ありとあらゆるオーディションで落選したと語っている[30]。
一方で、事務所経営者になってからは、のちに他の事務所からデビューしてスターになった歌手を、オーディションで落選させたこともあった。例えば、女性歌手のIUはデビュー前に、JYP公開採用オーディションにも参加し、1次オーディションで不合格となった。最後の段階で審査を引き受けたパク・ジニョンは、IUが最終オーディションの前に脱落して彼女の姿を見ることができなかったため、ある放送で「オーディション当時にIUを落とした担当者を探して、重い懲戒に処さなければいけないようだ。IUを見るたびに胸が痛い」と述べた[31]。
- しかし、GFRIENDのメンバーであるユジュは、パク自身が本人に直接面会して落選させた事例である。ユジュは15歳の時に、オーディション番組『K-POP STAR』に出演した[32]。この番組で審査員を務めたパクは、「踊りは踊らないほうがよい」「歌が特異でなくて平凡」との否定的な評価だった。しかし、同じく審査員だった、YGエンターテインメント創業者のヤン・ヒョンソクは、「可能性が非常にある。幼い年齢の割には歌が上手だ。踊りも練習すれば良い水準」と評価した。パクは不合格を与え、ヤンは「敗者復活戦があれば、この子を再び上げたい」と述べた[33]。2017年に、ユジュがMBCテレビ の番組「ビデオスター」に出演した時に、MCたちが「キム・ヒョナ、IUとともに、JYPが逃して後悔しているスターに挙げられている」と話しかけた。ユジュは、「パク・ジニョンプロデューサーが私を落としたことを後悔しているかどうかは分からない」と答えた[34]。
- 『日経エンタテインメント!』2011年10月号における小室哲哉との対談で、パクは「採った人材のうち、8割は見当違いです(笑)。でも2割はスターになります」と述べた。これに対して小室は、「比率としたらいいよね。10人のうち2人はスターが出るわけでしょう。オッケーだよ」と答えた[35]。
- セックスはゲームだ
- 2001年発売のアルバム「Game」のプロモーション時に発言。様々な反響を呼ぶと同時にアンチも急激に増えた。当時の発言について後に「セックスを神聖視すべきではないという趣旨であって、ゲーム感覚という意味ではなかった」と説明している[36]。
- 韓流輸出政策批判
- 2007年、母校の延世大学の特別講演で英語でスピーチをした際、文化輸出の成功を評価した上で、「これまでの韓流は純韓国産商品の一方的輸出であり、いずれ通用しなくなる。太極旗印の韓流を捨てる覚悟をしなければならない」「韓流を文化的意思疎通として理解せず、ナショナリズムに利用する人が多くいるせいで、海外では反発が起きている」と、韓流を取り巻く行き過ぎた国家主義による政界とマスメディアの対応を批判したことから[37][38]、大衆や専門家から賛否両論が噴出した[39][40][41]。
- 画一的教育批判
- 「芸術分野で未来に向かって投資するとしたら、学校ではなく少年院を選択する」と発言し物議をかもす[42]。
- 盗作疑惑
- godのデビュー曲「어머님께 (Dear Mother)」は発表時、パク・ジニョンが制作したと発表していたが、のちに実は2パックの「Life Goes On」をサンプリングしたものであることが発覚し、クレジットが変更された[43]。これ以外にも、たびたび盗作の疑いが掛けられている。
- 大統領選挙ロゴソング要求拒否
- フックソングのトレンドを産んだワンダーガールズの大ヒット曲「テルミー」が、大統領選挙ロゴソング候補になった際、採用を拒否した。その理由を「人々が楽しんでいるのに失望感を抱かせると思ったため。約3億ウォンの収益を放棄することにためらいはなかった」と語った[23]。
ディスコグラフィ[編集]
韓国[編集]
- 떠도는 시간 (1992年)パク・ジニョンと新世代名義
フルアルバム[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | IT's The Time (1996年7月1日) |
※(全曲英語詞) |
スタジオアルバム[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | Blue City (1994年9月1日) |
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2nd | 딴따라 (1995年9月1日) |
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3rd | 썸머 징글벨(Summer Jingle Bell) (1996年9月1日) |
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4th | 십년이 지나도 (1998年1月2日) |
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5th | Kiss Me (1998年12月23日) |
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6th | Game (2001年6月8日) |
CD1
CD2
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7th | Back to Stage (2007年11月16日) |
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ミニアルバム[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | Spring - 5 Songs for a New Love (2012年4月29日) |
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2nd | Halftime (2013年9月9日) |
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シングル[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | Sad Freedom (2009年12月1日) |
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デジタルシングル[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | 24/34 (2015年4月12日) |
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2nd | Still Alive (2014年4月10日) |
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3rd | Blue & Red (2017年10月16日) |
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4th | This Small Hand (2019年2月9日) |
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5th | FEVER (2019年12月1日) |
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6th | When We Disco (2020年8月12日) |
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日本[編集]
ベストアルバム[編集]
No. | タイトル | 収録曲 |
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1st | J.Y. Park BEST (2020年10月7日) |
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テレビドラマ[編集]
書籍[編集]
- 미안해(ゴメンね)(1999年、キミョン社、ISBN 9788934904595、2008年にヘルスメディアから復刊〈ISBN 9788934931744〉)
- 무엇을 위해 살죠?(何のために生きるのか?) (2020年)
主なプロデュース歌手[編集]
歌手[編集]
- god
- パク・チユン
- ピ(Rain)
- Wonder Girls
- ピョル
- ジュ (JOO)
- チンジュ
- 2AM
- 2PM
- ノウル (Noel)
- ガイン(Brown Eyed Girls)プロデュースとコラボレーション
- miss A
- 15&
- GOT7
- DAY6
- TWICE
- Stray Kids
- Boy Story(中国を拠点として活動)
- ITZY
- NiziU
提供・プロデュースした曲[編集]
- AI - 「Too Much feat. Rain」(2006年)
- ウィル・スミス - 「I Wish I Made That」(2005年)
- Cassie - 「When Your Body Is Talking」(2006年)[44]
- SMAP - 「White Message」「Still U」(2008年)
- メイス - 「The Love You Need」(2004年)
- I.O.I『너무너무너무 (Very Very Very)』(2016年)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ SMエンターテインメント、YGエンターテインメント、JYPエンターテインメントの3大芸能事務所
- ^ 大統領に直接、外国人俳優・歌手の育成、広告収益の上限の撤廃、違法ファイル対策を訴えるなどして、2年の任期を満了した。
出典[編集]
- ^ <Wコラム>20年間の不祥事は「2PM」ニックンの飲酒運転だけ=「JYPエンターテインメント」創立者のパク・ジニョン氏
- ^ “‘21세기형 집현전’ 청와대 미래기획위 출범”. 大韓民国政策ポータル. 文化体育観光部 (2008年5月13日). 2010年2月10日閲覧。
- ^ True, Chris. Park Jin Young - オールミュージック. 2020年12月3日閲覧。
- ^ a b c d “Park Jin-young”. KBS WORLD Radio. Korean Broadcasting System. 2020年12月3日閲覧。
- ^ 韓国取引所 JYP Ent.
- ^ a b “虹のかけ橋” (日本語). 日本テレビ. 日本テレビ放送網株式会社. 2020年6月16日閲覧。
- ^ “【dミュージック】J.Y.Park” (日本語). dミュージック. 2020年6月16日閲覧。
- ^ “Profile”. J.Y. Park. 2002年12月3日閲覧。
- ^ ““餅ゴリ”ことJ.Y.Parkに私たちが夢中になる理由とは?『虹プロ』で放った3つの名言” (日本語). ダ・ヴィンチニュース. 2020年6月26日閲覧。
- ^ “떡고 사장의 랜덤댄스는?”…박진영, ‘주간아이돌’ 출연dispatch 2016-04-05
- ^ “[스타 메이커]JYP 엔터테인먼트 박진영”. 韓国アイドットコム (2003年3月26日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “박진영, "키스는 섹스보다 강하다" (단독인터뷰)”. マイデイリー (2007年12月4日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “가수 박진영 "실패를 두려워 말고 도전하라"”. 韓国アイドットコム (2008年9月4日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ t MAP 박진영 ネイバー ニュース 2007-10-30
- ^ “`비` 소속사 JYP엔터, 코스닥 직상장 추진한다”. イーデイリー (2007年1月30日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “박진영 “비가 월드스타? 아직은 아니죠””. 東亜ドットコム (2007年1月17日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “[대중음악]돌아온 'god' 인기 대폭발…3집 나흘새 60만장 팔려”. 東亜ドットコム (2000年11月6日). 2008年12月1日閲覧。
- ^ “가수 겸 작곡가 박진영 "저 이렇게 살아요"”. 韓国アイドットコム (2004年9月7日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “[3040 일과 꿈]박진영/대중음악, 날 떠나지마”. 東亜ドットコム (2003年2月12日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ 이명박 만난 박진영 "규제 좀 풀어줘요"OhmyNews 2008.01.18
- ^ JYP "박진영 부인, 유병언 회장 조카 맞지만 구원파와 무관"世界日報 2014-4-28
- ^ 「NiziUを生んだJ.Y. Park ベスト盤で知る音楽の原点」『日経エンタテインメント!』2020年11月号、日経BP。
- ^ a b [양성희기자의헬로파워맨 CEO·가수·프로듀서 박진영]中央日報 2007.12.05
- ^ 小室哲哉×J.Y. Park 2011, p. 42.
- ^ 田中久勝 (2019年2月24日). JYPパク・ジニョン氏インタビュー<後編>「大切なのはどれだけの情熱と、純粋、謙虚、誠実さがあるか」. (インタビュー). Yahoo! JAPAN. Yahoo!ニュース. 2020年12月3日閲覧。
- ^ 쉘위댄스 실장, 샌드페블즈 비서관, 소림사 가족…青瓦台ブリーフィング 2006-06-14
- ^ “민주당, 가수 박진영 영입 불발”. 京郷ドットコム (2010年1月26日). 2010年2月10日閲覧。
- ^ 시진핑은 세계 안에 바이러스를 확산시킨 최악의 테러리스트"中央日報 2013.09.16
- ^ 박진영 종교는 무교, 과거 발언보니… "머리로는 알겠는데 안 믿어진다"etoday 2014-04-29
- ^ K-POP 遙かなる記憶 2012, p. 43.
- ^ IU、意外にも挫折続きの過去!?“JYPのオーディションを受けるも…”『kstyle』2017年7月25日
- ^ GFRIEND여자친구 Yuju유주 Pre debut Kpop StarYouTube
- ^ 유주, 데뷔 전 ‘K팝스타’ 출연…박진영 ‘충격독설’ 재조명“WORLD TODAY”2015年10月29日
- ^ GFRIEND ユジュ、IU&キム・ヒョナと共に「JYPが逃して後悔しているスター」に!?『kstyle』2017年9月24日
- ^ 小室哲哉×J.Y. Park 2011, p. 45.
- ^ 박진영, "섹스는 게임이다, 너무 무겁게 보지 말아야.."漢江タイムズ 2015.10.20
- ^ “パク・ジニョンが挑発提案「韓流のレッテル剥がさねば」”. 中央日報 (2007年2月7日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ ““한류 버릴 각오해야 더 큰 성공 가능””. 朝鮮ドットコム (2007年5月31日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “パク・ジニョンさん「韓流の中は民族過剰」に賛否”. 中央日報 (2007年2月8日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “[사설] ‘민족주의로 먹고사는 사람 많다’”. ソウル新聞 (2007年2月9日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “[사설] 대중문화 사업가 박진영씨한테 배울 것”. 朝鮮ドットコム (2007年5月31日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “[만물상] 박진영”. 朝鮮ドットコム (2007年7月2日). 2008年12月1日閲覧。
- ^ “새해에도 가요계 표절논쟁 계속”. 世界ドットコム (2007年1月9日). 2008年12月10日閲覧。
- ^ “박진영 "6년 만에 무대 서니 너무 떨려요"”. 韓国アイドットコム (2007年12月19日). 2008年12月10日閲覧。
参考文献[編集]
- 田月仙『K-POP 遙かなる記憶』小学館、2012年。ISBN 4-0938-8230-4。
- 「【対談】小室哲哉×J.Y. Park」『日経エンタテインメント!』2011年10月号、日経BP、2011年9月3日、 ASIN B005HQK6GA。