パルチザン掃討章

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パルチザン掃討章(Bandenkampfabzeichen)
上シレジア自衛団(Selbstschutz Oberschlesien)の記章

パルチザン掃討章(Bandenkampfabzeichen)は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが制定した戦功記章(Tapferkeitsauszeichnung)である。ドイツに対する抵抗運動(パルチザンレジスタンスなど)の駆逐に参加した将兵に授与された。Bandenという語は英語のギャングなどに相当する語だが、ナチス・ドイツにおける政治的な用語としては「国家社会主義への抵抗者」を意味した[1]

デザインは1920年代に存在した軍事組織、上シレジア自衛団(Selbstschutz Oberschlesien)の記章に由来する。制服の腕か左胸に佩用した。

概要[編集]

1944年1月29日、アドルフ・ヒトラーによって制定が認められ、1943年1月1日までさかのぼった戦功が授与の対象となった。授与の対象はパルチザン掃討に参加したドイツの全ての組織の将校および下士官兵で、金銀銅の3等級が存在した。また、ドイツ人以外でもドイツおよびヒトラーへの忠誠宣誓を行った者は授与の対象となった。

授与要件[編集]

パルチザン掃討章の金銀銅章。右端は1957年に再生産された銀章で、デザインから鉤十字が削られている。

以下に示す累計戦闘日数をもって銅章から順に授与されていく。

陸軍、海軍、武装SS[編集]

  • 銅章 - 20日間
  • 銀章 - 50日間
  • 金章 - 100日間

空軍[編集]

  • 銅章 - 30日間
  • 銀章 - 75日間
  • 金章 - 150日間

戦闘日数(Kampftag)の定義[編集]

戦闘日数の定義は兵種によって異なり、次のように算出されていた[2]

  • a)歩兵の場合:捜索、戦闘(攻撃、守備)など全てに費やした作戦日数。
  • b)重火器兵などの場合:接近戦に費やした作戦日数。
  • c)航空機搭乗員などの場合:航空支援が成功したと見なされた出撃の回数。

授与対象者[編集]

1944年10月5日以降、国防軍武装親衛隊、そしてアインザッツグルッペンをはじめとする警察部隊など[3]、全ての組織が授与の対象となった。

戦死直前ないし戦死当日に条件を満たした場合、記章および勲記は遺品の一部として遺族に送られた。

SS長官ハインリヒ・ヒムラーは金章を受章する権利を自動的に受け取っていた。

参考文献[編集]

  • Kurt-Gerhard Klietmann: Auszeichnungen des Deutschen Reiches. 1936–1945. Motorbuch, Stuttgart 1981, ISBN 3-87943-689-4.
  • Rolf Michaelis: Das Bandenkampfabzeichen (= Deutsche Auszeichnungen 4). Leonidas-Verlag, Barsinghausen 2007, ISBN 978-3-940504-09-8.
  • Klaus D. Patzwall: Das Bandenkampfabzeichen 1944–1945 (= Studien zur Geschichte der Auszeichnungen 3). Patzwall, Norderstedt 2003, ISBN 3-931533-49-2.
  • Abbildung des Abzeichens für den Selbstschutz Oberschlesien in: Ernst von Salomon (Hrsg.): Das Buch vom deutschen Freikorpskämpfer. Limpert, Berlin 1938, S. 261 (Nachdruck: Verlag für Ganzheitliche Forschung und Kultur, Viöl 2001, ISBN 3-932878-92-2 (Archiv-Edition)).

脚注[編集]

  1. ^ Himmler erließ im Herbst 1942 die Sprachregelung, dass statt „Partisanen“ der Ausdruck „Banden“ zu verwenden sei.
  2. ^ Querschnitt des Monats Uniformen-Markt, ZDB-ID 331317-7, Jahrgang 1943, Heft 4 S.11
  3. ^ Bundesarchiv Koblenz, R 58 Nr. 219, NO-2830