ビブラス・ナトホ

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ビブラス・ナトホ Football pictogram.svg
Bibras Natkho 2013.jpg
名前
ラテン文字 Bibras Natkho
アディゲ語
ヘブライ語
Бибэрс Натхъо
ביברס נאתכו
基本情報
国籍 イスラエルの旗 イスラエル
生年月日 (1988-02-18) 1988年2月18日(30歳)
出身地 クファル・カマ
身長 175cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム ギリシャの旗 オリンピアコスFC
ポジション MF (CH)
背番号 6
利き足 右足
ユース
イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 イスラエルの旗 ハポエル・テルアビブ 91 (5)
2010-2013 ロシアの旗 ルビン・カザン 104 (21)
2014 ギリシャの旗 PAOK 11 (2)
2014-2018 ロシアの旗 PFC CSKAモスクワ 101 (24)
2018- ギリシャの旗 オリンピアコスFC
代表歴2
2004-2005 イスラエルの旗 イスラエル U-17 12 (3)
2006 イスラエルの旗 イスラエル U-18 4 (1)
2006-2007 イスラエルの旗 イスラエル U-19 14 (7)
2007-2010 イスラエルの旗 イスラエル U-21 23 (5)
2010- イスラエルの旗 イスラエル 25 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年6月30日現在。
2. 2013年7月8日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ビブラス・ナトホアディゲ語: Бибэрс Натхъо, ヘブライ語: ביברס נאתכו, ラテン文字転写: Bibras Natkho, 1988年2月18日 - )は、イスラエルクファル・カマ出身のサッカー選手オリンピアコスFC所属。イスラエル代表。ポジションはミッドフィールダー

経歴[編集]

クラブ[編集]

ハポエル・テルアビブ[編集]

ナトホは、ベン・サハルと共にハポエル・テルアビブFCの下部組織に入団し、様々な世代別を経て2006-07シーズンに昇格を果たした。2006年11月18日のマッカビ・ネタニヤFC戦に途中出場でリーグ初出場を飾り、同シーズンにステートカップ英語版を獲得した。

NKシロキ・ブリイェグとのUEFAカップ 2007-08予選2回戦第2戦(ホーム3-0)でプロ初得点を記録。2007-08シーズン中にエリ・グットマン英語版監督就任以降は主力の1人となり、2008年2月9日のマッカビ・ペタク・チクヴァFC戦でリーグ初得点を記録した。

UEFAヨーロッパリーグ 2009-10のグループリーグで活躍を見せ首位突破に貢献したが、ロシア・プレミアリーグの強豪FCルビン・カザンとの決勝トーナメント・ラウンド32第1戦(アウェイ0-3敗北)に破れ第2戦(ホーム0-0)で追いつくことが出来ず、欧州カップ戦を敗退した。

ルビン・カザン[編集]

2010年3月8日、UEFAヨーロッパリーグ敗退してから程なくして、直接敗退の原因となった相手クラブのルビン・カザンと4年契約を締結[1]。移籍金は65万ユーロ[2]。2012-13シーズンの活躍からロシア・プレミアリーグのトップ選手の1人として見られている[3][4]

PAOKテッサロニキ[編集]

2014年1月29日、自由契約でギリシャ・スーパーリーグPAOKテッサロニキに加入した[5]

代表[編集]

ナトホは、ベラム・カヤルと共に様々な世代別代表でプレー[6]し、U-19では主将を務めた。

2009年8月12日に北アイルランドとの親善試合で同僚のアヴィハイ・ヤディン(en)と共にA代表に初招集を受ける[7]も、出番は訪れなかった。2010年3月3日にルーマニアとの親善試合で元同僚のギル・ヴェルムート(en)に代わり初出場を飾った。2012年9月7日のアゼルバイジャン戦で初得点を記録した[8]

人物[編集]

チェルケス人である。

私生活[編集]

従姉に著名で有望なバスケットボール選手ニーリ・ナトホがいるが、2004年に交通事故で亡くなっている[9]。また、元サッカー選手でサッカー指導者にしてサッカークラブ経営者のアダム・ナトホを叔父に持ち[10]、アダムの息子アミールもサッカー選手[11]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ハポエル・テルアビブFC
  • イスラエル・ステートカップ英語版:2006-07
FCルビン・カザン

脚注[編集]

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