ピョートル・マシェーロフ

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マシェーロフの生誕100周年を記念する切手(ベラルーシ

ピョートル・ミローノヴィチ・マシェーロフ(ピョートル・ミローナヴィチ・マシェーラウ、ベラルーシ語: Пётр Міро́навіч Машэ́раўロシア語: Пётр Миро́нович Маше́ров1918年2月26日[注釈 1]1980年10月4日)は、ソビエト連邦政治家共産主義者ベラルーシ人白ロシア・ソビエト社会主義共和国共産党中央委員会第一書記。

ヴィーツェプスク近郊のシルキに生まれる[1][注釈 2]第二次世界大戦の勃発までは物理と数学の教師だった[1]が、白ロシアがドイツ占領下に置かれると赤軍パルチザンに参加して戦功を立て、ソ連邦英雄称号を授与された[1]。戦後コムソモール・共産党において昇進を重ね、1965年には白ロシア共産党第一書記[1]、翌1966年にはソ連共産党政治局局員候補となり[1]1980年頃までには闘病中のアレクセイ・コスイギンソ連邦首相の有力な後継候補者と目されていた[1][注釈 3]

1980年10月4日、交通事故により死去[1]。62歳だった[1]

注釈[編集]

  1. ^ ユリウス暦では2月13日
  2. ^ 当時はソビエト・ロシア共和国
  3. ^ コスイギンは1980年12月18日死去

出典[編集]


先代:
キリール・マーズロフ
白ロシア共産党第一書記
1965年3月30日1980年10月4日
次代:
ティホーン・キセリョーフ