ピーターパン (アメリカ合衆国の競走馬)

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ピーターパン
Peter Pan I.jpg
ピーターパン(1908年)
欧字表記 Peter Pan I
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1904年
死没 1933年12月(29歳没)
Commando
Papila
母の父 Hermit
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 James R. Keene
馬主 James R. Keene
調教師 James Rowe Sr.(アメリカ
競走成績
生涯成績 17戦10勝
獲得賞金 11万5410ドル
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ピーターパンPeter Pan I [1])はアメリカ合衆国で生産された競走馬種牡馬ベルモントステークスなどに優勝し、種牡馬としても成功を収めた。

経歴[編集]

アメリカ競馬史上に大きな事績を残したジェームズ・ロバート・キーン生産所有馬。管理調教師はアメリカ競馬の殿堂入りを果たしている ジェームズ・ロウ・シニアであり、両者は父コマンドの馬主、調教師でもあった。

2歳で競走馬としてデビューし、この年は8戦4勝。秋にはアメリカ2歳戦の最高峰・ホープフルステークスを制している。3歳時は9戦6勝・2着2回という卓越した成績を残していた。ピーターパンが競走馬時代を過ごした当時のアメリカでは、まだ3歳三冠戦が形成されておらず、現在三冠の初戦・2戦目に位置づけられているケンタッキーダービープリークネスステークスには出走せずベルモントステークスに臨み優勝。ほか、当時は非常に重要な競走と位置づけられていたブルックリンダービー等も制しており、ピーターパンはこの年の最優秀3歳牡馬に選出されている。3歳秋に腱を負傷し競走馬を引退。キーンが所有するキャッスルトン・スタッドで種牡馬となった。

種牡馬としては一時フランスに売却されたが、その後ハリー・ペイン・ホイットニーに購買されてアメリカに戻り、以後1933年に死亡するまでケンタッキー州のホイットニーファームで繋養された。死亡後その遺体は同場の一角に埋葬されている。

産駒は早熟傾向が強く、競走成績においては牝馬の方がより顕著な成績を残したが、牡駒も種牡馬となって成功を収め、特にペナント (Pennant) とブラックトニー (Black Toney) が多くの活躍馬を送り出した。2年連続のアメリカ年度代表馬を受賞したペナント産駒エクイポイズ (Equipoise) を筆頭に、一時その父系は広がりを見せたが、今日では衰退している。しかしブルードメアサイアーとしても大きな実績を挙げており、母系にその血統が受け継がれている。

アメリカでは1940年より、本馬を記念した重賞競走・ピーターパンステークスが施行されている。

主な産駒[編集]

主なブルードメアサイアー産駒[編集]

  • Bostonian(プリークネスステークス)
  • Whiskery (ケンタッキーダービー)
  • Victorian(プリークネスステークス、マンハッタンハンデキャップなど)
  • Top Flight(フューチュリティステークス、サラトガスペシャルステークス、スピナウェイステークス、ピムリコフューチュリティ、エイコーンステークス、コーチングクラブアメリカンオークス、アラバマステークスなど)
  • エレギヤラトマス帝室御賞典
  • カミワカ(中山大障碍特別競走

血統表[編集]

ピーターパン (Peter Pan I)血統(ドミノ系(ヒムヤー系) / 5代内アウトブリード (血統表の出典)

Commando
1898 鹿毛 アメリカ
父の父
Domino
1891 黒鹿毛 アメリカ
Himyar Alarm
Hira
Mannie Gray Enquirer
Lizzie G
父の母
Emma C.
1892 鹿毛 アメリカ
Darebin The Peer
Lurline
Guenn Flood
Glendew

Cinderella
1888 栗毛 イギリス
Hermit
1864 栗毛 イギリス
Newminster Touchstone
Beeswing
Seclusion Tadmor
Miss Sellon
母の母
Mazurka
1878 鹿毛 イギリス
See Saw Buccaneer
Margery Daw
Mabille Parmesan
Rigolboche F-No.2-o


脚注[編集]

  1. ^ 「Peter Pan」と名付けられた史上に著名な競走馬がほかにも存在するため、血統表上などではPeter Pan I、あるいはPeter Pan (USA) と表記される。