ピーター・リリー

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イギリスの旗イギリスの政治家
ピーター・リリー
Peter Lilley
Peter Lilley.jpg
2012年
保守党副党首
任期
1997年6月11日 – 1999年6月15日
指導者 ウィリアム・ヘイグ
前任者 マイケル・ヘーゼルタイン
後任者 マイケル・ポーティロ
影の財務大臣
任期
1997年6月11日 – 1998年6月2日
指導者 ウィリアム・ヘイグ
前任者 ケネス・クラーク
後任者 フランシス・モード
影の社会保障大臣
任期
1997年5月2日 – 1997年6月11日
指導者 ジョン・メージャー
前任者 ハリエット・ハーマン
後任者 イアン・ダンカン・スミス
社会保障大臣
任期
1992年4月8日 – 1997年5月2日
首相 ジョン・メージャー
前任者 トニー・ニュートン
後任者 ハリエット・ハーマン
通商産業大臣
任期
1990年7月14日 – 1992年4月11日
首相 マーガレット・サッチャー
ジョン・メージャー
前任者 ニコラス・リドリー
後任者 マイケル・ヘーゼルタイン (President of the Board of Trade)
金融担当政務官
任期
1989年7月24日 – 1990年11月28日
首相 マーガレット・サッチャー
前任者 ノーマン・ラモント
後任者 フランシス・モード
経済担当政務官
任期
1987年6月11日 – 1989年7月24日
首相 マーガレット・サッチャー
前任者 イアン・スチュワート
後任者 リチャード・ライダー
ヒッチン・アンド・ハーペンデン選挙区選出
庶民院議員
セント・オールバンズ選挙区 (1983-1997)
就任
1983年6月9日
前任者 ヴィクター・グッドヒュー
後任者 ケリー・ポラード (セント・オールバンズ選挙区)
得票差 15,271 (27.9%)
個人情報
生誕 (1943-08-23) 1943年8月23日(76歳)
ケント州ヘイズ
国籍 イギリスの旗 イギリス
政党 保守党
配偶者 ゲイル・リリー
出身校 ケンブリッジ大学クレア・カレッジ

ピーター・ブルース・リリーPeter Bruce Lilley, 1943年8月23日 - )は、イギリス政治家保守党所属の下院議員、ヒッチン・アンド・ハーペンデン選挙区選出(以前はセント・オールバンズ選挙区)。彼はマーガレット・サッチャーおよびジョン・メージャー首相の下で閣僚を務めた。1990年7月から1992年4月まで通商産業大臣、そして1992年4月から1997年5月まで社会保障大臣を務めている。

生い立ち[編集]

リリーはイングランドケント州ヘイズに生まれる。父親はBBCの役員であった[1]。Hayes County Primary Schoolで教育を受け[2]ダリッジ・カレッジを卒業後ケンブリッジ大学クレア・カレッジに進学、自然科学と経済学を学ぶ[1][3]。ケンブリッジの同窓生にはケネス・クラーク、マイケル・ハワードノーマン・ラモントらがいる。1966年から1972年にかけて発展途上国の経済アドバイザーを務める。議会入りする前に、彼はロンドンの株式仲介業者、W. Greenwell & Co.のエネルギー・アナリストであった[1]

リリーは1973年から75年まで保守的なシンクタンクボウ・グループ英語版の議長を務めた。1979年から保守党調査部英語版のディレクターとして働き、1983年に下院議員となる[2]

国会議員として[編集]

1974年総選挙トッテナム選挙区から出馬したが、労働党候補のノーマン・アトキンソンに敗北した。

1983年、セント・オールバンズ選挙区から当選し、1984年から1987年にかけてナイジェル・ローソン議会担当秘書官を務める。その後経済担当政務官金融担当政務官を歴任し、1990年半ばにニコラス・リドリーに代わって通商産業大臣に就任する。当初は右派のサッチャー支持者とみなされた彼は、サッチャーに対して個人的に、彼女の経歴はリーダーシップ挑戦の第1回投票に敗北した後終了したと言い、そしてその後、最終的な後継者のジョン・メージャーに彼女の跡を継ぐために選挙に立候補するよう訴えた[1]

1992年の総選挙後、彼は社会保障大臣に就任した。

1997年には党首選に立候補したが、5名の候補者中4位となった。保守党の野党時代には1997年から1998年にかけて影の社会保障大臣影の財務大臣を歴任[2]、1998年から1999年にかけて副党首を務めた。

リリーはマリファナ合法化の主唱者であることで知られている[4]。2001年にリリーは、ソーシャルマーケット財団のパンフレットで大麻の合法化を主張し、党及び国内でいくらかの論争を引き起こした[5]

2005年には政府の国民IDカード導入計画に対して非常に批判的なレポートをボウ・グループから発表した[6]

2005年12月にデーヴィッド・キャメロンが保守党党首に選出されると、リリーはグローバリゼーション・アンド・グローバル・ポリシー・グループの議長に任命された。


言動・政策[編集]

マーストリヒト条約批准に際して、閣僚でありながらもリリーはマイケル・ハワードらと共に、条約には批判的であった。元首相ジョン・メージャーはリリーを「バスタード」と呼んでいた[7]

リリーは、英国は欧州人権裁判所を拒絶すべきと考えている。権利同士のバランスについてや些細なことにまで人権が拡大適用されることについて、押し付けがましい政治決定を行う権利を裁判官に与えることは、司法の政治問題化につながると述べている[7]

参照[編集]

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代:
ヴィクター・グッドヒュー
セント・オールバンズ選挙区選出
庶民院議員

1983-1997
次代:
ケリー・ポラード
新設選挙区 ヒッチン・アンド・ハーペンデン選挙区選出
庶民院議員

1997-現職
現職
公職
先代:
イアン・スチュワート
経済担当政務官
1987-1989
次代:
リチャード・ライダー
先代:
ノーマン・ラモント
金融担当政務官
1989-1990
次代:
フランシス・モード
先代:
ニコラス・リドリー
通商産業大臣
1990-1992
次代:
マイケル・ヘーゼルタイン
President of the Board of Tradeとして
先代:
トニー・ニュートン
社会保障大臣
1992-1997
次代:
ハリエット・ハーマン
先代:
ハリエット・ハーマン
影の社会保障大臣
1997
次代:
イアン・ダンカン・スミス
先代:
ケネス・クラーク
影の財務大臣
1997-1998
次代:
フランシス・モード
党職
先代:
マイケル・ヘーゼルタイン
保守党副党首
1997-1999
次代:
マイケル・ポーティロ