ファストタテヤマ

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ファストタテヤマ
Fast Tateyama 20061029R1.jpg
2006年10月29日 東京競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1999年5月30日
死没 2012年11月11日
ダンスインザダーク
メインゲスト
母の父 ターゴワイス
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産 秋田牧場
馬主 辻幸雄
調教師 安田伊佐夫栗東
競走成績
生涯成績 55戦6勝
獲得賞金 4億2843万7000円
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ファストタテヤマ日本競走馬。おもな勝ち鞍はデイリー杯2歳ステークス京都新聞杯。後方からの追い込みを武器に、しばしば波乱を起こす穴馬として人気を博した。主戦騎手は安田康彦武幸四郎

戦績[編集]

2歳[編集]

ファストタテヤマは2001年の札幌開催でデビューし、2着だった。2戦目は3着となり、連闘した3戦目で初勝利を挙げた。初勝利を挙げたファストタテヤマはデイリー杯2歳ステークスに出走、道中ポツンと離れた最後方から、直線だけで全馬を抜き去って優勝し、重賞初制覇を果たした。8番人気という低評価での優勝に、鞍上の安田康彦は「あんまり勝つ気なかったんですけど」と驚きを表現した。続く2歳王者決定戦の朝日杯フューチュリティステークスは13着と大敗した。

3歳春~夏[編集]

2002年はシンザン記念7着、若葉ステークス2着を経て皐月賞に出走するが、15着と大敗した。しかし、京都新聞杯では6番人気ながら鮮やかな差し切り勝ちで、重賞2勝目を挙げると共に父ダンスインザダークとの同レース親子制覇も果たした[1]。続く日本ダービーは15着、休養を経て出走した札幌記念でも13着と大敗した。その後、体調が整わなかったため、菊花賞へ直行した。

菊花賞[編集]

菊花賞でのファストタテヤマは春シーズンの戦績や札幌記念での凡走、臨戦過程などが原因で、18頭立て16番人気と非常に低い評価であった。レースはスタート直後に1番人気ノーリーズンに騎乗していた武豊落馬するという大波乱で幕を開けた。道中序盤は先行馬がハイペースで飛ばし、中盤では一転して超スローペースという変則的な流れの中で、ファストタテヤマは後方で淡々とレースを運んだ。最後の直線では12番手の位置から一気に追い込み、次々と他馬をかわしたが、早めに抜け出したヒシミラクルにハナ差届かず2着となった。ヒシミラクルも10番人気の穴馬で、馬連配当9万6070円、三連複配当34万4630円は、いずれもクラシック史上最高配当となった。

菊花賞後~4歳[編集]

菊花賞後、鳴尾記念4着で3歳シーズンを終えたファストタテヤマだったが、古馬になってからはなかなか勝てなくなった。2003年は日経新春杯から始動したが7着、以後京都記念14着、阪神大賞典3着、天皇賞(春)6着、宝塚記念9着、オールカマー2着、天皇賞(秋)7着、ステイヤーズステークス10着、有馬記念10着と9戦して0勝とこの年は不振だった。なお、ステイヤーズステークスでは、1番人気に推されている。

5歳~6歳[編集]

2004年は京都記念から始動したが5着、以後阪神大賞典3着、天皇賞(春)11着、目黒記念9着、京都大賞典9着、中日新聞杯7着と6戦して0勝と連敗が続いた。

2005年はオープン特別の万葉ステークスから始動したが4着と敗れ、京都記念5着、中京記念14着と連敗が続いたため、主戦騎手の安田は降板、夏まで休養することになった。夏はオープン特別のみなみ北海道ステークスから復帰して3着となり、札幌記念に出走した。12番人気だった札幌記念では、優勝したヘヴンリーロマンス(9番人気)からクビ差の2着まで追い込み、三連単配当275万円超の大波乱を起こした。

札幌記念の好走でようやくスランプ脱出かに思われたが、秋は京都大賞典3着になったものの、アルゼンチン共和国杯は8着、初のダート戦となった春待月ステークスでは11着と大敗し、成績を落としたままこの年は終わった。なお、この年の京都大賞典から武幸四郎が騎乗している。

7歳[編集]

2006年はオープン特別の万葉ステークスから始動、4番人気ながら勝利を収めた。これが3年半ぶりの勝利だった。だが、その後はダイヤモンドステークス5着、阪神大賞典5着、天皇賞(春)6着、宝塚記念11着と凡走が続いた。

それでも、夏はオープン特別のみなみ北海道ステークスで快勝した。札幌記念では6着だったが、京都大賞典では7番人気ながら宝塚記念優勝馬のスイープトウショウに並ぶ上がり32秒8という脚で2着に入り、また波乱を起こした。

だが、その後天皇賞(秋)は11着、ステイヤーズステークスは8着に終わった。

8歳[編集]

2007年もオープン特別の万葉ステークスから始動、4着だった。そして、京都記念11着、阪神大賞典6着を経て出走した大阪-ハンブルクカップで上がり33.2の脚を繰り出して快勝、これがファストタテヤマの最後の勝利となった。この勝利も6番人気という人気薄での優勝だった。

その後、天皇賞(春)10着、宝塚記念5着、みなみ北海道ステークス4着、札幌記念10着と凡走を繰り返し、京都大賞典6着を最後に競走馬を引退した。

ファストタテヤマは条件戦に出走した経験がなく、2歳時から一貫してオープンクラスで息の長い活躍を続け、通算6勝(そのうち重賞2勝)を挙げているが、古馬になってからは重賞を勝つことはできなかった。それでもオープン特別戦では3勝を挙げており、重賞でも2着が3回ある。
輸送競馬が苦手だったためか、関東圏の競馬場(東京競馬場中山競馬場)では12戦して0勝、2003年のオールカマー2着が目立つ程度であり、あとはほぼ惨敗を喫した。反面、滞在競馬となる北海道の競馬場(札幌競馬場函館競馬場)では2勝の他、札幌記念やオープン特別でも好走が見られた。その他、左回りの競馬場での勝利も無かった。

引退後[編集]

引退後は福島県のいわきホースパークで乗馬となり、馬術競技馬として登録された。馬術競技馬を辞めた後は、千葉県の牧場で余生を送っていたが、2012年11月11日に腸捻転のため死亡した。

主な実績[編集]

血統[編集]

ファストタテヤマ血統サンデーサイレンス系 / Northern Dancer 4×4=12.50%) (血統表の出典)[§ 1]

ダンスインザダーク
1993 鹿毛
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
*ダンシングキイ
Dancing Key
1983 鹿毛
Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
Key Partner Key to the Mint
Native Partner

メインゲスト
1986 栃栗毛
*ターゴワイス
Targowice
1970 黒鹿毛
Round Table Princequillo
Knight's Daughter
Matriarch Bold Ruler
Lyceum
ダイナアンバー
1978 鹿毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
Northern Dancer
Lady Victoria
*クリアアンバー
Clear Amber
Ambiopoise
One Clear Call F-No.4-m
父系 ヘイロー系サンデーサイレンス系
[§ 2]
母系(F-No.) 4号族(FN:4-m) [§ 3]
5代内の近親交配 Northern Dancer4×4 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ ファストタテヤマ 5代血統表2017年7月15日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com ファストタテヤマ 5代血統表2017年7月15日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ ファストタテヤマ 5代血統表2017年7月15日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ ファストタテヤマ 5代血統表2017年7月15日閲覧。

祖母ダイナアンバーの兄妹に、GI競走2勝のアンバーシャダイサクラバクシンオーの母サクラハゴロモがいる。

脚注[編集]

  1. ^ ただし、ダンスインザダークが優勝した当時は菊花賞トライアルとして、秋に開催されていた。