ファラオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
ファラオ(新王国時代の墓の壁画に基づく画)

ファラオ(英語:Pharaoh)(アラビア語:فرعون)は、古代エジプト君主称号。しばしばと和訳される。

概要[編集]

古代エジプトの君主の称号〈君主号〉。神権皇帝。古代エジプト語の「ペル・アア」が語源である。旧約聖書では「パロ」(文語訳聖書口語訳聖書新改訳聖書)もしくは「ファラオ」(新共同訳聖書)という転写で登場。クルアーンでは「フィルアウン」として出てくる。豊かなナイル川流域を母体とするエジプト文明の頂点に立つ存在がファラオであり、王であると共に現人神としても扱われ、絶大な権力を持つ。

ペル・アアとは「大きな家」の意味であり、王宮そのものを表す言葉であったが、転じて王宮に住む者、つまり王を意味するようになった。第18王朝のトトメス3世が王をさすことばとして用いて以来、それが習慣化した。ヘブライ語で書かれた旧約聖書においては「パロ(par‘ōh)」、プトレマイオス朝などのギリシャ語では「ファラオ(pharaō)」で、ギリシャ語を経てヨーロッパ諸語に伝わった。トトメス3世以前の古王国時代や中王国時代の支配者もこの称号で呼ばれている。王は五つの称号(誕生名、即位名、黄金のホルス名、ネブティ名(二女神名)、ホルス名)をもっていて、そのなかの個人に関係する二つの称号(即位名、誕生名)はカルトゥーシュ(楕円形の枠で、ひもで囲った形をしており、王を霊的に守護する役割がある)の中に記された。

ファラオという地位の概念も時代を追う毎に変化を続け、次第に神格化していきホルス神の化身であるとされるようになった。この考えは第5王朝以降には太陽神ラーの息子であるとされるようになった。

なお、1世紀頃のローマ帝国では「エジプトの『ファラオ』は初代の王の名前でこれを代々襲名している」という俗説があったらしく[要出典]、ヨセフスはこれについて『ユダヤ古代誌』第VIII巻6章2節で「ファラオはエジプトの言葉で王や王権を意味する」、「即位前は各王は個人名がちゃんとあって即位後にファラオと呼ばれる」、「(初代王の襲名自体は珍しいことではなく)アレクサンドリアの王(プトレマイオス王朝のこと)も即位すれば初代同様プトレマイオス、ローマ皇帝も即位すればカエサルと呼ばれ元の名前では呼ばれなくなる」と説明している[1]

セベクネフェルハトシェプストクレオパトラ7世などのわずかな例外を除き、男性である(そのハトシェプストやクレオパトラ7世も男性ファラオとの共同統治であり、単独のファラオではない)。基本的に継承権はファラオの娘である第一王女にあり、その夫が次代のファラオとされていたが20世紀初頭の研究により王子に継承権があったと思われる[2]。通常は第一王子が次代のファラオになる。近親婚が好ましいとされた時期があり第一王子の王位継承を正当化するために、王位継承者である王子は、第一王女を妻に娶った。またこれは神話に基づく面もあった(オシリスとイシスの伝説参照)。必ずしも近親相姦により子をなした訳ではなく、多くのファラオは側室を娶って子をなした(クレオパトラ7世が正式には弟と結婚していながら、カエサルアントニウスの愛人であった事も、兄弟婚が形式であった事を裏付けている)。しかしながら本当に近親相姦を行い子供を産み、王位を継承した例もある事が、近年の遺伝子研究により解明されている。

ツタンカーメンのカルトゥーシュ

王の地位は天空の神ホルスによって与えられ、のち太陽神ラーの子と考えられた。王は最高神官であると同時に最高軍司令官でもあり、理念上はすべての人民と土地を所有した。神の地上における化身と看做されたファラオは、この神性をよりどころに、神々と人間社会とを結ぶ存在として人間社会を含む全宇宙の調和ある秩序を保持する任務を課せられ、政治、経済、社会、文化、宗教のすべてを自らの手で動かすことを建前とする高度に組織化された中央集権国家に君臨した[3]

一般的に「古王国時代」「中王国時代」「新王国時代」と呼ばれる期間は比較的王権は安定し、神殿の建造及びシリアヌビアリビアなどへの遠征も盛んにおこなわれ、ファラオの権威は高く保たれ、反乱や僭称者も少なかった。しかし、ファラオの王権は時として必ずしも安定的な王位であるとは言えず、古王国時代の後の「第1中間期」、中王国時代の後の「第2中間期」、新王国時代の後の「第3中間期」及び「末期王朝」の時代にはファラオの王権は揺らいだ。

ファラオの象徴[編集]

プスケント

ファラオは神権により支配した。名前の一部にはホルス名、セト名といった神の名前が含まれ、ファラオの関係している神や、その神官グループとの繋がりを示す。

ファラオは公式の場では冠をかぶり、普段はネメスと呼ばれる頭巾をつけていた。ただしネメスは王族以外でも着用されていた。

肘を曲げ手首を胸に置いて腕を交叉させるのがファラオを象徴するポーズであり、通常ファラオのミイラはこの格好をしている。

なお、ファラオの被る冠(プスケント)あるいは頭巾(ネメス)は上下エジプト統一の象徴であり、コブラが下エジプト、ハゲタカが上エジプトを意味する二重冠である。また、王の称号としては、ホルス名、ネブティ名、太陽の子名、上下エジプトの王名、黄金のホルス名があり,ファラオは上エジプトの白冠、下エジプトの赤冠、両者を組合せた二重王冠、青冠、ネメスという独特のかぶりものをつけ、手には上下エジプトを象徴する王笏を持った。

前近代のイスラーム教徒のファラオ観[編集]

アラビア語でファラオは、おそらくシリア語アムハラ語からの借用語と推定される「フィルアウン」(fir‘awn, 複数形は far‘īna)という[4]。この「フィルアウン」には、端的に言って、「無慈悲な暴君」の意味合いがある[4]イスラーム教の聖典『クルアーン』において「フィルアウン」の語は全部で74回出現するが[5]、特に2章47節から52節あたりには、『出エジプト記』においてモーセイスラエル人に迫害を加えるファラオと同一視される、男児の殺害を命じるファラオ、海の底に沈むファラオについての描写がある[4]。10章90節から92節あたりには、同じく海の底に沈むファラオが改心の言葉を口にするも神に拒絶される描写がある[4]。前近代のイスラーム教徒が持つ否定的なファラオ観は、クルアーンに依拠するところが大きい[4]

一方で、クルアーンの注釈書や、タバリーマスウーディーなどイスラーム教徒の古典的な著作には、ファラオに関して、クルアーンにもヘブライ語聖書にも根拠を見いだせない情報が見出せる[4]。たとえば、タフスィール書(クルアーンの注釈書)では、ファラオはアマレク人であると解説されており、タバリーはモーセを迫害したファラオがイラン系のイスタフル英語版出身の王であると記し、マスウーディーはアブラハムヨセフの物語に登場するファラオの具体的な名前を記す[4]。イスラーム世界では、ユダヤ教の伝説(アッガダ英語版)を基礎に、イスラーム教徒が7世紀以降支配下に入れたエジプトで言い伝えられていた伝説を取り込んで、独自のファラオ観が、歴史的に形成されていったと推定されている[4]

モーセ伝説におけるファラオは、海の底に沈む間際、信仰を告白しようとするが大天使ガブリエルが泥をその口に突っ込み、阻止したとされる[4]。歴史的には、このように神に拒絶されるほどの無慈悲さとはどのようなものかをめぐって、神学上の議論があり、例えばムァタズィラ派がファラオに関心を持った[4]。また、死を目前にしての改心というファラオ説話に内在する神意については、ハッラージュらスーフィーたちも彼ら独特の思考様式で瞑想した[4]スーフィズムではファラオを傲慢・貪欲・無反省の典型と考えることが多い[4]

19世紀にエジプト学が発展し、古代エジプト文明に関する知識が増大すると、伝統とは異なるファラオ観も現れた[6]。現代のエジプト人は古代エジプト人の直系の子孫であるという立場に立ち、古代エジプトが担っていた世界に対する指導的役割や卓越した地位を取り戻そうとする「ファラオ主義」が、教育を受けたエジプトの一部のエリートの間で主張された[6]

現在[編集]

現代エジプトでは、「民を虐げる圧政者」という意味で使用されることがある。例を挙げれば元大統領ホスニー・ムバーラクがファラオ(フィルアウン)と呼ばれた。一方で、サッカーエジプト代表をファラオズというニックネームで呼ぶように、肯定的なイメージで用いられる場合もある。

人種[編集]

ファラオのDNAの調査報告において、人種は公表されていない。

脚注・出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌3 旧約時代編[VIII][XI][XI][XI]』株式会社筑摩書房、1999年、ISBN 4-480-08533-5、P58-59。
  2. ^ 【女性】古代エジプトの女王と王妃たち(付:年表)” (日本語). 比較ジェンダー史研究会. 2020年11月20日閲覧。
  3. ^ https://kotobank.jp/word/ファラオ-122393
  4. ^ a b c d e f g h i j k l Wensinck; Vajda (1965). "Fir'awn". In Lewis, B.; Pellat, Ch.; Schacht, J. (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume II: C–G. Leiden: E. J. Brill. pp. 917–918.
  5. ^ Quran Search”. corpus.quran.com. 2021年4月16日閲覧。
  6. ^ a b 三代川, 寛子「20世紀初頭におけるコプト・キリスト教徒のファラオ主義とコプト語復興運動 イクラウディユース・ラビーブの『アイン・シャムス』の分析を中心に」『オリエント』第58巻第2号、2016年3月31日、 184-195頁、 doi:10.5356/jorient.58.2_184

関連項目[編集]