ファルハード・マジーディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ファルハード・マジーディー Football pictogram.svg
Farhad Majidi 2012.jpg
名前
本名 ファルハード・マジーディー・ガディーコラーイー[1]
基本情報
生年月日 (1976-06-03) 1976年6月3日(42歳)
出身地 テヘラン[1]
身長 177cm
選手情報
ユース
1993–1995 バフマン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995–1997 イランの旗 バフマン 19 (7)
1997–1999 イランの旗 エステグラル
2000 オーストリアの旗 ラピード・ウィーン 12 (2)
2000 イランの旗 エステグラル 3 (0)
2000–2006 アラブ首長国連邦の旗 アル・ワスル
2003 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン (ローン) 3 (1)
2006 アラブ首長国連邦の旗 アル・アハリ・ドバイ (ローン) (6)
2006–2007 アラブ首長国連邦の旗 アル・ナスル 14 (4)
2007 アラブ首長国連邦の旗 アル・アハリ・ドバイ 9 (1)
2007–2013 イランの旗 エステグラル 118 (39)
2012 カタールの旗 アル・ガラファ (ローン) 15 (6)
通算 229 (116)
代表歴2
1996–2011  イラン 45 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年1月14日現在。
2. 2011年9月27日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

ファルハード・マジーディー (1976年6月3日 - 、ラテン文字:Farhad Majidi、ペルシア語: فرهاد مجیدی ‎) は、イランテヘラン出身のプロサッカー選手、元同国代表選手である。ポジションはMF。現在はエステグラルFCに所属している。2010年、マジーディーはアジア年間最優秀選手賞の候補に選ばれ、投票により2位を獲得した。IFFHSにより、2010年度最も人気のあった現役サッカー選手に認定された。

クラブキャリア[編集]

エステグラルで数年プレーした後、マジーディーはSKラピード・ウィーンからオファーを受けた。しかし、オーストリアへの完全移籍ではなかったため、エステグラルはその後UAEリーグアル・ワスルFCへと移籍させた。

UAEリーグでは同じイラン人アリーレザー・ヴァーヘディー・ニークバフト英語版とともに、マジーディーは多くのゴールを挙げ得点王争いを演じた。しかしその後マジーディーは怪我のため戦列を離れ、得点王は獲得できなかった。

マジーディーのキャリアにおいて最も活躍した時期の一つがアル・アインFCへと短期間のローン移籍した期間である。マジーディーはAFCチャンピオンズリーグ2002-03準決勝の大連実徳戦で得点を挙げ、アル・アインFCをAFCチャンピオンズリーグ決勝の舞台に導いた。その後マジーディーはクラブ史上初となるAFCチャンピオンズリーグ (前身のアジアクラブ選手権も含む) の優勝を成し遂げた。

アル・ワスルFCでは5年間プレーし100以上のゴールを決めた。2006年にアル・ワスルを退団し、UAEのクラブアル・ナスルSCに加入した。

2007年2月10日、マジーディーはシーズン終了までアル・アハリ・ドバイと契約をかわした。シーズン終了後、マジーディーはエステグラルと一年契約をかわした。マジーディーはエステグラルとの契約をさらに2年間延長し攻撃的MFとして活躍、2008-09シーズンにはリーグ優勝の原動力となった。彼は2009-10シーズンも好調を維持しチームの得点王及びACLの得点王も獲得した。

2011年12月21日、マジーディーは個人的な事情からエステグラルを離れ、カタールアル・ガラファSCに加入した[2]

マジーディーは2012年9月28日にエステグラルが契約延長を拒否しチームスタッフとしての契約を打診したことでサッカー選手としての引退を発表したが [3][4]、後にこの発言を撤回、2012年12月18日に18ヶ月の契約を結び再びエステグラルでプレーすることになった[5]

しかし、2013年10月29日に、契約が残ってるにもかかわらず突如引退を発表した[6]

統計[編集]

パフォーマンス リーグ カップ 国際大会 合計
シーズン クラブ リーグ 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
1996–97 バフマン アーザーデガーン・リーグ 19 10
1999–00 エステグラル 14 4
オーストリア リーグ オーストリア・カップ UEFAカップ 合計
1999–00 ラピード・ウィーン ブンデスリーガ 12 2
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
2000–01 エステグラル アーザーデガーン・リーグ 3 0
UAE リーグ プレジデントカップ ACL 合計
2001–02 アル・ワスル UAEリーグ 8 7
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
2001–02 エステグラル イラン・プロリーグ 11 5
UAE リーグ プレジデントカップ ACL 合計
2002-03 アル・ワスル UAEリーグ 12
アル・アイン 4 1 4 1
2003-04 アル・ワスル 13
2004-05 7
2005-06 アル・アハリ・ドバイ (ローン) 20 11
2006-07 アル・ナスル 15 3 1 4
アル・アハリ・ドバイ 5 1 0 1
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
2007-08 エステグラル イラン・プロリーグ 22 7 6 2 28 9
2008-09 23 3 2 1 5 0 30 4
2009-10 30 10 1 1 7 5 38 16
2010-11 26 10 2 1 6 5 34 16
2011-12 16 9 2 0 0 0 18 9
カタール リーグ アミールカップ ACL 合計
2011-12 アル・ガラファSC カタール・スターズリーグ 15 6 3 1 4 0 22 7
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
2012-13 エステグラル イラン・プロリーグ 1 0 0 0 0 0 1 0
合計 イラン 165 58 17 9
合計 オーストリア 12 2
合計 UAE 54 4 1
合計 カタール 15 6 3 1 4 0 22 7
総合計 120 25 10
  • アシスト
シーズン クラブ アシスト数
07/08 エステグラル 2
08/09 エステグラル 3
09/10 エステグラル 2
10/11 エステグラル 5
11/12 エステグラル 8
11/12 アル・ガラファSC 5
12/13 エステグラル 0

サッカーイラン代表[編集]

マジーディーは1996年12月に開催されたAFCアジアカップ1996サッカーサウジアラビア代表戦で代表デビューを果たした。彼は当時の代表監督であったブランコ・イヴァンコヴィッチの下ではアリ・ダエイアーラシュ・ボルハーニーの控え選手としてベンチを温める事が多く、AFCアジアカップ2004を直前に控えた2004年の代表合宿では代表招集を辞退した。その後再び招集されるようになり、2007年時点で41試合に出場、10得点を決めた。AFCアジアカップ2007前の合宿ではアミール・ガレエノーイー英語版の下で、AFCアジアカップ2011前の合宿ではアフシン・ゴトビの下で招集された。2011年8月23日にはカルロス・ケイロス新監督のもと再び代表に招集された。マジーディーは1996年から2011年まで16年間に渡りイラン代表で活躍し最も招集歴の長い選手だったが、実際に出場した試合数は多くなかった。ファルハード・マジーディーとペルセポリスFC主将であったアリー・キャリーミー2014 FIFAワールドカップ・アジア予選においてイラン代表サポーターの人気を二分する選手と考えられている。2011年9月27日、マジーディーはイラン代表からの引退を表明した[7]

獲得タイトル[編集]

クラブ[編集]

プライベート[編集]

2010年、IFFHSより世界の現役サッカー選手の中で最も人気のある選手に認定された[8]

脚注[編集]

タイトル
先代:
アリーレザー・マンスーリーアーン
エステグラルFC主将
2008–2013
次代:
メフディー・ラフマティー