フィリップ (エディンバラ公)

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フィリップ
Prince Philip
イギリス王配
Prince Philip in Berlin 2015 (cropped).JPG
在位 1952年2月6日 - 2021年4月9日[1]
別称号 エディンバラ公爵
メリオネス伯爵
グリニッジ男爵

全名 フィリッポス
:Φίλιππος
フィリップ・マウントバッテン
:Philip Mountbatten
出生 (1921-06-10) 1921年6月10日
ギリシャの旗 ギリシャ王国ケルキラ島
死去 (2021-04-09) 2021年4月9日(99歳没)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドウィンザーウィンザー城
埋葬 2021年4月17日
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド、ウィンザー、ウィンザー城内聖ジョージ礼拝堂
結婚 1947年11月20日
配偶者 エリザベス2世
子女 チャールズ
アン
アンドルー
エドワード
氏族 オルデンブルグ氏
家名グリクシンブルグ家→)
マウントバッテン家
父親 アンドレアス・ティス・エラザス・ケ・ザニアス
母親 アリス・オブ・バッテンバーグ
宗教キリスト教ギリシャ正教会→)
イングランド国教会
軍歴 イギリス海軍1939年 – 1952年)
役職
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エディンバラ公爵フィリップ王配[注釈 1](エディンバラこうしゃくフィリップおうはい、Prince Philip, Duke of Edinburgh1921年6月10日 - 2021年4月9日[1])は、イギリス王族女王エリザベス2世王配(夫/配偶者、Prince)。チャールズ王太子の実父。爵位称号Prince of the United Kingdom[2]エディンバラ公爵メリオネス伯爵グリニッジ男爵イギリス陸海空軍元帥Lord High Admiral海軍本部の長)、日本学士院名誉会員。敬称は His Royal Highness(殿下)。

祖父にギリシャ王ゲオルギオス1世、曾祖父にデンマーク王クリスチャン9世、高祖父にロシア皇帝ニコライ1世、高祖母にイギリス女王ヴィクトリアがいる。

イギリス海軍第2次世界大戦に従軍後、当時即位前のエリザベス王女と結婚。妻の女王即位後は海軍を退役し、夫として長年女王を支えてきた。女王の公務の大半に夫妻で同伴、単独での海外訪問も143カ国637回に上り、公務は単独でも65年間で2万2千件以上、2017年の時点で785団体の会長や支援者を務めていた[3]

96歳と高齢になっていた2017年8月2日バッキンガム宮殿イギリス海兵隊閲兵したのを最後に、全ての公務から引退した[4][5]

2021年4月9日、ウィンザー城にて薨去[6]

家系[編集]

ギリシャおよびデンマークノルウェーの王家であるグリュックスブルク家(正式には、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク家)出身。ギリシャ王国の第2代国王ゲオルギオス1世の四男アンドレアスバッテンベルク家(英語名:マウントバッテン家)出身のアリキ(英語名:アリス)の長男として誕生。ギリシャ語名フィリッポス(Φίλιππος)。ヴィクトリア英女王の玄孫であり、連合王国王位継承権を持つ(2012年2月現在第485位)。

姉が4人おり全員がドイツ人男性と結婚。長姉マルガリタ(ホーエンローエ=ランゲンブルク侯妃)、次姉セオドラバーデン辺境伯夫人)、三姉セシリア(ヘッセン大公世子妃)、四姉ソフィア(ヘッセン=カッセル公子妃、ハノーファー王子妃)である。母方の叔母ルイーズスウェーデングスタフ6世アドルフ妃。第2代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ジョージ・マウントバッテン第二次世界大戦の極東での対日戦争のビルマ戦線でその名を馳せた初代マウントバッテン・オブ・バーマ伯爵ルイス・マウントバッテンは母方の叔父にあたる。

フィリップは、父アンドレアスと同様「ギリシャ王子及びデンマーク王子(Prince of Greece and Denmark)」の称号を有していたが、エリザベス王女との結婚にあたりこれを放棄している。

ヴィクトリア女王 - アリス(ヘッセン大公妃) - ヴィクトリア(ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人) - アリス(アンドレアス王子妃) - フィリップ

略歴[編集]

ギリシャでの少年時代[編集]

1921年6月10日ギリシア王国イオニア諸島のコルフ島(ケルキラ島)にある別荘の台所で、ギリシャ王子アンドレアスアリキ妃の(1男4女の)末子(第5子)として生まれる。

生後1年程してギリシャでクーデターが発生、ギリシャ国王コンスタンティノス1世は退位を余儀なくされ、ゲオルギオス2世が即位し、コンスタンティノス1世の弟である父アンドレアスは革命政府から死刑を宣告された。

それまでケルキラ島に滞在していた一家は、イギリスのジョージ5世の差し向けたイギリス海軍の軍艦によりギリシャを脱出した。なおその後1924年4月の国民投票により王制の廃止が決定、共和政への移行が決定された。

亡命生活[編集]

一家はフランスパリへと向かい、父の兄ゲオルギオス王子の妃マリー・ボナパルトの所有するパリ郊外サン=クルーの別荘に滞在し亡命生活を送った。家庭は円満でなかった。王子の座を失った父アンドレアスは次々と愛人を作り、家庭を省みない父は不在が多かった。夫の不貞に母アリキは精神を病み、南仏の病院に入院した。

4人の姉達が結婚で実家から別離していくとフィリップは一人になった。1928年に渡英し、祖母ヴィクトリア、叔父ジョージ、ルイスとともに生活する。1933年からは、母の家と縁の深いドイツの南部にあるバーデンの学校へ転校する。1934年5月にはギリシアの王制復活が決定されたが、コンスタンティノス1世ではなくゲオルギオス2世が王位に復帰したため、帰国することは叶わなかった。

イギリス海軍での在籍[編集]

ラミリーズ

1939年にイギリス海軍兵学校をクラスのトップで卒業し、士官候補生としてイギリス海軍に入隊。第二次世界大戦に従軍した。1940年には戦艦ラミリーズ」に乗艦し、インド洋で半年余り任務にあたった。なお同年に祖国のギリシアはイタリア軍の侵略を受け、ドイツ軍とイタリア軍、ブルガリア軍の枢軸国3国によって分割占領されることになった。

1941年1月からは、戦艦「ヴァリアント」に乗艦し、地中海での任務にあたる。この年「ヴァリアント」は複数の海戦に参加しており、マタパン岬沖海戦でのフィリップの勇戦が認められ、ギリシア十字勲章(Greek War Cross)を受章した。

1942年7月には海軍中尉に昇進し、駆逐艦「ウォーリス」で先任将校として勤務する。1943年7月の連合軍のシチリア上陸作戦を支援した。その後駆逐艦「ウェルプ」に異動。「ウェルプ」は第27駆逐艦隊の一隻で、インド洋方面へ向かいやがて終戦を迎えた。日本政府が降伏文書に調印した1945年9月2日には、「ウェルプ」は東京湾に停泊していた。終戦後の翌1946年1月にイギリス本国へ帰還する。

フランスに亡命していた父のアンドレアスは、フランスがドイツ軍に占領された後はヴィシー政権の監視下に置かれ、それ以降フィリップを含む家族の誰とも面会することなく、1944年モナコで死去した。

イギリスの国籍取得[編集]

ギリシャの枢軸国による占領は終わったが亡命生活は続き、帰国後の1947年2月イギリスに帰化(国籍取得)した。帰化した際、イギリスにおける軍務を継続するために母の実家の家名である「マウントバッテン」(Mountbatten、ギリシャ語名「Battenberg」を英語化したもの)を姓として選択した。これに伴いフィリップは、ギリシア正教会からイギリス国教会への改宗を行い、さらに形式上となっていた「ギリシャ王子及びデンマーク王子」の地位を「放棄」することを宣言した。

なお、1705年ソフィア帰化法1948年英国帰化法により廃止)により、ハノーファー選帝侯妃ゾフィーの子孫であるフィリップは、生まれたときから英国籍を有している[7]

結婚[編集]

フィリップとエリザベスの肖像(1950年)
妻の英女王エリザベス2世

1947年7月9日に、イギリス国王ジョージ6世の第1王女で次期王位継承者であったエリザベスとの婚約が発表される。同年11月20日に、ロンドンウェストミンスター寺院で結婚した。

同日からRoyal Highness 「殿下」の敬称が与えられ、翌日には義父ジョージ6世からエディンバラ公爵、メリオネス伯爵とグリニッジ男爵の各爵位が授与された。結婚後の数カ月間をマルタで過ごした。

結婚後も軍歴を重ね、1949年にフィリップは地中海艦隊第一水雷戦隊旗艦の駆逐艦「HMSチェッカーズ」の副長となる。1950年には海軍少佐に昇進し、スループ艦「HMSマグパイ(HMS_Magpie_(U82))」の艦長となる。

1952年には海軍中佐に昇進した[8]が、同年2月6日にジョージ6世国王が崩御し、妻であるエリザベス2世の女王即位により、「将来的には海軍提督に出世するであろう」と言われた輝かしい軍歴には終止符が打たれた。

イギリス女王の夫(王配)として[編集]

フィリップと妻のエリザベス2世の戴冠式の肖像(1953年6月)
オーストラリア訪問時(1954年)
米大統領ロナルド・レーガン夫妻とともに(1983年)
エリザベス2世女王と夫妻で(2012年)

1952年2月6日に、妻のエリザベス王女がイギリス女王に即位した。1957年にエリザベス2世からPrince of the United Kingdomの称号を与えられ[2]、それ以降は、His Royal Highness The Prince Philip, Duke of Edinburgh(エディンバラ公フィリップ王配殿下[注釈 1])が正式な呼称となっている。

ヴィクトリア女王の夫アルバートとは異なり、共同統治者としての地位を示す「王配殿下(Prince Consort)[9]の称号が与えられず、従って機密書類閲覧権もない。フィリップに王配殿下の称号を授与することを、ウィンストン・チャーチルが拒否したもの[10]

王朝名となる女王一家の姓は「ウィンザー(Windsor)」のままであり、フィリップの姓である「マウントバッテン(Mountbatten)」に変わらなかった。その後1960年に夫妻の子孫の姓を「マウントバッテン=ウィンザー(Mountbatten-Windsor)」とすることになったものの、フィリップの屈辱的な思いは残った。

王配殿下の称号を得られなかったことはフィリップに屈折した心理を生み、不倫が報じられたほか、王子や王女たちにも悪影響を及ぼしたと言われる[11]。なお4人の子供達(3男1女)には父親として厳格な躾を施し、とりわけ長男のチャールズ王太子には将来の国王となるべく影響を与えた。

公務[編集]

しかし王室の一員としての公務には献身的に取り組んだだけでなく、王室の改革、近代化に積極的で、初めて王室の日常をテレビジョンで公開するなど、王室と国民の関係を親密にすることに心を砕いた。なおこのような改革について義母のエリザベス王太后との確執があったが、後に沈静化した。

また南極大陸・南大西洋の訪問を機に自然保護への関心を深め、世界自然保護基金の初代総裁を務めた。また、イギリス国内のケンブリッジ大学エディンバラ大学、ソルフォード大学などの総長なども務めている。

1956年には「エディンバラ公賞」(The Duke of Edinburgh's Award)を設立し、優れた技能を持った世界各国の若者を表彰している。特に、自然保護に貢献のあった人物を表彰していることで有名である。

1952年から2011年まで科学技術産業振興協会(王立技芸協会)会長を務めた[12]

2007年11月19日には結婚60周年を祝う祝賀行事が催された。イギリスの君主で結婚60周年を迎えるのは、エリザベス2世が史上初である。翌日からは新婚時代を過ごしたマルタを訪問した。

長年海軍の実務より離れていたものの、フィリップの90歳の誕生日である2011年6月10日に、イギリス海軍の最高指揮官であるLord High Admiralに就任した[13]

公務引退[編集]

2017年5月4日、同年8月中をもって、「一切の公務からの引退」を決断したことを発表[14][15][16][17]。同年8月2日にバッキンガム宮殿におけるイギリス海兵隊のパレードに参加し、単独の公務を全て終えた。11月20日に結婚70周年[18]

2018年3月、ウィンザー城で行われたイースターの行事など複数の行事、アンドリュー王子の近衛歩兵連隊長任命式などの行事を続けて欠席。同年4月、欠席の原因とみられる臀部の手術のためキング・エドワード7世病院に入院した[19]

2021年2月、心臓病の検査と治療を受けるためキング・エドワード7世病院に2週間近く入院、3月1日には聖バーソロミュー病院へ転院した[20]

薨去[編集]

2021年4月9日、ウィンザー城にて薨去した[21]。99歳没。

2021年4月17日、ウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂で葬儀が行われた。新型コロナウイルス感染防止のため、参列者は王族など30人のみとし、行事もすべて城内で行われるなど簡素な形式で行われ、遺体は同礼拝堂に埋葬された[22]

子女[編集]

妻の女王エリザベス2世との間には、3男1女の4人の子女がいる。王位継承順位は2021年2月22日現在。

続柄 名前 生年月日 没年月日 備考
第1王子
第1子・長男
2019 Reunião Bilateral com o Príncipe Charles - 48948389972 (cropped).jpg チャールズ 1948年11月14日 存命中(72歳) 王位継承順位第1位王太子)。
1981年にダイアナ・スペンサーと結婚。1996年に離婚。
2005年にカミラ・シャンドと再婚。
子女:2男(2人)
第1王女
第2子・長女
Princess Anne October 2015.jpg アン 1950年8月15日 存命中(70歳) 王位継承順位第15位。
1973年にマーク・フィリップスと結婚。
1992年に離婚し、同年にティモシー・ローレンスと再婚。
子女:1男1女(2人)
第2王子
(第3子・次男)
Príncipe André do Reino Unido.jpg アンドルー 1960年2月19日 存命中(61歳) ヨーク公爵
王位継承順位第8位。
1986年にセーラ・ファーガソンと結婚。1996年に離婚。
子女:2女(2人)
第3王子
(第4子・三男)
Prince Edward February 2015.jpg エドワード 1964年3月10日 存命中(57歳) ウェセックス伯爵
王位継承順位第12位。
1999年にソフィー・ヘレン・リース=ジョーンズと結婚。
子女:1男1女(2人)

系譜[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブル=グリュックスブルク公フリードリヒ・ヴィルヘルム
 
 
 
 
 
 
 
8. デンマーク国王クリスチャン9世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. ヘッセン=カッセル方伯女ルイーゼ・カロリーネ
 
 
 
 
 
 
 
4. ギリシャ国王ゲオルギオス1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム
 
 
 
 
 
 
 
9. ヘッセン=カッセル方伯女ルイーゼ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. デンマーク王女ルイーセ・シャロデ
 
 
 
 
 
 
 
2. ギリシャ及びデンマーク王子アンドレアス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. ロシア皇帝ニコライ1世
 
 
 
 
 
 
 
10. ロシア大公コンスタンチン・ニコラエヴィチ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. プロイセン王女シャルロッテ
 
 
 
 
 
 
 
5. ロシア大公女オリガ・コンスタンチノヴナ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. ザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフ
 
 
 
 
 
 
 
11. ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. ヴュルテンベルク公女アマーリエ英語版
 
 
 
 
 
 
 
1. エディンバラ公フィリップ王配
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. ヘッセン大公ルートヴィヒ2世
 
 
 
 
 
 
 
12. ヘッセン大公子アレクサンダー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
25. バーデン大公女ヴィルヘルミーネ
 
 
 
 
 
 
 
6. バッテンベルク公子ルイス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. ヤン・マウリツィ・ハウケ伯爵
 
 
 
 
 
 
 
13. バッテンベルク女侯爵ユリア・ハウケ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
27. ゾフィー・ラフォンテーヌ
 
 
 
 
 
 
 
3. バッテンベルク公女アリキ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. ヘッセン大公子カール
 
 
 
 
 
 
 
14. ヘッセン大公ルートヴィヒ4世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. プロイセン王女エリーザベト
 
 
 
 
 
 
 
7. ヘッセン大公女ヴィクトリア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート
 
 
 
 
 
 
 
15. イギリス王女アリス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. イギリス女王ヴィクトリア
 
 
 
 
 
 

失言[編集]

フィリップは率直で冗談好きな性格から、失言も多かった[23]

  • 「我が娘が学校のアートレッスンから持ち帰ったもののように見えますな」(1965年、エチオピアで最古とされている芸術作品を鑑賞した際に発言)[24]
  • 「英国人女性は料理ができない」(1966年)[25]
  • 「我々は、来年赤字を出すだろう。私は、ポロを多分諦めねばならないだろう」(1969年、王室の財政問題について記者会見で発言)[24]
  • 「君はただのホワイトホールの木っ端役人だよ。君は私を信用しないし、私も君を信用しない」(1970年、ホワイトホールで国家公務員に対して発言)[26]
  • 「国民は、我々の生活にはもっと休みが必要だと言ってたくせに、今度は仕事がないなどと文句を言っている」(1981年の不況時に発言)[25]
  • 「あなたは女性ですよね?」(1984年、ケニア訪問時、現地人女性に質問)[25]
  • 「ここに長くいたら、(中国人みたいに)目が細くなりますよ」(1986年、中華人民共和国訪問時、西安に留学中の英国人学生に向かって)[27][24]
  • 「生まれ変わったら、死のウイルスになって人口問題を解決させたい」(1987年、著書の序文で)[28]
  • 「貴方達の国は、絶滅危惧種が売買される世界でも悪名高い国の一つですよ」(1991年、タイで自然保護に関する賞を受け取った際の発言)[29]
  • 「おお嫌だ、酷い病気にかかるかもしれないじゃないか」(1992年、オーストラリア訪問時、コアラを撫でるように頼まれた際の返答)[25]
  • 「火災で最悪なのは、火を消すために使った水による損害だと言われます。実際、(1992年に火災に遭った)ウィンザー城もまだ乾ききっていない有様です」(1993年、ロッカビーにてパンアメリカン航空103便の機体が墜落した道路沿いの住民に対して発言)[24]
  • 「あなたたちはほとんど海賊の子孫なのではないのですか?」(1994年、ケイマン諸島訪問時、現地人に質問)[25]
  • 「それが戦争というものの一部だったんだ。私達の頃はカウンセラーなんていなくて、誰かが銃を撃つ度に“大丈夫ですか?何かとんでもない問題を抱えていませんか?”なんて聞いたりしなかった。進み続けるのみだった」(1994年、第二次世界大戦のDデー50周年のドキュメンタリーにて、ストレス・カウンセリングについて、元海軍将校の立場からのコメントを求められた際の返答)[29]
  • 「どうやって免許取得試験中、スコットランド人は酒を飲まないようにするんですか?」(1995年、スコットランド訪問時、現地の自動車教習所の教官に質問)[25]
  • 「例えばの話だが、クリケット選手が学校に行って、バットでたくさんの人を殴り殺したとする。極めて簡単にできるだろう。そうしたらクリケットのバットを禁止するのか?」(1996年、スコットランドのダンブレーンで起きた児童・教師16人の射殺事件英語版を受けて発言)[24]
  • 「このくそったれ!」(1997年、相手がフィリップと気付かず駐車違反の切符を切ろうとした警察官に対して)[25]
  • 「なんとか食べられずに済んだのですね」(1998年、パプアニューギニアを探検した学生に発言)[24]
  • 「うん、この工事はインド人がやったに違いない」(1999年スコットランド訪問時、ワイヤーが外れたヒューズの箱を見て発言)[24]
  • 「耳が聞こえない? このバンドの近くにいたら、不思議じゃないですね」(1999年、打楽器のバンド演奏の際、聴覚障害者に発言)[24]
  • 「きみは太りすぎているから無理だろう」(2001年、「将来宇宙飛行士になりたい」と語った12歳の少年に返答)[24]
  • 「まだを投げ合っているのですか?」(2002年オーストラリア訪問時、オーストラリア先住民に質問)[24]
  • 「最近は拒食症の人の為に食用犬を開発しているらしいよ。知ってた?」(2002年、盲導犬を連れた女性に対して発言)[30]
  • 「それで、ここにいる子たちの誰がクスリをキメているんだい?彼なんか常用してる様に見えるけど」(2002年、ロンドンのバングラデシュ系移民の青少年クラブを訪問した際に発言)[24]
  • 「君は自爆テロの犯人みたいだね」(2002年、ルイス島ストーノーウェイで防弾チョッキを着用した女性警察官に対して発言)[25]
  • 「君はこの生地でできたショーツを持ってるの?」(2010年、エディンバラタータンチェックの生地を見ながら、スコットランド議会の女性議員に発言)[25][24]
  • 「君はストリップクラブで働いてるの?」(2010年、ナイトクラブでアルバイトをしている女性の海軍士官候補生に発言)[24]
  • 「君達はみんなここでNHSを管理しているから、フィリピンは空っぽになったんだろうね」(2013年、フィリピンから出稼ぎに来ている看護師に発言)[31]
  • 「さっさと写真を撮れ、この野郎」(バトル・オブ・ブリテンの75周年式典で写真撮影の際、撮影時間が掛かったことに対しカメラマンに発言)[32]
  • 「イギリスでは、親が子供を学校に行かせるのは家に居させたくないからだよ」(2013年10月、マララ・ユスフザイバッキンガム宮殿に招かれて学校教育の重要性を説いた自著を女王夫妻に手渡した際の返答。マララは笑って受け流した)[33][24]

その他[編集]

  • 日本学士院エジンバラ公賞はフィリップにちなんで創設された。
  • 妻であるエリザベス2世の戴冠式英語版で、王室内の反対を押し切り公共放送BBCのテレビ中継を実現させている。
  • イギリス王室の伝統を守り通そうとする保守的な義母エリザベス王太后とは、長く確執があった。
  • 1980年までフランスと共同統治をしていた)バヌアツタンナ島には、いわゆるカーゴ・カルトの一種としてフィリップを偶像とするフィリップ王配信仰が存在する。
  • 1984年(昭和59年)10月22日放送の日本のテレビ番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)にゲスト出演した際、司会の黒柳徹子との会話で、自身が活動で関わる森林伐採など地球の環境問題についての話題となり、司会の黒柳から「日本人は割り箸でご飯を食べるんでございますが、その割り箸を発注するのに日本の木では足りませんので…。(中略)それにしても割り箸っていうのは問題になると思います。1日に捨てるのは凄い数でございます。…」と割り箸の森林伐採の話に夢中になりすぎて、まだその会話の途中で番組のエンディングを知らせる音楽が流れてしまい、ゲスト出演したフィリップが「素晴らしい箸の討論の真ん中で番組を切るというのは、ひどい番組ですね」と苦笑しながら発言するという場面があった。[34]
  • イギリス海軍在籍時代にロンドンフリーメイソンの「海軍ロッジNo2612」のメンバーになった[35]
  • 2019年1月17日、イングランドノーフォーク州サンドリンガム英語版で自身が運転していた自動車交通事故に遭遇したが、外傷はなかった[36][37]。同年2月9日に運転免許を自主返納したことを明らかにした[38]
  • 葬儀については、数年前から簡素にするように調整が図られていた。葬儀での歌唱、関わりの深かった海軍の兵による号令ラッパ、祭壇に置かれる記章の種類、さらには遺体を運ぶランドローバー・ディフェンダーの改造方法に至るまでフィリップ自身が細かく指示しており、実際の葬儀でも生前の指示に沿って行われた[39]

注釈[編集]

  1. ^ a b Princeの称号について必ずしも適当な日本語への訳語があるものではないが、日本外務省[1]において「王配殿下」、同じく日本の宮内庁公式ウェブサイト内 [2]において「英国王配エディンバラ公フィリップ殿下」と呼称していることに鑑み、本記事ではフィリップの有するPrinceの称号に「王配」の訳を当てている。なお、エリザベス2世女王との間の子女らも同様の称号を有するが、この場合には同様の理由により「王子」の訳を当てている。イギリスにおける「Prince」という称号の意義については「British prince」を参照。

出典[編集]

  1. ^ a b “Prince Philip has died aged 99, Buckingham Palace announces”. BBC News. (2021年4月9日). オリジナルの2021年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210409111256/https://www.bbc.com/news/uk-11437314 2021年4月9日閲覧。 
  2. ^ a b 英国王室公式サイト 『The Duke of Edinburgh - Honours』
  3. ^ 読売新聞 東京本社版 2017年5月6日
  4. ^ “英フィリップ殿下、最後の公務…海兵隊の閲兵式”. 『読売新聞』朝刊. (2017年8月4日). http://www.yomiuri.co.jp/world/20170804-OYT1T50000.html 
  5. ^ “英女王の夫フィリップ殿下、公務を引退 96歳”. AFPBB News. フランス通信社. (2017年8月3日). http://www.afpbb.com/articles/-/3137940 2017年11月20日閲覧。 
  6. ^ Live: The world reacts to the death of Prince Philip” (英語). www.abc.net.au (2021年4月9日). 2021年4月9日閲覧。
  7. ^ ドイツ人のエルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファーは、ゾフィーの子孫であることと、1705年ソフィア帰化法を理由に生まれたときから英国籍を有していると主張して1951年に裁判に訴えた。貴族院(当時、英国の最高裁の機能を有していた)はこの訴えを認めている。
  8. ^ 英国王室公式サイト 『The Duke of Edinburgh - Naval career』
  9. ^ 君塚 2007, pp. 71-72, 第II章 戦う女王への変貌 - アルバートへの贈り物
  10. ^ 八幡, 和郎. “女性・女系天皇では天皇制廃止になりかねない理由” (日本語). アゴラ (ブログ). 2019年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月11日閲覧。
  11. ^ 八幡和郎 『お世継ぎ-世界の王室・ 日本の皇室』 文春文庫、2007年、16-18頁、28頁。
  12. ^ "Prince Philip (b.1921), HRH the Duke of Edinburgh". Art UK (英語). 2020年7月29日閲覧
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  15. ^ 英フィリップ殿下、公務引退へ 95歳、女王の夫
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  33. ^ [3] The Telegraph
  34. ^ なお、フィリップはそれ以前に妻のエリザベス2世に同行してイギリス女王夫妻で1975年(昭和50年)5月7日-12日に日本を訪問している。また、黒柳徹子もその期間中に東京都内の駐日英国大使館でエリザベス2世女王と会見している。
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  39. ^ 国葬避け「家族葬」に 派手好まぬフィリップ英殿下、細部まで指示”. 時事通信 (2021年4月17日). 2021年4月18日閲覧。

参考文献[編集]

フィリップ (エディンバラ公)

1921年6月10日 - 2021年4月9日

イギリス王室
先代:
エリザベス・ボーズ=ライアン
イギリスの旗 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
王配(君主の配偶者)

1952年2月6日 – 2021年4月9日
次代:
コーンウォール公爵夫人カミラ
法定推定相続人チャールズ王太子の妻
先代:
インディア・ヒックス英語版
イギリス王位継承順位
ヴィクトリア女王の娘アリスの子孫)
次代:
プリンツ・オブ・バーデンドイツ語版
職能団体・学会職
先代:
エディンバラ公爵夫人
科学技術産業振興協会会長
1952年 – 2011年
次代:
アン王女
名誉職
先代:
メアリー王妃
大英帝国騎士団
グランドマスター英語版

1953年3月24日 – 2021年4月9日
次代:
イギリスの爵位
爵位創設 イギリスの旗 初代エディンバラ公爵
1947年 - 2021年
次代:
チャールズ皇太子