フィリッポス2世 (セレウコス朝)
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フィリッポス2世 Φίλιππος ὁ Φιλορωμαῖος | |
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セレウコス朝の王 | |
在位 | 紀元前65年 - 紀元前64年 |
死去 |
紀元前64年 |
王朝 | セレウコス朝 |
父親 | フィリッポス1世 |
フィリッポス2世フィロロマエオス(ギリシャ語:Φίλιππος ὁ Φιλορωμαῖος,在位:紀元前65 - 64年)とは、セレウコス朝シリアの対立王。彼の王位は一般的には認められていないが、彼の抗争者アンティオコス13世より遅く殺害されたため、実質シリア王国の最後の王となる。
フィリッポス2世自身は、ローマの将軍ポンペイウスの下で従属国の王として、紀元前60年代にシリアの一部を一時的に支配した。フィリッポスはポンペイウスの支援を得て彼の従弟であるアンティオコス13世アジアティカスと抗争し、結果、アンティオコス13世を殺害し、唯一のセレウコス王朝の王となった。しかし、それから程なくしてフィリッポス自身もポンペイウスに殺害された。
フィリッポス2世の硬貨は発見されておらず、これはセレウコス朝の支配者にとっては珍しい。これは、フィリッポスが造幣局のあった都市のいずれにも支配せず限定的な地域しか支配できていなかったことを示す可能性がある。