フェアトライアル

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フェアトライアル
欧字表記 Fair Trial
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1932年1月
死没 1958年
Fairway
Lady Juror
母の父 Son-in-Law
生国 イギリスの旗 イギリス
競走成績
生涯成績 9戦7勝
獲得賞金 5100ポンド
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フェアトライアルFair Trial)は、イギリス産の競走馬種牡馬

経歴[編集]

競走馬時代[編集]

フェアトライアルは1932年1月に誕生した。発育が遅く、また体質も虚弱(蹄が脆く、膝にも不安を抱えていた)であった影響からデビューは3歳の5月と遅いものであった。しかしデビューから2連勝を飾り、能力を見せたフェアトライアル。続いてエクリプスステークスに出走。1934年イギリスクラシック二冠馬・ウィンザーラッドと対戦した。レースではウィンザーラッドより前でレースを進めたが直線で交わされ、さらにセフトにも交わされ3着に敗れた。エクリプスステークスの後、陣営はセントレジャーステークスへの出走を目指したがこの年イギリスで流行した悪性のぜんそくに罹患したため出走を断念。治癒後の10月にレースに復帰して2戦して2勝し、5戦4勝の成績で1935年のシーズンを終えた。

1936年に入り、3戦2勝2着1回の成績で臨んだリングフィールドパークプレートで、この年の秋にセントレジャーステークスを優勝することになるボスウェルとのマッチレースを制した。しかしレース後、後脚の腱を激しく痛めていることが判明し、競走馬を引退した。なお、この年にマイル前後の距離のレースで活躍したことが評価され、イギリスのベストマイラーに選出された。

種牡馬時代[編集]

フェアトライアルは1937年からイギリスで種牡馬として供用された。産駒は短距離戦を中心に活躍を見せ、初年度産駒がデビューした1940年にイギリスの2歳リーディングサイアーリーディングサイアー4位となった。その後も1950年にリーディングサイアーとなるなど、常にリーディングサイアー上位の成績を収めた。ただフェアトライアルは牝馬と交尾する意欲に乏しく、受胎率も悪かったため次第に種付け頭数は減少しし、そのことが一因となってリーディングサイアーとなった直後から種牡馬成績は急落した。

産駒には種牡馬として成功を収めた馬が多く、コートマーシャルペティションがイギリスのリーディングサイアーとなった。イギリス国外でも南アフリカへ輸出されたフェアソーンが同国で最高の名種牡馬の1頭と称される成功を収めたほか、ニュージーランドでフェアズフェアが、オーストラリアでゲークウォーズプライドやコンフェッサーが成功を収めた。

主な産駒[編集]

ブルードメアサイアーとしての主な産駒[編集]

血統表[編集]

フェアトライアル血統フェアウェイ系Hampton5×5=6.25%、父内にSt.Simon5×4=9.375%、全兄妹Sainfoin、Sierra4×4=12.5%) (血統表の出典)
父系

Fairway
1925 鹿毛
父の父
Phalaris
1913 黒鹿毛
Polymelus Cyllene
Maid Marian
Bromus Sainfoin
Cheery
父の母
Scapa Flow
1914 栗毛
Chaucer St.Simon
Canterbury Pilgrim
Anchora Love Wisely
Eryholme

Lady Juror
1919 鹿毛
Son-in-Law
1911 青鹿毛
Dark Ronald Bay Ronald
Darkie
Mother in Law Matchmaker
Be Cannie
母の母
Lady Josephine
1912 栗毛
Sundridge Amphion
Sierra
Americus Girl Americus
Palotta F-No.9-c
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

参考文献[編集]

  • 原田俊治『世界の名馬』 サラブレッド血統センター、1970年

関連項目[編集]

直系子孫については、フェアウェイ系を参照のこと。主な子孫に史上最強馬と名高いBrigadier Gerardジャパンカップ勝ち馬のホーリックスなどがいる。