フジマドンナ

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フジマドンナ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1976年5月31日
死没 1998年5月7日
(22歳没・旧23歳)
シンザン
オートトップ
母の父 ガルカドール
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 惣田英夫
馬主 藤野隆四郎
調教師 松山康久美浦
競走成績
生涯成績 40戦10勝
獲得賞金 2億2184万4200円
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フジマドンナ日本競走馬繁殖牝馬。競走馬時代に重賞を3勝。1983年の中日新聞杯では、中央競馬史上初の8歳(現表記7歳)牝馬による重賞勝利を達成した。総獲得賞金2億2184万4200円は、当時の牝馬最高獲得賞金記録。

経歴[編集]

1978年7月に新潟開催でデビュー。初戦は気性の悪さを見せて9着と大敗したが、ブリンカーを着用した2戦目で初勝利を挙げる。しかし以降は瞬発力不足もあって勝ち切ることができず、5歳の秋を迎えるまで21戦4勝・2着4回・3着8回という惜敗続きだった。しかし格上挑戦で出走したカブトヤマ記念で、得意の重馬場を利して重賞初勝利を挙げ、以降オープンクラスに定着する。その後はローカル開催や牝馬限定戦を中心に出走を続け、翌1981年の福島記念、1981年・1982年の中山牝馬ステークス(当時オープン特別)などを制した。

8歳を迎えた1983年、3戦を消化しての引退・繁殖入りが決定し、緒戦に中日新聞杯に出走。中団待機から直線で抜け出して優勝し、史上初の8歳牝馬による重賞勝利を達成、同時に通算勝利数を10に載せた。次走の中京記念8着を経て、当年から重賞に昇格した中山牝馬ステークスに出走。ラストラン勝利と、セカイオー以来の同一競走三連覇に挑んだ。

前年のエリザベス女王杯優勝馬ビクトリアクラウンが圧倒的な人気を集め、本馬は3番人気に支持される。レースでは後方に控え、最後の直線で馬場内側から追い込んだが、ノーマークでレースを先導したダンシングファイタをクビ差捉えきれず、2着に終わった。しかし、この賞金の加算分でインターグロリア(1979年引退)の総獲得賞金を約300万円上回り、八大競走未勝利ながら歴代賞金女王となった。

これを最後に競走生活から引退。全40戦のうち34戦で5着以内を確保した、非常に堅実な馬であった。また、稍重以下の馬場状態で行われた16戦のうち、馬券配当圏外となったのは2戦、不良馬場では6戦3勝・2着2回と、一般に非力とされる牝馬ながら、重馬場得意の馬としても知られた。

以降は故郷の惣田牧場で繁殖牝馬となったが、産駒に目立った活躍馬は生まれず、1998年に23歳(現22歳)で死亡した。

年度別成績[編集]

血統表[編集]

フジマドンナ血統ボワルセル系 / Gainsborough5×5=6.25% (父内) 、Nearco5×5=6.25% (母内) ) (血統表の出典)

シンザン 1961
鹿毛 日本
*ヒンドスタン
Hindostan 1946
黒鹿毛 日本
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
ハヤノボリ 1949
栗毛 日本
ハヤタケ *セフト
飛竜
第五バツカナムビユーチー *トウルヌソル
バツカナムビユーチー

オートトップ 1964
芦毛 日本
*ガルカドール
Galcador 1958
栗毛 イギリス
Djebel Tourbillon
Loika
Pharyva Pharos
Souryva
フジリュウ 1959
芦毛 日本
*パールダイヴァー
Pearl Diver
Vatellor
Pearl Cap
シルバーイメージ *ステーツマン
イヅタダ F-No.14-f
父系
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

父については同馬の項を参照のこと。母は競走馬時代に1勝。母系トキノミノルの母・第弐タイランツクヰーンからタイランツクヰーンに遡る。叔父に追い込み馬として知られたゼンマツ、半姉フジタカジョウの孫(又姪)に1987年の二冠牝馬マックスビューティがいる。

参考文献[編集]

横尾一彦「シンザンの女丈夫 - フジマドンナ」(『優駿』1992年2月号〈日本中央競馬会〉所収)