フストラワカ洞窟

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フストラワカ洞窟をはじめとするオルメカ遺跡の位置

フストラワカ洞窟(フストラワカどうくつ、Juxtlahuaca cave)は、 メキシコゲレロ州にあるオルメカ様式の壁画で知られる非常に深い洞窟遺跡である。ゲレロ州の州都チルパンシンゴの東方、同じく壁画で知られるオシュトティトラン洞穴(Oxtotitlan cave)から南方30kmの地点に位置する。1966年にプリンストン大学のギレット・グリフィン(Gillett Griffin)[1]とカルロ・ガイ(Carlo T.Gay)によって初めて本格的な調査が行われた。フストラワカの洞窟は非常に深く長く、壁画のある「儀礼の回廊」(Hall of Ritual)にいきつくまでに1200mあり、狭い通路と大きな広間をいくつも通って2時間以上も要する。その間におびただしい人骨の散らばる「死者の回廊」(Hall of Dead)[2]を通ることになる。

フストラワカの壁画(painting)1号。フストラワカの「オルメカ王」
フストラワカの壁画(painting)2号。巨大な赤い蛇。見えにくいが眼球にX字のモチーフがある。

壁画(painting)1号[編集]

フストラワカには主要な三つの壁画といくつかの小さな壁画の集まった場所が1箇所みられる。主要な壁画のうちガイが壁画(painting)1号と名づけたものは2人の人物が描かれている。一人は立ち上がっている大きく描かれた人物でもう一人は座っている小さく描かれた人物である。大きく描かれた人物は、頭飾りをしており、頭の前に長方形に張り出した部分にV字の切れ込みがあってそこからケツァル鳥のものと思われる羽毛がふわふわ生えている。立っている人物は、黒いケープのようなものを背中に着け、一種の貫頭衣であるウィピルのような赤と黄色のストライプで彩られた長い衣装を着けており、衣装から右足をはみ出して立っている。両足の間からはジャガーの尾と思われるものが垂れ下っており、おそらく両腕と両足をジャガーの毛皮で覆っているためにジャガーの毛皮の斑紋が見える。この人物の右手(というかジャガーの右前脚)には三又の槍のようなもの(trident)のようなものが握られており、マイケル・コウは、儀礼的に使用された「エクセントリック」と通称されたフリント製の石器であろうと考えている。ガイは、この人物があごひげを生やしていると考えているようであるが、今日では洞窟を訪れる見学者が壁画をこすったせいなのか不鮮明になってわからなくなっている。立っている人物と座っている人物の間にはロープのようなものがあって、一方の先端は立っている人物の左手に握られている。座っている人物はひげを生やしているだけでなく顔全体を黒いマスクで顔をおおっている様子がうかがわれる。また両ひざを抱えており、リチャード・ディールは、立っている人物に哀願しているか、敬意を表し臣従するような姿勢をしていると考えている[3]。一方でマイケル・コウは、フストラワカでは人身御供の儀式が行われ、立っている人物は王であって、座っている人物は捕虜であって斬首されるかいけにえにされる運命にあると確信している[4]

壁画1号の近くにある鍾乳石には、ガイが「ビルディング」と呼んだ描画があり、オシュトティトラン北洞穴の壁画4号と壁画6号に似ているようであるがデイビッド・グローヴの報告のよると非常に薄い遺存状態である[5]ようである。

壁画(painting)2号[編集]

フストラワカの壁画(painting)2号は、赤い胴をもち黒く飾り立てた頭を持つ巨大な蛇を描いている。この蛇の目は聖アンデレ十字のようなX字が描かれた楕円形で眼球の上には炎のような形をした眉がつけられている。毒々しいほどに生々しい赤い胴の部分のために、黒ずんだ頭の部分が目立ちにくくなっている。マイケル・コウは羽毛をつけた蛇と考えているが、カルロ・ガイは、「炎」(plumed)の蛇と考えている。

壁画(painting)3号[編集]

フストラワカの壁画(painting)3号。赤い腹の「ジャガー」

壁画3号(painting)は、おそらくジャガーを表していると思われる。黒く輪郭が描かれ、腹部は赤く塗られ、背中にはジャガーの毛皮のような斑紋が描かれている。壁画2号の蛇と対面するような場所に描かれている。斑紋は、オシュトティトランのジャガーのような花を思わせるような形はしていない。このジャガーの表現はオシュトティトランやチャルカツィンゴのものとは似ていない。ガイとコウはジャガーに似せた動物を描いているに過ぎないと考えている。フストラワカの壁画は輪郭をわざわざ描くところが、オシュトテイトランに彩色壁画(mural)2号のジャガーが部分的に輪郭を描いている例があるものの、対照的である。

フストラワカの壁画の性格とその年代[編集]

フストラワカとオシュトティトランは、ゲレロ州で当時オルメカの洞窟儀礼がこれらの洞窟で行われたことを示す興味深い事例である。オルメカの祭司なり神官が数人の集団で、曲がりくねった低くて狭い洞窟の中をたいまつの明かりをたよりに洞窟の奥深く入っていったことが想像される。

オシュトティトランと異なるのは、フストラワカの壁画は世俗的な君主の権力を強調するものと思われる点である。メソアメリカの神話において蛇と猫科動物の競合は、個々の事情にもかかわらずより限られた宗教的な事柄のみならず政治的社会的な次元に及んでいることをフストラワカの壁画は示しているように思われる。一方で、オシュトティトランのような豊穣を祈願するような表現はみられない。また、わざわざ洞窟の奥深くというあたかも現世からの隔離をイメージする場所に描くことによって王権の神聖性や隔越性を示したのかもしれない。フストラワカの壁画が描かれた年代であるが、デイビッド・グローヴは、オシュトティトランとだいたい同じ(ラ・ベンタ並行)で、そのなかでもやや遅い時期であるとするが[6]、マイケル・コウは、オシュトティトランよりも古いベラクルス州サン・ロレンソに並行する紀元前1200年から同900年頃であろうとする。

フストラワカとオシュトティトランの壁画はオルメカ文明の息吹を生々しく感じさせるもので、実際に壁画を描いた製作者の意図にかかわらず、オルメカ文明と現在のゲレロ州の人々とをむすびつける役割を担っているように思われる。

脚注[編集]

  1. ^ 北米考古学の泰斗としてのほうが著名。
  2. ^ リチャード・ディールは、身の毛のよだつようないけにえの儀式は行われたであろうが、オルメカより後のことであると考えている(Diehl, R.A.2004, p.172)。ただし、これら人骨のことはっきりと指しているわけではない。
  3. ^ Diehl, R.A.(2004) ,p.170
  4. ^ コウ自身が1968年に撮影した写真をコンピューター処理でコントラストなどをはっきりさせたところ、大きく描かれた立っている人物は、非常に険しい脅すような形相をしていると感じたという(Coe,M.D. 2005)。
  5. ^ Grove, D.C.(1970), p.30
  6. ^ Grove, D.C.(1970), p.29

参考文献[編集]

  • Coe, Michael D. (2005); "Image of an Olmec ruler at Juxtlahuaca, Mexico", Antiquity Vol 79 No 305, September 2005.
  • Diehl, Richard A. (2004) The Olmecs: America's First Civilization, Thames & Hudson, London.ISBN 0-500-28503-9
  • Grove, David C.(1970)The Olmec Paintings of Oxtotitlan Cave, Guerrero,Mexico,Studies in Pre-Columian Art and Archaeology No.6, Dumbarton Oaks,Washington,D.C.

座標: 北緯17度26分00秒 西経99度07分30秒 / 北緯17.43333度 西経99.12500度 / 17.43333; -99.12500