フランケン線

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フランケン線
Karte Frankenbahn.png
基本情報
所在地 バーデン=ヴュルテンベルク州
バイエルン州
起点 シュトゥットガルト中央駅
終点 ヴュルツブルク中央駅
駅数 46駅
路線記号 4800 (シュトゥットガルト - ビーティクハイム=ビシンゲン)
4900 (ビーティクハイム=ビシンゲン - オスターブルケン)
4120 (オスターブルケン - ハイディングスフェルト)
5321 (ハイディングスフェルト - ヴュルツブルク)
路線番号 780, 770, 705, 706
790.4, 790.5 (Sバーンシュトゥットガルト)
開業 1846年10月15日
全通 1869年9月27日
所有者 ドイツ鉄道
運営者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 179.7 km
軌間 1435 mm (標準軌)
線路数 複線 (ツュトリンゲン - モェクミュル間除外)
電化区間 全区間
電化方式 15000 V / 16.7 Hz AC
架空電車線方式
最大勾配 15 ‰
最小曲線半径 312 m
最高速度 140 km/h
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フランケン線 (ドイツ語; Frankenbahn)はバーデン=ヴュルテンベルク州の北部にあるシュトゥットガルト中央駅とバイエルン州ウンターフランケンにあるヴュルツブルク中央駅を結ぶ鉄道路線である。名前は路線が半分以上あるフランケン地方から由来する。本線は全区間電化されており、ツュトリンゲン - モェクミュル間を除いて、複線である。

1996年からフランケン線は地域輸送の路線となっており、バーデン=ヴュルテンベルク近距離運輸法人 (Nahverkehrsgesellschaft Baden-Württemberg) によって運営されている。ドイツ鉄道の時刻表番号は780であり、他にはシュトゥットガルトSバーンの番号790.4と790.5、そしてトロイヒトリンゲン-ヴュルツブルク線の番号920などがつけている。本線が形成された歴史的関係のため、公式的な路線記号 (Streckennummer) は区間別に様々である。

沿線概況[編集]

キルヒハイムトンネルの前の普通列車

フランケン線は南の部分には様々な河川の流れに従って続くが、北の部分には地形の関係で河川を渡る。シュトゥットガルト~ハイルブロン間にはネッカー川の曲流が多いので、建設費用の理由で実際の線路は水路より短い。同じ区間を比交すると、長さは52 kmで、線路が川の流れに従った場合、長さが約70 kmに至る。

列車はシュトゥットガルト中央駅を出発して、プラーク丘 (Pragsattel) の下のトンネルを通過する。シュトゥットガルト外郭で高度はコルンヴェストハイム駅まで高くなる。列車は近くにホーエンアスペルク要塞があるアスペルク駅を過ぎると、ビーティグハイム市でエンツ川に接近する。エンツ川がネッカー川に合流する以後、バト・フリードリクスハル中央駅まで窟曲が多い。ネッカーヴェストハイム町の線路の湾曲部一つだけがキルヒハイムトンネルによって短縮されている。

この路線はフランケン地方に入り、東北方向に向かう。線路はヤクスト川と並び、モェクミュル駅までは窟曲が多い。そこからこの路線はゼクアッハ川に沿って続き、アデルスハイム駅までバウラントの風景が見える。列車がオスターブルケン駅に到着する前、バーデン・オーデンヴァルト線(ネッカーレルツ-オスターブルケン線)が本線に接続する。ケーニヒスホーフェン駅までこの路線はウンプファー川に沿って、この河川はラウダ=ケーニヒスホーフェン市でタウバー川に流れ込む。タウバー川とならんっでこの路線はラウダ駅までタウバー谷線と線路を共有する。

本線はタウバー谷線から分岐してタウバー川を渡り、その高度がヴュルツブルク方向に少し上がる。列車がヴィッティヒハウゼントンネルを通過して、ガウビュテルブルン駅に至る。駅はバーデン=ヴュルテンベルク州にあるが、村はバイエルン州に属する。そこから列車は州境界線とオクセンフルト・ガウの肥沃な丘陵地を貫通する。ゲロルツハウゼン駅からヴュルツブルク・ハイディングスフェルト分岐点まで線路が下がり、そこでトロイヒトリンゲン-ヴュルツブルク線が合流する。その後列車はマイン川を渡り、終点のヴュルツブルク中央駅に至る。

歴史[編集]

ヴュルテンベルク王立鉄道時代[編集]

ヴュルテンベルク中央線の経路候補

フランケン線は、歴史的観点から見れば、三つの鉄道路線から生成された。シュトゥットガルト - ハイルブロン区間はヴュルテンベルク王国の中央線一部及び北線として建設された。中央線はハイルブロンとウルム・ボーデン湖を結ぶ幹線の最初区間と思われた。1830年代ライン川とドナウ川を鉄道で連結する計画が決定された後、私設鉄道の建設は断られ、幹線鉄道は国有鉄道として整えられた。エンジニアのゼーガー男爵 (Carl von Seeger、1773~1858) とウルム地域建築家のビューラー (Georg von Bühler) の提案によれば、北線はカンシュタットからネッカーの左岸を沿って、ホヘンエクで左へ曲がり、ルートヴィヒスブルクの北側に至るべしだった。

1843年4月18日中央線の建設を規定する鉄道法が制定された。フランスですでに鉄道建設の経験を積んだカール・エッツェル (Carl Etzel、1812~1865) が呼び出された。英国人教授のチャールズ・ヴィグノールス (Charles Vignoles、1793~1875) は、当時までの計画をもう一度検討するために、評価者として指名された。一方ヴュルテンベルク経済学者のヨハネス・メーレンは (Johannes Mährlen、1803~1871) は1843年いくつかの建設候補地域の地価を調査させて、現在のようにプラークトンネルを通じてルートヴィヒスブルクまで直接連結する経路が一番適当だと判明した。エッツェルとヴィグノールスは、ビューラーの提案は不適切だと判断し、メーレンの案を少し変更した。シュトゥットガルト駅は「シュロース街の地区 (Schloßstraßenquadrat) 」で建設されるようになった。

1844年7月26日中央線の建設はプラークトンネルの工事から始まった。1846年10月15日カンシュタット - シュトゥットガルト - ルートビクスブルク区間の開通で中央線の全区間は完工された。北線のルトヴィヒスブルク - ビーティヒハイム区間は1847年10月に開通し、この路線は翌年7月25日ハイルブロンまで延伸された。ヴュルテンベルクの幹線から様々な鉄道路線が分岐して、シュトゥットガルトへの人口流入が増えた。それで旅客と貨物輸送量も増加して、1858年から1861年まで中央線は複線で改修された。

一方バーデンとヴュルテンベルクは1864年に北線とオーデンヴァルト鉄道を連結する下ヤクスト線建設に関する条約を締結した。この工事はヴュルテンベルク側によって実行され、まずは、1866年ハイルブロン - ヤクストフェルト区間が下ネッカー線として開業された。1869年9月27日ヤクストフェルト - オスターブルケン区間の開通で現在のフランケン線が完成された。

1896年ウンターテュルクハイム - コルンヴェストハイム区間で貨物列車用迂回線が開通して、中央線の交通量が分散されたが、その時間は短った。人口と交通量増加のため、1907年シュトゥットガルト中央駅の移転は議会で決定された。既存の中央駅の拡張案は財政的な理由で採択されなかった。駅の移転のためには中央線もゴイ線の移転されねばならなかった。1908年から1910年までプラークトンネルの工事は複線用で改めて行われた。コルンヴェストハイム操車場は1912年から1919年まで貨物輸送量の分散の目的で建設された。

バーデン邦有鉄道時代[編集]

バーデン公国だけではなく、バイエルン王国プファルツ選帝侯領ウンターフランケンを結ぶ鉄道に関心を持って、ヴュルテンベルク王国を通過しない経路を望んだ。バイエルンはマイン川を沿う経路を、一方バーデンはモースバッハを通過する経路を好んでいた。両国は退屈な協商の末にモスバッハ経由案に合議した。

1866年「バーデン・オーデンヴァルト鉄道」のモースバッハ - オスターブルケン - ヴュルツブルク区間が開業された。この区間の工事は普墺戦争のタウバービショフスハイム戦闘のため遅延された。1869年オスターブルケン - ヤクストフェルト区間がオーデンヴァルト鉄道と連結された。

ドイツ国営鉄道時代[編集]

第一次世界大戦の終戦以後、既存の四つの路線もドイツ国営鉄道が管理するようになった。シュトゥットガルト中央駅の建設は第一次世界大戦期間には遅延したが、1922年から1928年まで段階的に行われ、1929年新しい中央駅舎が開業された。1933年5月15日シュトゥットガルト - ルートヴィヒスブルク区間はまず電化された。第二次世界大戦の前には特急列車がこの路線を経て、シュトゥットガルトからバルリンまで運行された。

ドイツ連邦鉄道時代[編集]

終戦後この路線の電化は1959年南から行われ、1975年6月1日完了した。1959年6月ラウフェン・アム・ネッカーの踏み切りで市内バスがE867列車と衝突する事故が起きた。この事故は戦後最大のバス事故で、死亡者は45人、重傷者は27人だった。事故現場に記念碑が建てられた。ドイツの再統一以後、遠距離列車はシュトゥットガルト - ベルリンの軸では、部分区間だけど、運行再開された。

1975年の第二の建設契約によってルートヴィヒスブルク - ビーティクハイム区間が1980年まで3線複線から複々線に改修され、残られた踏み切りは撤去された。その当時には1日当たり250編以上の列車通行のため、工事は多数の小さな段階で実施された。1978年9月29日Sバーンの運営はシュトゥットガルト - ルートヴィヒスブルク区間で始まって、1980年秋にはS4列車もその区間で走行するようになった[1]

ドイツ鉄道時代[編集]

古い構造物を解体する直前のエンツ川の鉄橋 (2006年5月)

2001年シュトゥットガルト - エアフルト区間で運行されたインターレギオ列車は廃止された。2004年から2006年までエンツ川の鉄道橋を改築する工事が行われた。205 m長さの新鉄道橋は旧橋の隣に五つのプリストレスト・コンクリート材料のボクス・ガーダー・ビーム橋と鋼材トラス橋の構成で建設された。ベジクハイム方向の130 m部分は、軟弱な地盤のため、40 m以上の深いくい基礎で補強された。

2007年6月、11個の沿線の住民はフランケン線委員会 (Arbeitsgemeinschaft Frankenbahn) を結成した。委員会はツュトリンゲン地域の複線復旧、不要な速度制限の廃止、運行時間を短縮する為の新しい車体傾斜式車両の導入などを要求した[2]

2014年12月にネッカーズルムでこの路線にはアルプタール交通会社 (Albtal-Verkehrs-Gesellsachft) の都市鉄道が接続され、S42系統がバート・フリードリヒスハールを経てジンスハイムまで延伸された。同時にS41系統は新設され、列車はその以来モースバッハまで運行されている[3]。ドイツ連邦交通計画2030 (Bundesverkehrswegeplan 2030) によりコルンヴェストハイム - フォイアーバッハ区間で線路二つの追加を企画する案があったが、その要求案は2016年末棄却された[4]。2018年10月ヴィティヒハウゼントンネルの断面を拡大する工事が始まった[5]。工事期間の間に相当な区間は封鎖された。

年表[編集]

  • 1844年6月26日; ヴュルテンベルク王立鉄道中央線の建設はプラークトンネルの工事から始まる。
  • 1846年10月15日; ヴュルテンベルク中央線カンシュタット - シュトゥットガルト - ルドヴィクスブルク間開通。
  • 1847年10月11日; ヴュルテンベルク北部線ルドヴィクスブルク - ビーティヒハイム間開通。
  • 1848年7月25日; ヴュルテンベルク北部線ビーティヒハイム - ハイルブロン間開通。
  • 1852年; シュトゥットガルト - ビーティクハイム間複線化。
  • 1864年3月31日; バーデンとヴュルテンベルクはハイルブロン - バト・フリードリクスハル=ヤクストフェルト間の建設の関する条約を締結する。
  • 1864年7月1日; ヴュルツブルク - ハイディンスグフェルト - アンスバッハ間開通。
  • 1866年8月25日; バーデン大公国鉄道バーデン・オーデンヴァルト線モースバッハ - オスターブルケン - ハイディンスグフェルト間開通。
  • 1866年9月11日; ハイルブロン - バト・フリードリクスハル=ヤクストフェルト間開通。
  • 1869年9月27日; バト・フリードリクスハル=ヤクストフェルト - オスターブルケン間開通。
  • 1877年12月10日; タム(ヴュルテンベルク)駅開業。
  • 1894年9月15日; ビーティクハイム - ノルトハイム間複線化。
  • 1935年5月16日; ヤクストフェルト駅をバト・フリードリクスハル=ヤクストフェルト駅と改称。
  • 1959年6月20日; ラウフェン・アム・ネッカーの踏切で市内バスがE867列車と衝突する事故が発生する。戦後最大のバス事故である。死亡者45人、重傷者27人。事故現場には記念碑が建てられる。
  • 1972年10月1日; ハイルブロン - バト・フリードリクスハル=ヤクストフェルト間電化。
  • 1975年1月1日; ビーティクハイム駅をビーティクハイム=ビシンゲン駅と改称。
  • 1975年6月1日; 全区間電化。
  • 1978年10月1日; シュトゥットガルト~ルドヴィクスブルク間にシュトゥットガルトSバーン電車運行開始。
  • 1981年5月31日; シュトゥットガルトS5はビーティヒハイムまで延伸。
  • 1984年8月12日; ハムブルク行き夜行列車のD890の脱線事故がハイルブロン操車場で発生する。死亡者3人、重傷者35人、軽傷者21人。

運行形態[編集]

遠距離輸送[編集]

バト・フリードリクスハルの岩塩鉱山の前を通過する快速列車
ヤクスト鉄橋を渡る快速列車

第二次世界大戦の前にはシュトゥットガルトからベルリンまで主要な急行列車が運行されて、戦後にはシュトゥットガルト - ハムブルク間を築こうした。1934年当時D列車は下のように運行された。

  • D11とD12; シュトゥットガルト - ベルリン・アンハルター駅。
  • D13とD14; シャフハウゼン - ベルリン・アンハルター駅。ローマ出発の列車とも連結された。
  • D15とD16; シュトゥットガルト - ベルリン・アンハルター駅。

遠距離輸送は2001年時刻表改訂の当時廃止されて、シュトゥットガルトからエアフルトまで走ったインターレギオの「レンシュタイク号」が最後の列車だった。

地域輸送[編集]

シュトゥットガルト運輸連合(Verkehrs- und Tarifverbund Stuttgart, VVS)[編集]

  • RE 4; シュトゥットガルト中央駅 - ビーティクハイム=ビシンゲン - ハイルブロン中央駅 - バト・フリードリクスハル中央駅 - オスターブルケン - ラウダ - ヴュルツブルク中央駅。60/120分間隔。使用車両はDB143形或はDB146形の電気機関車とプッシュプル方式の二階建て客車。
  • RE 17; シュトゥットガルト - ルートヴィヒスブルク - ビーティクハイム=ビシンゲン - ミュールアッカー - ハイデルベルク。120分間隔。アベリオ鉄道所属。使用車両はタレント2
  • RB 4; シュトゥットガルト中央駅 - ビーティクハイム=ビシンゲン - ハイルブロン中央駅 - ネッカーズルム - バート・フリードリクスハル中央駅 - メクミュール - オスターブルケン (- ボクスベルク=ヴォェルヒンゲン - ラウダ)。60分間隔。(シュトゥットガルト - ハイルブロン間には30分間隔) 使用車両はDB143形の電気機関車と制御装置付き二階建て客車。
  • RB 17; シュトゥットガルト - ルートヴィヒスブルク - ビーティクハイム=ビシンゲン - ファイヒンゲン (エンツ) - ミュールアッカー - プフォルツハイム中央駅或いはブルクサール。30/60分間隔。アベリオ鉄道所属。使用車両はタレント2

ライン=ネッカー運輸連合 (Verkehrsverbund Rhein-Neckar, VRN)[編集]

  • RE 2; マンハイム中央駅 - ハイデルベルク中央駅 - メケンスハイム - ジンスハイム - バト・フリードリクスハル中央駅 - ハイルブロン中央駅。120分間隔。使用車両はほとんどDB425形電車。
  • RE 3; マンハイム中央駅 - ハイデルベルク中央駅 - モースバッハ=ネッカーレルツ - バト・フリードリクスハル中央駅 - ハイルブロン中央駅。120分間隔。使用車両はDB425形電車。

マイン=フランケン運輸連合 (Verkehrsverbund Mainfranken, VVM)[編集]

  • RB; ヴュルツブルク - ヴュルツブルク南 - キルヒハイム (ウンターフランケン) - ヴィティックハウゼン - ラウダ。60分間隔。使用車両はDB425形電車。

シュトゥットガルトSバーン[編集]

  • S 4; シュヴァプ街 - 中央駅 - ツフェンハウゼン - ルドヴィクスブルク - マーバッハ - ブルクスタル( - バクナング)。15/30分間隔。使用車両はDB423形電車
  • S 5; シュヴァプ街 - 中央駅 - ツフェンハウゼン - ルドヴィクスブルク - ビーティクハイム。15/30分間隔。使用車両はDB423形電車。
  • S 6; シュヴァプ街 - 中央駅 - ツフェンハウゼン - レオンベルク - レニンゲン - ヴァイル・デア・シュタット。15/30分間隔。使用車両はDB420形電車だったが、DB423形電車に差し替えられている。
  • S 60; シュヴァプ街 - 中央駅 - ツフェンハウゼン - レオンベルク - レニンゲン - マークシュタット - ジンデルフィンゲン - ボェブリンゲン。15/30分間隔。使用車両はDB420形電車だったが、DB423形電車に差し替えられている。

アルプタル交通会社[編集]

  • AVG S 41; ハイルブロン・ヴィリ・ブラント広場 - ハイルブロン・ハーモニー - ネッカーズルム - バト・フリードリクスハル中央駅 - モースバッハ=ネッカーレルス - モースバッハ (バーデン)。30分間隔。使用車両は電車2010 (Elektrotriebwagen 2010、一名 ET 2010)。
  • AVG S 42: ハイルブロン・ヴィリ・ブラント広場 - ハイルブロン・ハーモニー - ネッカーズルム - バト・フリードリクスハル中央駅 - バト・ヴィンプフェン - バト・ラッペナウ - シュタインフルト - ジンスハイム中央駅。30分間隔。使用車両は電車2010。

参考文献[編集]

  • Bernd Beck: Schwäbische Eisenbahn. Bilder von der Königlich Württembergischen Staatseisenbahn. Metz, Tübingen 1989, ISBN 3-921580-78-1. (ドイツ語)
  • Andreas M. Räntzsch: Stuttgart und seine Eisenbahnen. Die Entwicklung des Eisenbahnwesens im Raum Stuttgart. Uwe Siedentop, Heidenheim 1987, ISBN 3-925887-03-2. (ドイツ語)
  • Andreas M. Räntzsch: Die Einbeziehung Stuttgarts in das moderne Verkehrswesen durch den Bau der Eisenbahn (Band 1 und 2). Verlag Dr. Kovač, Hamburg 2005 (zugleich Dissertation, Universität Stuttgart, 2005), ISBN 3-8300-1958-0. (ドイツ語)
  • Hans-Wolfgang Scharf: Eisenbahn zwischen Neckar, Tauber und Main. Band 1: Historische Entwicklung und Bahnbau. EK-Verlag, Freiburg (Breisgau) 2001, ISBN 3-88255-766-4. (ドイツ語)
  • Hans-Wolfgang Scharf: Eisenbahn zwischen Neckar, Tauber und Main. Band 2: Ausgestaltung, Betrieb und Maschinendienst. EK-Verlag, Freiburg (Breisgau) 2001, ISBN 3-88255-768-0. (ドイツ語)
  • Hans-Wolfgang Scharf: Die Eisenbahn im Kraichgau. Eisenbahngeschichte zwischen Rhein und Neckar. EK-Verlag, Freiburg (Breisgau) 2001, ISBN 3-88255-769-9. (ドイツ語)

脚注[編集]

  1. ^ Jürgen Wedler: Die S-Bahn Stuttgart 1981 – auf sechs Linien erweitert. In: Die Bundesbahn. Band 57, 1981, ISSN 0007-5876, S. 681–688.
  2. ^ Bürgermeister machen Frankenbahn Dampf (Memento vom 30. September 2007 im Internet Archive) – Rhein-Neckar-Zeitung vom 23. Juni 2007.
  3. ^ Eröffnung der Stadtbahn Heilbronn – Mosbach (Memento vom 13. Dezember 2014 im Webarchiv archive.today)
  4. ^ Konstantin Schwarz: Keine Chance für weiteren Schienenausbau. In: Stuttgarter Nachrichten. Band 72, 24. November 2016, S. 21.
  5. ^ Tunnelsanierung in Wittighausen kommt wie geplant 2019. In: mainpost.de. 11. Oktober 2017 (2018年10月7日閲覧)