フランセスク・ファブレガス

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フランセスク・ファブレガス Football pictogram.svg
Cesc Fàbregas - Presentation.jpg
名前
本名 フランセスク・ファブレガス・ソレール
愛称 セスク、エル・アーキテクト
ラテン文字 Francesc Fàbregas Soler
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1987年5月4日(25歳)
出身地 アレニス・デ・マール英語版
身長 175cm[1]
体重 75kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 FCバルセロナ
ポジション MF (CH, OH)
背番号 4
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場(得点)
2003-2011
2011-
イングランドの旗 アーセナルFC
スペインの旗 FCバルセロナ
212 (35)
代表歴 2
2004-2005
2006-
スペインの旗 スペイン U-21
スペインの旗 スペイン
11 (2)
60 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。
2. 2011年9月6日現在。
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アンデルソンとボールを競るセスク
キャプテンとしてプレーするセスク

フランセスク・ファブレガス・ソレール(Francesc Fàbregas Soler, 1987年5月4日 - )は、スペインカタルーニャ州アレニス・デ・マール英語版出身の同国代表サッカー選手リーガ・エスパニョーラFCバルセロナ所属。ポジションはMFFW。愛称は「セスク (Cesc) 」。

目次

経歴

FCバルセロナカンテラで育つ。ここでリオネル・メッシジェラール・ピケらと共にプレーした。2003年U-17世界選手権にU-17スペイン代表の一員として出場し準優勝を果たす。自身も5ゴールを挙げて得点王に輝くと共に、大会最優秀選手に選出された。FCバルセロナでも才能は認められていたものの、トップチームにはシャビイニエスタなどの同ポジションの選手がいたため、大会後間もなく才能に惚れ込んだアーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルがスペイン、イングランドの労働法の隙間やFCバルセロナの会長選という期間を狙って無料で獲得。しかし、その後裁判所からFCバルセロナへの85万7000ユーロ(約1億2000万円=当時)の支払い命令が下る。

パトリック・ヴィエラの放出に伴いチームの舵取りを委ねられた2005-2006シーズンには、シーズン当初は経験不足を感じさせるプレーも多かったものの、シーズンが深まるにつれて調子を上げ、それにつれチームも波に乗っていった。UEFAチャンピオンズリーグユヴェントス戦ではゲームを支配し、自ら先制点を奪う活躍を見せてチームの勝利を演出。前任者ヴィエラの眼前でその穴を埋めたことを見事に示してみせた。

2006-2007シーズンより、ヴィエラが背負っていた背番号4を受け継ぐ事になった。シーズンオフより移籍の噂が絶えなかったが、新たにアーセナルと8年契約を結んだ。また2007年1月に発表された「2006年UEFA.comユーザーが選ぶベストイレブン」に、唯一10代で選ばれた。また、同シーズンはプレミアリーグでアシストランキング1位となった。

2008年11月29日ディナモ・キエフ戦からはウィリアム・ギャラスに代わってキャプテンを任されている。アーセナルではトニー・アダムスに次ぐクラブ史上2番目の若さとなるキャプテン就任となった。

2011年8月15日、ユース時代に所属していたFCバルセロナへ5年契約で移籍。移籍金は最大3900万ユーロ(約43億円)といわれる。背番号はアーセナル時代から愛着のある4。開幕から、本来のポジションとは違うセンターフォワードを任されながらも、3試合連続ゴール。しかし、10月初めの練習中に負傷。3週間の離脱を余儀なくされる[2]。しかし、復帰後も離脱前と変わらない活躍を見せる。12月10日のレアル・マドリードとのクラシコでは、素早いカウンターからダニエウ・アウベスのピンポイントクロスをダイビングヘッドで押し込み、試合を決定づける3点目を決めた。12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝でも混戦の中からこぼれ球を押しこみ3点目をマークしている。この時、カメラに向かって指を7本立てるパフォーマンスを披露し、準決勝のアル・サッド戦で左足脛骨を骨折し戦線離脱したチームメイトのダビド・ビジャ(背番号7)にゴールを捧げた。

代表

2006年3月1日バリャドリードで行われたコートジボワール戦でスペイン代表デビュー。1アシストを記録した。代表デビュー以降、リオネル・メッシ2005年FIFAワールドユース選手権準々決勝で対戦)と同い年のティーンエイジャーという話題性も手伝って、「超新星」などとしてマスメディアの扱いもヒートアップし、2006年ワールドカップドイツ大会にも出場を果たした。また、EURO2008でのスペイン代表では10番を背負い、その中盤はシャビアンドレス・イニエスタダビド・シルバらと共に「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者たち)」と称された。

EURO2008本大会グループステージ1戦目のロシア戦で、代表初ゴール。シャビやマルコス・セナの控えとして臨んだ大会であったが、スーパーサブとして活躍。準々決勝のイタリア戦のPK戦では5人目のキッカーを務め、「15歳の時からまともにPKを蹴ったことがない(本人談)」にも関わらず、イタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンの動きを読み、落ち着いて沈め、スペインの勝利を決めた。準決勝のロシア戦では、セルヒオ・ラモスからのグラウンダーのパスを、柔らかいタッチでふわりと浮かせ、前方へ走り込むダニエル・グイサの胸にピタリと合わせ、華麗なゴールを演出。更に、左サイドに大きく空いたスペースでイニエスタからの絶妙なパスを受けると、相手守備陣が戻り切れていないゴール前に走り込むシルバへ低い弾道の正確なセンタリングを送り、これをシルバが落ち着いてゴール左隅に決めた。これら2アシストを含む4アシスト(大会最多)を記録するなど、スペインの優勝に大きく貢献した。

2010年のワールドカップでもスーパーサブとして臨み、主に膠着状態を打破するために途中出場した。決勝戦のオランダ戦では80分から投入され、延長後半のイニエスタの決勝点をアシストするなど活躍した。優勝後、「自分が成長し、ここまで到達できたのは、正しい道に導いてくれたアーセナルの関係者のおかげです」とヴェンゲルに伝えている。

所属クラブ

クラブ成績

2011年10月18日現在
シーズン クラブ 背番号 リーグ カップ戦[3] UEFA CL シーズン合計
試合 ゴール アシスト 試合 ゴール アシスト 試合 ゴール アシスト 試合 ゴール アシスト
2003-04 アーセナル 57 0 0 0 3 1 0 0 0 0 3 1 0
2004-05 15 33 2 4 8 0 0 5 1 0 46 3 4
2005-06 15 35 3 5 2 1 0 13 1 2 50 5 7
2006-07 4 38 2 13 6 0 2 10 2 1 54 4 16
2007-08 4 32 7 19 3 0 1 10 6 2 45 13 22
2008-09 4 22 3 10 1 0 0 10 0 5 33 3 15
2009-10 4 27 15 15 1 0 1 8 4 3 36 19 19
2010-11 4 25 3 14 6 3 1 5 3 2 35 9 17
プレミアリーグ通算 212 35 80 30 5 5 17 15 15 302 57 100
2011-12 FCバルセロナ 4 5 4 2 0 7 4

タイトル

個人

スペインでのEURO2008優勝パレードの様子。

クラブ

イングランドの旗 アーセナルFC

スペインの旗 FCバルセロナ

代表

エピソード

  • マイケル・ジャクソンのファンである[4]
  • 利き足は右足だが、利き手左手である。
  • バルセロナのカンテラで同期だったジェラール・ピケやカンテラの先輩であるカルレス・プジョルとは仲がいい。また、シャビは彼を「未来型フットボーラーのプロットタイプ」と表現している。
  • ユニホームに「セスク」ではなく「ファブレガス」とネームを入れた理由について、プレミアリーグでは姓を入れる規定があった事を挙げている。[要出典]また、スペイン代表では当初の「セスク」から「ファブレガス」に変更した後、チームはユーロ20082010 FIFAワールドカップを制覇している。この事から本人は「本当はセスクの名でユニホームを作りたかったけど、ファブレガスの方が運を運んでくれるのなら、この名前でより多くのタイトルを獲得したい」と語っている。

脚注



今日は何の日(1月23日

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