フリオ・アルベルト・モレーノ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はモレーノ第二姓(母方の)はカサスです。
フリオ・アルベルト Football pictogram.svg
名前
本名 フリオ・アルベルト・モレーノ・カサス
Julio Alberto Moreno Casas
ラテン文字 JULIO ALBERTO
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1958-10-07) 1958年10月7日(60歳)
出身地 カンダス
身長 177cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977-1982
1979-1980
1982-1991
スペインの旗 アトレティコ・マドリード
スペインの旗 レクレアティーボ・ウェルバ (Loan)
スペインの旗 バルセロナ
67 (2)
8 (1)
202 (9)
代表歴
1978
1982
1983
1981
1984-1988
U-21スペイン
U-23スペイン
スペイン・アマチュア
スペインB
スペインの旗 スペイン
4 (0)
1 (0)
2 (0)
4 (0)
34 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

フリオ・アルベルト・モレーノ・カサスJulio Alberto Moreno Casas1958年10月7日 - )は、スペインアストゥリアス州出身の元サッカー選手スペイン代表であった。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。

経歴[編集]

クラブ[編集]

アストゥリアス州・カンデスに生まれたが、アトレティコ・マドリードの下部組織で育った。若手時代は出場機会を得るのに苦労し、1979-80シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)のレクレアティーボ・ウェルバにレンタル移籍した。1980年にアトレティコに復帰すると、正式にトップチームに昇格し、1980-81シーズンと1981-82シーズンにはリーグ戦計59試合に出場した。

1982年にFCバルセロナに移籍し、在籍した9シーズンで9個のタイトルを獲得した。1982-83シーズンにはコパ・デル・レイコパ・デ・ラ・リーガのカップ戦2冠を達成し、1983年にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝。1984-85シーズンには中心選手としてプリメーラ・ディビシオン(1部)優勝に貢献し、1985-86シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは、準決勝のユヴェントスFC(イタリア)戦(1-0)で決勝点を挙げた。決勝のFCステアウア・ブカレスト(ルーマニア)戦にも先発出場したが、PK戦で敗れて準優勝に終わった。1988年にヨハン・クライフが就任すると、エル・ドリーム・チームでは大きく出場機会を減らし、1988-89シーズンからの3シーズンで計29試合しか出場できなかった。特に1990-91シーズンは3試合の出場に終わり、クラブはリーグ優勝を果たしたが、フリオ・アルベルトはシーズン終了後に現役引退した。

代表[編集]

1984年2月29日、アウェーで行われたルクセンブルクとの親善試合(1-0)でスペイン代表デビューし、その試合で両チーム唯一のイエローカードを提示された。同年夏にはUEFA欧州選手権1984本大会に出場し、全試合に出場して準優勝に貢献。1986年には1986 FIFAワールドカップに出場した。スペイン代表としては1988年までに34試合に出場した。

現役引退後[編集]

現役引退後は酷い鬱症状に悩まされ、深刻な薬物依存症に陥った[1]が、やがて症状は改善した。

タイトル[編集]

クラブ[編集]

FCバルセロナ

代表[編集]

スペイン代表

脚注[編集]

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  1. ^ Julio Alberto Moreno / Exfutbolista : "Mi partido contra la droga será eterno" La Voz de Asturias、2004年3月21日 (スペイン語)