フリオ・クルス

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フリオ・クルス Football pictogram.svg
名前
本名 フリオ・リカルド・クルス
Julio Ricardo Cruz
愛称 Jardinero (庭師)
ラテン文字 Julio CRUZ
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1974-10-10) 1974年10月10日(43歳)
出身地 サンティアゴ・デル・エステロ
身長 190cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1996 アルゼンチンの旗 バンフィエルド 64 (16)
1996-1997 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 29 (17)
1997-2000 オランダの旗 フェイエノールト 86 (44)
2000-2003 イタリアの旗 ボローニャ 88 (27)
2003-2009 イタリアの旗 インテル 123 (49)
2009-2010 イタリアの旗 ラツィオ 25 (8)
代表歴
1997-2009 アルゼンチンの旗 アルゼンチン [1] 22 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

フリオ・リカルド・クルスJulio Ricardo Cruz, 1974年10月10日 - )は、アルゼンチンサンティアゴ・デル・エステロ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。ニックネームは「庭師」。

経歴[編集]

母国アルゼンチンでデビューした後、1997-98シーズンにフェイエノールトへ移籍、ヘディンガーとして活躍する。その後2000-01シーズンにボローニャへ移籍しケネット・アンデションの後釜として期待に応える。2003-04シーズンからインテル・ミラノに移籍し、クリスティアン・ヴィエリアドリアーノズラタン・イブラヒモビッチ、そして同郷のエルナン・クレスポらとのレギュラーポジション争いを繰り広げながらも、出場機会を得れば高い能力と誰とでも組める順応性を発揮するため、歴代監督の信頼は厚い[要出典]。また長年、インテルのキャプテンとしてプレーしている同国出身のハビエル・サネッティとは1993年に共にCAバンフィエルドでプロデビューを果たしている間柄である。

1997年にデビューしたアルゼンチン代表では、1998年フランスワールドカップ2002年日韓ワールドカップ共に落選したが、2005-06シーズンの驚異的な活躍が認められると、2006年に4年ぶりに復帰し、2006年ドイツワールドカップへ出場するメンバーに選出され、2試合に出場した。

このシーズンは締め括りのW杯出場だけでなく、インテルでも他のFW陣が負傷やスランプに苦しむ中コンスタントに出場し、チーム最多かつセリエAにおける自身のキャリアでも最多の15得点を挙げ1988-89シーズン以来のスクデット(カルチョ・スキャンダルによる繰り上がり優勝)に貢献、チャンピオンズリーグでも自身最多の4得点を挙げる現時点でのキャリアハイと言えるシーズンとなった。

限られた出場時間の中でもきっちりと結果を出す職人肌の選手で、長身と足下の技術を生かしポストマンやシャドーストライカーとして活躍した。また左右どちらの足でも強烈なシュートが打てるため得点能力も高い。インテルは優秀なキッカーがいるため、蹴る機会は多くないが、フリーキックの技術は一級品であり[要出典]、2003年のユヴェントスFC戦ではジャンルイジ・ブッフォンからゴールを奪った。この試合を初めユヴェントスとの試合では度々活躍を見せており、フェイエノールト時代の1997-98シーズンにもチャンピオンズリーグでユヴェントスと対戦した際に2得点を挙げるほどのユベントスキラーである[要出典]また誠実な人柄でファンから愛されている選手である。2007-08シーズンはエース、アドリアーノの不調により、出場機会が回ってくるようになった[要出典]

1996-97シーズンのCAリーベル・プレート移籍、2003-04シーズンのインテル移籍と2度に渡り、クレスポがクラブを去った際に後釜として迎えられた。また、2002年W杯ではクレスポとガブリエル・バティストゥータに阻まれ落選し、バティストゥータが引退した後のドイツW杯ではクレスポのバックアッパーとして選出された。そして、大会後の2006-07シーズンからはクレスポのインテル復帰に伴い2人はクラブでもチームメイトとなった。同国出身でセンターフォワードのクレスポとは10年以上に渡って何かと因縁があるが、クレスポとバティストゥータの関係の方が実績・知名度で大きく上回る為にこの点が指摘されることは殆どない。勿論2人の間に確執はなく、関係は良好である[要出典]

2008-09シーズンはアドリアーノのインテル復帰・復調から、イブラヒモビッチ、アドリアーノに続く3人目のストライカーとして途中出場でよく起用され、貴重な決勝点や同点弾を決める事も多い。また、場合によっては戦術上、2人のセンターフォワードの後ろ側(トップ下)でプレーすることもある。

2009年7月、インテルとの契約が満了したためSSラツィオへ移籍した。

個人成績[編集]

代表での成績[編集]

クラブ シーズン リーグ戦 カップ戦 UEFA 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
バンフィエルド 1993-94 5 0 - - - - 5 0
1994-95 26 6 - - - - 26 6
1995-06 32 10 - - - - 32 10
1996-07 1 0 - - - - 1 0
合計 64 16 - - - - 64 16
リーベル・プレート 1996-97 29 17 - - - - 29 17
合計 29 17 - - - - 29 17
フェイエノールト 1997-98 27 14 - - 6 3 33 17
1998-99 29 15 - - 2 0 31 15
1999-00 30 15 - - 8 3 38 18
2000-01 - - - - 1 0 1 0
合計 86 44 - - 17 6 103 50
ボローニャ 2000-01 27 7 - - 1 0 28 7
2001-02 33 10 2 2 - - 35 12
2002-03 28 10 1 0 6 1 35 11
合計 88 27 3 2 7 1 98 30
インテル 2003-04 21 7 4 3 10 1 35 11
2004-05 18 5 6 2 8 2 32 9
2005-06 31 15 8 2 6 4 45 21
2006-07 14 7 4 2 4 3 22 12
2007-08 26 13 3 3 4 2 33 18
2008-09 13 2 5 1 - - 18 3
合計 123 49 28 10 32 12 184 74
ラツィオ 2009-10 25 8 - - - - 25 8
合計 25  8 - - - - 25 8
合計 415 161 31 12 56 19 489 190

代表での成績[編集]

出典[1]


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
1997 5 1
1998 0 0
1999 2 1
2000 1 0
2001 4 0
2002 1 1
2003 0 0
2004 0 0
2005 2 1
2006 2 0
2007 0 0
2008 5 0
合計 22 4

脚注[編集]

  1. ^ a b Cruz, Julio”. National-Football-Teams.com. 2016年10月31日閲覧。