フリオ・フランコ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はフランコ第二姓(母方の)はロブレスです。
フリオ・フランコ
Julio Franco
ロッテ・ジャイアンツ コーチ #81
Julio Franco.jpg
ニューヨーク・メッツでのフランコ(2007年)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 アト・マジョール州アト・マジョール・デル・レイ
生年月日 (1958-08-23) 1958年8月23日(59歳)(公称)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手一塁手
プロ入り 1978年 アマチュア・フリーエージェントとしてフィラデルフィア・フィリーズと契約
初出場 MLB / 1982年4月23日
NPB / 1995年4月1日
KBO / 2000年4月5日
最終出場 MLB / 2007年9月17日
NPB / 1998年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

フリオ・セサル・フランコ・ロブレス(Julio Cesar Franco Robles, 1958年8月23日(公称) - )は、ドミニカ共和国アト・マジョール州アト・マジョール・デル・レイ出身のプロ野球選手内野手)・コーチ監督。右投げ右打ち。

経歴[編集]

1978年フィラデルフィア・フィリーズと契約。1982年メジャーデビュー。1988年から1991年にかけてシルバースラッガー賞を受賞。1991年には打率.341で首位打者を獲得している。

1995年MLB史上最長のストライキによる影響と、テキサス・レンジャーズ在籍時の監督で同年から千葉ロッテマリーンズの監督に就任したボビー・バレンタインの誘いを受けたことによりロッテに入団[1]。当時はフランコのようなMLBの現役大物プレイヤーが日本の球団に移籍することは稀で、日常生活や練習態度まで野球に真摯に向き合う姿勢に小宮山悟堀幸一をはじめ、多くのマリーンズナインが感銘を受けるようになった[1][2]。シーズン途中から不動の4番を任され、リーグ3位の打率.306、10本塁打、58打点の安定した成績を残し、ベストナインゴールデングラブ賞を受賞。10年ぶりのAクラスとなる2位に躍進する原動力となった[3]。しかし、バレンタイン監督が広岡達朗GMとの確執で解任されると[1]、「110試合以上出場した場合は残留か否かの選択権がある」という契約条項を示して自らの意思で退団[2]。「いつか必ずロッテに帰ってくる」と言い残してMLBに復帰した[1]

その後、1998年に選手会の強い要望でロッテに復帰[4]。復帰時はすでに40歳だったが、近藤昭仁監督から主将に任命されてチームを牽引した[1]。打率.290、18本塁打、77打点の成績を残してベストナインにも選ばれたが、チームはプロ野球記録の18連敗を喫するなど最下位となったことで「貢献度が低い」という評価を下され、2度目の来日も1年で退団した[1]

1990年1996年には、日米野球のメジャーリーグ選抜としても来日している。

現役生活は40代後半まで続き、2005年6月27日にはメジャーリーグ史上最年長(46歳と308日)での満塁本塁打を記録。その他にも史上最年長での代打ホームランや史上最年長での1試合2盗塁など「史上最年長」と付く記録の多くを塗り替えた[5]。食事を脂肪に変えず、エネルギーを欠乏させないために1日に5〜6食、少ない量の食事を摂るボディビル式の調整法などで[6]、45歳の時チームメートをして「フランコほどコンディションのよい選手は他にいない」といわしめたほどである。

2006年4月20日対サンディエゴ・パドレス戦では代打本塁打を放ち、1930年にフィラデルフィア・アスレチックスのジャック・クインが46歳と357日目で放ったメジャー最年長本塁打記録を更新。2007年5月4日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でランディ・ジョンソンから2点本塁打を放ち、自身の持つ最年長記録を48歳254日まで伸ばした[7][3]

しかし、生年には様々な説があり、ロッテ時代には1961年生まれとされていたが、後にメジャーリーグ機構の発表で1958年と訂正された。有力なのはキャリア初期に開示された1954年生まれ説である[3]。1954年生まれだとすれば、最年長本塁打記録は50歳を超えていたことになる。

2008年メキシカンリーグキンタナロー・タイガースでプレーしていたが、5月3日に同年限りの現役引退を明らかにした[8]

2012年1月、メキシカンリーグプエブラ・パロッツの監督に就任した。

2014年5月、米独立リーグ、ユナイテッドリーグ・ベースボールフォートワース・キャッツがコーチ兼任契約をした事を発表[9]。55歳で6年ぶりに現役復帰し[10][11]、主に4番DHで7試合に出場し打率.222(27打数6安打)を記録した[12]

2015年BCリーグ石川ミリオンスターズに選手兼任監督として入団した[13]。選手として打率.312(77打数24安打)を記録し[14]、監督として31勝38敗3分を記録した。チームはリーグワーストの失策を記録するなど低迷、石川は2シーズン制導入以来続いていた地区チャンピオンシップ進出がストップした[15]。10月20日に石川を退団し、2016年から韓国・ロッテ・ジャイアンツの2軍打撃コーチに就任すると発表した[16]。同年8月18日、ロッテジャイアンツの1軍コーチへ配置転換された。

選手としての特徴[編集]

バットのグリップを高く掲げ、先端を投手に向ける独特のフォームは「スコーピオン打法」と呼ばれた。この打撃フォームは誰に教わったわけでもなく、小さい頃からグリップの位置を少しずつ上げていって、ちょうどいいところでこうなったという[7]。メジャー屈指のアベレージヒッターであり[17]、1991年には首位打者を獲得。MLB通算打率も.298と高い成績を残している。

MLB通算2586安打は、ドミニカ共和国出身者としてエイドリアン・ベルトレブラディミール・ゲレーロに次ぐ歴代3位。また、日本プロ野球で286安打、韓国プロ野球で156安打、メキシカンリーグで316安打、ドミニカ・ウィンターリーグで267安打、MLB傘下のマイナーリーグで618安打[18][5]、米独立リーグ(ユナイテッドリーグ・ベースボール)で6安打[12]、日本独立リーグ(BCリーグ)で24安打[19]を放っており、プロとして通算4259安打を記録している。

足も速く、かつては30盗塁以上を何度も記録していたが、1992年に膝の大怪我をしてしまい、それ以降はほとんど盗塁は出来なくなった。しかし40歳後半になってからも、少ないながら毎シーズン盗塁を記録した。

デビュー当初は遊撃手だったが、あまりのエラーの多さから二塁手にコンバートされた経緯がある。二塁手に関しても足の割に守備範囲が狭いことなどであまり評価は高くなかった。膝を痛めてからは一塁手、指名打者に専念した。NPBでは1995年に一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞している。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1982 PHI 16 32 29 3 8 1 0 0 9 3 0 2 1 0 2 1 0 4 1 .276 .323 .310 .633
1983 CLE 149 598 560 68 153 24 8 8 217 80 32 12 3 6 27 1 2 50 21 .273 .306 .388 .693
1984 160 718 658 82 188 22 5 3 229 79 19 10 1 10 43 1 6 68 23 .286 .331 .348 .679
1985 160 703 636 97 183 33 4 6 242 90 13 9 0 9 54 2 4 74 26 .288 .343 .381 .723
1986 149 636 599 80 183 30 5 10 253 74 10 7 0 5 32 1 0 66 28 .306 .338 .422 .760
1987 128 560 495 86 158 24 3 8 212 52 32 9 0 5 57 2 3 56 23 .319 .389 .428 .818
1988 152 676 613 88 186 23 6 10 251 54 25 11 1 4 56 4 2 72 17 .303 .361 .409 .771
1989 TEX 150 621 548 80 173 31 5 13 253 92 21 3 0 6 66 11 1 69 27 .316 .386 .462 .848
1990 157 670 582 96 172 27 1 11 234 69 31 10 2 2 82 3 2 83 12 .296 .383 .402 .785
1991 146 659 589 108 201 27 3 15 279 78 36 9 0 2 65 8 3 78 13 .341 .408 .474 .882
1992 35 123 107 19 25 7 0 2 38 8 1 1 1 0 15 2 0 17 3 .234 .328 .355 .683
1993 144 607 532 85 154 31 3 14 233 84 9 3 5 7 62 4 1 95 16 .289 .360 .438 .798
1994 CWS 112 505 433 72 138 19 2 20 221 98 8 1 0 5 62 4 5 75 14 .319 .406 .510 .916
1995 ロッテ 127 540 474 60 145 25 3 10 206 58 11 7 0 3 60 5 3 106 15 .306 .385 .435 .820
1996 CLE 112 499 432 72 139 20 1 14 203 76 8 8 0 3 61 2 3 82 14 .322 .407 .470 .877
1997 78 328 289 46 82 13 1 3 106 25 8 5 1 0 38 2 0 75 13 .284 .367 .367 .734
MIL 42 177 141 22 34 3 0 4 49 19 7 1 0 4 31 2 1 41 4 .241 .373 .348 .721
'97計 120 505 430 68 116 16 1 7 155 44 15 6 1 4 69 4 1 116 17 .270 .369 .360 .730
1998 ロッテ 131 562 487 78 141 27 2 18 226 77 7 5 0 3 68 8 4 107 16 .290 .379 .464 .843
1999 TB 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2000 サムスン 132 549 477 79 156 19 1 22 243 110 12 5 0 7 63 5 2 86 11 .327 .403 .509 .912
2001 ATL 25 101 90 13 27 4 0 3 40 11 0 0 0 0 10 1 1 20 3 .300 .376 .444 .821
2002 125 383 338 51 96 13 1 6 129 30 5 1 2 3 39 3 1 75 13 .284 .357 .382 .739
2003 103 223 197 28 58 12 2 5 89 31 0 1 0 1 25 5 0 43 8 .294 .372 .452 .824
2004 125 361 320 37 99 18 3 6 141 57 4 2 1 3 36 4 1 68 10 .309 .378 .441 .818
2005 108 265 233 30 64 12 1 9 105 42 4 0 1 3 27 1 1 57 10 .275 .348 .451 .799
2006 NYM 95 179 165 14 45 10 0 2 61 26 6 1 0 0 13 2 1 49 11 .273 .330 .370 .699
2007 40 61 50 7 10 0 0 1 13 8 2 1 0 1 10 0 0 13 1 .200 .328 .260 .588
ATL 15 45 40 1 10 3 0 0 13 8 0 0 0 1 4 1 0 10 1 .250 .311 .325 .636
'07計 55 106 90 8 20 3 0 1 26 16 2 1 0 2 14 1 0 23 2 .222 .321 .289 .610
MLB:23年 2527 9731 8677 1285 2586 407 54 173 3620 1194 281 107 19 80 917 67 38 1341 312 .298 .365 .417 .782
NPB:2年 258 1102 961 138 286 52 5 28 432 135 18 12 0 6 128 13 7 213 31 .298 .382 .450 .832
KBO:1年 132 549 477 79 156 19 1 22 243 110 12 5 0 7 63 5 2 86 11 .327 .403 .509 .912
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

MLB

表彰[編集]

MLB
NPB

記録[編集]

MLB
※その他にも代打本塁打、満塁本塁打、1試合2盗塁など最年長記録を多く保持。
NPB

独立リーグでの打撃成績[編集]

BCリーグ










































O
P
S
2015 石川 25 77 9 24 4 0 0 16 16 14 3 1 1 0 1 2 .312 .432 .416 .847
通算:1年 25 77 9 24 4 0 0 16 16 14 3 1 1 0 1 2 .312 .432 .416 .847

背番号[編集]

  • 15 (1982年)
  • 14 (1983年 - 1994年、2003年 - 2005年、2007年途中 - 同年終了、2015年)
  • 21 (1995年開幕後[20]
  • 23 (1996年 - 1997年、2002年途中 - 同年終了、2006年 - 2007年途中)
  • 7 (1998年)
  • 18 (1999年)
  • 28 (2001年 - 同年途中)
  • 4 (1995年開幕前、2001年途中 - 2002年途中)
  • 81 (2016年 - )

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f “【3月19日】1995年(平7) 10球見れば十分!?メジャー首位打者フランコ、初出場で1発!”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年3月1日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0803/kiji/K20090301Z00002780.html 2018年7月23日閲覧。 
  2. ^ a b “【1月4日】1999年(平11) 小宮山悟、ケンカ売る「球団改革しなけりゃ出て行く」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年1月1日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0801/kiji/K20110101Z00001050.html 2018年7月23日閲覧。 
  3. ^ a b c “フリオ・フランコ「選手時代から若手を教育、ロッテの主将を務めた元メジャーリーガー」”. exciteニュース (エキサイト). (2017年8月16日). https://www.excite.co.jp/News/90s/20170816/E1502845269258.html 2018年7月23日閲覧。 
  4. ^ 『日本プロ野球偉人伝 vol.12 1994-96編』 ベースボール・マガジン社、2014年、93頁。ISBN 978-4-583-62098-5。
  5. ^ a b “「4000安打クラブ」語るならフリオ・フランコにも脚光を”. ZAKZAK (産経デジタル). (2013年8月18日). http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20130818/bbl1308180726002-n1.htm 2018年7月23日閲覧。 
  6. ^ “BCリーグの選手兼任監督・フランコ 状況に応じて先発も視野”. NEWSポストセブン (小学館). (2015年4月15日). https://www.news-postseven.com/archives/20150415_316141.html?IMAGE&PAGE=2 2018年7月24日閲覧。 
  7. ^ a b “BCリーグ石川の選手兼任監督 フランコに聞く「アナタの実年齢は?」”. 東スポWeb (東京スポーツ). (2015年5月10日). https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/398044/ 2018年7月24日閲覧。 
  8. ^ “49歳フランコ引退、ロッテでも活躍”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ). (2008年5月5日). https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20080505-356155.html 2018年7月24日閲覧。 
  9. ^ THE AGELESS JULIO FRANCO TO PLAY FOR THE FORT WORTH CATS IN OPENING HOME STAND”. fwcats.com: News. 2014年5月16日閲覧。
  10. ^ 55歳フランコが現役復帰=米独立リーグと契約”. 時事通信. 2014年5月17日閲覧。
  11. ^ 元ロッテ・フランコが55歳で現役復帰
  12. ^ a b “「本当の意味での野球人」56歳になってもフランコをプレーに掻き立てる“野球への思い””. ベースボールチャンネル (株式会社カンゼン). (2015年2月11日). https://www.baseballchannel.jp/npb/3310/ 2018年7月24日閲覧。 
  13. ^ 監督・ヘッドコーチ就任決定 及び、就任記者会見のお知らせ”. 石川ミリオンスターズ 公式ページ (2015年2月8日). 2015年2月8日閲覧。
  14. ^ 藤川 球児(高知ファイティングドッグス)プロ初の完封勝利!”. 独立リーグドットコム (2015年9月8日). 2016年8月11日閲覧。
  15. ^ “BC石川、最終戦で西地区前期V…元ロッテ渡辺監督が宙舞った!”. スポーツ報知. (2016年6月19日). http://www.hochi.co.jp/baseball/etc/20160619-OHT1T50270.html 2016年9月10日閲覧。 
  16. ^ “BC石川のフランコ監督、今季で退団 韓国ロッテコーチに”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2015年10月21日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/21/kiji/K20151021011355900.html 2018年7月24日閲覧。 
  17. ^ “第12回「日本にやってきた超大物外国人選手」名鑑”. 週刊野球太郎 (Imagineer). (2012年12月25日). http://yakyutaro.jp/r.php?hash=0P5ZX 2018年7月24日閲覧。 
  18. ^ Approaching 4,000”. Super Ichiro Crazy! (2013年8月9日). 2018年7月23日閲覧。
  19. ^ 2015年個人打撃成績 一覧”. 株式会社ジャパン・ベースボール・マーケティング. 2018年7月24日閲覧。
  20. ^ 入団時はピート・ローズにあやかる意味と前年まで自身が着用していた番号であることから小宮山悟がつけていた背番号14を希望し譲渡してほしいと懇願したが小宮山が拒否したため背番号4を与えられる。しかしフランコ自身が難色を示し今度は自身が尊敬するロベルト・クレメンテにあやかり吉田篤史がつけていた背番号21の譲渡を要望し吉田が快諾した(吉田は背番号0に変更、背番号4は丹波健二に譲渡)。
    なお小宮山が2018年に『ベースボールマガジン』の取材に答えた内容によると、背番号14を譲ること自体は承諾したものの自身の新たな背番号について「自分が背番号を他人に奪われるのに、また他人の背番号を奪うというのは納得できない」として空き番号から110番を要求したところGMの広岡達朗から難色を示されたために話がこじれ、結果フランコが要求を取り下げたという。

関連項目[編集]