順位戦

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順位戦
棋戦の分類 名人戦の予選
開催概要
開催時期 6月 - 翌年3月
初回開催 1947年度(第1期)
持ち時間 6時間
主催 毎日新聞社
朝日新聞社
公式サイト 名人戦・順位戦:日本将棋連盟
記録

順位戦(じゅんいせん)は、毎日新聞社朝日新聞社主催の将棋棋戦。タイトル戦である名人戦の予選にあたる。順位戦A級の1位が名人への挑戦者となる。

概要[編集]

A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組の5つのクラスからなり、A級の優勝者が名人戦の挑戦者となる。したがって、必然的に名人は順位戦に参加しないが、A級の在籍年数の記録には順位戦を戦わなかった分の名人在位年も累積計上される。

各クラスごとに、おおむね6月から翌年の3月までに亘ってリーグ戦を行い、その成績に応じて次期のクラスと順位が決まる。新規のプロ棋士はC級2組に属するのが原則だが、一部は順位戦に参加しないフリークラス棋士からのスタートとなる。飛び級はできないため、名人戦の挑戦者となるまでにはプロデビューから最短でも5年かかる。

順位戦の昇級により段位が上がり、棋士が順位戦のどのクラスに属しているかによって対局料が大きく変動し、棋士の収入に直結するほか、他の棋戦で予選の一部が免除されたりすることがある。そしてなにより、順位戦に在籍していることがプロ棋士が現役であるための基礎的な条件となるため、棋士にとって最も重要な棋戦とされている。

毎年3月上旬頃に行われるA級の最終戦(全5局が一斉に行われる)は、名人への挑戦者と降級者2名を決定する重要な対局で、対局時間の長さやその密度の濃さから「将棋界の一番長い日」と称され、将棋界内外から大きな注目を集める。この日には東京将棋会館)・大阪(関西将棋会館)・名古屋大須演芸場)で大盤解説会が開催されるほか、テレビ中継なども行われている。

方式[編集]

クラスと昇級・降級[編集]

A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組と、順位戦の対局がないフリークラスから構成されており、A級で最も良い成績を挙げた棋士が名人挑戦権を得る。

各クラスの定員などは以下のように定められている。

クラス 定員 名人戦・順位戦の
対局数
昇級など 降級・降級点 棋戦 予選免除[1]
叡王戦 王位戦 王座戦 棋王戦 王将戦 棋聖戦 朝日杯 銀河戦 NHK
名人 1名 挑戦者と七番勝負 挑戦者に4勝で名人位防衛 挑戦者に4敗で失冠→次期 A級(順位1位)
その他のシードもあり[注 1]
A級 10名
(原則)

総当たり 9戦(原則)
+ プレーオフ[注 2]

【名人挑戦者】
+ 名人と七番勝負
【名人挑戦者】
名人に4勝で名人位獲得
【降級者】
成績が下位[注 3]の2名[注 4]
- - -
B級
1組
13名
(原則)
総当たり
12戦(原則)
【昇級者】
成績が上位の2名
【降級者】
成績が下位の2名[注 5]
- - - -
B級
2組
不定 同クラス内での
10戦
【昇級者(B2,C1)】
全勝者(全員)[注 6]
又は 成績上位の2名
【降級者(B2,C1)】
降級点が累積2点
【降級点(B2,C1,C2)】
  • 成績下位の内、参加人数の20%
    (在籍者数/5)[注 7]降級点を1点累積
  • 今期勝ち越し又は2期連続の5勝5敗で、
    降級点を1点消去
  • 上記2つの条件に同時に該当する場合、
    次期は現状維持(累積と消去 相殺)
  • 昇・降級時には降級点リセット。
- - - - - - -
C級
1組

備考
C級
2組
【昇級者(C2)】
全勝者(全員)[注 6]
又は 成績上位の3名
【降級者(C2)】
降級点が累積3点
【C級2組】
消去対象降級点は2つ目のみ。
1つ目の降級点はC級2組では消去されない
フリー
クラス
(順位戦の対局なし) 【宣言フリークラス】
順位戦への復帰不可
(引退までフリークラス)

【その他】
規定条件による昇級あり
(昇級先はC級2組)
<引退規定>

【宣言フリークラス】

順位戦在籍可能最短年数 経過後、
かつ下記のいずれか早い期限
  • 満65歳(原則)の誕生日を迎える年度終了まで
  • 順位戦在籍可能最短年数+15年 経過後

【その他】

在籍年限該当者が規定条件を
収められなかった場合、
公式戦全対局完了時に引退

<在籍年限>
下記のいずれか早い期限

  • フリークラス編入後10年以内[2]
  • 満60歳(原則)の誕生日を迎える
    年度終了まで

現役棋士が在籍するクラスの一覧は、将棋棋士の在籍クラス を参照。

歴代のA級棋士については、歴代七番勝負・A級順位戦 を参照。

クラス内における順位[編集]

次期の各クラスのリーグ表では、以下の順で上から並べられる。

  1. 上位クラスからの降級者(A級は名人戦で敗れた者)
  2. (A級以外)休場者のうち降級の対象となった者
  3. 残留者のうち降級点を取らなかった者(B級1組は全ての残留者、A級は名人に挑戦できなかった全ての残留者)
  4. (C級2組以外)下位クラスからの昇級者
  5. (B級2組以下)残留者のうち降級点を取った者
  6. (C級2組のみ)当年4月1日から9月30日の間に規定の成績(後述)を収めたフリークラス編入者
  7. (C級2組のみ)当年度前期三段リーグ優勝者及び準優勝者
  8. (C級2組のみ)当年10月1日から翌年3月31日の間に規定の成績を収めたフリークラス編入者
  9. (C級2組のみ)当年度後期三段リーグ優勝者及び準優勝者
  10. 休場者のうち降級の対象とならなかった者(後述の通り「張出」として扱われる)

上記のそれぞれの中で当期の勝敗順を第1優先とし、勝敗同点同士では、当期のリーグ表における順位を第2優先として順位付けをする。

ただし、上記6.及び8.のフリークラス編入者については、規定の成績への到達が確定した順に上位に位置づけられる。

A級で勝敗数最上位者が複数の場合には名人挑戦者決定戦(プレーオフ)を行われるが、次期A級の2位以下の順位決定には、プレーオフの結果にかかわらず、リーグ戦での成績と今年度の順位のみで決定される。次期A級の1位については「名人戦で敗れた者が翌年度の順位が1位となる」規定が優先される。

挑戦者決定戦(プレーオフ)[編集]

名人戦挑戦者にはA級での成績最上位者が選ばれるが、最上位者が複数の場合には挑戦者1名を決めるために挑戦者決定戦(プレーオフ)を行う。3人以上の場合は、順位下位の者からパラマス方式トーナメントによって挑戦者を決定する(プレーオフ参考例)。

持ち時間[編集]

順位戦の持ち時間は6時間であり[注 8]、あらゆる棋戦の本戦・予選の持ち時間の中で最も長く、しかも1日制のタイトル戦の内、王座戦棋王戦棋聖戦五番勝負の持ち時間より長い[注 9]。また、対局開始はタイトル戦が午前9時であるのに対し、その他の通常の対局と同じ午前10時である。さらに、昼夕に各40分(2016年6月より)の休憩を挟む。そのため、順位戦の対局は深夜に及び、日が変わっての終局も珍しくない。

第75期順位戦(2016年度)より、B級2組以下の対局については、ストップウォッチ計時による1分未満の消費時間切り捨てから、チェスクロック計時(実際はタブレット端末を使うため「タブレットクロック」とも呼ばれる[3])による1分未満の消費時間算入に改められた[4]。これは、主として記録係を担当する奨励会員の高学歴化が進み、学校を休む必要がある者が増えたためである。少しでも負担を軽くするため、日をまたぐ対局を極力減らし、記録係がなるべく宿泊せず帰宅できるようにする目的がある。このルール変更により、終局が「(平均すると)1時間は早くなりそう」と渡辺明は予想している[5]。また、同年6月から他の棋戦を含め昼食・夕食休憩がそれぞれ50分から40分に減らされた(タイトル戦は従前どおり1時間である)。これも同じく、対局時間短縮の意図がある[6]。これらの変更により、両者がバランス良く持ち時間を使い切ると、B級2組以下では23時20分ごろ、A級とB級1組では0時30分ごろに両者1分将棋に突入することになる[6]

組み合わせ[編集]

各期順位戦のリーグ表における全ての対戦組み合せと先手・後手は、抽選によって作成される(対局開始の際には振り駒は行われない)。

ただし、抽選は、以下の制約の下で行われる[7]

  • 「B級2組以下での師弟戦」および「最終局での兄弟弟子同士の対局」は行わない。A級・B級1組での師弟戦はリーグの中間で行う。
  • B級2組及びC級1組では、前期未対局者優先で組み合わせる。組み合わせ不能の場合はこの限りではないが、3年連続同一カードの対局は行わない。C級2組では、前期対局者と当たらない。
  • 手番(先手・後手)は事前に決定するが、回数の均等に努める。また、3回連続同じ手番での対局は行わない。

なお、A級プレーオフでは振り駒が行われる。

頭ハネ[編集]

順位戦で勝敗数が同じだった場合、名人挑戦権を争うA級最上位を除けばプレーオフは行われず、上述のように今期の順位により順位付けをすることとなる。そのため、同じ成績を収めた複数名が順位によって昇級と残留に分かれることがあり、低順位のために昇級できないことは頭ハネと通称されている[8]。逆に、降級・降級点に際しても順位差で運命が分かれることがあり、C級2組の星1つの差が将来のA級残留・陥落に影響を及ぼすなど[9]、まさしく「順位」を争う戦いとなっている[8]

11人で争われた1972年度の第27期A級順位戦において、前期休場のため順位が最下位であった灘蓮照が頭ハネで9位となった。降級枠3名につき本来であれば降級となるところ、5勝5敗の指し分けを理由として降級とならなかった事例がある。これについて、当時の順位戦の主催紙である朝日新聞の1973年4月4日付の総括記事では、灘に「指し分けは落さずの規定がないとたいへんだったな」という声がかかった、との記述がある。しかし、この規定は明文化されたものでなく将棋連盟にも文書化された記録がなかった、そのため、同じく11人で争われた第76期A級順位戦では、主催者である朝日新聞・毎日新聞・日本将棋連盟による協議の結果、第76期において同様の事例が起きた場合には降級とすることが確認され、第77期以降は改めて協議した上で新たに明文規定を設けることとなった[10]

第77期以降については、日本将棋連盟のウェブサイトにおける順位戦に関する説明において、A級順位戦での5勝4敗9名による挑戦者決定戦プレーオフを例とした解説が行われ、この中で5勝4敗の勝ち越し者であっても、名人挑戦権を得ない限り順位最下位の者が降級すると説明されている。これにより、勝ち越し者、指し分け者が降級しないという特例は明示的に否定されることとなった[11]

昇級に関する例外[編集]

原則として、B級2組とC級1組では成績上位の2人が、C級2組では成績上位の3名が一つ上のクラスに昇級する。昇級枠を超える全勝者が出た場合の取り扱いについては明文規定がなく、事例もなかったため長らく不明となっていたが、第77期より全勝者は順位に関わらず全員昇級となることが明文化された[12]。C級1組とB級2組への昇級については定員が決まっていないクラスへの昇級なので特に問題ないが、定員が決まっているB級1組への昇級については、次期のB級1組の降級者の人数調整を行う。例えば、B級2組で全勝が3人出た場合、全員昇級となり、その次の期のB級1組は全14人中下位の3人が降級となる。なお、A級・B級1組は総当たりであるため、全勝が複数名出ることは生じない。

降級点[編集]

B級2組以下のクラスでは、成績が悪くても1度で降級することはなく、成績下位20%(小数点以下の端数は切り捨て。たとえば参加者が46人のときは9人)に「降級点」がつけられる。降級点はB級2組とC級1組では2つ累積、C級2組では3つ累積すると降級する。C級2組からの降級先はフリークラスである。

降級にリーチをかけた棋士が勝ち越すか、2期連続で指し分ける(5勝5敗)と、降級点を1つ消すことができる。C級2組の1個目の降級点は、昇級または降級しない限り消えない。なお、勝ち越しまたは2期連続の指し分けを果たした場合でも成績下位の20%に入った場合は、「降級点付与」と「降級点消去」の条件を同時に満たすこととなる。このケースでは、降級点が付くと同時に消去となり、次期のクラスは現状維持となる。

定員過不足の調整[編集]

定員のあるA級とB級1組では、以下の理由により定員の過不足が発生する場合がある。

  • 定員超過が発生する場合
    • 前期全休者が降級せず「張出」になる場合。#休場」を参照。
    • B級2組から10戦全勝で3人以上昇級した場合(B級1組のみ)。#昇級に関する例外」を参照。
  • 定員不足が発生する場合
    • 引退者・逝去者が出た場合。
    • A級全休者の「張出」によりB級1組への降級者が少ない場合(B級1組のみ)。#休場」を参照。
    • フリークラス転出者が出た場合(B級1組のみ)。#フリークラス宣言」を参照。

年度初めに定員の過不足がある場合、降級予定人数は、次期が定員通りになるように調整する。年度初めにA級が11人の場合、降級は成績下位の3人となり、9人の場合に降級は1人となる。B級1組ではA級からの降級予定人数も考慮して調整する。

休場[編集]

病気などのやむを得ない理由により、年度初めの組み合わせ抽選前に1年間の休場届を出した場合、その年度の対局予定は設定されない(全休)。その場合、全休初年度は降級せず、次期の順位は「張出」となり、最下位に扱われる。定員制であるA級とB級1組では、通常の定員を超過することがある。 なお、A級とB級1組では2期連続の全休で降級する。B級2組以下では2期連続の全休で降級点がつく(休場の時点で降級点がついていればそれも考慮される)。3期連続全休したら休場時点での降級点数に関係なく降級する。 また、組み合わせ抽選後に順位戦を休場した場合(途中休場)、予定されていた対局は不戦敗となる。その結果、降級や降級点対象の成績となった場合は降級または降級点付与となる。

順位戦の規定による昇段[編集]

順位戦の昇級による昇段規定は、C級1組に昇級すると五段、同様にB級2組昇級で六段、B級1組昇級で七段、A級昇級で八段となっている。しかし、たとえばB級2組に所属する七段や八段の棋士が初めてB級1組に昇級しても、段位はそのままである。名人位を1期獲得すると九段となる。

1984年4月1日に「勝数に伴う昇段」の規定が追加される前にA級に昇級した棋士は、ほぼ全員が、五段から八段までをすべて順位戦昇級に伴い昇段した。これは、順位戦以外の具体的な昇段規定が存在しなかったためである。 その後、竜王戦昇級に伴う昇段規定(1987年追加、2006年改定)・タイトル挑戦もしくは獲得及び棋戦優勝に伴う昇段規定(2009年追加)が追加されて以降、順位戦昇級前に他の規定を満たし昇段するケースが増え、五段から八段までをすべて順位戦昇級に伴って昇段する棋士は少なくなった。なお、五段から八段までを順位戦昇級に伴って昇段した棋士は多数いるが、五段から九段まで全て順位戦昇級及び名人獲得に伴って昇段したのは谷川浩司丸山忠久の2人だけである。

フリークラス[編集]

フリークラスとは、順位戦・名人戦に参加しないことを意味する。その他の棋戦には参加できる。

フリークラスは、

  • フリークラスへ編入された棋士
  • フリークラス宣言をした棋士

に大別され、いずれも同じ「フリークラス」という名称になっているが、これら2つは制度上の性格が全く異なる。

フリークラスへの編入[編集]

フリークラスに編入される条件は以下のいずれかである。

  1. 順位戦C級2組在籍の棋士が満60歳を迎える年度前までに降級点が3つ溜まった場合、フリークラスに陥落する。
  2. 半年に1度行われる奨励会三段リーグで次点を通算2度とった場合、フリークラスのプロ棋士になる権利を得る。この権利を行使した例は、伊奈祐介(1998年4月編入)・伊藤真吾(2007年4月編入)・吉田正和(2008年10月編入)・渡辺大夢(2012年10月編入)・佐々木大地(2016年4月編入)。
    • この権利を行使せずに三段リーグに留まることもできる。(その場合次点は1つ「残り」、もう一度次点を取ることで再びフリークラス入りの権利を得る)2004年前期に2度目の次点となった佐藤天彦が、権利を行使せずに三段リーグに留まり、第39回三段リーグ(2006年度前期)で2位となって、フリークラスではなくC級2組の棋士としてプロ入りした。
  3. アマチュアまたは女流棋士で、公式戦でプロに混じって一定の成績を収めた者がプロ編入試験に合格すると、フリークラスの棋士となる。瀬川晶司(2005年11月編入)、今泉健司(2015年4月編入)の2名がこの制度により[注 10]編入された。この制度については「棋士 (将棋)」を参照。

フリークラス編入者の順位戦出場条件[編集]

フリークラスに編入された棋士は、以下の条件のいずれかを満たすことで、次年度以降の順位戦にC級2組(無降級点)から出場できる。

  1. 年間(4月から翌年3月まで)に「参加棋戦数[注 11]+8」勝以上、かつ勝率6割以上。
  2. 良いところ取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上(年度をまたいでも有効)[注 12]
  3. 年間対局数が「(参加棋戦数+1)×3」局以上[注 13]
  4. 全棋士参加棋戦で優勝、またはタイトル(2001年 - 2006年の朝日オープン将棋選手権を含む)挑戦。

フリークラスに編入された棋士が、これらの規定により順位戦出場権を獲得した例は過去に9例(伊藤博文島本亮=C級2組から降級後復帰、伊奈祐介・吉田正和・伊藤真吾・渡辺大夢・佐々木大地=奨励会三段リーグの次点2回でフリークラス編入後昇級、瀬川晶司・今泉健司=プロ編入試験に合格後昇級)あり、いずれも上記の2の条件によるものであった。

フリークラス規定による引退[編集]

フリークラスに編入した棋士が編入後10年[注 14]以内、または満60歳の誕生日を迎える年度が終了するまでに規定の成績を収められなかった場合、当年度の全対局を完了した時点で引退となる。このため、60歳を迎えた後にC級2組から降級した場合は、原則としてフリークラスに編入されず即時引退となる[注 15][注 16]

フリークラス宣言[編集]

「順位戦在籍可能な最短年数」早見表
宣言時のクラス 降級点数 算出年数
B級1組 - 8年
B級2組 0 7年
1 6年
C級1組 0 5年
1 4年
C級2組 0 3年
1 2年
2 1年

翌期[注 17]のB級1組以下の棋士は、順位戦終了後、年度末までに「フリークラス宣言」を行うことができる。

フリークラス宣言を行った棋士は、二度と順位戦に出場することはできないが、規定の年数までは、順位戦以外の公式棋戦に現役棋士として出場し続けられる。

規定の年数は次の通りに算出される。

  1. フリークラス宣言を行った全ての棋士について、順位戦在籍可能な最短年数まではフリークラスに在籍できる。
  2. 上記の期間中に満65歳となる棋士は、年数を満了した時点で引退となる。
  3. 上記の年数が経過した時点で、満50歳以上満64歳以下の棋士は、更に満65歳を迎える年度までフリークラスに在籍できる。
  4. 上記の年数が経過した時点で、満49歳以下の棋士は、更に15年間フリークラスに在籍できる。

ここでいう「順位戦在籍可能な最短年数」とは、当該棋士がそのまま順位戦に在籍し続けたと仮定し、降級したり降級点を取り続けたりしてフリークラスに陥落するまでの最短の年数のことである(右表参照)。最大で23年[注 18]は在籍が可能だが過去に例はなく、満46歳・B級1組で宣言した森内俊之の19年が最長の記録となっている[注 19]

順位戦の記録[編集]

  • 赤色は名人位獲得者。()内は勝敗。
  • 挑戦者に複数名書かれている場合は、プレーオフまたは挑戦者決定戦。太字が挑戦者。
  • 名人戦の期と順位戦の期は第36期に合わせられた。そのため順位戦には第31期 - 第35期が存在しない。
  • 年度は対応する名人戦のものを表示している。例年、名人戦は年度初めの4月からの開催のため、予選にあたる順位戦はその前年度に行われる。
  • 総数は名人を含んだ順位戦参加人数。
第1期参加者
八段戦(A級)14名 八段(土居花田金子萩原斎藤銀坂口塚田正渡辺東小泉加藤治大野源村上
六段・七段戦(B級)15名 七段(宮松松下大和久飯塚勘升田
六段(平野信荒巻長谷川松田茂小堀北楯藤内松田辰大山高島一
四段・五段戦(C級)29名 五段(加藤恵、市川一山本武高柳富沢岡崎史志沢、奥野、藤川板谷四、山中、本間一花村
四段(橋爪間宮京須原田泰佐瀬、吉田六、丸田松浦卓金高廣津山川次加藤博星田南口北村秀上田
年度 名人 A級 B級 C級 総数
挑戦者 降級 A昇級 降級 B昇級 降級 新加入
1 1947 木村雄 14 塚田正夫(10-3)
大野源(10-3)
萩原(10-3)
渡辺東、小泉、
金、梶、
斎藤、金子
15 升田(12-2) 藤内、荒巻、
飯塚勘、宮松、
平野信
29 丸田(12-2)
高柳(11-3)
- 上記 59
2 1948 塚田正 9 升田(12-2)
大野源(9-5)
花田(9-5)
大山康晴(B1位)
村上 17 大山(11-1)
丸田(10-2)
北楯(9-3)
松田辰(8-4)
- 35 松浦卓(9-2)
原田泰(9-3)
京須(9-3)
五十嵐(9-3)
山川次(8-4)
金高(8-4)
佐瀬(8-4)
板谷四(8-4)
中井(8-4)
- 建部(B級)
中井、畝美
野村、五十嵐、
、平野
62
年度 名人 A級 B級 C級1組 C級2組 総数
挑戦者 降級 A昇級 降級 B昇級 降級 C1昇級 降級 新加入
3 1949 塚田正 10 木村義雄(7-2)
松田辰(7-2)
大山(6-2)
五十嵐(B1位)
加藤治
萩原
22 五十嵐(6-1)
高島一(5-2)
原田泰(4-3)
- 21 荒巻(7-2)
南口(6-3)
加藤博(6-3)
山本武(6-3)
- 13 - - 佐藤豊、木川、
西本角田
二見鈴木禎
三好アマ[注 20]
67
4 1950 木村雄 11 大山康晴(6-2)
升田(6-2)
丸田(5-3)
高柳(B1位)
北楯
原田泰
22 高柳(7-1)
板谷四(6-2)
南口(6-2)
- 19 花村(8-0)
北村秀(7-1)
富沢(5-3)
- 16 清野(8-0)
神田鎮(5-3)
- 清野、浅沼
高橋アマ[注 20]
熊谷増田敏
大前アマ[注 20]
69
5 1951 木村雄 12 升田幸三(8-1) 高島一
五十嵐
大野源
南口
24 松田茂(11-1)
原田泰(11-1)
荒巻(8-4)
北楯
中井
17 灘(10-2)
廣津(10-2)
野村
畝美
14 吉田六(8-4)
二見(8-4)
佐藤豊 宮本アマ
加納アマ
内山アマ[注 20]
68
6 1952 木村雄 11 大山康晴(6-2)
升田(6-2)
坂口
荒巻
25 花村(10-2)
松下(9-3)
小堀(9-3)
下位は
B2へ
16 B1へ
清野(10-1)
B2へ
本間一(10-1)
中井
藤内
11 熊谷(8-4)
二上(8-4)
鈴木禎
平野
二上 64
年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数
挑戦者 降級 A昇級 降級 B1昇級 降級 B2昇級 降級 C1昇級 降級 新加入
7 1953 大山 11 升田幸三(6-2)
塚田正(6-2)
松田(6-2)
板谷四
松下
17 (8-4)
南口(7-4)
大野源(7-4)
北村秀
金高
佐瀬
建部
山本武
9 本間爽(8-3)
廣津(8-4)
山川 13 二上(12-0)
熊谷(10-2)
星田(8-4)
吉田六 13 角田(9-3)
木川(9-3)
橋本三(9-3)
- 山田
橋本三
津村
佐藤豊(再加入)
64
8 1954 大山 11 升田幸三(7-3)
塚田正(7-3)
小堀
南口
高柳
14 高島一(9-3)
松浦卓(8-3)

廣津
14 二上(7-2)
村上(7-3)
二見 13 山川(9-3)
角田(9-3)
市川一
橋本三
12 山田(10-1)
北村昌(7-3)
- 北村昌 65
9 1955 大山 10 高島一岐代(6-2) 丸田 15 松下(10-3)
五十嵐(9-4)
南口
萩原
村上
15 熊谷(9-4)
廣津(8-4)
星田
大和久
角田
12 下平(8-3)
山田(8-3)
間宮 17 加藤一(11-1)
津村(9-3)
- 関根茂大友
佐藤庄、加藤一、
市川伸
70
10 1956 大山 11 花村元司(8-2)
升田(8-2)
大野源
松浦卓
松下
12 二上(10-1)
坂口(9-2)
京須 15 加藤博(9-4)
梶(9-4)
斎藤銀
山本武
14 北村昌(11-2)
加藤一(10-3)
星田
加藤恵
橋爪
17 大友(13-3)
関根茂(12-4)
浅沼
市川一
吉田六
佐藤豊
宮坂
有吉
70
11 1957 大山 10 升田幸三(7-2)
塚田正(7-2)
松田茂
高島一
14 大野源(10-3)
丸田(8-5)
小堀
板谷四
荒巻
14 加藤一(9-2)
萩原淳(8-3)
佐瀬 13 関根茂(9-2)
岡崎史(8-3)
斎藤銀 20 有吉(10-2)
長谷久(9-3)
市川伸(8-4)
加藤恵
野村
間宮
畝美
長谷久、芹沢
関屋賀集
大村大原
71
12 1958 升田 10 大山康晴(6-3)
大野源(6-3)
丸田(6-3)
原田
坂口
13 高島一(10-2)
加藤一(10-2)

萩原淳
15 北村昌(9-4)
下平(9-4)
建部
北村秀
岡崎史
13 有吉(10-2)
大友(9-3)
藤川
市川伸
16 佐藤庄(13-2)
芹沢(12-3)
星田
平野広
西本
剱持
佐藤大
68
13 1959 升田 10 大山康晴(7-2)
塚田正(7-2)
五十嵐
花村
13 熊谷(10-2)
加藤博(9-3)
松下
下平
14 山田(11-1)
大友(9-3)
板谷四 13 芹沢(11-1)
佐藤庄(9-3)
北村秀
津村
15 藤川(12-2)
吉田利(11-3)
西本
橋爪
北村文
吉田利
北村文
66
14 1960 大山 10 加藤一二三(6-2) 熊谷 13 花村(8-4)
松浦卓(8-4)
坂口
山田
13 芹沢(10-2)
有吉(9-3)
- 11 岡崎史(7-2)
長谷久(7-2)
- 14 佐藤大(10-3)
大原(10-3)
橋本三 内藤
伊達
62
15 1961 大山 11 丸田祐三(7-2) 加藤一
松浦卓
12 芹沢(10-1)
廣津(8-3)
本間爽 13 山田(8-3)
長谷久(8-3)
岡崎史 11 佐藤大(8-2)
佐瀬(7-3)
- 13 内藤(10-2)
大村(9-3)
- 佐伯
星田(再加入)
61
16 1962 大山 11 二上達也(8-1) 加藤博 13 加藤一(8-2)
熊谷(8-2)
- 13 本間爽(11-1)
下平(9-3)
- 12 内藤(9-2)
岡崎史(8-3)
- 13 佐伯(10-2)
剱持(10-2)
- 木村嘉
山口千
63
17 1963 大山 11 升田幸三(8-2) 芹沢
廣津
花村
14 加藤博(10-3)
五十嵐(9-4)
長谷久
高柳
大友
13 内藤(10-1)
岡崎史(10-1)
- 12 剱持(9-2)
大村(8-3)
- 14 宮坂(9-4)
高島弘(9-4)
- 木村徳
高島弘
北村文(再加入)
65
18 1964 大山 10 二上達也(7-2) 熊谷
14 松田茂(9-2)
山田(9-2)
内藤 15 関根茂(10-2)
長谷久(9-3)
- 12 大原(9-2)
佐伯(8-3)
- 15 大内(12-0)
山口千(9-3)
板谷進(9-3)
- 板谷進
米長
大内
67
19 1965 大山 10 山田道美(7-2)
加藤博(7-2)
大野源
五十嵐
15 熊谷(11-3)
有吉(10-4)
原田
岡崎史
清野
15 大友(9-3)
佐藤大(9-3)
- 13 宮坂(10-2)
大内(10-2)
木川
藤川
15 米長(10-2)
関屋(10-2)
斎藤銀 西村
木下晃
山口英
69
20 1966 大山 10 升田幸三(7-2) 加藤一
熊谷
14 灘(10-3)
花村(10-3)
廣津
下平
長谷久
18 内藤(9-3)
佐藤庄(9-3)
坂口
南口
11 神田(8-2)
米長(8-2)
- 16 西村(12-0)
木村徳(9-3)
桜井(8-4)
- 橋本三(再加入)
桜井
田辺
70
21 1967 大山 10 二上達也(6-2) 13 加藤一(9-3)
内藤(9-3)
五十嵐
本間爽
19 廣津(10-2)
宮坂(10-2)
- 14 山口千(11-1)
板谷進(9-3)
- 16 中原(12-0)
山口英(10-2)
- 中原
桐山
高田丈
73
22 1968 大山 11 升田幸三(7-2) 松田茂
加藤一
12 大友(7-2)
関根茂(6-3)
- 21 本間爽(9-3)
原田(9-3)
下平 14 中原(11-1)
木村徳(9-3)
山本武 17 石田和(10-2)
高田丈(9-3)
木川 河口
勝浦
石田和
76
23 1969 大山 11 有吉道夫(8-2) 内藤
大友
関根茂
14 加藤一(10-2)
灘(10-2)
宮坂
佐藤庄
松浦卓
20 米長(11-1)
中原(11-1)
大村
山川
岡崎史
14 高島弘(9-3)
石田和(9-3)
- 16 桐山(11-1)
勝浦(9-3)
- 若松
森安秀
森雞
76
24 1970 大山 10 灘蓮照(6-2) 加藤博 14 内藤(12-1)
中原(10-3)
本間爽
松田茂
20 大内(10-2)
木村徳(10-2)
山口千 17 吉田利(11-1)
桐山(10-2)
関屋
二見
17 森安秀(10-2)
伊達(9-3)
津村
賀集

池田
野本
79
25 1971 大山 10 升田幸三(6-2)
二上(6-2)
花村 13 原田(9-2)
米長(8-3)
木村徳 21 高島弘(9-3)
長谷久(9-3)
佐瀬
松下
15 勝浦(10-2)
西村(9-3)
- 17 森雞(10-2)
田中正(9-3)
- 田中正
坪内
77
26 1972 大山 11 中原誠(8-0) 塚田正 13 佐藤大(7-1)
大内(6-2)
- 19 西村(7-1)
板谷進(6-2)
- 17 松下(7-1)
森雞(7-1)
- 17 坪内(6-2)
佐藤義(6-2)
- 佐藤義
安恵
78
27 1973 中原 12 加藤一二三(7-3) 原田
大内
13 関根茂(8-3)
塚田正(7-4)
加藤博 18 桐山(8-2)
勝浦(8-2)
- 16 田中正(9-1)
桜井(8-2)
- 17 滝(8-2)
野本(7-3)
- 森安正
田丸
77
28 1974 中原 12 大山康晴(8-2) 丸田
佐藤大
14 板谷進(12-1)
大内(10-3)
原田
大野源
長谷久
17 森雞(9-1)
田中正(8-2)
五十嵐
清野
17 佐藤義(9-1)
山口千(8-2)
- 18 田丸(9-1)
安恵(9-1)
橋本三
星田
宮田利
真部
79
29 1975 中原 11 大内延介(8-2) 内藤
関根茂
塚田正
14 桐山(12-1)
熊谷(10-3)
西村
北村昌
廣津
18 松田茂(8-2)
佐伯(7-3)
- 19 森安秀(9-1)
山口英(8-2)
大村
下平
南口
17 淡路(8-2)
若松(7-3)
北村秀 小阪
淡路
青野
80
30 1976 中原 10 米長邦雄(8-1) 大内
熊谷
14 勝浦(10-3)
森雞(9-4)
田中正
佐藤大
21 宮坂(9-1)
石田和(8-2)
大野源
大原
松下
16 野本(8-2)
安恵(7-3)
坂口
清野
19 真部(10-0)
青野(8-2)
二見 椎橋
前田
飯野
81
1977 主催紙移行問題が長引いたため、行われず。
年度 名人 挑戦者決定リーグ 昇降級リーグ1組 昇降級リーグ2組 昇降級リーグ3組 昇降級リーグ4組 総数
挑戦者 降級 挑決昇級 降級 1組昇級 降級 2組昇級 降級 3組昇級 降級 新加入
36 1978 中原 10 森雞二(7-1) 有吉 12 大内(8-3)
花村(8-3)
- 20 森安秀(9-1)
西村(8-2)
廣津
本間爽
17 淡路(9-1)
真部(9-1)
小堀 33 菊地(10-0)
河口(8-2)
前田(8-2)
- 15名[注 21] 93
37 1979 中原 11 米長邦雄(6-3)
森雞(6-3)
大山(6-3)
二上(6-3)
大内
花村
12 内藤(9-2)
石田和(8-3)
松田茂 18 佐藤大(7-3)
木村徳(7-3)
19 青野(9-1)
田丸(7-3)
高田丈 31 小林健(9-1)
木下晃(9-1)
谷川(8-2)
角田 青木 92
38 1980 中原 10 米長邦雄(8-1) 森雞
二上
13 木村徳(10-2)
森安秀(9-3)
高島弘 18 青野(9-1)
真部(8-2)
- 19 谷川(8-2)
前田(8-2)
- 32 福崎(9-1)
宮田利(8-2)
(8-2)
関屋 小野修、福崎、
鈴木輝武者野
93
39 1981 中原 10 桐山清澄(8-2) 板谷進
木村徳
13 大内(9-3)
二上(8-4)
関根茂
佐伯
20 谷川(10-0)
田丸(9-1)
山口英
安恵
20 小林健(10-0)
福崎(8-2)
松下
山中
31 田中寅(9-1)
鈴木輝(7-3)
伊藤果(7-3)
- 永作
瀬戸児玉
95
40 1982 中原 10 加藤一二三(8-1) 勝浦
石田
13 森雞(10-2)
谷川(10-2)
木村徳
芹沢
20 福崎(9-1)
淡路(8-2)
原田
剱持
20 田中寅(9-1)
鈴木輝(8-2)
廣津 37 中村修(10-0)
高橋(9-1)
(9-1)
- 高橋、中村修、
依田

塚田泰神谷
101
41 1983 加藤一 10 谷川浩司(7-2)
中原(7-2)
大内
二上
13 青野(9-3)
淡路(9-3)
板谷進
宮坂
20 田中寅(9-1)
小林健(8-2)
佐藤義 21 中村修(9-1)
南(9-1)
- 40 脇(10-0)
塚田泰(10-0)
児玉(8-2)
- 植山西川慶
武市室岡
堀口弘
105
42 1984 谷川 10 森安秀光(7-2) 内藤
淡路
13 勝浦(9-3)
田中寅(9-3)
大内
丸田
21 宮坂(8-2)
板谷進(8-2)
松田茂 23 東(9-1)
脇(9-1)
五十嵐
伊達
42 神谷(9-1)
西川慶(8-2)
土佐(8-2)
- 大野八加瀬
井上有森
飯田
110
43 1985 谷川 10 中原誠(6-2) 田中寅 13 有吉(9-3)
二上(9-3)
佐藤大
西村
22 南(9-1)
前田(9-1)
高島弘 22 塚田泰(10-0)
児玉8-2)
大原 45 島(10-0)
室岡(9-1)
武者野(9-1)
- 神吉森下
浦野小野敦
113
年度 名人 A級 B級1組 B級2組 C級1組 C級2組 総数
挑戦者 降級 A昇級 降級 B1昇級 降級 B2昇級 降級 C1昇級 降級 新加入・復帰
44 1986 中原 11 大山康晴(6-4)
米長(6-4)
加藤一(6-4)
森安秀
勝浦
青野
12 南(9-2)
小林健(8-3)
宮坂 23 西村一(8-2)
田中魁(8-2)
山口千
野本
22 安恵(8-2)
島(8-2)
菊地 46 富岡(10-0)
小野修(9-1)
堀口弘(8-2)
- 日浦
伊藤博小林宏
富岡、
115
45 1987 中原 10 米長邦雄(6-3)
谷川(6-3)
桐山(6-3)
二上
小林健
14 内藤(12-1)
青野(11-2)
森安秀
福崎
田中魁
21 大内(9-1)
塚田泰(8-2)
佐藤大 24 小野修(10-0)
高橋(9-1)
佐瀬
若松
49 浦野(10-0)
小野敦(9-1)
所司(9-1)
- 本間博阿部隆
所司、中田宏
安西羽生
119
46 1988 中原 10 谷川浩司(8-1) 森雞
有吉
13 塚田泰(10-2)
真部(9-3)
田丸
西村
23 高橋(10-0)
福崎(7-3)
芹沢 24 滝(9-1)
富岡(8-2)
野本 53 羽生(10-0)
泉(10-0)
村山聖(9-1)
- 中田功石川
長沼神崎
村山聖櫛田
佐藤康
124
47 1989 谷川 10 米長邦雄(7-2) 加藤一
真部
12 田中寅(8-3)
高橋(8-3)
前田 24 田丸(8-2)
森安秀(8-2)
安恵 24 浦野(8-2)
西川慶(8-2)
木下晃
山口英
山口千
53 森下(9-1)
日浦(8-2)
佐藤康(8-2)
- 森内中川
先崎野田
木下浩
124
48 1990 谷川 10 中原誠(6-3)
高橋(6-3)
桐山
田中寅
13 有吉(10-2)
真部(8-4)
勝浦
森安秀
24 小野修(8-2)
鈴木輝(7-3)
丸田
加藤博
北村
23 羽生(10-0)
土佐(8-2)
- 56 屋敷(9-1)
井上(8-2)
(8-2)
瀬戸
青木
小倉、屋敷、
藤原高田尚
127
49 1991 中原 10 米長邦雄(7-2) 青野
真部
12 小林健(10-1)
石田和(7-4)
鈴木輝 23 森安秀(8-2)
島(8-2)
長谷久 26 森下(9-1)
神谷(9-1)
富沢
武者野
剱持
53 森内(9-1)
阿部隆(9-1)
小林宏(9-1)
木村嘉
池田
畠山鎮畠山成
丸山郷田
125
50 1992 中原 10 高橋道雄(6-3)
谷川(6-3)
南(6-3)
大山(6-3)
内藤
石田
13 田中寅(10-2)
田丸(8-4)
真部
淡路
22 羽生(8-2)
富岡(8-2)
西村 25 村山聖(10-0)
森内(10-0)
北村
54 有森(9-1)
石川(9-1)
丸山(9-1)
椎橋
田辺
佐藤秀杉本昌
藤井猛平藤
125
51 1993 中原 10 米長邦雄(8-1) 田丸 13 羽生(11-1)
加藤一(9-3)
小野修
桐山
22 森下(9-1)
村山聖(9-1)
宮坂
佐伯
25 佐藤康(10-0)
泉(9-1)
丸田 55 郷田(9-1)
中田功(8-2)
畠山成(8-2)
野本
本間博
若松
豊川深浦
真田飯塚祐
126
52 1994 米長 10 羽生善治(7-2)
谷川(7-2)
小林健
田中寅
12 島(8-3)
森下(8-3)
石田和 22 桐山(9-1)
森内(8-2)
桜井 26 井上慶(10-0)
有森(9-1)
高島弘
安恵
54 真田(9-1)
神崎(9-1)
藤井猛(9-1)
山口英
中田章
森安正
三浦伊藤能
川上久保
125
53 1995 羽生 10 森下卓(7-2)
中原(7-2)
塚田泰
12 森内(10-1)
村山聖(9-2)
大内 22 中村修(9-1)
佐藤康(8-2)
関根茂 25 藤井猛(10-0)
丸山(9-1)
佐藤義
宮田利
坪内
48 久保(10-0)
三浦(9-1)
中川(9-1)
木下 行方岡崎洋
窪田北浜
118
54 1996 羽生 10 森内俊之(7-2) 高橋
有吉
13 佐藤康(11-1)
森雞(9-3)
富岡
中村修
22 井上慶(9-1)
浦野(9-1)
24 郷田(8-2)
畠山成(8-2)
宮坂
佐伯
50 北浜(10-0)
先崎(9-1)
中田宏(9-1)
酒井
丸田
矢倉鈴木大
北島勝又
120
55 1997 羽生 10 谷川浩司(8-1) 村山聖
森雞
13 高橋(9-3)
井上慶(9-3)

塚田泰
浦野
23 丸山(9-1)
中村修(8-2)
鈴木輝
前田
23 中川大(8-2)
阿部隆(8-2)
河口 51 小倉(10-0)
畠山鎮(9-1)
鈴木大(9-1)

桐谷
松本田村
堀口一中座
121
56 1998 谷川 10 佐藤康光(6-3) 米長
高橋
13 丸山(12-0)
村山聖(9-3)
有吉
内藤
22 郷田(9-1)
神谷(9-1)
- 24 先崎(9-1)
北浜(8-2)
49 佐藤秀(9-1)
岡崎洋(8-2)
深浦(8-2)
菊地
加瀬
安恵
近藤正野月
木村一小林裕
119
57 1999 佐藤康 10 谷川浩司(7-1)
森内(7-1)
井上慶 12 郷田(9-2)
田中寅(8-3)
田丸 24 内藤(9-1)
先崎(9-1)
児玉
大内
24 三浦(9-1)
深浦(9-1)
関根茂
伊藤果
47 行方(10-0)
勝又(9-1)
木村一(9-1)
伊藤博
宮坂
佐藤紳増田裕
高野秀山﨑
118
58 2000 佐藤康 10 丸山忠久(8-1) 中原
郷田
12 青野(8-3)
先崎(8-3)
内藤 23 藤井猛(9-1)
三浦(9-1)
真部
淡路
25 鈴木大(8-2)
久保(8-2)
前田 45 堀口一(9-1)
杉本昌(8-2)
北島(8-2)
坪内 山本真中尾
松尾金沢
116
59 2001 丸山 10 谷川浩司(7-2) 田中寅
13 藤井猛(9-3)
三浦(9-3)
小林健
森雞
22 久保(9-1)
阿部隆(8-2)
有森
27 佐藤秀(8-2)
行方(8-2)
桜井 44 野月(8-2)
飯塚祐(8-2)
小林裕(8-2)
神吉
飯野
松浦
阿久津安用寺
渡辺明飯島
117
60 2002 丸山 10 森内俊之(8-1) 先崎
加藤一
13 島(11-1)
郷田(9-3)
桐山
福崎
22 深浦(9-1)
鈴木大(8-2)
田中魁
有吉
29 木村一(10-0)
畠山鎮(8-2)
所司
堀口弘
42 豊川(10-0)
松尾(10-0)
長沼(8-2)
伊藤果
関根茂
千葉上野
橋本崇佐々慎
117
61 2003 森内 10 羽生善治(6-3)
佐藤康(6-3)
藤井猛(6-3)
森下
郷田
12 久保(8-3)
鈴木大(8-3)
22 中川(8-2)
北浜(8-2)
小林健 30 杉本昌(9-1)
堀口一(9-1)
- 45 渡辺明(9-1)
窪田(9-1)
中座(8-2)
植山
野田
伊藤博、伊奈
宮田敦村田智
大平熊坂
120
62 2004 羽生 10 森内俊之(9-0) 青野
13 深浦(11-1)
高橋(9-3)
神谷
加藤一
22 行方(8-2)
堀口一(8-2)
石田和
塚田泰
32 屋敷(9-1)
野月(9-1)
室岡

小林宏
大内
44 宮田敦(9-1)
千葉(9-1)
山﨑(8-2)
大野八 藤倉横山
島本西尾
122
63 2005 森内 10 羽生善治(7-2) 深浦
高橋
13 森下(9-3)
郷田(8-4)
田中寅
中村修
22 木村一(9-1)
野月(9-1)
田丸 31 飯塚祐(8-2)
中田宏(9-1)
真部
西村
有吉
47 飯島(9-1)
近藤正(9-1)
平藤(8-2)
小阪
大島
熊坂
安西
前田
村山慈佐藤和
片上中村亮
124
64 2006 森内 10 谷川浩司(8-1)
羽生(8-1)
鈴木大
森下
13 深浦(10-2)
阿部隆(8-4)
先崎
青野
23 畠山鎮(10-0)
森雞(7-3)
富岡
30 山﨑(10-0)
渡辺明(8-2)
淡路
児玉
石田和
有森
45 安用寺(9-1)
阿久津(8-2)
橋本崇(8-2)
- 村中阪口
広瀬長岡
122
65 2007 森内 10 郷田真隆(7-2) 深浦
阿部隆
13 木村一(9-3)
行方(8-4)
野月
森雞
23 渡辺明(10-0)
杉本昌(8-2)
福崎
西川
29 橋本崇(9-1)
松尾(8-2)
田丸 47 片上(9-1)
広瀬(9-1)
上野(9-1)
堀口弘
桜井
高崎遠山
糸谷中村太
123
66 2008 森内 10 羽生善治(8-1) 久保 13 鈴木大(11-1)
深浦(9-3)

中川大
22 山﨑(8-2)
屋敷(7-3)
- 31 阿久津(8-2)
豊川(8-2)
中座 45 村山慈(9-1)
佐々慎(8-2)
高野秀(8-2)
武市
中尾
戸辺佐藤天
豊島金井
122
67 2009 羽生 10 郷田真隆(7-2) 鈴木大
深浦
13 高橋(8-4)
井上慶(8-4)
北浜
森下
24 松尾(8-2)
豊川(8-2)
浦野
加藤一
31 安用寺(9-1)
窪田(8-2)
岡崎洋
小倉
上野
43 大平(9-1)
田村(8-2)
戸辺(8-2)
高田 村田顕及川
稲葉田中悠
122
68 2010 羽生 10 三浦弘行(7-2) 佐藤康
井上慶
13 渡辺明(10-2)
久保(9-3)
阿部隆
堀口一
24 中村修(8-2)
中田宏(8-2)
内藤
森雞
31 戸辺(10-0)
飯島(9-1)
石川陽
神崎
44 豊島(10-0)
高崎(9-1)
金井(8-2)
藤倉
大内
児玉
佐藤慎西川和
澤田大石
123
69 2011 羽生 10 森内俊之(7-2) 木村一
藤井猛
13 佐藤康(9-3)
屋敷(8-4)
豊川
杉本昌
24 橋本崇(9-1)
阿久津(8-2)
佐藤秀
土佐
32 広瀬(9-1)
田村(9-1)
勝又
西川
42 佐藤天(10-0)
糸谷(9-1)
稲葉(8-2)
- 瀬川永瀬
阿部健菅井
牧野
122
70 2012 森内 10 羽生善治(9-0) 丸山
久保
13 橋本崇(9-3)
深浦(8-4)
藤井猛
中村修
24 広瀬(10-0)
飯塚祐(8-2)
桐山
田中寅
33 佐藤天(8-2)
豊島(7-3)
中田功
田中魁
44 阿部健(10-0)
中村太(10-0)
船江(10-0)
島本 佐々勇、船江、
吉田正門倉
阿部光
125
71 2013 森内 10 羽生善治(8-1) 高橋
橋本崇
13 行方(11-1)
久保(10-2)
井上慶
中田宏
24 藤井猛(9-1)
豊島(9-1)
神谷 34 稲葉(9-1)
村山慈(9-1)
森雞
内藤
46 菅井(9-1)
阪口(9-1)
斎藤慎(9-1)
上野
川上
髙見藤森
伊藤真、斎藤慎、
八代
128
72 2014 森内 10 羽生善治(8-1) 屋敷
谷川
13 広瀬(9-3)
阿久津(9-3)
高橋
鈴木大
25 佐藤天(10-0)
村山慈(9-1)
堀口一
34 糸谷(9-1)
佐々慎(8-2)
小林健
土佐
桐山
加藤一
46 大石(10-0)
澤田(9-1)
佐々勇(8-2)
伊奈 上村石田直
千田竹内
129
73 2015 羽生 10 行方尚史(6-3)
渡辺明(6-3)
久保(6-3)
広瀬(6-3)
三浦
阿久津
13 佐藤天(10-2)
屋敷(8-4)
藤井猛
飯塚祐
25 稲葉(9-1)
先崎(8-2)
33 菅井(9-1)
澤田(9-1)
50 横山(10-0)
千田(9-1)
村田顕(8-2)
増田裕
石川陽
西川慶
石井三枚堂
星野宮本
132
74 2016 羽生 10 佐藤天彦(8-1) 久保
郷田
13 稲葉(10-2)
三浦(9-3)
村山慈
先崎
26 糸谷(8-2)
飯島(8-2)

杉本昌
安用寺
豊川
高橋
34 中村太(9-1)
斎藤慎(9-1)
大平
神谷
浦野
47 宮本(9-1)
青嶋(9-1)
永瀬(8-2)
小倉
田中魁
増田康黒沢
青嶋、梶浦
131
75 2017 佐藤天 10 稲葉陽(8-1) 森内 13 久保(9-3)
豊島(8-4)
畠山鎮
飯島
23 斎藤慎(9-1)
菅井(8-2)
- 37 横山(10-0)
大石(9-1)
51 西尾(9-1)
門倉(9-1)
近藤誠(9-1)
藤原
森雞
加藤一
渡辺大、島本、
高野智、近藤誠、
都成井出
135
76 2018 佐藤天 11 羽生善治(6-4)
稲葉(6-4)
広瀬(6-4)
佐藤康(6-4)
久保(6-4)
豊島(6-4)
渡辺明
行方
屋敷
11 糸谷(8-2)
阿久津(6-4)
丸山 25 野月(10-0)
畠山鎮(9-1)
森下
青野
37 千田(10-0)
永瀬(9-1)
長沼
50 藤井聡(10-0)
都成(8-2)
増田康(8-2)
岡崎洋 藤井聡、大橋
今泉佐々大
西田杉本和
135
77 2019 佐藤天 10 阿久津 13 渡辺明 24 永瀬 先崎 39 富岡
福崎
49 及川 斎藤明古森
長谷浩池永
136
順位戦参加(名人在位含む)
最多 加藤一二三 61期(休場なし)
連続 加藤一二三 61期(休場なし)
最年少 加藤一二三 第9期 14歳[注 22]
最年長 加藤一二三 第75期 77歳

名人とA級在籍の記録は、名人戦 (将棋)#記録 を参照。

順位戦の歴史[編集]

  • 1935年(昭和10年) - 東京日日新聞(現在の毎日新聞社)の主催で、第1期名人戦の特別リーグ戦が開始される。
  • 1946年(昭和21年) - 第1期順位戦が開始される。八段の棋士をA級、七、六段をB級、五、四段をC級とする3クラス制であった。持ち時間は各7時間。
  • 1947年(昭和22年) - A級の上位3名とB級1位がパラマストーナメントで挑戦者決定戦を行った。決勝は三番勝負。第4期まで行われた。このルールのため第2期で大山康晴が順位戦史上唯一のB級からの挑戦者となっている。
  • 1948年(昭和23年) - C級を1組と2組に分割し、A級を10名、B級とC級1組を20名とする定員制をもうける。
  • 1949年(昭和24年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社から朝日新聞社に移る。
  • 1951年(昭和26年) - B級を1組と2組に分割する。B級1組以下の定員を13名とする。
  • 1962年(昭和37年) - B級2組以下で降級点制を導入する。B級2組、C級1組は降級点2回、C級2組は3回で降級。
  • 1963年(昭和38年) - B級2組以下の対局数を最大12局とする。A級、B級1組は総当たり。
  • 1967年(昭和42年) - 持ち時間を各6時間に短縮。
  • 1971年(昭和46年) - 順位戦の制度改革の議論が長引き、B級1組以下は11月から開始。この年のB級1組以下は1人8局の対局となり、翌年からB級1組は総当たり、B級2組以下は10局の対局となる。
  • 1976年(昭和51年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社に戻る。「順位戦」の名称がなくなり、A級を「名人戦挑戦者決定リーグ」、B級1組以下を「昇降級リーグ(1組 - 4組)」と改称する。期数も名人戦に合わせられ、前期の順位戦が第30期であったが、この期は第36期となった(従って、第31期 - 35期の順位戦は存在しない)。このとき、挑戦者決定リーグ(順位戦)の開始が遅れ、11月となったため、翌1977年の名人戦が実施されなかった。
  • 1981年(昭和56年)- 昇降級リーグ戦4組(現・C級2組)からの降級点制を廃止。
  • 1983年(昭和58年) - 昇降級リーグが組ごとに同日一斉対局となる。
  • 1985年(昭和60年) - 「順位戦」の名称が復活。A級からC級2組の5クラスの名称に戻る。
  • 1987年(昭和62年)- C級2組からの降級点制が復活。
  • 1994年(平成6年) - 順位戦に参加しない、フリークラス制度が設けられる。C級2組から降級した棋士の他、B級1組以下からフリークラス宣言をした棋士が所属する。
  • 1997年(平成9年)- 奨励会三段リーグに次点の制度が設けられる。三段リーグで次点を2回とった場合、フリークラスの棋士になる権利を得る。
  • 2006年(平成18年) - 前年の瀬川晶司のフリークラス編入を受け、アマチュア選手・女流棋士のフリークラス編入制度が正式化される。
  • 2007年(平成19年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社・朝日新聞社の共催となる。
  • 2014年(平成26年) - 第72期A級最終戦一斉対局が静岡県静岡市葵区浮月楼で将棋名人戦第0局と銘打ち指された。最終一斉対局が将棋会館以外で行われるのは、初[13]
  • 2014年(平成26年) - 第73期からC級2組が50人と多数になり、東京将棋会館と関西将棋会館を合わせても25局の一斉対局が困難なため、組ごとの同日一斉対局ではなく、最後の2局を除き木曜日と金曜日に分割開催となる。また、B級1組以下の対局日は曜日固定だが、B級2組は木曜日から水曜日に変更された。このほか、B級1組以下は4月に決定していた全対局日程を3回に分けて決定することとなった[14]
  • 2016年(平成28年) - 第75期より、B級2組以下は持ち時間がチェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時間になった。
  • 2018年(平成30年) - 第76期A級最終戦一斉対局が再び浮月楼にて開催される[15]。第77期も浮月楼での開催が予定されており[16]、今後A級最終戦一斉対局は浮月楼での開催が定着する見込みである。
  • 2018年(平成30年) - 第77期順位戦より、B級2組以下で全勝者が昇級枠を超えた場合も昇級すること、降級点が消える場合と付く場合が同時に起こった場合、降級点を消してから追加されることが追記された。[17]

テレビ中継[編集]

2012年までNHK BSプレミアム(2011年までの名称はNHK衛星第2テレビジョン<BS2>)にて「将棋界の一番長い日」を生中継で放映。

2013年は3月1日から3月2日にかけてスカパー!スカパー!プレミアムサービスBSスカパー!スカチャン、スカパー!プロモ100200・599囲碁・将棋チャンネル)にて「将棋界の一番長い日」全5局の完全生中継を実施[18]。スカチャンとスカパー!プロモでは最終戦の全試合をそれぞれのチャンネルごとに完全生中継、BSスカパー!と囲碁・将棋チャンネルでは全試合の動向をマルチ画面や、森内俊之名人ほか棋士による解説などを交えて長時間ノーカットの実況を行った。司会は戸塚貴久子。また、2013年はNHKでは中継ではなくダイジェストという形で『将棋界の一番長い日〜第71期A級順位戦最終局〜』として放送される(NHK Eテレ、2013年3月24日放送)。

2017年2 - 3月にかけては、同年2月にオープンしたAbemaTV将棋チャンネルにて、順位戦(A級及びB級1組)の生中継が行われた[19]。4月以降も主に藤井聡太が登場する対局を中心に、一部の対局がニコニコ生放送やAbemaTVで中継されている。

エピソード[編集]

A級[編集]

升田対大山「高野山の決戦」(第2期)
塚田正夫名人への挑戦権を争う第2期順位戦(1947年度)では、A級1位-3位とB級1位の4名によるパラマス方式トーナメントで名人挑戦者決定戦が行われた。1回戦の花田長太郎(A級3位)対大山康晴(B級1位)は、花田が病気で欠場(それから間もなく1948年2月28日に死去)。2回戦の三番勝負大野源一(A級2位)対大山は、大山が2勝1敗で制する。そして、決勝三番勝負の升田幸三(A級1位)対大山は、和歌山県高野山金剛峯寺普門院で行われた。これが歴史に名高い「高野山の決戦」である。1勝1敗で迎えた第3局の終盤は升田の勝勢となる。大山が△8七同飛成(138手目)で升田の玉に王手をした局面、▲5七桂と合駒をしていれば升田の勝ちであったが、升田が指した手は▲4六玉とかわす大悪手。急転直下で3手後に升田の投了となる。升田は「錯覚いけない、よく見るよろし」の言葉を残す。なお、大山は塚田との七番勝負で2勝4敗で敗れ、この期での名人獲得はならなかった。
加藤一二三最短記録で18歳のA級へ(第18期)
初の中学生棋士となった加藤一二三は、C級2組からA級まで1期抜けを果たし18歳でA級八段となり、「神武以来の天才」と呼ばれた(八段昇段、A級昇級ともに最年少記録)。その後、現在に至るまで10代のA級棋士は現れていない。当の加藤にとって最初のA級順位戦は、4勝5敗と負け越しを喫するも、次期1960年の(19期で)は6勝2敗で最年少(20歳)の名人挑戦者となる。大山康晴名人に挑戦したが、1勝4敗で名人を獲得することはできなかった(奪取失敗)。20期は3勝6敗で降級を喫し、初の前期挑戦者の降級となった。名人になったのは、初挑戦から22年を経た1982年であった。
中原誠最短記録で名人に(第30期)
中原誠は、1966年の第25期にデビューすると前述加藤と同様最短記録タイとなる4期でA級となる。またA級在位2期目の第31期に8戦全勝で加藤と同じく挑戦者最短記録を達成する。13期連続名人の大山康晴に挑戦し、4勝3敗のフルスコアで順位戦初参加より最短で名人襲位を果たした。その後9連覇を果たす。
大混戦の末大山康晴が最年長記録の挑戦者に(第44期)
前期に大山康晴が休場のため張出となり、11名によるA級リーグとなった。その為10戦となったが、実力伯仲のため4勝6敗の森安秀光と勝浦修と青野照市が降級となる。6勝4敗の張出大山康晴と7位加藤一二三と4位米長邦雄による3人のプレーオフとなった。他残留の5名は5勝5敗の指分けであった。第1戦は大山と加藤で行われたが千日手で引分け。同日再対局となり大山が勝利。第2戦は、大山と米長で指され大山が勝利する。63歳の大山の挑戦は最年長記録。大山は中原誠名人に1勝4敗で敗れその後挑戦することは叶わなかった。
4名によるプレーオフ
A級順位戦では同率1位が複数人発生した場合はパラマス方式によるプレーオフが行われるが、4名で行われたことが3回ある。この人数は第76期(後述)で6名によるプレーオフが行われることになるまでの最多タイ記録であった。
第50期では8局が終わった段階で内藤國雄がようやく1勝を挙げたものの陥落が決定。6勝2敗の順位2位谷川浩司と6位高橋道雄が挑戦に近づく。5勝3敗の4位南芳一と大山康晴は、自身が勝利し上位2名共が敗れればプレーオフ進出。最終局の9局目で大山が谷川に勝利し、それぞれ6勝3敗で終える。高橋は、負ければ降級の塚田泰明に敗れ6勝3敗でプレーオフへ、南芳一は降級が既に決まっていた内藤に勝利し、4人が6勝3敗で並ぶ史上二度目の4人プレーオフとなった。第1戦は大山と高橋で行われ高橋が勝利。続く高橋と南で行われた第2戦は23時20分に千日手が成立。即日指し直しとなり翌3時過ぎに高橋が勝利。第3戦の高橋谷川戦も高橋が勝利し初の名人挑戦を果たす。なお、中原誠名人に挑戦した高橋は、第4局まで3勝1敗で名人位獲得へあと1勝と迫るも、そこから3連敗を喫し奪取することは叶わなかった。プレーオフ進出も敗退した大山は、翌期にA級在籍のまま在位最年長記録の69歳で逝去した。
深浦康市の不運(第53期 - 第65期)
深浦康市は第53期(1994年度)C級2組順位戦で、9勝1敗の4位(次点)で昇級枠の3人に入れなかった。このとき、10戦全勝が1名(久保利明)、9勝1敗が4名であった。1999年度(第58期)B級2組順位戦では深浦を含む3人が9勝1敗で並び、順位が下の深浦は次点となった。いずれも、頭ハネ(同じ勝ち星の棋士同士ではリーグ表の上位を優先)である。B級2組以下の順位戦において、9勝1敗の成績で2度昇級できなかった棋士は、順位戦史上、深浦だけである。それから5年後の第63期(2004年度)で、初めてA級順位戦を戦う。深浦を含み5名が4勝5敗で終えたが、深浦は昇級直後でリーグ表順位が下位のためB級1組に降級。しかし、次期のB級1組で圧倒的な成績を収め、A級に即復帰する。そして迎えた第65期(2006年度)A級順位戦では、深浦を含む6名が4勝5敗で並び、前々期と同様、下位のため降級した。4勝でA級から2度陥落した棋士も深浦だけである。
8勝1敗で挑戦逃す(第64期)
第64期(2005年度)はA級の8勝1敗が2名発生したため、当該の2名(谷川、羽生)で挑戦者決定のプレーオフが行われることになった。A級で8勝1敗が複数名発生するのは史上初、プレーオフの結果は谷川の勝ち、敗れた羽生は8勝1敗を収めながら名人挑戦を逃した。
A級が全員タイトル経験者に(第69期→第70期)
第69期(2010年度)は木村一基(タイトル経験なし)がA級から陥落し、B級1組からは佐藤康光(当時タイトル12期、永世棋聖資格者)と屋敷伸之(当時棋聖3期)がA級に昇級した。これにより第70期のA級リーグ表は、史上初めてタイトル経験者だけで埋まった[注 23]
定跡書に載っている手順を完全に再現(第70期)
第70期(2011年度)の1回戦、渡辺明郷田真隆戦。角換わり腰掛け銀の先後同型から先手の渡辺が富岡流を用いた。後手の郷田は先手必勝だと言われていた変化に飛び込み、そのまま終局まで富岡流の定跡通りの手を指して投了した。感想戦では「定跡ですか…そうですか…」と落胆した。
タイトル二冠の降級(第70期)
第70期(2011年度)では、久保利明二冠(棋王・王将)がA級からB級1組へ降級となった。タイトル二冠の降級は史上初[20]
三浦弘行の地位保全(第75期)
三浦弘行は第75期(2016年度)を2期ぶり15期目のA級で迎え、当初3連敗したものの4回戦の対渡辺明戦で初勝利。しかし当該対局の直後に、将棋ソフト不正使用疑惑が指摘され、これにより三浦は2016年10月13日から同年12月31日まで出場停止処分を受けた。しかしその後疑惑が晴れたことで、日本将棋連盟は、同処分によって不戦敗となるはずだった順位戦の対局(5回戦・対屋敷伸之戦及び6回戦・対行方尚史戦)を保障する必要が生じ、三浦の処遇として、当期順位戦5回戦以降は不戦敗として計上せず[注 24]、他の棋士の成績にかかわらず翌76期もA級(11位)に据え置き、当期A級の降級枠は1名のみとすることにした。結果、森内俊之が佐藤康光と同星ながら頭ハネで陥落、そのままフリークラス宣言をし順位戦を引退した。
史上初の6名によるプレーオフとそれに伴う過密スケジュール、およびタイトルホルダーの陥落(第76期)
前述の三浦弘行の地位保全によって第76期A級順位戦は通常より1名多い11名で行われる運びとなり、久保利明豊島将之の6勝3敗、稲葉陽広瀬章人佐藤康光の5勝4敗、抜け番で6勝4敗確定の羽生善治が居る状態でA級順位戦最終局一斉対局の2018年3月2日を迎えた。静岡県の浮月楼で行われたこの一斉対局で、広瀬が豊島を、残留がかかっていた深浦康市が久保を下し、佐藤は既に降級が決まっていた屋敷伸之に勝利、稲葉も残留をかけた行方尚史に勝利したことで、6勝4敗6名によるプレーオフが発生した。なお、当期は8回戦終了時までは、11人全員が(5勝5敗で)指し分ける[注 25]可能性も有った大混戦であった。
名人挑戦に王手をかけていた久保・豊島はどちらも共にB級1組から昇級した直後であり、奇しくも挑戦に最も近づいていた2者(両者とも勝っていれば2者だけのプレーオフ、どちらか一方のみであれば挑戦者決定であった)が、パラマス方式のプレーオフで5勝しなければならない最も不利な立場となってしまった[注 26]。しかも久保と豊島は第67期王将戦の当事者でまさに番勝負が進行中[注 27]であり、この合間を縫わなければならない事態となった。
この両者による初戦の対局日程はA級順位戦最終日の2日後の3月4日[注 28]に関西将棋会館でとなり、両者は即座に大阪へ移動し対局に望んだ。結果は豊島の勝利となり、2回戦進出。その翌日昼には王将戦第5局(3月6・7日)のため島根県大田市三瓶温泉へ移動して再び両者が対局、こちらも豊島が勝って豊島から見て2勝3敗となり、王将戦第6局(3月14・15日、松本市)の開催が確定。豊島は王将戦が終わった翌8日に大阪へ戻り、中1日の3月10日に佐藤と対局し勝利、さらに翌11日に東京へ移動して12日に東京で広瀬との対局に臨み、勝利。そのまま翌13日に松本へ移動し、14・15日の第6局に望んだが敗れて王将奪取は叶わなかった。さらに18日の羽生戦にも敗れ、名人挑戦も叶わなかった。豊島は3月に入ってから羽生に敗れるまで、持ち時間6時間以上の対局だけを18日間で7局こなし、対局も移動も無い日は3月9日と17日の2日だけ[注 29]という過酷極まりないスケジュールとなったが、(自らの最終対局敗戦で招いたこととはいえ)王将・名人ともに報われない結末となった。結局、3月21日に行われたプレーオフ最終戦の稲葉対羽生の対局で勝った羽生が挑戦者となり、名人戦は2期ぶりの顔合わせとなった。
一方、降級は既に決まっていた屋敷に加え、3勝7敗の行方、そして最終戦で三浦に敗れ4勝6敗で終わった渡辺明棋王(当時)となり8期連続で在席していたA級から陥落。渡辺は勝てば残留、負けても深浦が負ければ順位の差で残留という残留争いで最も有利な立場ではあったが自身が負け、深浦が勝ったために降級となった。例年より1局多く、降級枠も1枠多かったとはいえ4勝を挙げながら降級したのは第65期の深浦康市以来11期ぶり[注 30]、現役タイトルホルダーの降級は郷田真隆王将(当時)以来2期ぶりとなった。
以上のように、当期は星2つの差がプレーオフ進出と降級を分ける稀に見る混戦だった。

B級1組[編集]

タイトルホルダーの降級(第45期)
田中寅彦「A級昇級の確率64分の63」(第57期)
第57期(1998年度)のB級1組は、第9回戦終了(残り2局)の時点で田中寅彦(8勝1敗、リーグ表4位)がトップ。2番手の郷田真隆(7勝2敗、リーグ表11位)と3番手の南芳一(6勝3敗、リーグ表2位)が追いかける展開となっていた。すでに互いの直接対決が終わっていたので、残り2局で田中が2連敗し、かつ、郷田と南が2連勝するという「確率64分[注 31]の1」の事態にならない限り、田中は昇級枠2名の中に入りA級復帰するという状況であった。次の第10回戦で田中は負け、郷田と南は勝ち、「64分の1」が「8分の1」になった。最終の第11回戦でも田中は負け、郷田は勝った。しかし、南が福崎文吾に負けたため、田中のA級復帰が決まった。当時、田中はNHKのテレビで「福崎君に感謝しないと」と語った。
24時間対局(第63期)
2004年6月25日の第63期B級1組、中川大輔行方尚史では、持将棋指し直しと千日手指し直しが発生したために、翌朝9時過ぎまでかかった。結果は行方の勝ち。中川はジャケットワイシャツを脱ぎ、Tシャツ姿で対局した。翌日も対局があるため、対局場を追い出された2人は、控え室でプラ駒、3寸盤で感想戦を行った。
持ち時間の90%を1手に使う(第64期)
2005年9月2日のB級1組、青野照市堀口一史座で、堀口が56手目7六歩突きの1手に5時間24分(持ち時間6時間のちょうど90%)の大長考をする。昼食休憩を挟んでいるので事実上はもっと長い。▲7六歩△同銀▲4九角が狙い筋の局面であった。結果は堀口の勝ち。後日、囲碁・将棋ジャーナルに出演した際、「気力が充実していたから考えられた」との旨を語った。ちなみに局面は、いわゆる「指定局面」と称されている角換わり腰掛け銀の先後同形(38手目)から先手番の青野が仕掛けた以降の応酬であった。将棋フォーカスで紹介された際は井上慶太九段に「プロなら第一感の手」と言われた。
井上慶太「A級復帰の確率64分の63を逃してから、復帰を果たすまで」(第67期)
第57期(1998年度)でA級から降級した井上慶太は早くも翌第58期(1999年度)にA級復帰のチャンスを掴む。残り2局の時点で7勝2敗[注 32]とし、自身が連敗し、追いかける青野照市先崎学の両者が連勝するという「確率64分の1」が起きない限りは昇級という状況になる。しかし、残り2局を連敗すると青野、先崎が連勝し7勝4敗の3位で昇級を逃した。次に迎えた復帰のチャンスは第61期(2002年度)。再び残り2局の時点で7勝2敗[注 33]とし、連勝で復帰を決められる状況になる(1勝1敗の場合は「確率4分の3」[注 34]、連敗の場合は「確率8分の1」時[注 35]でA級復帰)。しかし、残り2局を連敗し、連勝した鈴木大介に抜かれ3位で昇級を逃した(もう1人の昇級者は久保利明)。3度目の復帰のチャンスは第67期(2008年度)。この期は大混戦となり、11回戦終了時点で7勝4敗の成績ながら(勝数順で)暫定1位となる。最終13回戦は抜け番(対局なし)のため、自力昇級は無かったものの12回戦は久保利明に勝てば昇級確率は「16分の15」[注 36]、負けたら「512分[注 37]の3」[注 38]になるという大一番となった。結局、この対局を制した結果、同じく12回戦で先に杉本昌隆が敗れていたため、11期ぶりのA級復帰を決めた。11期ぶりのA級復帰は原田泰夫の14期ぶりに次ぐ2番目の記録。「鬼のすみか」B級1組に連続在位10期は5番目の記録。
A級昇級者2名がタイトル保持者(第68期)
第68期(2009年度)では、B級1組で渡辺明竜王がA級初昇級し、久保利明棋王王将(昇級決定時点では棋王の一冠)がA級に復帰した。A級昇級者が2名ともタイトル保持者であるのは史上初である。深浦康市王位も昇級争いに加わっていたが、終盤で渡辺との直接対決で敗れた。一方、当時タイトル12期の佐藤康光九段がA級から陥落した。また、この年度はA級以外においても、B級2組で中村修九段(王将2期)がB級1組に復帰し、内藤國雄九段(棋聖・王位各2期)及び森雞二九段(棋聖・王位各2期)がC級1組に降級するなど、タイトル経験のあるベテラン棋士の昇降級が集中するという特異な年度となった。
大地震の最中に「A級昇級者決定戦」(第69期)
第69期(2010年度)B級1組は、佐藤康光が最終局を待たずしてA級復帰を決め、残る1つの枠を最終局(2011年3月11日)にて屋敷伸之と松尾歩の直接対決(7勝4敗同士)で争うこととなった。どちらが勝ってもA級初昇級である。その対局の途中で東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生。対局場の東京・将棋会館から一同が外に避難し、18時に対局が再開された[21]。なおも余震が続く中での対局であったが、屋敷が勝利。初タイトルから20年経ってからのA級昇級となった。
A級からの降級者がゼロ(第76期)
第75期のA級順位戦は先述の三浦弘行九段の特例措置が施されたことによって降級枠が1名だけとなった。そして最終戦の結果、3勝6敗勢の中で一番順位の低かった森内俊之九段が名人位含めて22期連続維持していたA級から陥落した。その後、森内はフリークラスを宣言したことによって第76期のB級1組にはA級からの降級者が1人もいない状態になり定員13名に対し11名と2人分欠員となった。通常この人数以下の場合、誰も降級することはないが第76期A級順位戦の降級枠が3名となる関係でB級1組の降級枠が1名となった。降級枠が1名というケースは過去にも何度かはあったが、A級からの降級者が1人もいない事態は順位戦史上初めての出来事となった。そして名人2期の経験を持つ丸山忠久が2勝8敗の最下位で降級となり、名人経験者がB級2組に降級するのは第62期の加藤一二三以来14期ぶりとなった。
勝率6割で昇級(第76期)
阿久津主税八段は、6勝4敗(勝率 .600)ながら、2位となり、A級復帰を決めた。勝率6割での昇級は、順位戦各組で史上最低新記録(予選リーグと決勝リーグの2段階に分かれた第3期を除く)。ちなみに第76期名人位挑戦も同じ6勝4敗であり、勝率6割での挑戦もA級順位戦史上最低タイ記録(第44期以来)である。
27年振りの師弟対決で師匠の勝利(第77期)
第77期では、B級1組に復帰した畠山鎮と、第76期でB級1組残留となった弟子の斎藤慎太郎との師弟対決が組まれることとなった。順位戦の師弟対決は第50期(1991年度、A級・大山康晴 - 有吉道夫)以来27年振りである。規定(#組み合わせ参照)により、二人の対局はリーグの中間(第7回戦かその前後)で組まれることとなるが、抽選の結果、9月20日予定の第6回戦で組まれることが決まった。しかし実際には斎藤の王座挑戦が決まり、日程が王座戦五番勝負第2局と重なったため、二人の対局のみ25日に延期となった。同日行われた対局では、それまで5戦全敗であった畠山が勝って今期の順位戦初勝利を挙げた。

B級2組[編集]

B級2組からC級1組に5人同時降級(第74期)
第74期(2015年度)B級2組では、一度に5人の棋士がC級1組に降級となった。この期は参加者が26人(降級点の枠は5人)で、降級点持ちは青野照市島朗窪田義行安用寺孝功杉本昌隆豊川孝弘高橋道雄中田宏樹の8人であった。そのうち青野は前期・当期の2期連続で5勝5敗と指し分け、規定により降級点を抹消[注 39][注 40]したが、他の7人は序盤から負けが込んだ結果、島・安用寺・杉本・豊川・高橋の5人が降級点2つ累積により、C級1組に降級することとなった。B級2組以下に降級点制度が導入された第17期(1962年度)以降、3人の棋士がB級2組からC級1組に同時に降級したのは、第23期(1968年度)・第30期(1975年度)・第48期(1989年度)の3回だけであり、4人以上が同時に降級したケースは皆無であったが、当期はそれらの記録を大幅に更新した。また、同一の順位戦クラスにおいて降級点を喫した棋士が全員降級点を持っていたケースも、全クラスを通じて史上初のケースであった。なお、この珍事に因り、翌第75期(2016年度)はB級2組の降級点の枠が1名減り、更に窪田・中田がいずれも降級点を喫さなかった為、C級1組への降級者がなしという、B級2組では8例目の事態が発生した。
順位戦全勝の最年長記録を更新(第76期)
第76期(2017年度)B級2組では、当時44歳の野月浩貴が10戦全勝(不戦勝1つを含む)で昇級を決めたが、従来の順位戦における最年長全勝記録は第64期(2005年度)B級2組の畠山鎮・第75期(2016年度)C級1組の横山泰明の2人が記録した36歳であり、野月が大幅に記録を更新した[22]

C級1組[編集]

あわや3人同時全勝も井上慶太、1敗に泣く(第50期)
第50期C級1組は村山聖と森内俊之が10戦全勝で昇級したがために、井上慶太が順位9位・9勝1敗ながらも昇級できなかった。因みにその1敗は昇級にも降級(降級点)にも関係なかった小野敦生戦(10回戦)で、もしこれに勝っていれば、昇級枠を超える人数の全勝者という順位戦史上初の事態もおかしくなかった。そしてそれからちょうど20年後に井上の弟子である菅井竜也も第70期C級2組で似たような不遇を味わうことになる。(後述)
「将棋界の七不思議」屋敷伸之 14年間の足踏み(第49期~第62期)
屋敷伸之は、順位戦初参加の第48期(1989年度)に9勝1敗・1位の成績を挙げ、‘1期抜け’でC級1組に昇級。そのかたわら、1989年度後期棋聖戦で予選・本戦を連戦連勝し、中原誠棋聖への挑戦者となる。さらに、1990年度前期棋聖戦で中原に連続挑戦して棋聖位を奪取し、史上最年少タイトル保持者(18歳)となる。さらに半年後には棋聖位を防衛し、早くもタイトル通算2期となる。しかし、C級1組からB級2組への昇級には14期(第49期~第62期)もかかることとなり、「将棋界の七不思議」の一つと言われた。この間、8勝2敗が4回、次点(3位)も4回あり、また、3度目の棋聖獲得をも果たしている[注 41]。第62期(2003年度)C級1組順位戦で9勝1敗で1位となり、ようやくB級2組へ昇級した。

C級2組[編集]

アマチュアの参加(第3期~第5期)
現在の順位戦は純粋な棋士のみの棋戦だが、第3期(1948年度)~第5期(1950年度)はアマチュア選手の参加を認めていた[23][24]。これは、当時の日本将棋連盟が財政難のため、毎日新聞社に名人戦契約金の増額を求める根拠として、棋士の増員を行った一環である。
アマ名人戦上位4名の希望者がC級2組(またはC級乙組)に参加した。1期のみの特別参加だが、成績優秀者はそのまま正規の棋士に編入可能になっていた。1949年に主催が朝日新聞社に代わると、その翌年を最後にアマチュア参加枠は廃止された。
アマチュアの参加者は三好幸男(第3期)、高橋誠司、大前吉章(第4期)、加納和夫、内山龍馬、宮本茂(第5期)の6人。高橋が5勝3敗、加納が7勝5敗と勝ち越したが、プロ編入はならなかった。他の4人は負け越している。
奨励会員の参加(第4期)
第4期のみ、奨励会員から4人が参加した。C級1組に昇級した2人(清野静男神田鎮雄)は三段から六段に、残留した2人(増田敏二浅沼一)は二段から四段に昇段して正式に棋士となったので、これも棋士増員の一環だった。
22年間、降級点無し(第41期~62期)
第41期から順位戦に参加した武市三郎は昇級こそしなかったものの22期にわたって降級点が付かず、当時の将棋界の七不思議の一つとまで言われた。しかし、2004年度の第63期で初の降級点が付くと続く65期も降級点、66期は5勝5敗で降級点は免れたものの第67期で3つ目の降級点が付きフリークラスへ陥落。その後、順位戦復帰の成績を収めることができずフリークラスの年齢制限により2014年に引退した。
年齢差59歳の対局(第45期)
1986年8月25日のC級2組、明治生まれ74歳の小堀清一と高校一年15歳羽生善治の年齢差59歳対局が行われた[注 42]。終了が深夜0時半過ぎに及ぶ熱戦となり、羽生が勝利。午前8時ごろに清掃員にとめられるまで感想戦をしていたという。この勝利で羽生は公式戦14連勝を記録[注 43]。この後、小堀の順位戦最終結果は2勝8敗となり、この期限りで現役を引退した。
勝勢からの投了により降級点(第64期)
2006年1月17日のC級2組9回戦、先手片上大輔と後手長岡裕也の対局で、長岡の手番、118手目に△8四玉と指せば長岡の勝ちであった。しかし長岡は、その手を指さずに投了。感想戦で勝ち筋に気付いた長岡は「最後、勝ってる局面で投了したと書いておいてください。玉上がれば楽勝でした。人としておかしいです。」と観戦記者らにコメントした。なお、同敗戦により長岡は当期順位戦における降級点が確定し、降級点取得の史上最年少記録(20歳)を作ってしまった。
タイトル経験者初の順位戦陥落(第68期)
前述の通り、第68期では、タイトル経験のあるベテラン棋士の昇降級が集中するという特異現象が発生したが、当期はC級2組でも、元棋聖有吉道夫九段と初代棋王大内延介九段が累積3つ目の降級点を喫し、順位戦陥落時の年齢規定により引退となった。タイトル戦(番勝負)出場経験者が同規定により引退となった前例は、丸田祐三(第54期・1995年度)・関根茂(第60期・2001年度)が存在したものの、タイトル獲得経験者が同規定により引退となったケースは当期が初めてであった(その後、第75期(2016年度)にタイトル通算2期の森雞二と、元名人の加藤一二三も同じ理由で引退することになる)。
昇級者3人全員が全勝(第70期)
この期は阿部健治郎中村太地船江恒平の3人が10戦全勝で昇級を果たした。B級2組以下の対局数が10局に定着した第27期以降、同一クラスで3人が全勝で昇級したのは初めての事であった。このこともあり菅井竜也が順位6位・9勝1敗と本来なら昇級してもおかしくない好成績ながらも昇級できなかった。因みにその1敗は船江との兄弟弟子対決で付いたものである。
60年ぶりのC級2組~名人位獲得経験者初の降級規定に伴う引退(第73期~第75期)
加藤一二三は、プロ入り1年目の1954年(第9期)にC級2組で11勝1敗(1位)の成績を収めC級1組へ昇級。そこからA級まで4期連続で昇級した。その後、B級1組との往復を4度経験しながらも、62歳を迎える2001年度(第60期)までA級に通算36期在籍した。1982年には名人位も獲得している。しかし、2002年度以降は加齢によって順位戦の成績が振るわなくなり、2004年(第63期)にはB級2組に、2009年(第68期)にはC級1組に、2014年(第73期)にはC級2組にそれぞれ降級。名人位獲得歴のある棋士がB級2組以下に降級して以降も順位戦に出場し続けたのは史上初であった。このことにより、60年ぶりにC級2組順位戦に出場するという、史上最長の間隔記録を残すことになった。加藤はC級2組に降級した後も順位戦に出場し続けたが、2014年(第73期)~2016年(第75期)と3期連続で降級点を喫し、順位戦陥落時の年齢規定により引退することとなった。
中学生初の五段(・六段)昇段と順位戦全勝(第76期)
藤井聡太は、初出場の第76期順位戦C級2組において、無敗のまま8勝目を挙げたところで自分より上位の1敗者がいなくなったため、2018年2月1日の9回戦・梶浦宏孝戦に勝てば他の結果に関係なくC級1組への昇級(と1位通過)が確定する状況であった。藤井はこの梶浦との対局に勝って昇級を確定させ、同日付けをもって五段に昇段となった。将棋棋士が中学生のまま五段に昇段したのは史上初である。過去には、加藤一二三が中学生のうちにC級1組への昇級を決めた例があるものの、当時の規定により五段昇段日は中学校を卒業した直後の(1955年)4月1日となっていた[注 44]
なお、藤井は約半月後の2月17日に第11回朝日杯将棋オープン戦を制して初優勝し、「全棋士参加棋戦優勝」を満たして六段に昇段している。こちらも中学生のまま六段に昇段した史上初の快挙である。順位戦の昇級・昇段が早々に決まっていたために実現した高速昇段であった。
さらに、3月15日のC級2組最終戦でも藤井は三枚堂達也との対局で勝ち、中学生初の順位戦全勝を達成した。
勝勢からの投了により相手棋士が昇級(第76期)
神谷広志は2018年3月15日のC級2組最終戦で増田康宏(順位第5位)と対局したところ、千日手が成立。指し直しになったが、指し直し局の終盤で増田の玉に即詰が生じたところを気づかずに神谷が投了してしまった[25]。もし神谷が即詰に気づいていれば、神谷の勝利で増田のC級1組への昇級を阻止し、石井健太郎(順位第7位)が8勝2敗の成績で昇級するところであったが、この投了によって増田が8勝2敗の成績でC級1組へ昇級、石井の昇級は阻まれる結果となってしまった。

脚注[編集]

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  1. ^ NHK杯戦では本戦2回戦にシードされる他、将棋日本シリーズの出場権も得られる。銀河戦についてはブロック戦の最上位に位置づけられる。また、タイトルホルダーの中での序列も2位以内となるため、叡王戦棋聖戦など本戦シードの枠が固定されている場合にも枠からあふれることがない。
  2. ^ 最多勝者が3人以上の場合は、順位下位の2人がプレーオフ1回戦を行い、その勝者が順位上位者と対戦するという「パラマス方式」でプレーオフを行う。
  3. ^ 降級枠に該当する順位下位者が最多勝者として名人挑戦プレーオフに進出し、当該順位下位者がプレーオフを制して名人挑戦者となった場合は、当該順位下位者の次に順位の低い者が降級対象者となる。
  4. ^ 参加人数が11人以上又は9人以下(期途中で参加棋士が死亡または引退した場合も減員として扱う。期途中の休場の場合はこれに該当しない)の場合、その期の降級枠は成績下位の(A級参加人数-8)人となる(参加人数が8名以下のときは降級枠は0となる)。
  5. ^ 参加人数が14人以上又は12人以下(期途中で参加棋士が死亡または引退した場合も減員として扱う。期途中の休場の場合はこれに該当しない)、もしくはA級からの降級枠が2人でない場合、その期の降級枠は成績下位の(B級1組参加人数+A級からの降級枠-13)人となる(参加人数+A級からの降級枠が13名以下のときは降級枠は0となる)。
  6. ^ a b 全勝者昇級の規定は第77期より明文化し適用。
  7. ^ 小数点以下の端数は切捨て。
  8. ^ 第26期までは7時間であった。
  9. ^ 叡王戦七番勝負の第7局と同じ持ち時間である。
  10. ^ 厳密には、瀬川の編入試験は特例での実施であり、その後制度化された試験への合格第1号が今泉。
  11. ^ 新人王戦加古川青流戦上州YAMADAチャレンジ杯JT将棋日本シリーズへの出場権がない場合は10(8つのタイトル戦のうち順位戦を除く7棋戦、および、朝日杯将棋オープン戦銀河戦NHK杯テレビ将棋トーナメント)。
  12. ^ 一例として、ちょうど30局ならば20勝10敗で勝率6割6分7厘となり条件を満たす。また、連続29局以内で20勝をあげた場合、その後連敗したとしても勝率の条件をみたすため、20勝目をあげた時点で昇級(現在まで、直近28局で20勝8敗で昇級した佐々木大地が最少対局数)となる。
  13. ^ この条件を満たすためには、出場した棋戦がトーナメント戦の場合、平均3~4勝が目安となり3勝すれば4局目が4勝すれば5局目が発生する事になる。なお、リーグ戦の場合は対局数があらかじめ決まっているため勝敗に関わらず条件を満たしている事が多い。
  14. ^ 三段リーグ次点2回による編入が「10月1日付」で行われた場合は10年6ヶ月となる。
  15. ^ 他の棋戦で好成績を納めている場合、その棋戦に限って出場が認められる。棋士 (将棋)#引退を参照
  16. ^ C級2組から降級して即時引退となる場合でも、対局が残っている間はフリークラスの棋士として扱われる。
  17. ^ 当期ではない。すなわちA級からB級1組に降級することになった棋士は宣言でき、B級1組からA級に昇級することになった棋士は宣言できない。
  18. ^ フリークラスに制度上最長の23年間在籍できる条件は、宣言時点で順位戦B級1組に在籍し、かつ、満42歳以下であることが挙げられる。この両方を満たした上で宣言をした場合、条件1に基づく最短年数(8年)を満了した時点で満50歳以下となり、そこから15年経過しても、満65歳以下であるため。
  19. ^ C級1組以上の在籍者がフリークラス宣言をした事例は少なく、1994年度よりフリークラス制度が導入されて以降、2018年度終了時点で、森内の他は鈴木輝彦(C級1組・降級点なしの状態で宣言)・勝浦修(B級2組・降級点1個の状態で宣言)・米長邦雄(B級1組で宣言)・中原誠(B級1組で宣言)の5例のみ。
  20. ^ a b c d アマチュア代表として1期のみ参加。成績は三好(0-4)、高橋(5-3)、大前(2-4)、宮本(3-9)、加納(7-5)、内山(4-8)。
  21. ^ 伊藤果菊地常夫桐谷広人沼春雄有野芳人小林健二土佐浩司酒井順吉森信雄田中寅彦東和男中田章道大島映二谷川浩司松浦隆一が新加入。
  22. ^ 最年少のプロデビューは藤井聡太の14歳2か月であるが、藤井の順位戦参加は9か月後の14歳11か月であり、加藤の順位戦参加はプロデビュー翌月の14歳8か月である。
  23. ^ 1.羽生善治(78期・うち名人7期)、2.渡辺明(7期)、3.高橋道雄(5期)、4.郷田真隆(3期)、5.三浦弘行(1期)、6.丸山忠久(3期・うち名人2期)、7.谷川浩司(27期・うち名人5期)、8.久保利明(5期)、9.佐藤康光(12期・うち名人2期)、10.屋敷伸之(3期)
    (タイトル獲得数は2011年度開始時)
  24. ^ 対戦が予定されていた5名の棋士(5回戦・屋敷、6回戦・行方、7回戦・森内俊之、8回戦・羽生善治、9回戦・深浦康市)には不戦勝が計上された。
  25. ^ 第76期以降の新たな規定によれば、A級で9人以上が最高成績で並んだ場合でも当該の最高成績者全員でプレーオフを行うが、最高成績と降級枠の両方に該当する者が生じた場合、プレーオフ敗退者のうち順位の下の棋士が降級することとなる。
  26. ^ (第76期の序列は稲葉(1位)、羽生(2位)、広瀬(4位)、佐藤(8位)、久保(9位)、豊島(10位)
  27. ^ 最終一斉対局の段階で久保から見て3勝1敗であった。
  28. ^ 久保に至っては終局が0時を跨いでいたため厳密には翌日
  29. ^ 16日に松本から東京へ移動して17日は東京滞在であったことが、将棋世界2018年5月号P18に記載されている。
  30. ^ 他に残留争いをしていたのは行方・深浦・三浦がいたが、3人とも負ければ即降級だった。
  31. ^ 星取表上1人につき、○○・○●・●○・●●の4通り。対象が3人なので4×4×4の64通り。
  32. ^ この期のB級1組は米長邦雄のフリークラス転出、村山聖の死去の影響で12人総当りで行われた。
  33. ^ この期のB級1組は中原誠のフリークラス転出の影響で12人総当りで行われた。
  34. ^ 先崎学が連勝しなければ昇級。
  35. ^ 先崎学が連敗し、鈴木大介が13回戦で敗れた場合のみ昇級。
  36. ^ 杉本昌隆高橋道雄の両者が連勝しなければ昇級。
  37. ^ 前述、田中寅彦の確立の項も参照:4通り(杉本)×4(高橋)×2(行方)×2(阿部)×2(畠山)×4(渡辺)の512通り。
  38. ^ 杉本昌隆高橋道雄の両者が連敗(共に●●が必須条件)し、12回戦で行方尚史阿部隆が、13回戦で畠山鎮がそれぞれ敗れ(3人とも○か●の2通り内、●が必須条件)、渡辺明が1勝1敗以下(4通りの内、○●・●○・●●の3通り)の場合のみ昇級。
  39. ^ 青野は当期終了時点で63歳を迎えたが、これはB級2組に限定すると関根茂の61歳(第49期・1990年度)を上回る最高齢降級点抹消記録で、降級点制度が存在する全階級(B級2組・C級1組・C級2組)に範囲を広げても北村秀治郎の64歳(第26期C級2組・1971年度)に次ぐ2位の高齢記録である。
  40. ^ ちなみに降級点持ちの状態で当期を迎え抹消にも降級にも至らなかった窪田及び中田は、まず中田が翌第75期に8勝2敗の好成績を収めて降級点を抹消、さらに窪田も第76期にこの時の青野と同じく5勝5敗と指し分けてこちらも降級点を抹消した。
  41. ^ 名人以外のタイトル獲得3期の後に、C級1組在籍のまま1度も昇級せず七段昇段後190勝で八段へ昇段し、九段への昇段も決定し(実際に昇段したのはB級2組昇級時)、この事例も珍記録である。
  42. ^ 順位戦としては2017年末時点で年齢差最大の対局であり、全公式戦でも加藤一二三藤井聡太(2016年12月24日竜王戦6組ランキング戦)の62歳差に次ぐ歴代2位の記録である。
  43. ^ 羽生はこの後15連勝まで伸ばすも、同じ年度に塚田泰明が当時の新記録となる公式戦22連勝を樹立している。
  44. ^ 順位戦に出場した中学生は、加藤・藤井以外では谷川浩司がいるのみである(「中学生棋士」のうち、羽生善治渡辺明はプロデビューが中学3年生の順位戦開幕後であり、順位戦への参加は高校生からになってからであった)。

出典[編集]

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  1. ^ ○は一次予選免除、◎は本戦シード
  2. ^ 10月1日付で奨励会三段からフリ―クラス四段に昇段した棋士の場合は10年半以内
  3. ^ 止まるかもしれないタブレット対局の不安 - ある棋士の日常(神崎健二公式ブログ)・2016年6月4日
  4. ^ 順位戦はB2以下がチェスクロックになったので、対局者に見やすいように、記録机に設置。 タブレットの棋譜入力と連動。 中段下のオレンジ色の部分は6分割、10秒毎に減っていくそうです。 森九段の「けい」の漢字が出ないのはデフォルト。 - 野月浩貴 Twitter
  5. ^ 渡辺明 (2016年6月1日). “記録係。”. 渡辺明ブログ. 2018年2月16日閲覧。
  6. ^ a b 休憩時間。”. 渡辺明ブログ (2016年6月17日). 2018年2月16日閲覧。
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