ブラウンソン (DD-518)

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USS Brownson (DD-518) off Kodiak, Alaska, on 13 September 1943 (80-G-213217).jpg
艦歴
発注
起工 1942年2月15日
進水 1942年9月24日
就役 1943年2月3日
退役
その後 1943年12月26日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 2,050トン
全長 376 ft 5 in (114.7 m)
全幅 39 ft 7 in (12.1 m)
吃水 17 ft 9 in (5.4 m)
機関 2軸推進、蒸気タービン方式、60,000 shp (45 MW)
最大速力 35ノット (65 km/h)
航続距離 6,500海里 (12,000 km)
15ノット(28km/h)時
乗員 329名
兵装 Mk.30 38口径5インチ砲 5基
ボフォース 40mm連装機関砲 5基
エリコン 20mm単装機関砲 7門
21インチ 5連装魚雷発射管2基
爆雷軌条 2軌、爆雷投射機 6基

ブラウンソン (USS Brownson, DD-518) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名はウィラード・H・ブラウンソン海軍少将に因む。ブラウンソンはフレッチャー級の中で「スクエア・ブリッジ」大型化した艦橋を持って建造された最初の艦であった。同艦橋を持つ艦は「ラウンド・ブリッジ」あるいは「ハイ・ブリッジ」を持つ初期の艦よりも良好な視界を得ることとなった。

艦歴[編集]

「ブラウンソン」は1942年2月15日にニューヨーク州スタテンアイランドベスレヘム・スチール社で起工した。1942年9月24日にクレランド・S・バクスター夫人(ブラウンソン提督の孫娘)によって命名、進水し、1943年2月3日に艦長J・B・マーヘル少佐の指揮下就役した。

「ブラウンソン」は大西洋太平洋の両方で活動した。就役から1943年6月11日まで本国の北東海岸沿いに活動し、北大西洋での船団護衛および対潜哨戒に当たった。1943年5月12日から31日までは北アフリカを訪れている。

1943年6月18日に「ブラウンソン」はパナマ運河を通過し、28日にカリフォルニアに到着した。カリフォルニア州沿岸で短期間活動し、7月にはアラスカに向けて出航した。アラスカに到着すると、1943年11月29日まで哨戒および船団護衛を行う。その後真珠湾を経由して南西太平洋に向かい、ビスマルク諸島での戦いを支援し、日本軍を圧倒した。

1943年12月26日の14:42、「ブラウンソン」はニューブリテン島グロスター岬への上陸支援中に日本軍の急降下爆撃機による2発の爆弾を受ける。爆弾は中心線の右舷、2番煙突付近に命中した。すさまじい爆発が起こり、主甲板上の全構造物が吹き飛んだ。艦は右舷に10度から15度傾斜し、艦中央部が急速に沈み込み艦首と艦尾が上方を向いた。負傷者は救命筏に乗せられ、14:50に艦の放棄が命じられた。そのとき、艦中央部は完全に水没していた。爆雷が爆発した様な波が立ち、艦は14:59に沈没した。ブラウンソンの乗組員の内108名が失われた。残る乗組員は「ダリー (USS Daly, DD-519)」と「ラムソン (USS Lamson, DD-367)」によって救助された。沈没位置は南緯5度20分、東経148度25分[1]。この日、日本軍は海軍がラバウルから零戦55機と艦爆25機が、陸軍がウェワクから重爆7機と戦闘機32機で艦船攻撃を行っている[2]

「ブラウンソン」は第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

  1. ^ Robert Cressman, The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II, Naval Institute Press, 2016, ISBN 9781682471548、1943年12月26日の項
  2. ^ 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第96巻 南東方面海軍作戦<3>ガ島撤収後』朝雲新聞社、453-454ページ

関連項目[編集]