ブラジル統合主義運動

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党旗

ブラジル統合主義運動ポルトガル語: Integralismo brasileiro)は、1932年に始まったブラジルにおける統合主義を掲げた全体主義権威主義ファシズムなどの傾向を持つ運動、政党である。インテグラリズモ・ブラジレイロブラジリアン・インテグラリズムブラジル・インテグラル党インテグラリスタ党とも言う。

概要[編集]

創設者のプリニオ・サルガード

ブラジル統合主義運動は、1930年にイタリアに渡り影響を受けた作家のプリニオ・サルガードポルトガル語版サンパウロで結成し反共主義国家主義を掲げ緑色のシャツを制服としていた。党員の大部分は30歳以下で約10-20万人で、支部長にはカトリックの聖職者が任命された。資本主義社会主義の両方を攻撃したが財界など保守勢力から支持されていた。1934年に。第一次ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス政権が誕生すると左翼勢力が糾合した国家解放同盟と政界で肩を並べることになったが、翌年に同盟が解散させられると勢力を拡大した。1937年に新憲法が制定され、ここにエスタード・ノヴォが成立すると、この政権が権威主義的傾向を示した為、インテグラリスタ党もこれを支持したが、あまりに力をつけていたことを恐れたヴァルガスによって解散させられた。


ファシズムやナチズムとの違い[編集]

ローマ式敬礼をする党員たち(1935年)

インテグラリスタ党はローマ式敬礼を採用し、マルクス主義自由主義を弾圧しカトリック教会の教えを擁護したがプロテスタントの党員もいた。その内容はイタリア・ファシズムナチズムよりもオーストロファシズムフランコ主義に近い。反ユダヤ主義を強め、サルガードの部下だったグスタヴォ・バローゾは『シオン賢者の議定書』をポルトガル語に訳して出版したが、ブラジル自体にユダヤ人が少なかったこともありそれほど力はいていない。ブラジル統合主義運動はその名の通り全ブラジル国民を一つに統合しようとする政治運動なので、人種主義の傾向を持たず、アフリカ系ブラジル人も参加していた。ちなみに第二次世界大戦イタリア戦線の際にはブラジルは連合国側で参加した。

関連項目[編集]