ブラボー実験

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Castle Bravo[1]
Castle Bravo Blast.jpg
ブラボー実験のキノコ雲
作戦種類 水素爆弾による大気圏核実験
場所 太平洋諸島信託統治領の旗 太平洋諸島信託統治領マーシャル諸島ビキニ環礁[1]
座標 北緯11度41分50秒 東経165度16分19秒 / 北緯11.69722度 東経165.27194度 / 11.69722; 165.27194
計画主体 アメリカ原子力委員会アメリカ国防総省[1]
年月日 1954年3月1日[1]
開始時間 現地時間午前6時45分、日本時間午前3時45分
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SHRIMP
Castle Bravo Shrimp Device 002.jpg
ブラボー実験装置の本体
種類 水素爆弾
開発史
開発期間 1953年2月24日(GMT)
製造業者 ロスアラモス国立研究所
値段 約266万6000ドル(1954年)
製造期間 1953年10月(GMT)
製造数 1
派生型 TX-21C, TX-26
諸元
重量 10,659kg
全長 455.93cm
直径 136.90cm

弾頭 水素化リチウム6
炸薬量 400kg
エネルギー出力 TNT換算1500万t[1]
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ブラボー実験で発生した放射性降下物による汚染状況。
当時、多くの住民が居住していたロンゲラップ環礁が強い放射能に汚染され、多くの住民に深刻な放射線障害が現れた。
爆発時の映像、60秒、音声なし

ブラボー実験(ブラボーじっけん、英語: Castle Bravo)は、キャッスル作戦として1954年3月1日アメリカ合衆国によりビキニ環礁で実施された、高出力熱核爆弾を用いた最初の核実験である。実験当時としてはアメリカの最大出力の、また世界初の水素化リチウムを用いた核爆弾であった。[2][3]リチウム7の核反応が想定よりも多かったことが原因で[4]、ブラボー実験での出力はTNT換算15Mtと、事前に見積もられていた6.0Mtの2.5倍となった。これにより、ビキニ環礁の東地域で想定外の放射能汚染が発生した。

この実験による放射性降下物ロンゲラップ環礁ウチリック環礁を中心に降り注ぎ、住民は避難が3日後となったために放射線障害に苦しむこととなった。また、日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員23名も放射性降下物に汚染され、急性放射線症候群を訴えた。ブラボー実験を契機として、世界的に大気圏内での核実験に対する反対運動が盛り上がりを見せた[5]

概説[編集]

1954年5月までに6回の核実験が行われたキャッスル作戦の一環であり、同作戦のうち最も有名である。これには2つの理由がある。

  • ブラボー実験の成功が、爆撃機に搭載可能な、実用兵器としての水爆の出現を意味した。
  • アメリカの不十分な危険水域設定により、第五福竜丸をはじめとする数百隻の漁船が被曝したうえ、ロンゲラップ環礁などにも死の灰の降灰があり、2万人以上が被曝した。これはアメリカが核実験で引き起こした最悪の被曝事故である。
  • 実験を行なった島は消え去り、深さ120m、直径1.8kmのクレーターが生じた。

危険水域の設定が不十分だったのは、核出力の見積りを誤ったためである。見積りでは4-8Mtとされていたが、実際にはリチウム7核反応による出力が予想以上で、その3倍程度の15.0Mtに及んだ。これは、設計を担当したロスアラモス研究所のミスと言われている。なお、この出力はアメリカが行ってきた一連の核実験で最大の核出力となる。

しかし、その後におけるアメリカ政府の対応の不適当さから被爆者の数が増え、特に当時のマーシャル諸島の住民に対する処置は「事実上の人体実験ではないか」とする批判がある。

また、第五福竜丸の被曝を矮小化するため、アメリカの国家安全保障会議作戦調整委員会 (OCB) は「水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」(1954年4月22日起草)で、科学的対策として「日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴのちりの化学的影響とする」と明記。「放射線の影響を受けた日本漁師が死んだ場合、日米合同の病理解剖や死因についての共同声明の発表の準備も含め、非常事態対策案を練る」としていた。実際、同年9月に第五福竜丸の久保山愛吉無線長(当時40歳)が死亡した際、日本人医師団は死因を「放射能症」と発表したが、米国は現在まで「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けている[6]

当時の水産庁では、3月から8月に実験区域とその周辺で操業していた船舶を指定5港(塩釜港芝浦港、三崎漁港清水港焼津漁港)に入港させ、船体および魚について検査を行っている。検査の結果、水爆実験海域とその周辺の要報告区域以外で操業した魚からも放射性物質が検出され、廃棄処分となっている。

1954年当時のアメリカは、放射性物質は海の広さと深さで爆心地から離れると影響は薄まると言いつつ、日本産の放射性物質が検出されたマグロを禁輸にした。広い海洋で放射性物質が薄まるアメリカ原子力委員会の見解に対抗するため、水産庁の呼びかけで顧問団が結成され、1954年5月14日から同年7月4日まで顧問団から派遣された科学者22人を乗せた水産講習所の練習船俊鶻丸でビキニ環礁と周囲海域の調査活動を実施し、放射線測定器(第五福竜丸展示館に保存展示されている)での測定、食物連鎖でマグロの内臓に放射性物質が溜まり高濃度になること、海流で同じ地域を循環するので放射性物質の濃い地帯(広さ・深さ)が存在しつづけ、海全体で薄まることはありえないことが証明され(理研科学映画製作、キャッスル作戦・ビキニ核実験海域の調査船の活動を記録した『俊鶻丸の記録』〈しゅんこつまるのきろく〉に描かれている)、1955年5月に報告書をまとめて政府に報告した[7]

第五福竜丸の被爆は日本国内で反響を呼び、大きな反核運動となった。また、1954年公開の怪獣映画『ゴジラ』の制作には、この事件が大きな影響をおよぼしている。毎年、ブラボー実験のあった3月1日には、ビキニ・デーの反核イベントが催されている。

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e (英語)“Castle Bravo: The Largest U.S. Nuclear Explosion”. ブルッキングス研究所. (2014年2月27日). https://www.brookings.edu/blog/up-front/2014/02/27/castle-bravo-the-largest-u-s-nuclear-explosion/ 2017年12月14日閲覧。 
  2. ^ Operation Castle”. www.nuclearweaponarchive.org. 2018年7月9日閲覧。
  3. ^ Rowberry, Ariana (-001-11-30T00:00:00+00:00). “Castle Bravo: The Largest U.S. Nuclear Explosion” (英語). Brookings. https://www.brookings.edu/blog/up-front/2014/02/27/castle-bravo-the-largest-u-s-nuclear-explosion/ 2018年7月9日閲覧。 
  4. ^ Operation Castle”. nuclearweaponarchive.org. 2018年7月9日閲覧。
  5. ^ Foster, John Bellamy (2009). The Ecological Revolution: Making Peace with the Planet. Monthly Review Press. p. 73.
  6. ^ 毎日新聞2005年7月23日「第五福竜丸:『発症原因は放射能ではない』米公文書で判明」
  7. ^ 海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~