ブルドッグ・ブラワー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
ブルドッグ・ブラワー
プロフィール
リングネーム ブルドッグ・ブラワー
ディック・ブラワー
ディック "ザ・ブルドッグ" ブラワー
本名 リチャード・グランド
ニックネーム 猛犬
身長 173cm - 178cm
体重 120kg - 127kg
誕生日 1933年9月17日
死亡日 (1997-09-15) 1997年9月15日(満63歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
デラウェア州の旗 デラウェア州
ニューキャッスル郡ウィルミントン
トレーナー スチュ・ハート
デビュー 1959年[1]
引退 1980年代
テンプレートを表示

ブルドッグ・ブラワーBulldog Brower、本名:Richard Gland1933年9月17日 - 1997年9月15日)は、アメリカ合衆国プロレスラーデラウェア州ウィルミントン出身。

ニューヨークオハイオなどのアメリカ北東部や、デトロイトトロントなどの五大湖地区を主戦場に、ヒールのブルファイターとして活躍した。

来歴[編集]

5歳で20キロの丸太を担いだという伝説を持つ怪童[2]。学生時代はウェイトリフティングレスリングで活動し[2]カイロプラクティックのスクールを中退後、1959年にプロレスラーとしてデビュー[3]。人の体を治す立場から一転して壊す立場となり[1]デラウェア・デストロイヤーThe Delaware Destroyer)の異名を持つ巨漢ヒールとしてカルガリートロントなどカナダの主要テリトリーで活動[3]

カルガリーでは1961年にマイティ・ウルススことジェス・オルテガと抗争を展開[4]。トロントではジョニー・バレンタインと組み、1963年2月28日にブルーノ・サンマルチノ&ホイッパー・ビリー・ワトソンからNWAインターナショナル・タッグ王座を奪取した[5]1964年には太平洋岸北西部バンクーバーにて、ジン・キニスキードン・レオ・ジョナサンエンリケ・トーレスベアキャット・ライトキンジ渋谷などと対戦している[6]

1960年代中盤よりWWWFに参戦し、1966年11月7日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、ブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦[7]フィラデルフィアピッツバーグでもサンマルチノに再三挑戦し、エドワード・カーペンティアボボ・ブラジルとも対戦した[8]1968年1月にはグレート東郷のブッキングでTBSプロレス時代の国際プロレスに初来日している(同時参加はルー・テーズダニー・ホッジワルドー・フォン・エリックハンス・シュミットなど)[9]

以降もアメリカ北東部五大湖エリアを主戦場に、NWFでは1969年から1970年にかけて、ジョニー・パワーズアーニー・ラッドと北米ヘビー級王座を巡る抗争を展開[10]。NWFに参戦していたザ・シークとも、トロントやクリーブランドなど各地で流血戦を繰り広げた[11]。WWWFへの出場も続け、1971年には新王者ペドロ・モラレスにも東部各地で挑戦している[12]

1972年2月にはエース格として日本プロレスに参戦、2月29日に大田区体育館にてジャイアント馬場インターナショナル・ヘビー級王座に挑んだ。1970年代前半は南半球にも度々遠征し、オーストラリアではスパイロス・アリオン[13]ニュージーランドではジョン・ダ・シルバとタイトルを争った[14]

1975年、エディ・アインホーンとNWFの残党がミル・マスカラスを世界王者としてアメリカ北東部で旗揚げしたIWAに参戦[15]。エースのマスカラスやNWF時代の旧敵アーニー・ラッドをはじめ、サンダーボルト・パターソンマイティ・イゴールディノ・ブラボーらと抗争した[15]ビンス・マクマホンの対抗勢力に協力した形となったが、IWAの崩壊後はキャプテン・ルー・アルバーノマネージャーにWWWF / WWFに再登場。1979年4月30日のMSG定期戦ではボブ・バックランドWWFヘビー級王座に挑戦した[16]

1980年カルロス・コロンの主宰するプエルトリコWWCにて、4月14日にルーク・グラハムのパートナーとしてWWC北米タッグ王座を獲得している[17]。WWFには1981年にも登場し、10月4日にイースト・ラザフォードにて、ラリー・シャープと組んでリック・マーテル&トニー・ガレアWWFタッグ王座に挑戦[18]。その後は1983年10月、デトロイトで行われたNWAアメリカン・タッグ王座(フリッツ・フォン・エリックの主宰するテキサス州ダラス地区のタイトル)争奪トーナメントにてロディ・パイパーとのコンビで優勝したとして、チャンピオン・チームに認定された[19]

1980年代末に現役を引退し、糖尿病との闘病を続けていたが、1997年9月15日、股関節手術後の合併症により死去[3]。63歳没。

逸話[編集]

全盛期の1960年代、ターンバックルのクッションを外し、露出させた金具に相手の頭を打ちつけようとして失敗、自らの後頭部を金具に引っ掛けて負傷[1]。頭蓋骨が見えるほどの重傷を負うも、そのまま試合を続け、数日後には普通にリングに上がったという。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

ナショナル・レスリング・フェデレーション
  • NWF北米ヘビー級王座:2回[10]
メープル・リーフ・レスリング
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
  • NWA豪亜ヘビー級王座:1回[13]
NWAニュージーランド
ワールド・レスリング・カウンシル
NWAビッグタイム・レスリング

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P178(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P106(1988年、日本スポーツ出版社)
  3. ^ a b c Dick 'The Bulldog' Brower”. SLAM! Sports. 2010年7月22日閲覧。
  4. ^ The Stampede matches fought by Dick Brower in 1961”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
  5. ^ a b NWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
  6. ^ The ASW matches fought by Dick Brower in 1964”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
  7. ^ WWE Yearly Results 1966”. The History of WWE. 2010年7月22日閲覧。
  8. ^ The WWE matches fought by Dick Brower in 1966”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
  9. ^ The IWE matches fought by Dick Brower in 1968”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
  10. ^ a b NWF North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
  11. ^ The Sheik vs. Bulldog Brower”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
  12. ^ The WWE matches fought by Dick Brower in 1971”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
  13. ^ a b NWA Austra-Asian Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
  14. ^ a b NWA British Empire/Commonwealth Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月20日閲覧。
  15. ^ a b The IWA matches fought by Dick Brower in 1975”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
  16. ^ WWE Yearly Results 1979”. The History of WWE. 2010年7月22日閲覧。
  17. ^ a b WWC North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
  18. ^ WWE Yearly Results 1981”. The History of WWE. 2014年10月15日閲覧。
  19. ^ a b NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。