ブルー (DD-387)

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USS Blue (DD-387).jpg
艦歴
発注:
起工: 1935年9月25日
進水: 1937年8月14日
就役: 1937年8月14日
退役:
その後: 1942年8月22日に損傷後、8月23日に自沈処分
除籍:
性能諸元
排水量: 軽貨 1,500トン
満載 2,325トン
全長: 341 ft 8 in (104.1 m)
全幅: 35 ft 6 in (10.8 m)
吃水: 軽貨 10 ft 4 in (3.1 m)
満載 12 ft 10 in (3.9m)
機関: 2軸推進 49,000 shp
最大速: 38.5ノット (71.3 km/h)
航続距離: 6,500海里 (12,000 km)
12ノット(22.2km/h)時
乗員: 158名
兵装: 38口径5インチ砲4門
50口径機銃4基
21インチ魚雷発射管16門
爆雷軌条2基

ブルー (USS Blue, DD-387) は、アメリカ海軍駆逐艦バッグレイ級駆逐艦の1隻。艦名はヴィクター・ブルー英語版少将に因む。

艦歴[編集]

ブルーは1935年9月25日にノーフォーク海軍造船所で起工する。1937年5月27日にケイト・リリー・ブルー(ブルー少将の妹)によって命名、進水し、1937年8月14日に艦長J・ライト少佐の指揮下就役した。

就役初年度は東海岸とカリブ海で整調、訓練巡航を行い、1938年8月に太平洋に向けて出航、第7駆逐艦部隊の旗艦となる。ブルーは1940年4月まで西海岸で戦闘艦隊と共に演習を行い、その後自らの部隊と共に真珠湾に向かう。1941年2月から3月までピュージェット・サウンド海軍造船所オーバーホールを行い、4月はサンディエゴ沖で演習を行う。ブルーは開戦まで真珠湾を拠点として留まった。

1941年12月7日に日本軍による真珠湾攻撃が始まり、停泊中のブルーは士官4名(全て少尉)と乗員のみで無事に外洋に逃れた。1941年12月から42年の1月までブルーは真珠湾入り口での偵察任務に従事し、その後空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) 基幹の第8任務部隊(ウィリアム・ハルゼー中将)に加わり、2月1日にウォッジェ環礁マロエラップ環礁およびクェゼリン環礁への攻撃を行う。2月24日にはウェーク島南鳥島への攻撃を支援し、攻撃から帰投後、3月から6月にかけては真珠湾とサンフランシスコ間の船団護衛任務に従事する。その後ニュージーランドウェリントンに向かい、7月18日に到着した。

ブルーは第62.2任務群に加わり、8月7日のガダルカナル島上陸では火力支援および援護を担当した。8月9日の第一次ソロモン海戦当日、ブルーはサボ島西岸沖を哨戒して、日本艦隊の監視役となった。ブルーはSCレーダーを搭載しており、このSCレーダーは後年に改良されたものよりかは性能は劣っていたが、それでも先に敵を探知できる確率は高かった[1]。しかし、8月9日当日のレーダーの調子はいまひとつであったばかりか、接近してくる三川軍一中将率いる第八艦隊重巡洋艦軽巡洋艦および駆逐艦を目前にしてUターンした[2]。三川艦隊でもブルーを発見して砲の照準を合わせていたが何事も無く[2]、後年に「アイアンボトム・サウンド」と呼ばれるようになった海域に入っていった。ブルーは、海戦では大きな役割を果たすことができず、海戦後に沈没しつつあるオーストラリア重巡洋艦キャンベラ (HMAS Canberra, D33) の生存者を救助した。海戦後の8月13日から17日までヌメア沖で偵察巡航をおこなった後、輸送船2隻を僚艦ヘルム (USS Helm, DD-388)、ヘンリー (USS Henley, DD-391) とともに護衛して8月21日にガダルカナル島に到着した[3]

しかし、この船団はガダルカナル島到着前に第二十五航空戦隊の哨戒機に発見されていた[3]。第二十五航空戦隊はアメリカ機動部隊を警戒中で船団攻撃の余裕が無かったため、船団撃滅の任は、一木支隊を乗せた輸送船を護衛してガダルカナル島に向かう第二水雷戦隊田中頼三少将)に委ねられた[3]。田中少将は手持ちの兵力から駆逐艦江風を分離させた。第八艦隊では、江風とサンタイサベル島レカタに在泊中の駆逐艦夕凪を合流させた上で船団攻撃を行わせる事としたが[4]、夕凪の機関が不調のため、江風が単独で突入する事となった[5]

8月22日未明1時、江風はアイアンボトム・サウンドに突入。目当ての輸送船は発見できなかったが、やがて2時ごろに、哨戒中のブルー、ヘンリーおよびヘルムを発見[6]。しかし、ほどなく見失ってしまった[5]。ブルーとヘルムもレーダーで江風と思しき目標と探知し、速力を落とした上で砲を目標の方向に向けて警戒を強めた。江風は反転して敵の姿を再び発見した後、魚雷を6本発射して即座に戦場を離脱していった[5]。ブルーが4,500メートルの距離に江風を発見して距離を縮めつつあったその時、魚雷1本が至近に迫っていた。魚雷は艦尾部に命中し、爆発はブルーの主機および主軸、方向舵を破壊。9名が死亡、21名が負傷した。22日から23日にかけてブルーをツラギ島へ曳航しようと試みたが失敗した。全ての試みが徒労に終わった後、8月23日の22時31分にブルーは海没処分された。江風は帰途に機銃掃射を受けて損傷したものの[6]、逃げ切ることに成功した。

ブルーは第二次世界大戦中の戦功で5個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

  1. ^ 木俣『日本軽巡戦史』267ページ
  2. ^ a b 木俣『日本軽巡戦史』269ページ
  3. ^ a b c 木俣『日本水雷戦史』181ページ
  4. ^ 『外南洋部隊増援部隊戦闘詳報第一号』pp.37
  5. ^ a b c 木俣『日本水雷戦史』182ページ
  6. ^ a b 『外南洋部隊増援部隊戦闘詳報第一号』pp.39

参考文献[編集]

  • 第二水雷戦隊司令部『外南洋部隊増援部隊戦闘詳報第一号 (第二水雷戦隊戦闘詳報第一〇号) 自昭和十七年八月十七年八月十三日至昭和十七年八月三十一日「ガダルカナル」奪回作戦』(昭和17年8月13日〜昭和17年8月31日 外南洋部隊増援部隊戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030096400
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 石橋孝夫「米空母機動部隊の反撃」『写真・太平洋戦争(1)』光人社、1988年、ISBN 4-7698-0413-X
  • 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1992年、ISBN 4-7704-0757-2

関連項目[編集]