ブレイン (DD-630)

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DD-630 ブレイン
USS Braine (DD-630), South Pacific, 1944.
南太平洋を航行するDD-630 ブレイン
基本情報
建造所 バス鉄工所
運用者  アメリカ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級駆逐艦
艦歴
起工 1942年10月12日
進水 1943年3月7日
就役 1943年5月11日
退役 1971年8月17日
除籍 1971年8月17日
その後 1971年8月17日にアルゼンチン海軍へ引き渡された。
要目
排水量 2050トン
全長 376 ft 6 in (114.7 m)
最大幅 39 ft 8 in (12.1 m)
吃水 17 ft 9 in (5.4 m)
推進 2軸、60,000 shp (45 MW)
最大速力 35ノット(65 km/h; 40 mph)
航続距離 15ノットで12,000 km
乗員 329名
兵装 38口径5インチ単装砲5門
56口径40mm機関砲4基
70口径20mm単装機関砲4基
21インチ(533mm)5連装魚雷発射管2基
爆雷投射機6基
爆雷投下台2基
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ARAアドミラル・マニュエル・ドメク・ガルシア
基本情報
運用者  アルゼンチン海軍
艦歴
就役 1971年8月17日
退役 1982年11月30日
除籍 1982年11月30日
その後 1983年10月7日に標的艦として沈没
要目
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ブレイン USS Braine, DD-630)はフレッチャー級駆逐艦の一隻であり、南北戦争で活躍し北極圏を探検したダニエル・L・ブレイン英語版 (1829–1898)にちなんで命名されたアメリカ海軍駆逐艦である。

概要[編集]

ブレインはメイン州バス市のバス鉄工所で起工され、1943年3月7日にブレイン海軍少将の孫の妻であるダニエル・L・ブレイン夫人によって命名、進水され、1943年5月11日に指揮官J・F・ニューマンの指揮下に就役した。

ブレインは終戦まで南太平洋の戦線に従事し、沿岸への砲撃や部隊の上陸に参加した。戦後、1946年から1951年までチャールストン海軍工廠に置かれた。再就役した彼女は地中海の第6艦隊に、その後第7艦隊の第77任務部隊に従事した。

1971年に退役するとアルゼンチンに移され、アルミランテ・ドメック・ガルシア英語版と命名された。 1983年、ドゥルモンド級コルベットのドゥルモンド(P-31)英語版と209型潜水艦のサン・ルイス(S-32)英語版の標的艦としてマル・デル・プラタ沖に沈没した。

艦歴[編集]

第二次世界大戦[編集]

1943年夏にアメリカ東海岸を出港し、ブレインは兵員輸送の護衛のためサンフランシスコから真珠湾へ向かった。その後ウェーク島へ進み1943年10月5日から6日にかけて爆撃と砲撃に参加した。11月1日から3日にかけて、ブレインはブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾への最初の上陸に参加した。続いて2ヵ月間に渡りブーゲンビル島の橋頭堡への部隊の補給を護衛した。

1944年[編集]

1944年2月15日、ブレインはグリーン島上陸に参加した。彼女は日本軍の施設への夜間砲撃のため日本軍の勢力下にあるラバウル港へ進撃した(2月24日―25日)。3月20日、彼女はビスマルク諸島のエミラウ島への上陸を支援した(エミラウ島の無血占領)。翌月はマリアナ侵攻のための護衛任務や訓練に明け暮れた。

6月14日、彼女はテニアン島への砲撃に参加し小口径の砲弾により小さな被害を受けたものの、6月23日までマリアナ諸島での作戦を続けた。一か月のほとんどをアメリカで過ごした後、彼女はフィリピンを出航し真珠湾へ向かった。ブレインは10月20日のレイテ島上陸にて砲撃支援を行い、11月18日の日本軍による航空攻撃を撃退した。

1945年[編集]

1945年1月4日から15日にかけ、リンガエン湾上陸に参加した。その後バターン半島コレヒドール島への上陸(1945年2月14~28日)の支援のためマニラ湾へ進んだ。3月17日から4月23日は、レーダーピケット艦と支援艦としてミンダナオ島のサンボアンガとポラック港への上陸に従事した。5月16~25日はレーダーピケット艦として沖縄作戦に参加した。5月27日、ブレインは立て続けに2機の特攻機が直撃した。正面への最初の直撃では艦橋が大破し、艦中央部への2回目の直撃では2本の煙突が吹き飛ばされ艦中央部の上部構造が破壊された。ブレインは応急修理のため沖縄諸島の慶良間諸島へ退避し、6月19日にそこを離れた後1945年7月19日にアメリカへ帰投した。

7月21日、ブレインは修理のためボストンへ行き、その後モスボール化ためチャールストン海軍工廠へ移動した。

1951-1971年[編集]

1951年4月6日に再就役したブレインは太平洋とカリブ海での訓練を行い、1952年春に第6艦隊での任務のため地中海へ出航した。同年10月、沿岸部での任務のため帰投した。1953年5月に第6艦隊に再び加わり、10月まで随伴した。1953年10月から1954年11月にかけて修理した後、カリブ海での慣熟訓練とニューポート近傍の沿岸警備を行った。1954年11月30日、彼女は太平洋を離れ、1954年12月中旬に巡洋艦・駆逐艦太平洋艦隊の所属艦となった。

1955年1月初旬、彼女は日本の横須賀へ行き、第77任務部隊に加わった。1月、ブレインは大陳島撤退作戦に参加し、その後台湾での警備を行った。そして彼女がアメリカ西海岸に戻ってきたのは1955年6月19日の事であった。

ブレインが次に西海岸を出港したのは1956年2月13日で、もう一つの西太平洋航海を巡行するためであった。1956年7月22日、彼女はカルフォニアに戻りサンディエゴサンフランシスコの沿岸警備に従事した。

1946年、ブレインは危険な前線での活動に参加する数少ない艦船の一隻であった。

1971年8月17日、ブレインは退役、除籍され、対外有償軍事援助の一環としてアルゼンチンへ売却された。

ARA アルミランテ・ドメック・ガルシア (D23)[編集]

1971年8月17日、アルゼンチン海軍はブレインをアルミランテ・ドメック・ガルシア英語版と改名した。艦名はアルゼンチン海軍提督(Almirante)のマヌエル・ドメック・ガルシアスペイン語版[注 1]に由来する。

1983年10月7日、ドゥルモンド級コルベットのドゥルモンド(P-31)と209型潜水艦のサン・ルイス(S-32)の標的艦となり、マル・デル・プラタ沖(39°57′S 057°57′W)に沈没した。

勲章[編集]

第二次世界大戦における活躍を称え、9つのバトルスターがブレインに授与された。

脚注[編集]

  1. ^ マヌエル・ドメック・ガルシアは日露戦争日本海海戦観戦武官として日進に乗艦した経験を持つ。詳細は日進#日本海海戦を参照。

関連項目[編集]