ブレーカー・ボーイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブレーカー・ボーイ ペンシルヴェニア州ポッツヴィル(Pottsville)近くのイーグル・ヒル(Eagle Hill)炭鉱で ジョージ・ブレッツ(George Bretz)の写真 1884年

ブレーカー・ボーイ英語:breaker boy)とは、アメリカ合衆国[1]イギリスで、砕炭場(coal breaker)で石炭から不純物を手で分離した採炭労働者である。ブレーカー・ボーイは主として子供であったが、年齢、病気あるいは事故のためにもはや働けない初老の坑夫もまたときどきブレーカー・ボーイとして雇われた[2]。ブレーカー・ボーイの使用は、1860年代半ばから始まった[3][4]。児童労働に対する公衆レベルの反対感情は1880年代半ばにはすでに存在し、ブレーカー・ボーイという雇用慣行は1920年代になってようやく終わった[1][5]

砕炭・選別作業が必要とされた理由[編集]

「ブレーカー・ボーイ」("Breaker boy")
チャールズ・グリーン(Charles Green)

イギリスの森林が大々的に伐採され、森林は海軍によってのみ使用されるようにチャールズ1世によって材木の収穫が禁止された後、石炭は、その島国で1590年代後半に広く使われ始めた[6]。新興の中流階級では、窓ガラスの需要が益々増加し、そしてガラス製造産業は、燃料を木炭に大きく依存した。木炭がもはや手に入らないので、この産業は石炭に頼った。反射炉の発明とカノン砲のような鉄の物を鋳造する方法の発達の後、石炭の需要もまた、増加した[6]

砕炭場の第1の機能は、石炭を細かい破片に砕き、それら破片をほぼ一様な寸法の諸カテゴリーに分類することであり、この過程はブレーキング(breaking)として知られる[7]。しかし、石炭はしばしば、岩、粘板岩、硫黄、灰(あるいは「骨」("bone"))、粘土、あるいは土壌と混じっている[7][8]。したがって砕炭場の第2の機能は不純物を、経済的に望ましくかつ技術的に実現可能なだけ、取り除き、それから残っている不純物の割合に基づいて石炭を等級づけることである[7]。これは、石炭が家内工業級の生産方法で使用された時には、必要でなかったが、しかし規模の経済[9]が生産を、より多くの労働者のいる初期の工場に移し、それら機械設備がガラスおよび鉄を大量生産し始めた時に、必要になった。英語版[要出典]これらの量は、価格を変化させることがある。英語版[要出典]

1830年以前のアメリカでは、瀝青炭はほとんど採掘されず、そして初期アメリカ産業革命の燃料 - 無煙炭は、市場に送られる前に、ほとんど処理されなかったが、それはおもに錬鉄を生産する鉄工所および鍛冶場であった。坑夫自身は、大型ハンマーを使って石炭の大きな塊を粉砕し、それから歯が2インチ間隔の熊手を使って船積みのために石炭のより大きな塊を表面まで集めた[10]。というのも、それは、鉱山の外に出るために背中に掛けたり、あるいは駄獣の上に掛けたりできて、サックのようなバッグにぎっしり詰める最も容易な方法であった。英語版[要出典]

石炭のより小さな塊は、売り物にならないと見なされて、鉱山に残された[10]。1830年ころから、アメリカにおける石炭の表面処理は、東海岸のさまざまな運河計画と同時に起こり始めた。これらの発達は、ヨーロッパ大陸の同様な発達のタイミングにもっとよく一致したイギリスに後れをとった。森林を伐採した風景をもつイギリスは、もっと早く経済的選択肢を見つけねばならず、石炭、鉄、そして1860年代の鉄道と初期の工業化学産業(infant industrial chemicals industries)に結局つながる機械の発達を、刺激した。石炭の塊は、穴の開いた鋳鉄の板の上に置かれ、そして「ブレーカー」("breakers")は、石炭をハンマーで、穴を通るくらい小さくなるまで叩いた[10]。第2の(ふるい)は、石炭を受け、そして売り物にならないより小さな塊を取り除くために、揺り動かされた(手、動物、蒸気、あるいは水力によって)[10]。この「砕き、篩にかけた」("broken and screened")石炭は、「砕いた」("broken")石炭あるいは塊の石炭よりも、一様な寸法のためにいったん発火点を超えるとより容易にかつ面倒を見ずに燃えるので断然、価値があった。

ブレーカー・ボーイの使用[編集]

Breaker boys
1880年代のブレーカー・ボーイ ペンシルヴェニア州ポッツヴィルの砕炭場で石炭から粘板岩を拾う ジョージ・ブレッツによる写真 1880年代

1900年ころまで、アメリカのほとんどすべての砕炭施設は、労働集約的であった。不純物の除去は、手で、通例は8歳から12歳のブレーカー・ボーイによってなされた[5][11][12][13]。ブレーカー・ボーイの使用は、1866年ころから始まった[3][4]。1日10時間、週6日、ブレーカー・ボーイは、シュート(chutes)あるいはベルトコンベアの上方で、木製の席に腰掛け、粘板岩その他の不純物を石炭のなかから拾った[3][5][11][12][14][15][16]シュート(chutes)あるいはベルトコンベアのてっぺんで働くブレーカー・ボーイは、自分の下の流れる燃料の流れにブーツを突っ込み石炭を停め、すばやく不純物を拾い出し、それから次の処理のために次のブレーカー・ボーイに石炭を回した[10][17]。また他の者は、自分が腰掛けているところの水平なシュートに石炭をそらし、それから燃料を「きれいな」("clean")石炭入れに流れ込まさせないうちに、きれいに石炭を拾った[4]

ブレーカー・ボーイによってなされる作業は、危険であった。ブレーカー・ボーイは、滑らかな石炭をよく取り扱い得るように手袋をはめずに働かざるを得なかった[11][12][14]。しかしながら、粘板岩は鋭く、そしてブレーカー・ボーイはしばしば、指を切って出血し仕事を離れた[15]。彼らの中には、機械の間を移動した際、ベルトコンベアの下に、あるいは歯車に巻き込まれ四肢を失う者、更には殺到する石炭に巻き込まれ圧死する者も居たが、彼らの遺体は就労時間終了後に、ようやく管理者によって機械の歯車から回収された[5][10][11][15]。また他の者は、その回収をした[5][10][11][15]。乾いた石炭はあまりに多くの粉塵を蹴立てるので、ブレーカー・ボーイはときどき見るために頭にランプを付けたほどで、喘息と黒肺塵症(black lung disease)はありふれていた[3][5][10][11][14]。石炭はしばしば不純物を取り除くために洗われたが、これは硫酸を生じた[18][19]。その酸でブレーカー・ボーイらは手に火傷を負った[20]

公衆の非難[編集]

ブレーカー・ボーイ ペンシルヴェニア州ピッツトン(Pittston)南部近くの無煙炭砕炭場で石炭を分類する 1911年

ブレーカー・ボーイ使用に対する公衆の非難はあまりに広くひろがったので、1885年にペンシルヴェニアは、砕炭場での12歳未満の雇用を禁止する法律を制定した[3][14]。しかし法律は施行力は弱かった。多くの雇用者は、年齢証明の文書を偽造し、そして多くの家庭は、子供らが家庭を支えることができるように出生証明書その他の文書を偽造した[3][14]。ペンシルヴェニアの無煙炭田で働くブレーカー・ボーイの人数の概算は大きく異なり、そして公式統計は、歴史家によって人数は実際よりかなり小さいと一般に見なされている[3]或る概算では1880年に州内で働くブレーカー・ボーイは20000人[3]、1900年に18000人[3]、そして1907年に24000人である[21][21]。1890年代と1900年代の技術革新(たとえば石炭から不純物を取り除くように設計された機械仕掛けの、そして水力の選鉱機)は、ブレーカー・ボーイの必要を劇的に引き下げた[21][22]。しかし新技術の採用は、ゆっくりであった[3]

1910年代までに、ブレーカー・ボーイの使用は、技術の進歩、より厳しい児童労働法、そして義務教育法の制定のために減じつつあった[1][11]。砕炭場での児童の雇用の慣行は、1920年までに、全国児童労働委員会(National Child Labor Committee)の努力、社会学者で写真家のルイス・ハイン、そして全国消費者連盟(National Consumers League)のために、大部分は終わったが、それらすべては、慣行について公衆を教育し、そして全国的な児童労働法の通過を獲得することに成功した[1][5][23]

労働組合活動[編集]

ブレーカー・ボーイは、熱烈な独立心と大人の権威にたいする拒絶で知られた[15]。ブレーカー・ボーイはしばしば、労働組合を結成し、これに加入し、そしてペンシルヴェニアの無煙炭田で、多くの重要なストライキを実行した[24][25]。これらのなかに、ラティマーの大虐殺(Lattimer Massacre)(1897年)[15][24]や1902年の石炭ストライキ(Coal Strike of 1902)[24]において頂点に達したストライキがある。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Hindman, Hugh D. Child Labor: An American History. Armonk, N.Y.: M.E. Sharpe, 2002. 0-7656-0936-3
  2. ^ This gave rise to a saying among coal miners: "Once an adult, twice a boy." See: Miller, Donald L. and Sharpless, Richard E. The Kingdom of Coal: Work, Enterprise, and Ethnic Communities in the Mine Fields. State College, Pa.: University of Pennsylvania Press, 1985. 0-8122-7991-3; McDowell, John. "The Life of a Coal Miner." In The World's Work...: A History of Our Time. Vol. 4. Walter Hines Page and Arthur Wilson Page, eds. New York: Doubleday, Page & Company, 1902; Richards, John Stuart. Early Coal Mining in the Anthracite Region. Mount Pleasant, S.C.: Arcadia Publishing, 2002. 0-7385-0978-7
  3. ^ a b c d e f g h i j Derickson, Alan. Black Lung: Anatomy of a Public Health Disaster. Ithaca, N.Y.: Cornell University Press, 1998. 0-8014-3186-7
  4. ^ a b c International Textbook Company. International Library of Technology: A Series of Textbooks for Persons Engaged in the Engineering Professions and Trades. Vol. 38. Scranton, Pa.: International Textbook Co., 1903.
  5. ^ a b c d e f g Freedman, Russell. Kids at Work: Lewis Hine and the Crusade Against Child Labor. Reprint ed. New York: Houghton Mifflin Harcourt, 1998. 0-395-79726-8
  6. ^ a b Burke, James. Connections. New York: Little, Brown and Company, 1978, 0-316-11685-8. p. 163-170.
  7. ^ a b c Ketchum, Milo Smith. The Design of Mine Structures. New York: McGraw-Hill, 1912.
  8. ^ Ash are impurities such as alumina, iron, silica, and other noncombustible materials. See: "Ash." Dictionary of Energy. June 30, 2007. Accessed 2009-10-31.
  9. ^ 企業や工場で生産量を増大させることによって、生産量あたり必要な投入量が減少し、生産量一単位あたりの平均費用が低下するとき、規模の経済が存在するという。したがって、規模の経済が存在すれば、大量生産によって利益が生ずる。規模の経済が発生する最も重要な理由は、不可分性と分業の利益である。たとえば鉄鋼業における高炉のように、ある種の生産要素は最も効率的な生産規模が技術的に決まっており、その半分の生産規模をもつ高炉では、効率的な生産が行えず費用が高くなる。『世界大百科事典』第2版 規模の経済(きぼのけいざい)とは - コトバンク
  10. ^ a b c d e f g h Korson, George Gershon. Black Rock: Mining Folklore of the Pennsylvania Dutch. Manchester, N.H.: Ayer Publishing, 1950. 0-405-10607-6
  11. ^ a b c d e f g Batchelor, Bob. The 1900s. Santa Barbara, Calif.: Greenwood Publishing Group, 2002. 0-313-31334-2
  12. ^ a b c Clement, Ferguson and Reinier, Jacqueline S. Boyhood in America: An Encyclopedia. Volume 2: American Family. Santa Barbara, Calif.: ABC-CLIO, 2001. 1-57607-215-0
  13. ^ Black, Brian. Nature and the Environment in Nineteenth-Century American Life. Santa Barbara, Calif.: Greenwood Publishing Group, 2006. 0-313-33201-0
  14. ^ a b c d e Miller, Randall M. and Pencak, William. Pennsylvania: A History of the Commonwealth. State College, Pa.: Penn State Press, 2003. 0-271-02214-0
  15. ^ a b c d e f Novak, Michael. The Guns of Lattimer. Reprint ed. New York: Transaction Publishers, 1996. 1-56000-764-8
  16. ^ Phelan, Craig. Divided Loyalties: The Public and Private Life of Labor Leader John Mitchell. Albany, N.Y.: SUNY Press, 1994. 0-7914-2087-6
  17. ^ Bartoletti, Susan Campbell. Growing Up in Coal Country. New York: Houghton Mifflin Harcourt, 1999. 0-395-97914-5
  18. ^ When coal is mixed with water, a chemical reaction occurs that generates acid on the surface of the coal.
  19. ^ Daniels, F.E. "Acid Pollution of Streams." Journal of the American Water Works Association. 1921; "Stimulation of Free Settling by Electrolysis." Mining and Metallurgy. January 1922.
  20. ^ Wallace, Anthony F.C. St. Clair, A Nineteenth-Century Coal Town's Experience With A Disaster-Prone Industry. Ithaca, N.Y.: Cornell University Press, 1988. 0-8014-9900-3; Schlereth, Thomas J. Victorian America: Transformations in Everyday Life, 1876-1915. New York: HarperCollins, 1991. 0-06-016218-X; Quigley, Joan. The Day the Earth Caved In: An American Mining Tragedy.Reprint ed. New york: Random House, 2009. 0-8129-7130-2
  21. ^ a b c "Install Mechanical Slate Pickers." Technical World Magazine. September 1906-February 1907.
  22. ^ "A Great and Efficient Coal Breaker." New York Times. January 6, 1895.
  23. ^ Cohen, David and Wels, Susan. America Then & Now: Great Old Photographs of America's Life and Times, and How Those Same Scenes Look Today. New York: HarperCollins, 1992. 0-06-250176-3
  24. ^ a b c Blatz, Perry K. Democratic Miners: Work and Labor Relations in the Anthracite Coal Industry, 1875-1925. Ithaca, N.Y.: SUNY Press, 1994. 0-7914-1819-7; Bartoletti, Susan Campbell. Kids on Strike! Reprint ed. New York: Houghton Mifflin Harcourt, 2003. 0-618-36923-6
  25. ^ Miller, Donald L. and Sharpless, Richard E. The Kingdom of Coal: Work, Enterprise, and Ethnic Communities in the Mine Fields. State College, Pa.: University of Pennsylvania Press, 1985. 0-8122-7991-3; Smith, Page. The Rise of Industrial America: A People's History of the Post-Reconstruction Era. New York: McGraw-Hill, 1984. 0-07-058572-5; Josephson, Judith Pinkerton. Mother Jones: Fierce Fighter for Workers' Rights. Breckenridge, Colo.: Twenty-First Century Books, 1997. 0-8225-4924-7

関連項目[編集]

  • 選炭工場英語版 - 機械によって粉砕、精炭と廃石を分別する工場。かつてはブレーカー・ボーイによる手選が行われていたが人件費上昇や塊炭需要の低下で姿を消した。
  • 選鉱(選鉱場) - 金属鉱山において精鉱と脈石を分離する工場。日本の鉱山においては、手選は女性が担っている事が多かった。