プロトン・ティアラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
ティアラ
リアビュー

プロトン・ティアラ (Proton Tiara) はマレーシア自動車メーカープロトン社が、フランス車シトロエン・AXをベースに1996年から2000年まで生産した大衆車である。

概要[編集]

プロトンは日本の三菱自動車と提携し、三菱・ランサーフィオーレをベースにした国民車サガの生産で成功を収めたが、提携先の多様化と更に廉価なクラス[1]の乗用車の生産化を目指し、PSA・プジョーシトロエンと提携、1996年からシトロエン・AXのライセンス生産を開始した[2]。この提携を推進したのは、当時のCEO・ヤハヤ・アーマドであった。

ティアラは三菱ベースの上級車・ウィラサガのものに似た、ライト点灯時に青く光るエンブレムを持つフロントグリル、大き目のバンパー、異なるデザインのテールライト、太いサイドプロテクションモールなどを与えられ、シトロエンらしく半分隠れていたリアのホイールハウスも通常の形[3]に改められ、一見するとフランス車ベースとは思えないデザインに改められていた[4]。エンジンは直列1100ccのSOHC一種類で45馬力を発した。AXの上級モデルに与えられた1400ccエンジンや、ディーゼル版は導入されなかった。ボディタイプも5ドアハッチバック一種類であった。

AXのデビューは1986年に遡り、ティアラの発売時点では既に10年前の設計の車であった。発売当初はcd値0.34という優れた空力特性、プラスチック部品を多用した軽量設計による低燃費、十分なストロークを持つサスペンションによる良好な乗り心地・活発な動力性能と操縦性が評価されたAXだったが、本国では既に後継車のサクソが登場し、1998年の生産終了を目前に控えていた。当時のマレーシアのスモールカー市場はダイハツ・シャレードスズキ・カルタス(現地名スイフト)などが好評を博しており、ティアラの設計年次の古さ、軽量設計やプロトンの生産技術の限界に起因する内外装の仕上げの悪さ[5]が不評を買い、販売は伸び悩んだ。

ティアラの生産開始直後の1997年ヤハヤ・アーマドがヘリコプター事故で不慮の死を遂げた。彼の死後、不評のティアラは僅か4年で生産を打ち切られ、経営陣は再び三菱自動車とのアライアンスを強化する方向に立ち戻った。短命に終わったティアラは中古車市場でのリセールバリューも芳しくなかった。

ティアラの後継車は長く空席のままであったが[6]2005年になってプロトンはサヴィを発表し、このクラスにカムバックした。

脚注[編集]

  1. ^ 1994年には第二国民車メーカー・プロドゥア社がダイハツ・ミラをベースにしたミニカー、プロドゥア・カンチルを発売、マレーシアの乗用車普及は新しい段階に入りつつあった。
  2. ^ プロトンは、プジョーが長年にわたり経験を積んでいるディーゼルエンジン技術にも興味を抱いていたとされる。
  3. ^ AXのGT系とも共通。
  4. ^ 唯一の例外はルーフ前端に取り付けられたラジオアンテナであった。
  5. ^ 掲載した画像でも、2台が2台とも外装のプラスチック部品がかなり色褪せており、低品質ぶりを物語っている。
  6. ^ ティアラの失敗後、スモールカー市場を長くプロドゥア社に席巻されるに任せていたことがプロトンの国内シェアの急降下をもたらし、政府の国産車保護政策が緩和されるや否や同社が経営危機に直面する原因となった。

関連項目[編集]