ヘスケス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
参戦年度 | 1974 - 1978 |
---|---|
出走回数 | 52 |
コンストラクターズ タイトル |
0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 48 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 1 |
F1デビュー戦 | 1974年南アフリカGP |
初勝利 | 1975年オランダGP |
最終勝利 | 1975年オランダGP |
最終戦 | 1978年ベルギーGP |
ヘスケス(Hesketh)は1974年から1978年までコンストラクターとしてF1に参戦していたイギリスのレーシングチーム。1973年と1974年の序盤2戦はマーチのシャーシを使って参戦していた。チーム代表はアレクサンダー・ヘスケス。
目次 |
F1参戦
イギリスのレース好きの貴族である、アレクサンダー・フェルマー・ヘスケス卿によって設立される。当初は彼自らの財力で運営され、スポンサーを持たないチームとして知られていた。1973年の第6戦モナコGPよりマーチ731を購入してデビューした。この年はスポット参戦状態だったが、1974年からフル参戦を開始。デザイナーにハーベイ・ポスルスウェイトを擁し、その年の第3戦南アフリカGPより自製シャーシである「ヘスケス 308」を実戦投入。コンストラクターとしてデビューした。この308はフロントにスポーツカーノーズを採用していたが、その先端には通常のフロントウイングを装着するという今まで見たことのないデザインだった。
1974年は基本的にジェームス・ハントの1カーエントリーだった。第12戦オーストリアGPにイアン・シェクターがエントリーするも、予選落ちに終わった。この年はハントが3度の3位表彰台を勝ち取った。
1975年にはハントの手によってチーム唯一となる勝利を挙げる。この年は、第4,6,11,14戦は2台、第5,7,12,13戦は3台体制で参戦するも、ハント以外のドライバーがポイントを獲得することはなかった。第13,14戦ではハントのみ新車の308Cを使用した。ほかのドライバーは308Bのままであった。

1975年にヘスケスで使用された308Cは当時資金難に悩まされていたウィリアムズに売却され、ウィリアムズFW05として使用された。この308Cはサスペンションにラバースプリングを採用した画期的なマシンだったが、結果的にウィリアムズ時代には入賞できなかった。
1976年は前年までの快走から一転してシーズンノーポイントに終わる。デザイナーであったポスルスウェイトがウィリアムズに、ドライバーのハントはマクラーレンに移籍してしまった。ドライバーは前年にヘスケスからのスポット参戦を果たしたハラルド・アーテルをレギュラードライバーに据え、開幕戦は欠場するも、第5,8-10,12-15戦には2台体制で参戦。しかし予選は20位近辺を彷徨い、決勝も最高位が7位とポイントまで後一歩及ばなかった。
1977年は第5-16戦の参戦にとどまった。第5戦(チームにとっての開幕戦)から新車308Eを実戦投入するも、順位は改善されず、予選最高位13位・決勝最高位7位と再びノーポイントとなった。ドライバーは、ルパート・キーガンをレギュラーに据え、アーテル、ヘクトール・レバーク、イアン・アシュレーが参戦したが、シーズン全体で10回もの予選落ちを喫した。
1978年は、新たにタイトルスポンサーにカメラメーカーのオリンパスを迎えた。マシンは前年使用した308Eを継続。第1,2戦はディヴィナ・ガリカ、第3戦はエディ・チーバー、第4-6戦はデレック・デイリーがドライブするも予備予選落ち2回、予選落ち3回、完走1回という散々な成績に終わり、第6戦終了後、チームはF1から撤退した。
歴代マシン
変遷表
年 | エントリー名 | 車体型番 | タイヤ | エンジン | 燃料・オイル | ドライバー | ランキング | 獲得点数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1973年 | ヘスケス・レーシング | マーチ731 | G | フォードDFV | - | ジェームス・ハント | -位 | (14pt)[1] |
1974年 | ヘスケス・レーシング | マーチ731,308 | G | フォードDFV | - | ジェームス・ハント イアン・シェクター |
6位 | 15pt |
1975年 | ヘスケス・レーシング * Custom Made Harry Stiller Racing(308B) * Warsteiner Brewery(308B) * Polar Caravans(308B) |
308B,308C | G | フォードDFV | - | ジェームス・ハント アラン・ジョーンズ トルステン・パルム ハラルド・アーテル ブレット・ランガー |
4位 | 33pt |
1976年 | ヘスケス・レーシング * Penthouse Rizla Racing with Hesketh(308D) * Hesketh Racing with Rizla Penthouse(308D) |
308D | G | フォードDFV | - | ハラルド・アーテル ガイ・エドワーズ ロルフ・シュトメレン アレックス・ディアス・リベイロ |
-位 | 0pt |
1977年 | ペントハウス・リツラ・レーシング ヘスケス・レーシング |
308E | G | フォードDFV | - | ハラルド・アーテル ルパート・キーガン ヘクトール・レバーク イアン・アシュレー |
-位 | 0pt |
1978年 | オリンパス・カメラ・ヘスケス・レーシング | 308E | G | フォードDFV | - | ディヴィナ・ガリカ エディ・チーバー デレック・デイリー |
-位 | 0pt |
*枝がついているチームに車体を供給(括弧内に供給した車体の型番を記載)
*斜体になっているドライバーはスポット参戦など
脚注
- ^ コンストラクターズポイントはマーチの獲得として加算
関連項目
- トランスポーター - F1に初めてトランスポーター(キャンピングカーを改造したもの)を持ち込んだのはこのチームである[要出典]。
- モータースポーツ
- F1コンストラクターの一覧
|