ベネディクト・ディボフスキィ

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ベネディクト・ディボフスキィ

ベネディクト・ディボフスキィ(Benedykt Dybowski、1833年5月12日 - 1930年1月31日)はポーランドの博物学者、医師である[1]

略歴[編集]

帝政ロシアミンスク県(現在のベラルーシ、ウクライナの一部)の Adamarynで生まれた。タルトゥ大学ワルシャワ大学で医学を学び、後にベルリン大学で古生物学、植物学、医学を学んだ。海洋の魚類、甲殻類の研究のための野外調査も行った。ワルシャワ中央学校(Szkoła Główna Warszawska)の自然科学の教授に任じられた。

1864年にロシア帝国に対する武装蜂起(1月蜂起)に参加した罪で起訴され、死刑判決を受けた。後に12年のシベリアでの強制労働に減刑された。シベリアに送られた後、シベリアの自然史の研究を初め、1868年に施政官によって、病院の医師として働くことを条件に、市民権を回復し強制労働から開放された。クルツークの小さい村に住み、バイカル湖の詳細な科学調査を行い、ロシア地理学会の支援を受けた。1879年から、サハリンや、カムチャッカへの様々な調査探検を行い、医者としても働いた。

1883年に当時、オーストリア=ハンガリー帝国の領地であった現在のウクライナのリヴィウに移住し、リヴィウ大学の動物学の教授となるが1906年に大学当局と不和になり退職した。第一次世界大戦が始まった後、リヴィウは、帰属がさまざまな国家に移り変わり、ディボフスキィはいくつかの困難に見舞われることになった。

1927年にソビエト科学アカデミーの会員に選ばれ、1921年にはワルシャワ大学から名誉博士号、1923年にヴィリニュス大学から名誉博士号を受けた。97歳でリヴィウで没した。

ロシア語、ポーランド語、ドイツ語で生涯175の動物学の論文を執筆し、多くの動物の種を記載した。

1926年にヨコエビの種の学名Gammaracanthuskytodermogammarus loricatobaicalensisSiemienkiewicziechinogammarus siemenkiewitschii などの長い学名をつけた逸話があるが、これは無効名になっている[2][3]

いとこにアフリカ探検をしたフランスの農学者、ジャン・ディボフスキィがいる。

参考文献[編集]

  1. ^ Iłowiecki, Maciej (1981). Dzieje nauki polskiej. Warszawa: Wydawnictwo Interpress. p. 164. ISBN 83-223-1876-6. 
  2. ^ Dybowski 1926 Bull. internat. Acad. Cracovie, (B) 1926:61.
  3. ^ “Opinion 105. Dybowski's (1926) Names of Crustacea Suppressed”, Opinions Rendered by the International Commission on Zoological Nomenclature: Opinions 105 to 114, Smithsonian Miscellaneous Collections, 73, (1929), pp. 1–3, Template:BHLpage 
Dyb.は、植物の学名命名者を示す場合にベネディクト・ディボフスキィを示すのに使われる。命名者略記を閲覧する/IPNIAuthor Detailsを検索する。)