ベリンダ・コードウェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベリンダ・コードウェル
Belinda Cordwell
Tennis pictogram.svg
基本情報
国籍  ニュージーランド
出身地 同・ウェリントン
生年月日 (1965-09-21) 1965年9月21日(53歳)
身長 175cm
体重 67kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1982年
引退年 1991年
ツアー通算 3勝
シングルス 1勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 279勝219敗
シングルス 157勝120敗
ダブルス 122勝99敗
生涯獲得賞金 322,874 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(1989)
全仏 1回戦(1986)
全英 3回戦(1987・88)
全米 3回戦(1985)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(1989)
全仏 1回戦(1986)
全英 3回戦(1987)
全米 2回戦(1987・88・90)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 17位
ダブルス 35位
テンプレート  プロジェクト テニス

ベリンダ・コードウェルBelinda Cordwell, 1965年9月21日 - )は、ニュージーランドウェリントン出身の元女子プロテニス選手。1989年全豪オープン女子シングルスでベスト4に入り、当地の女子テニス選手として4大大会の最高成績を出した選手である。左利き。自己最高ランキングはシングルス17位、ダブルス35位。WTAツアーでシングルス1勝、ダブルス2勝を挙げた。

来歴[編集]

コードウェルは1982年から女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップニュージーランド代表選手になり、1985年全米オープンで4大大会に初出場した。この時は3回戦まで勝ち進み、第6シードのジーナ・ガリソンに 4-6, 4-6 で敗れた。この後「サントリージャパン・オープン」で初来日し、同じニュージーランドのジュリー・リチャードソンと組んでダブルス優勝を果たす。1988年全豪オープンヘレナ・スコバとの4回戦に進み、同年のソウル五輪にもニュージーランド代表選手として出場したが(シングルス1回戦敗退)、彼女は1989年まで世界的には無名の選手だった。1989年全豪オープンで、コードウェルは世界ランキング62位のノーシードからベスト4進出を果たした。1回戦で第7シードのバーバラ・ポッター(アメリカ)を破ったコードウェルは、3回戦で2年ぶりの現役復帰をしたアンドレア・テメシュバリハンガリー)、4回戦でブレンダ・シュルツオランダ)、準々決勝でカタリナ・リンドクイストスウェーデン)を破って勝ち進んだ。ニュージーランド女性として初進出した準決勝では、前年の4回戦で敗れたヘレナ・スコバがコードウェルを待ち構えた。コードウェルはスコバに 6-7, 6-4, 2-6 のフルセットで敗れ、彼女の大舞台はここで終わった。

全豪オープンで4強入りした後、コードウェルは勢いに乗って好調なシーズンを送った。4月中旬の「シンガポール・オープン」決勝で日本雉子牟田明子を 6-1, 6-0 で破り、WTAツアー大会でシングルス初優勝を果たす。翌週の「サントリージャパン・オープン」で来日したコードウェルは、準決勝で岡本久美子に敗れた。1989年はフェデレーションカップが日本の東京有明コロシアムで行われた年でもあり、コードウェルはフェデレーション杯の前週に千葉のトーナメントに参加したこともある。ニュージーランド代表チームは、1回戦でイタリアに勝った後、2回戦でオーストラリアに敗れた。

しかし、コードウェルは1990年全豪オープンで欠場を余儀なくされ、ここで世界ランキングを落としてしまう。1991年全豪オープンでは1回戦でヘレナ・スコバに敗れ、結局コードウェルはスコバの壁を越えられなかった。1991年10月、イギリス・ブライトン国際選手権の予選1回戦敗退を最後に、彼女は26歳で現役を引退した。コードウェルの引退後、ニュージーランドからは彼女のように国際的な活躍をした女子選手はなかなか現れなかったが、2008年にはユーゴスラビアからの移民であるマリナ・エラコビッチがコードウェル以来18年振りのシングルストップ50に達している。

参考文献[編集]

  • ITF World of Tennis 1989 (ワールド・オブ・テニス 1989) Willow Books Collins, London (1989) ISBN 0-00-218311-0 国際テニス連盟が毎年発刊するテニス年鑑。