ベンジャミン・マイルドメイ (初代フィッツウォルター伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
閣下英語版
初代フィッツウォルター伯爵
PC
商務委員会第一卿
任期
1735年5月 – 1737年6月
君主 ジョージ2世
首相 サー・ロバート・ウォルポール
前任者 ウェストモーランド伯爵
後任者 モンソン男爵
王室会計長官英語版
任期
1737年 – 1755年
君主 ジョージ2世
首相 サー・ロバート・ウォルポール
ウィルミントン伯爵
ヘンリー・ペラム
ニューカッスル公爵
前任者 デ・ラ・ウォー男爵
後任者 ストラットンのバークリー男爵
個人情報
生誕 1672年12月27日
死没 1756年2月29日
グレートブリテン王国 グレートブリテン王国ロンドン
国籍 イギリス人
配偶者 フレデリカ・ションバーグ英語版
第17代フィッツウォルター男爵ベンジャミン・マイルドメイ
キャサリン・フェアファクス

初代フィッツウォルター伯爵ベンジャミン・マイルドメイ英語: Benjamin Mildmay, 1st Earl FitzWalter PC1672年12月27日1756年2月29日)は、イギリスの政治家。1728年までベンジャミン・マイルドメイ閣下儀礼称号を、1728年から1730年までフィッツウォルター男爵の称号を使用した。公職では1735年から1737年まで商務委員会第一卿を、1737年から1755年まで王室会計長官英語版を務めた。

生涯[編集]

第17代フィッツウォルター男爵ベンジャミン・マイルドメイとキャサリン・フェアファクス(Catherine Fairfax、第3代エムリーのフェアファクス子爵ウィリアム・フェアファクスの一人娘)の息子として、1672年に生まれた[1]

1720年から1728年まで物品税委員会の委員を務め、1728年2月16日に兄チャールズが死去するとフィッツウォルター男爵の爵位を継承した[1]。1730年、フィッツウォルター伯爵ハーウィッチ子爵に叙された[2]。1735年に枢密顧問官商務委員会第一卿に任命され[3]、1737年まで務めた後、1737年から1755年まで王室会計長官英語版を務めた[1]。また、1741年から1756年までエセックス知事英語版を務めた。1756年2月29日に死去、フィッツウォルター伯爵とハーウィッチ子爵は断絶、フィッツウォルター男爵はおばのメアリー・マイルドメイの子女たちの間で保持者不在英語版となった[1]

家族[編集]

1724年6月18日、フレデリカ・ションバーグ英語版(1751年8月7日没、第3代ションバーグ公爵メイナード・ションバーグの娘)と結婚したが、フィッツウォルター伯爵が死去した時点で存命の子供はいなかった[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (in English) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 768.
  2. ^ The London Gazette: no. 6881. p. 1. 1730年5月9日。
  3. ^ The London Gazette: no. 7402. p. 1. 1735年5月13日。
公職
先代:
ウェストモーランド伯爵
商務委員会第一卿
1735年 – 1737年
次代:
モンソン男爵
先代:
デ・ラ・ウォー男爵
王室会計長官英語版
1737年 – 1755年
次代:
ストラットンのバークリー男爵
名誉職
先代:
ソーモンド伯爵英語版
エセックス知事英語版
1741年 – 1756年
次代:
ロッチフォード伯爵英語版
グレートブリテンの爵位
新設 フィッツウォルター伯爵
1730年 – 1756年
断絶
イングランドの爵位
先代:
チャールズ・マイルドメイ
フィッツウォルター男爵
1728年 – 1756年
保持者不在