ペデスタル作戦

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ペデスタル作戦[1](英語:Operation Pedestal)は、1942年8月にイギリス海軍により行われたマルタ島への補給作戦。作戦名のペデスタルは礎石を意味する。14隻の船からなる船団がイギリスからマルタへ向かった。この時、援ソ船団が一時休止していたこともあり(北極海の戦い)、戦力に若干余裕のあったイギリス海軍は本国艦隊などより戦力を抽出でき、船団には戦艦ネルソンロドネイ空母ヴィクトリアスインドミタブルイーグル以下多数の艦艇で構成される強力な護衛艦隊がつけられた。あわせて中東方面での陽動出撃も計画された。また、空母フューリアスにより陸上機であるスピットファイア戦闘機部隊を発進させ、マルタ島へ航空兵力を増援するベローズ作戦 (Operation Bellows) も同時に実施された。この輸送計画はすぐさま枢軸国側の察知するところとなり、これを阻止しようとするドイツイタリアを中心とした枢軸国軍との間で地中海において激戦が展開された。

背景[編集]

マルタ島は地中海中部に浮かぶイギリス領(当時)であり、地中海の両端にジブラルタルアレクサンドリアの両根拠地を擁していたイギリス海軍にとっては地中海戦略の要ともいうべき重要拠点であった。またマルタ島は枢軸国のイタリアと北アフリカとの間にあり、エルヴィン・ロンメル将軍率いるアフリカ軍団への補給線の真上に位置していた。

このためマルタ島を基地とする航空機、艦船によりロンメル将軍の補給線は深刻な影響を受け始めていた(1941年後半の船舶損耗率は80%近くにまで達した)。

事態を憂慮した枢軸側はマルタ島への空襲を開始し、海上封鎖を実施した。ドイツ空軍はマルタ包囲のため東部戦線から第二航空軍団を派遣した[2]。これにより物資の大部分を輸入に頼っていたマルタ島は深刻な物資不足に見舞われる。食糧をはじめとする物資はすべてが配給制となり、残り少ない物資だけでは島が降服せざるを得なくなるのは時間の問題と予測された。英国は数次にわたり補給船団を組織するが、そのどれも封鎖網に阻まれ、一部しかマルタ島に物資を届けることはできなかった(ヴィガラス作戦ハープーン作戦等参照)。

部分的な補給により小康は得たものの、依然としてマルタ島は物資不足の状態が続いた。特に軍需及び生活物資として必需品であった石油の不足は致命的であった。当時のマルタ島は飲料水を海水淡水化によって得ており、淡水化装置の電力源となる石油なしでは、住民は餓死以前に干死する危険性すらあった。マルタ島の全面降服は石油が無くなるその日とみなされた。マルタ総督府の計算による全面降伏のXデイは1942年8月31日から9月7日の間であった。

経過[編集]

空母ヴィクトリアスに続航するインドミタブルとイーグルの両空母。

地中海に入るまで[編集]

8月2日(Xデイ1ヶ月前)、連合軍の地中海兵站体制の切り札的存在であった当時世界最大の石油タンカーオハイオを含む14隻からなる船団WS21Sがマルタ島へむけイギリスを出発した。Xデイ以前に到着しうる最後の補給船団であり、この船団が失敗した場合マルタ島が降服を余儀なくされるのは自明のことであった。また、7月31日には空母アーガスが駆逐艦サーダニックスとバクストンに護衛されてクライド川を、空母ヴィクトリアスが軽巡洋艦シリアスと駆逐艦フォアサイト、フュリー、イントレピッド、イカルスに護衛されてスカパ・フローを出撃した。

8月3日、船団に軽巡洋艦ナイジェリア、ケニア、駆逐艦アマゾン、ダーウェント、ゼットランド、マルコム、ヴェノマウス、ウールヴァリン、ウィッシャートが合流した。同日、スカパ・フローを戦艦ネルソン、ロドネー、駆逐艦アシャンティ、ターター、エスキモー、ソマリ、パスファインダー、クエンティンが出撃した。駆逐艦ペンは機関に問題があったため出撃が遅れ、4日に艦隊に加わった。

8月5日、ナイジェリアとケニアが分離され、2隻は燃料補給のためジブラルタルへ向かった。同日、ヴィクトリアス、アーガスに、フリータウンから軽巡洋艦フィービ、駆逐艦ラフォレイ、ライトニング、ルックアウトに護衛されて出撃してきた空母インドミタブルとジブラルタルから出撃してきた空母イーグルが合流し、訓練のためのバーサーク作戦 (Operation Berserk) が開始された。

マルタへの戦闘機輸送を行うフューリアスも4日にスピットファイアを載せ、軽巡洋艦マンチェスターと駆逐艦ブリスカヴィカに護衛されて出撃した。7日にフューリアスはヴィクトリアス、アーガスと合流した。

8月8日、アーガスは搭載していた804海軍飛行隊が訓練不足であった為作戦への参加が見送られ、イギリス本国へ戻るよう指示を受けた[3][4]。アーガスは駆逐艦ヴェノマウス、ウールヴァリン、アマゾン、マルコムを伴って艦隊から離れジブラルタルへ向かった。9日、補給船団はジブラルタル海峡を通過し地中海に入った。

地中海での戦闘[編集]

8月11日[編集]

撃沈される空母イーグル。

船団は8月11日の夜明けまでにタンカーのディングルデール(en:RFA Dingledale (A144))とブラウン・レンジャー (RFA Brown Ranger (A169)) からの給油を完了した。前回のマルタ行き船団はマルタで燃料補給を受けた。しかし、この時はマルタには燃料の余裕がなかったのである。敵の監視下にあり、Uボートの脅威がある海域での3隻の巡洋艦と26隻の駆逐艦に対する給油は不安なものであった。失敗は作戦全体に重大な支障をきたすおそれがあったからである。

この日の朝早く、枢軸国軍により大きな一撃が加えられた。サリナス岬の南70海里で、イギリス海軍の空母イーグルがドイツ海軍潜水艦U-73の攻撃を受けて魚雷4本が命中し沈没したのである。乗員の多くは護衛の艦艇に救助された。イーグルの沈没により、船団は対空戦力の4分の1を失った。

空襲を受けるイギリス海軍の艦隊。

一方、空母フューリアスはベローズ作戦を成功裏に完了した。フューリアスからは37機のスピットファイアがマルタへ向けて発進した。フューリアスからマルタまでの飛行距離は555海里から584海里であった。発進した戦闘機部隊は無事にマルタにたどり着いた。作戦を終えたフューリアスは護衛を伴ってジブラルタルへ戻っていった。 アルジェ沖で、フェーリアスを護衛していた駆逐艦ウールヴァリン(en:HMS Wolverine (D78))はイタリアの潜水艦ダガブールを体当たりで沈めた。このためウールヴァリンは艦首を大きく損傷し後にジブラルタルで修理した。

味方により処分される駆逐艦フォアサイト。

この日の19時までに枢軸国軍による4度の激しい空襲があった。この攻撃により、1隻の商船が至近弾で速度が低下しサヴォイア・マルケッティ SM.84爆撃機による雷撃でF級駆逐艦のフォアサイトen:HMS Foresight (H68))に魚雷が命中して艦尾と推進器を失ったため、駆逐艦ターターen:HMS Tartar (F43))が到着、航行不能になったフォアサイトを曳航しようとしたが無駄に終わった。なおフォアサイトも乗員が退艦した後、ターターにより雷撃処分された。

また、空母インドミタブルが爆撃により航空機の運用が出来なくなった。ただし、速度は28ノットが発揮できた。20時、イタリア軍の戦闘機フィアット CR.42マッキ MC.202 フォルゴーレ、戦闘爆撃機レッジアーネ Re.2001、攻撃機サヴォイア・マルケッティ SM.84による攻撃で空母ヴィクトリアスの飛行甲板が損傷した。

8月12日[編集]

航空母艦インドミタブルを護衛すべく対空射撃する軽巡洋艦カリヴディス

8月12日、イタリア海軍は速度の速い6隻の巡洋艦を主体にした巡洋艦部隊を編成して、補給船団の入港を阻止するため出撃した。夜が明けるとドイツ空軍急降下爆撃機ユンカース Ju 88)が来襲し、正午になると枢軸国空軍の攻撃を受けたが、枢軸国側の不手際で同時に攻撃できなかったため、船団は被害を受けることなく艦上戦闘機(マートレットシーハリケーン)が撃退した。午後にも枢軸国空軍が来襲し、今度は巧みな攻撃で英空母インドミタブルが大破した他、駆逐艦1隻と輸送船1隻が撃沈された。発着能力を失ったインドミタブルは駆逐艦4隻の護衛を受けてジブラルタルへ後退した。

日没後、イタリアの潜水艦アクスムから4本の魚雷攻撃を受け、そのうち2本がイギリスの軽巡洋艦カイロに命中して撃沈、残り2本がそれぞれイギリスの軽巡洋艦ナイジェリアとタンカーのオハイオに命中して損傷を受けた。さらに、イタリアの潜水艦アラジと伊潜水艦ブロンゾの攻撃でイギリスの軽巡洋艦ケニアが損傷し、2隻の輸送船が撃沈された。損傷したイギリス軽巡は数隻の駆逐艦を伴って後退した。

8月13日以降[編集]

グランド・ハーバーに入るタンカー「オハイオ」

8月13日、マルタ島に迫った補給船団に対して、シチリア島(英名シシリー)に拠点を構えるドイツ空軍アルベルト・ケッセルリンク元帥は出動したイタリア海軍の巡洋艦部隊の能力を軽視し、あくまでも航空攻撃による阻止に固執したため、直掩を期待できないと判断したイタリア海軍のスーパーマリーナは巡洋艦部隊をシチリア島メッシーナに退避するよう命じた。しかし、退避中に伊重巡ボルツァーノと伊軽巡ムツィオ・アッテンドーロは英潜水艦サファリ、アンブロークンの攻撃により損傷した。チェニジア沖に達した船団は英軽巡マンチェスターがドイツの海軍魚雷艇Sボートの攻撃で損傷した他、輸送船6隻が撃沈された。オハイオもユンカース Ju 88の爆撃を受けて深刻な損傷を受け、一時期は速度4ノットまで落ちた。マンチェスターの乗員は復旧に全力をあげたもののマンチェスターは沈没してしまい、乗員の大半が味方の駆逐艦に移乗した。

補給船団は莫大な損失をこうむったものの、マルタ島から発進したスピットファイアとボーファイターの掩護を受けながらマルタ島バレッタグランド・ハーバーに到着した。入港時にはマルタに駐留していたジョージ・F・バーリングがスピットファイアで祝賀飛行を行った。

特にマルタ島の生命線である多量の石油を搭載したオハイオは熾烈な戦闘を経験し、7発の直撃弾と20発の至近弾を受け、二度にわたり総員退去が発令された、しかしその都度乗組員達はオハイオに復帰し船を救う努力を続けた、そして駆逐艦(ペン)1隻と護衛駆逐艦(レッドベリー、ブランハム)2隻、掃海艇(ライ)に曳航、護衛され、15日にマルタ島に入港した。オハイオは激しい浸水により乾舷を殆ど失いこのため乗組員が甲板から素手のままバケツで砲身冷却用の海水を汲み上げることができたという話が伝わっている。なお、オハイオは機関部どころか竜骨まで破壊されており、石油汲み出し中に船体が二つに折れ、そのまま港内に海没処分された(戦後浮揚、港外に再海没)。

遅れてマルタ港に入った輸送船ブリズベン・スター

輸送船ブリズベン・スターもドイツ空軍の攻撃で損傷したため到着が遅れ、14日に入港を果たした。

その後の影響[編集]

イギリス海軍は空母1隻、巡洋艦2隻、駆逐艦1隻、輸送船9隻を撃沈されたがマルタ島への物資の補給に成功し、島は降伏の危機から脱することができた。

枢軸国は1隻の潜水艦と39機の航空機を失って船団の阻止に失敗した。物資と燃料、新たな戦闘機が供給されたマルタ島は防空能力が強化され、攻略や屈服は困難となった。そのため、枢軸国側の補給線が常に不安定な状態に陥り、ロンメル将軍の作戦行動は大いに制約され、北アフリカ戦線における第二次エル・アラメイン会戦の勝敗を決する一因となったとされている。

参加艦船[編集]

イギリス海軍[編集]

輸送本隊

  • F部隊 : 船団護衛艦隊 - ネヴィル・サイフレット中将
    • Z部隊 : 船団支援艦隊 - サイフレット中将直率
      • 戦艦
        • ネルソン、ロドネイ
      • 空母
        • イーグル(沈没)、ヴィクトリアス、インドミタブル(損傷)、フューリアス(発進後離脱)、アーガス
      • 軽巡洋艦
      • 駆逐艦
        • 第19駆逐隊 15隻
    • X部隊 : 船団直衛艦隊 - ハロルド・バロー (Harold Burrough) 少将
      • 軽巡洋艦
        • ナイジェリア(損傷)、ケニア(損傷)、マンチェスター(沈没)、カイロ(沈没)
      • 駆逐艦
        • 第6駆逐隊 11隻
    • 潜水艦隊
      • 潜水艦 8隻
  • WS21S船団 : 補給船団
    • エンパイア・ホープ、ワイランギ、ワイマラマ、メルボルン・スター、ブリズベン・スター、ドーセット、グレノーキー、ポート・チャルマース、ロチェスター・キャッスル、デューカリオン、クラン・ファーガソン、サンタ・エリザ、アルメリア・ライクス、オハイオ
    • 計14隻

このほか中東方面(ハイファ、アレクサンドリア)からそれぞれ陽動作戦のための船団が出航した。

イタリア海軍[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、280ページ
  2. ^ 当時はモスクワの戦いの最中であった。
  3. ^ Shores, Cull and Malizia 1991, pp. 451–52
  4. ^ Nailer, p. 164

参考文献[編集]

  • Bradford, Ernle (2003). Siege: Malta 1940-1943. England: Pen and Sword. ISBN 0-850-529-301. 
  • Hogan, George (1978). Malta: The Triumphant Years, 1940-1943. England: Hale. ISBN 0-709-171-153. 
  • Holland, James (2004). Fortress Malta: An Island Under Siege, 1940-1943. England: Cassell Military. ISBN 0-304-366-544. 
  • Jellison, Charles A. (1985). Besieged: The World War II Ordeal of Malta, 1940-1942. USA: University of New Hampshire Press. ISBN 1-584-652-373. 
  • McAulay, Lex (1989). Against All Odds: RAAF Pilots in the Battle for Malta, 1942. London: Hutchinson. ISBN 0-091-695-708. 
  • Moses, Sam (2006). At All Costs: How a Crippled Ship and Two American Merchant Marines Turned the Tide of World War II. New York: Random House. ISBN 0-345-476-743. 
  • Nailer, Roger (1990). “Aircraft to Malta”. In Gardiner, Robert. Warship 1990. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. pp. 151–65. ISBN 1-55750-903-4. 
  • Pearson, Michael (2004). The Ohio and Malta: The legendary tanker that refused to die. England: Pen and Sword Books. ISBN 1-844-150-313. 
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  • Shores, Christopher; Cull, Brian; Malizia, Nicola (1991). Malta: The Spitfire Year: 1942. London: Grub Street. ISBN 0-948817-16-X. 
  • Smith, Peter C. (1974). The Battles of the Malta Striking Forces. London: Allan. ISBN 0-711-005-281. 
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  • Thomas, David A. (2000). Malta Convoys. England: Pen and Sword Books. ISBN 0-850-526-639. 
  • Wade, Frank (2006). A Midshipman's War: A Young Man in the Mediterranean Naval War, 1941-1943. England: Trafford Publishing. ISBN 1-412-070-694. 
  • John Wingate(著)、秋山信雄(訳)、マルタ島の潜水艦部隊の活躍、『イギリス潜水艦隊の死闘』、早川書房、2000年、ISBN 4-15-207857-X
  • 無頼船長トラップ』、早川書房、この時期のマルタ島海域を舞台にした海洋冒険小説