ペドロ・サンス・ホルダ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はサンス第二姓(母方の)はホルダです。
ペドロ・サンス・ホルダ
Pedro Sanz i Yordà.jpg
生誕 1680年9月3日
スペインタラゴナ県アスコー
死没 1747年5月26日
福建省福州
崇敬する教派 カトリック教会
列福日 1893年5月14日
列聖日 2000年10月1日
列聖決定者 ヨハネ・パウロ2世
記念日 5月26日
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ペドロ・サンス・ホルダカタルーニャ語: Pere Sans i Jordà ペーラ・サンス・イ・ジョルダスペイン語: Pedro Sanz Jordá ペドロ・サンス・ホルダ1680年9月3日 - 1747年5月26日)は、スペインカタルーニャ地方出身のドミニコ会修道士。代の中国で宣教したが、捕えられて殉教した。同時に捕えられた他の4人の宣教師とともに、2000年に中国百二十聖人のひとりとして列聖された。

略歴[編集]

サンスはカタルーニャ地方にあるタラゴナアスコーで生まれ、1697年にリェイダのドミニコ会に入会した。1704年に司祭に叙階された[1]フィリピンで2年間学んだ後に、1715年に厦門を経由して福建省福安で宣教活動を行なった。キリスト教に対する弾圧がはじまると、1730年にいったん広州に逃がれ、そこでマウリカストロ代理司教に叙任された[1]。その後ふたたび福安に戻ったが、1746年6月30日についに捕えられ、他の4人の宣教師らとともに福州に連行されて死刑を言いわたされた。1747年5月26日に斬首された。他の4人の宣教師は翌年処刑された。

列聖まで[編集]

1893年5月14日、レオ13世によって列福された。2000年10月1日、ヨハネ・パウロ2世中国百二十聖人のひとりとしてサンスを列聖した[2]

脚注[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]