ホウ林

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龐 林(ほう りん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の人物。蜀漢、後にに仕えた。兄は龐統。妻は習禎の妹。子は女子一人(『襄陽記』)。『三国志』蜀志龐統伝に記録がある。

関係がこじれ、劉備征呉の軍を起こした時、荊州治中従事の地位にあり、鎮北将軍であった黄権の軍に従軍していた。蜀の本軍が呉の陸遜の軍に敗北すると、黄権の軍が退路を断たれてしまったため、彼は黄権と共にやむなく魏に投降した(「龐統伝」)。

曹丕(文帝)は黄権達の降伏を受け入れ、龐林を列侯した。最終的には鉅鹿太守にまで昇ったという(「龐統伝」)。

妻とは、曹操が荊州を征服したときに離ればなれとなっていたが、妻は数十年間一人で娘を養育し、後に龐林が魏に投降したため再会を果たすことができたという。曹丕は彼女の節義を賞し、家具と衣服を下賜した(『襄陽記』)。