ボールドルーラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボールドルーラー
欧字表記 Bold Ruler
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1954年4月6日[1][2]
死没 1971年7月12日(17歳没)[1]
Nasrullah
Miss Disco
母の父 Discovery
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 Wheatley Stable[3]
馬主 Wheatley Stable[3]
調教師 James E. Fitzsimmons[3]
競走成績
生涯成績 32戦23勝[3][1]
獲得賞金 764,204ドル[3][1]
テンプレートを表示

ボールドルーラー (Bold Ruler) は、アメリカ競走馬。競走馬時代は同世代のギャラントマンラウンドテーブルら強力なライバルを相手にプリークネスステークス、トレントンハンデなどに勝ち、1957年アメリカ年度代表馬に選ばれた。種牡馬としても活動し、計8回アメリカリーディングサイアーに輝いた。代表産駒アメリカクラシック三冠セクレタリアト。馬名は大胆な支配者の意。

出生[編集]

ボールドルーラーは、その父ナスルーラのシンジケートを形成していた馬産家グラディス・ミルズ・フィップスの擁するホイートリーステーブル(Wheatley Stable)名義の元、ケンタッキー州レキシントン郊外パリのクレイボーンファームで1954年に生産されたサラブレッドの牡馬であった[c 1][3]。母馬ミスディスコはクレイボーンファームの場長であったアーサー・ハンコックが27,500ドルで購入した繁殖牝馬で、フィップスはハンコックから同馬を譲り受けて、クレイボーンファームで生産を行っていた[c 2][c 1]。ミスディスコは繁殖牝馬として多数の活躍馬を出し、その中で最も活躍したのが第4仔のボールドルーラーであった[c 1]

経歴[編集]

競走馬時代[編集]

ボールドルーラーは1956年に競走馬としてデビュー。10戦7勝の成績を残し、バービソンに次ぐ2歳フリーハンデ第2位にランクされた。勝ち星はいずれも1300m以下のレースで挙げたもので、1700mのガーデンステートステークスとレムゼンステークスはいずれも大敗を喫している。そのためこの時期のボールドルーラーは短距離馬と思われていた。

1957年は1月にバハマズステークスをハイアリア競馬場ダート1400mのコースレコードを記録して優勝。3月には1800mのフラミンゴステークスでもハイアリア競馬場のコースレコードを記録して優勝し、ギャラントマンラウンドテーブルアイアンリージなどとともにクラシック戦線の有力馬となった。4月にケンタッキーダービーのステップレースの一つであるウッドメモリアルステークスに優勝し、ケンタッキーダービーでは1番人気に推された[注 1]が、アイアンリージの4着に敗れた。続いてステップレースのプリークネスプレップを優勝して臨んだクラシック2戦目のプリークネスステークスではアイアンリージに2馬身の着差をつけて逃げ切り、優勝した。6月のベルモントステークスではギャラントマンの大差3着に終わり、クラシック戦線を終えた。

陣営は7月と8月を休養に当て、9月のレースでボールドルーラーを復帰させた。11月にかけて7戦し6勝という成績を残し、この年のシーズンを16戦11勝で終えたボールドルーラーはギャラントマン、ラウンドテーブル、アイアンリージらを抑えて年度代表馬に選出された。

1958年は常に60キロ以上の重い斤量を課されながらも8戦6勝の成績を残した。7月に出走したブルックリンハンデキャップで故障を発症し競走馬を引退した。3強と呼ばれたラウンドテーブル、ギャラントマンとの対戦成績はそれぞれ1勝1敗、5勝3敗であった。

種牡馬時代[編集]

ボールドルーラーは種牡馬としても大きな成功を収めた。産駒がデビューして2年目にはいきなりアメリカリーディングサイアーになり、1963-1969,1973年の計8回リーディングサイアーを獲得した。種付け料は公表されていなかったが、およそ3万ドルであったと推定されている。種牡馬として絶頂期にあった1970年の春、ボールドルーラーは競走馬としては極めて珍しい鼻腔を患っていることが発覚した。治療が続けられたが癌は頭部や顎に転移し、1971年7月に安楽死の処置がとられた。

後継種牡馬を見ると、ホワッツアプレジャー (What a Pleasure) が1975-76年の、ラジャババ (Raja Baba) が1980年のアメリカリーディングサイヤーにもなっている。日本へも系統の種牡馬が輸入されており、直仔のステューペンダス (Stupendous) がダービー馬ラッキールーラを、孫のダストコマンダー (Dust Commander) とロイヤルスキー (Royal Ski) が、それぞれ皐月賞優勝馬アズマハンター桜花賞優勝馬アグネスフローラを輩出した。また、孫のパーシャンボールド (Persian Bold) の子パーシャンボーイが外国産馬として走り、宝塚記念を勝っている。

主な産駒[編集]

血統表[編集]

ボールドルーラー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ナスルーラ系
[§ 2]

Nasrullah
1940 鹿毛
父の父
Nearco
1935 黒鹿毛
Pharos Phararis
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
父の母
Mumtaz Begum
1932 鹿毛
Blenheim Blandford
Malva
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine

Miss Disco
1944 鹿毛
Discovery
1931 栗毛
Display Fair Play
Cicuta
Ariadne Light Brigade
Adrienne
母の母
Outdone
1936 鹿毛
Pompey Sun Briar
Cleopatra
Sweep Out Sweep On
Dugout
母系(F-No.) (FN:8-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Sundridge 5x5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ [4][c 3]
  2. ^ [c 4][5]
  3. ^ [4][5]
  4. ^ [4][5]


母馬ミスディスコ(Miss Disco)は1944年生のディスカヴァリー産駒で、アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト2世が生産した馬であった。ヴァンダービルト2世は1945年に第二次世界大戦へ出征しているが、それに際して所有していた1歳馬を売り払っており、そのなかにミスディスコも入っていた[c 3]ニューヨーク州メドウブルックで行われたイヤリングセールにおいて、ミスディスコはシドニー・S・シュッパーという人物に2,100ドルで落札され[c 5][c 6]、アンソニー・パスキュマ調教師の馴致のもと競走生活を送り、1947年のテストステークスや1948年のインターバラハンデキャップなどに優勝、6歳まで走って生涯で54戦10勝、80,250ドルの賞金を稼ぎだしていた[c 1][c 5][c 2]

引退後はハンコックに購入されてフィップスが譲り受け、以後クレイボーンファームで繁殖牝馬となった。ボールドルーラー以外の主な産駒では、第2仔でナスルーラと最初に配合されて生まれたインディペンデンス(Independence、1952年生)が障害競走で活躍[c 1]、また1955年生の第5仔ナスコ(Nasco)がサラナクハンデキャップで優勝している。1957年生の牝馬フーリッシュワン(Foolish One、父トムフール)は未出走で繁殖入りし、ファニーフェロー(ローレンスリアライゼーションステークスなど)・プロタント(ホイットニーステークスなど)・マンデラ(プリンセスロイヤルステークス(英G3)など)のステークス勝ち馬3頭を輩出、マンデラに至ってはセントレジャーステークス優勝馬タッチングウッドを出すなど牝系を伸ばしている[c 7]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 山野浩一『伝説の名馬 PartI』中央競馬ピーアール・センター、1993年。ISBN 4-924426-37-7。
  • 原田俊治『世界の名馬 : セントサイモンからケルソまで』サラブレッド血統センター、1970年。
  • Edward L. Bowen (2005). Bold Ruler. Thoroughbred legends. Eclipse Press. ISBN 9781581501308. 
  • 栗山求『血統史たらればなし』エンターブレイン、2016年。ISBN 978-4-04-734112-8。
  • 斉藤重治『サラブレッド種牡馬系統表 2000年版』蒼馬社、2000年。ISBN 4-88388-080-X。
  1. ^ a b c d e 山野 p.188
  2. ^ a b Bowen p.53
  3. ^ a b 栗山 p.157
  4. ^ 斉藤 p.24
  5. ^ a b 原田 p.351
  6. ^ Bowen p.52
  7. ^ Bowen p.53-55

注釈[編集]

  1. ^ 2番人気はラウンドテーブル、3番人気はギャラントマン。

出典[編集]

  1. ^ a b c d Avalyn Hunter. “Bold Ruler (horse)”. American Classic Pedigrees. 2019年9月15日閲覧。
  2. ^ Horse Profile for Bold Ruler”. Equibase. 2019年9月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Bold Ruler”. National Museum of Racing and Hall of Fame (2014年10月21日). 2019年9月15日閲覧。
  4. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Bold Ruler(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2019年9月15日閲覧。
  5. ^ a b c Bold Rulerの血統表”. netkeiba.com. 2019年9月15日閲覧。