ボーンフィッシュ (SS-223)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
USS Bonefish (SS-223).jpg
艦歴
発注 1940年7月1日[1]
起工 1942年6月25日[2]
進水 1943年5月7日[2]
就役 1943年5月31日[2]
退役
除籍
その後 1945年6月19日に戦没
1945年7月30日に喪失宣告[3]
性能諸元
排水量 1,526トン(水上)
2,424トン(水中)
全長 307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02 m)
全幅 27.3 ft (8.31 m)
吃水 17.0 ft (5.2 m)
機関 ゼネラルモーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基
ゼネラル・エレクトリック発電機2基
最大速 水上:20.25 ノット (37 km/h)
水中:8.75 ノット (16 km/h)
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(18.5 km/h 時に 20,000 km)
試験深度 300 ft(90 m)
乗員 士官、兵員70名(平時)
士官、兵員80 - 85名(戦時)
兵装 (竣工時)4インチ砲1基、20ミリ機銃[4]
(1945年)5インチ砲1基、40ミリ機関砲[5]
21インチ魚雷発射管10基

ボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の12番艦。艦名はソトイワシ科に属する大型回遊魚の一種、ボーンフィッシュに因む。

ボーンフィッシュ(Bonefish

艦歴[編集]

ボーンフィッシュは1942年6月25日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。1943年5月31日にフリーランド・A・ドービン少将夫人によって進水し、艦長トーマス・W・ホーガン少佐(アナポリス1931年組)の指揮下の1943年5月7日に就役した。

就役後はコネチカット州ニューロンドンおよびロードアイランド州ニューポート沖で整調訓練を行う。7月23日に太平洋へ向けて出航し、8月4日にパナマ運河を通過、30日にオーストラリアブリスベンに到着する。同所で一週間の訓練の後、モートン湾に向かい訓練を再開する。その後、ブリスベンからダーウィンに進出する。

第1の哨戒 1943年9月 - 10月[編集]

9月16日、ボーンフィッシュは最初の哨戒でビルフィッシュ (USS Billfish, SS-286) およびボーフィン (USS Bowfin, SS-287) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。9月22日にバラバク海峡を通過し、南シナ海に入った[6]。3日後の9月25日朝、ボーンフィッシュは二列縦隊の輸送船5隻と、1隻の護衛艦を配する輸送船団を発見する[7]。この輸送船団、サ12船団[8]にはボーフィンとビルフィッシュも取り付いており[9]、午後に入ってからの攻撃で、ボーフィンは特設運送船(給油・応急タンカー)霧島丸(国際汽船、8,267トン)を撃沈し、その後もビルフィッシュとともに追撃を続けていた[10]。ボーンフィッシュは夜に入ってから、爆雷攻撃による制圧で深深度潜航に移る前に北緯10度58分 東経112度39分 / 北緯10.967度 東経112.650度 / 10.967; 112.650の地点で特務艦足摺に対して魚雷を4本発射し、3つの爆発を確認するが実際には被害はなく[8][11][12]、ビルフィッシュもタンカー誠心丸(日本油槽船、5,239トン)に対して魚雷を5本発射して1本の命中を報告したが、実際には命中していなかった[8][13][14]。2日後の9月27日未明、ボーンフィッシュは北緯10度30分 東経109度42分 / 北緯10.500度 東経109.700度 / 10.500; 109.700カムラン湾近海で、シンガポールに向かっていた第324船団[15]を発見。第324船団側もボーンフィッシュを発見して船団各船は避退行動に移っていたが、船団最大の船舶であった輸送船鹿島丸日本郵船、9,908トン)は全速力で避退しつつあったところ、前を航行する応急タンカー千早丸(日本郵船、4,701トン)との距離がわずか約200メートルとなり、追突を避けるため速力を落とした[16]。その時、北緯10度10分 東経109度40分 / 北緯10.167度 東経109.667度 / 10.167; 109.667の地点[17]に至ったボーンフィッシュは、鹿島丸に向けて魚雷を4本発射[18]。魚雷は2本が鹿島丸の四番船倉と五番船倉に命中し、鹿島丸は15分程度で沈没した[16][19][20]。船団中にあった輸送船第一興南丸(日本海洋漁業、455トン)[16]は、曳航していた特殊油槽船を放り出して救助作業を行いつつボーンフィッシュに迫ったが[16]、ボーンフィッシュは逃げることが出来た。10月6日朝には北緯12度22分 東経109度30分 / 北緯12.367度 東経109.500度 / 12.367; 109.500の地点[21]で3つ目の輸送船団を発見して魚雷を6本発射し、2隻の大型輸送船に魚雷を命中させたようだと判断された[22]。しかし、この時も実際には、第431船団に加入してサンジャックから高雄に向かう途中の輸送船対馬丸(日本郵船、6,754トン)に魚雷が向かっていったものの、6本のうちの3本が対馬丸の船底を通過していっただけだった[21][23][24]。10月7日夜にも北緯13度24分 東経113度05分 / 北緯13.400度 東経113.083度 / 13.400; 113.083の地点で輸送船岳陽丸に対して魚雷を6本発射したが、命中しなかった[25][26]。10月10日午前、ボーンフィッシュは北緯14度32分 東経110度18分 / 北緯14.533度 東経110.300度 / 14.533; 110.300のカムラン湾北東約110キロの海域で高雄に向かっていた第432船団を発見する[27]。ボーンフィッシュは後方から第432船団に迫り、北緯14度44分 東経110度16分 / 北緯14.733度 東経110.267度 / 14.733; 110.267に至った所で距離2,400メートルから魚雷を4本を発射[28]。うち2本が輸送船五十鈴川丸(東洋海運、4,214トン)に命中して撃沈し、五十鈴川丸被雷を見て40度に回頭して魚雷を避けようとしていた輸送船帝美丸帝国船舶、元フランス船 Bernardin Saint-Pierre /大阪商船委託、10,085トン)にも2本命中。うち左舷後部に命中した1本は不発だったが、船尾に命中した魚雷による被害が甚だしく15時21分に沈没した。10月14日夕刻には、北緯00度10分 東経119度15分 / 北緯0.167度 東経119.250度 / 0.167; 119.250の地点で2本マストの10トン級スクーナーを発見し、2基の20ミリ機銃の掃射で撃沈した[29]。10月21日、ボーンフィッシュは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第2の哨戒 1943年11月 - 12月[編集]

11月22日、ボーンフィッシュは2回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。11月28日にロンボク海峡を抜けフローレス海に入る[30]。その翌日である11月29日朝、ボーンフィッシュは南緯06度34分 東経116度47分 / 南緯6.567度 東経116.783度 / -6.567; 116.783の地点で2隻の輸送船団を発見[30]。2隻のうち1隻は「野島型給炭艦」と推定された[30]。ボーンフィッシュは潜航し、南緯06度22分 東経116度35分 / 南緯6.367度 東経116.583度 / -6.367; 116.583の地点に至った所で魚雷を4本発射[30]。魚雷は2本が輸送船すゑず丸栗林商船、4,645トン)に命中し、すゑず丸は後部から急速に沈没していった。護衛艦が向かってきたものの、ボーンフィッシュは上手くまいて逃げた。しかし、ここで悪い話があった。当時すゑず丸は546名のイギリス軍捕虜を乗せていた。後年書かれた書物[要出典]によれば、捕虜のほとんどは海中に放り出された挙句、日本人遭難者を救助した護衛の第12号掃海艇に機銃掃射され、少なくとも250名の捕虜が死んだ。

12月1日未明、ボーンフィッシュは北緯00度22分 東経119度24分 / 北緯0.367度 東経119.400度 / 0.367; 119.400セレベス島トリトリ北方海域で、バリクパパンからパラオに向かう第2612船団を発見[31]。追跡の後攻撃位置についたボーンフィッシュは、22時過ぎに北緯01度28分 東経120度53分 / 北緯1.467度 東経120.883度 / 1.467; 120.883の地点で艦首発射管から魚雷を6本、直ちに反転して艦尾発射管から魚雷を4本発射した[32]。魚雷は輸送船日遼丸(三菱汽船、2,721トン)に1本が命中し、日遼丸は沈没した。ボーンフィッシュは追撃を行い、12月2日明け方に二度目の攻撃で魚雷を4本発射して1つの爆発を確認した[33]。12月4日から6日まではサンダカン沖で潜航哨戒を実施し、次いでタラカン沖でも潜航哨戒を実施した[34]。12月11日午前、ボーンフィッシュは北緯04度02分 東経118度22分 / 北緯4.033度 東経118.367度 / 4.033; 118.367シパダン島英語版沖で小型輸送船を発見し、浮上砲戦を挑む。しかし、発射した4インチ砲弾57発のうち7発を命中させたものの、相手は逃げ去ってしまった[35][注釈 1]。12月12日午前にも北緯02度32分 東経118度15分 / 北緯2.533度 東経118.250度 / 2.533; 118.250の地点で3,000トン級輸送船を発見し、魚雷を二度にわたり3本ずつ計6本発射したが、成功しなかった[36]。12月19日、ボーンフィッシュは27日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。改装と訓練を実施した。

第3の哨戒 1944年1月 - 3月[編集]

1944年1月12日、ボーンフィッシュは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。1月22日朝、ボーンフィッシュは南緯02度36分 東経118度06分 / 南緯2.600度 東経118.100度 / -2.600; 118.100マカッサル海峡で60トン級帆船を発見する[37]。ボーンフィッシュは帆船に接近して交信を試みたが、帆船の7人の乗組員が不審な動きをした挙句、船を捨てることをよしとしなかったため、ボーンフィッシュは20ミリ機銃で帆船を射撃[37]。帆船に乗り合わせた原住民は海中に飛び込み、帆船が沈むその時に、39人の日本軍兵士が船底から脱出するのを確認した[37]。バラバク海峡を抜けて南シナ海に入り、哨戒海域に到着した[38]。2月6日午前、ボーンフィッシュは北緯12度01分 東経109度24分 / 北緯12.017度 東経109.400度 / 12.017; 109.400のカムラン湾沖でおそらくは17隻はあろうかと思われる輸送船団を発見[39]。ボーンフィッシュは時間をかけてこの輸送船団、第357船団[40][41]をつぶさに観察し、午後に入って北緯11度55分 東経109度18分 / 北緯11.917度 東経109.300度 / 11.917; 109.300の地点に至ったところでタンカーと輸送船を目標に魚雷を6本発射[42]。次に艦尾発射管から魚雷を発射しようと旋回したところ、護衛艦が急接近。ボーンフィッシュは潜望鏡を引っ込めて深深度潜航に入るため、9トンの海水が前部に注入された。発射した魚雷は、タンカーに2本と輸送船に少なくとも1本は命中したように思えたが、いずれにせよ目標は沈没には至らなかったものと判断された[43]。実際には輸送船うすりい丸(大阪商船、6,385トン)に魚雷が向かったものの、被害はなかった[44]。第357船団はほとぼりが冷めるまでカムラン湾に避難し、3日後の2月9日に航行を再開する[44]。ボーンフィッシュは湾内から出てきた第357船団と再び接触し、北緯11度30分 東経109度08分 / 北緯11.500度 東経109.133度 / 11.500; 109.133の地点で海軍徴傭タンカー第二図南丸(日本海洋漁業、19,262トン)に向けて魚雷を5本発射[45][46]。攻撃直後、ボーンフィッシュは護衛艦と航空機の制圧を受け、海底で反撃が止むのをひたすら待ったため戦果を確認できず、夕方になって浮上したが、その頃には第357船団の姿はなかった[47]。日本側では、第二図南丸に魚雷が命中して小破したと記録された[41][45]。ボーンフィッシュはその後1ヵ月近く哨戒を行って目標を探し続ける一方、2月16日未明にはパダラン岬沖に浮上し、灯台に対して艦砲射撃を行った[48][49]。3月15日、ボーンフィッシュは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第4の哨戒 1944年4月 - 5月[編集]

4月13日、ボーンフィッシュは4回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。4月26日午後、ボーンフィッシュは北緯11度30分 東経109度08分 / 北緯11.500度 東経109.133度 / 11.500; 109.133のサランガニ海峡で、ミンダナオ島沿岸を航行する4隻の輸送船団を発見[50]。護衛艦の目をかいくぐって十分な追跡を行い、夜に入ってから「妙義丸級輸送船」に対して魚雷を4本発射[51]。うち2本の魚雷が「妙義丸級輸送船」の中部と後部に命中して目標は沈没した[52][注釈 2]。翌4月27日朝にも4,500トン級輸送船を発見し、魚雷を4本発射して少なくとも3つの命中を得たと考えられたが、目標は沈まなかった[53]。5月4日朝、ボーンフィッシュは北緯06度47分 東経120度20分 / 北緯6.783度 東経120.333度 / 6.783; 120.333スールー海入り口で輸送船団を発見し接近したが[54]、上空に哨戒の二式水上戦闘機がいたので潜航[55]。二式水上戦闘機はボーンフィッシュに対して対潜爆弾2発を投下し、この攻撃でボーンフィッシュは小破した[55]。ボーンフィッシュは修理をするため浮上したが、2隻の艦船が向かってきたので再び潜航し、爆雷攻撃に備えた[55]。2隻は爆雷を25発投下した後遠くに去っていった[55]。一連の反撃が止むと、ボーンフィッシュはバシラン海峡の北で哨戒を続けた。5月7日、ボーンフィッシュはフラッシャー (USS Flasher, SS-249) からの情報に基づいて哨区を修正する[56]。間もなく陸岸沿いを航行する輸送船団を発見し、護衛艦の動きに注意しながら追跡を行い、夕刻に北緯07度07分 東経121度50分 / 北緯7.117度 東経121.833度 / 7.117; 121.833の地点で輸送船に向けて魚雷を4本発射して3つの命中音を聴取したが、護衛艦が反転してきたので最終的な結果を確認することは出来なかったが、撃沈と推定された[57]。5月9日未明、ボーンフィッシュは30トン級セイルボートを発見し、ピジン英語を話す原住民と会話した[58]。原住民の言から、ボートはカガヤンからパラワン島タイタイに向かっており、途中パナイ島を積んでいたもので、クルーの中には2人の元フィリピン軍兵士がいること、日本の輸送船がデュマラン英語版地域の水路を使用していること、プエルト・プリンセサに500名、コロン島に300名、タイタイに40名の日本軍がいることなどが分かった[58]。2日後の5月11日未明には北緯08度48分 東経123度00分 / 北緯8.800度 東経123.000度 / 8.800; 123.000の地点で、「千鳥型水雷艇」を付した「厳島型敷設艦」を発見して魚雷を4本発射したが、命中しなかった[59]

駆逐艦電(1937年)

5月14日未明、ボーンフィッシュは北緯05度03分 東経119度36分 / 北緯5.050度 東経119.600度 / 5.050; 119.600シブツ海峡で、駆逐艦2隻と3隻の特設運送船(給油)からなる船団を発見した。特設運送船(給油)は日栄丸(日東汽船、10,021トン)、あづさ丸(石原汽船、10,022トン)、建川丸(川崎汽船、10,090トン)で、駆逐艦はであり、あ号作戦に備えてマニラからバリクパパンに燃料を取りに向かっていたものであった[60]。ボーンフィッシュは船団後方から攻撃を仕掛け[61]、4時11分に魚雷を5本発射。当初は6本発射する予定であったが、1本が発射管の故障で発射できなかったため5本の発射となった[62]。目標はタンカーだったが、魚雷はタンカーとは別の目標、すなわち電の後部と中央部に命中。電は煙と炎に覆われ、船体をV字型に折って沈没した[63]。響が反撃に出たが、ボーンフィッシュは深深度潜航で反撃から逃れた。ボーンフィッシュは電を撃沈したとは思わず、当時はタンカーを撃沈したと報告した[64] 。電を撃沈したと分かったのは戦後のことであった[65]

電を撃沈した後もシブツ海峡で哨戒していたボーンフィッシュは同じ5月14日の午後、タウィタウィに入る日本艦隊を観測。3隻の戦艦、1隻の空母、3隻の重巡洋艦、1隻の軽巡洋艦を確認し、その周囲を8隻の駆逐艦が警戒していた[66]。5月17日にはタウィタウィ湾内に3隻の戦艦、3隻の重巡洋艦、2隻の軽巡洋艦、9隻の駆逐艦が在泊しているのを確認し[67]、5月19日にも湾内に入るタンカー船団を確認した[68]。一連の情報は直ちに司令部に通報された。任務を終えると、ボーンフィッシュは南に針路を向けた。5月30日、ボーンフィッシュは48日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がローレンス・L・エッジ少佐(アナポリス1935年組)に代わった。

第5の哨戒 1944年6月 - 8月[編集]

6月25日、ボーンフィッシュは5回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。7月5日午後、ボーンフィッシュは北緯00度41分 東経119度51分 / 北緯0.683度 東経119.850度 / 0.683; 119.850の地点で100トン級木造スクーナーを発見し、浮上砲戦で撃沈[69]。2日後の7月7日にも北緯02度40分 東経118度22分 / 北緯2.667度 東経118.367度 / 2.667; 118.367タラカン沖で200トン級木造スクーナーを、同じく浮上砲戦で撃沈[70]。7月8日朝、ボーンフィッシュは北緯02度18分 東経118度10分 / 北緯2.300度 東経118.167度 / 2.300; 118.167ボルネオ島マンガリハット岬近海で小型船の集団を発見する。少なくとも10隻以上の群がるような小型船の中を縫った後に海軍徴傭船龍栄丸日本製鐵、207トン)を目標として定め、北緯03度07分 東経117度02分 / 北緯3.117度 東経117.033度 / 3.117; 117.033の地点に至った所で艦首発射管から魚雷を4本、艦尾発射管から魚雷を4本発射したが、全て命中しなかった[71]。2時間後、ボーンフィッシュは浮上して龍栄丸を追い求め、夕刻になって再度発見して浮上砲戦により撃沈した[72][73][74]。7月10日朝には北緯07度10分 東経119度12分 / 北緯7.167度 東経119.200度 / 7.167; 119.200ホロ島近海で50トン級サンパンを砲撃で撃沈し[75]、7月12日未明には北緯10度17分 東経122度21分 / 北緯10.283度 東経122.350度 / 10.283; 122.350の地点で300トン級ラガー英語版を機銃掃射で撃ち沈め[76]、7月16日朝にも北緯10度18分 東経119度55分 / 北緯10.300度 東経119.917度 / 10.300; 119.917の地点で150トン級ラガーを砲撃で沈めた[77][78]。7月17日夜、ボーンフィッシュは北緯11度05分 東経119度55分 / 北緯11.083度 東経119.917度 / 11.083; 119.917の地点でレーダーにより目標を探知し、距離を詰めた上で翌7月18日未明に夜間浮上攻撃で魚雷を3本発射し、1本が命中したと判断される[79]。7月19日から7月26日までは、ベルデ島水路で哨戒を行った[80]

7月29日午前、ボーンフィッシュはトゥバタハ岩礁近海で2隻の駆逐艦あるいは海防艦に守られた特設運送船(給油)国洋丸(国洋汽船、10,026トン)を発見し、近在にいたカブリラ (USS Cabrilla, SS-288) との連携を期待して追跡を行った[81]。日付が7月30日に変わって後、ボーンフィッシュは北緯06度07分 東経120度00分 / 北緯6.117度 東経120.000度 / 6.117; 120.000の地点で魚雷を5本発射し、「4つの美しい命中」を確認して国洋丸を撃沈した[82]。ボーンフィッシュはシブツ海峡とタウィタウィの北方、ミンダナオ島方面で哨戒を続け、8月2日午後には北緯08度33分 東経123度00分 / 北緯8.550度 東経123.000度 / 8.550; 123.000の地点で4隻の輸送船団を発見し、タンカーに向けて魚雷を3本発射して1本の命中と判定される[83]。ボーンフィッシュは引き続きこの船団に接触し、翌8月3日明け方に北緯07度11分 東経121度52分 / 北緯7.183度 東経121.867度 / 7.183; 121.867の地点で再びタンカーに対して魚雷を4本発射して1本命中させたと判断された[84]。フリーマントルへの帰途の途中の8月7日、ボーンフィッシュは南緯08度42分 東経115度43分 / 南緯8.700度 東経115.717度 / -8.700; 115.717ロンボク海峡で「千鳥型水雷艇」を発見し、最後にただ1本残った魚雷を差し向けようとする[85]。しかし、異常が発生して発射できず、ボーンフィッシュは「千鳥型水雷艇」に探知されないようにその場を立ち去った[86]。8月13日、ボーンフィッシュは49日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。弾薬を補給し乗組員をリフレッシュさせた。

第6の哨戒 1944年9月 - 10月[編集]

9月5日、ボーンフィッシュは6回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。9月10日から12日までダーウィンに寄港の後[87]、最初はシブヤン海方面で哨戒したが、この海域では敵の姿を全く見ず、ボーンフィッシュは9月24日にシブヤン海を去った[88]。9月27日未明、ボーンフィッシュは北緯13度48分 東経119度38分 / 北緯13.800度 東経119.633度 / 13.800; 119.633のマニラ西方240海里の海域で1隻のタンカーと2隻の護衛艦を探知し、魚雷を4本発射して1本命中させた[89]。この攻撃で、特務艦神威を大破させた[74][90]。翌9月28日未明には、北緯13度16分 東経120度08分 / 北緯13.267度 東経120.133度 / 13.267; 120.133ミンドロ島沖で2隻の護衛艦に護衛されたタンカー 安城丸拿捕船、元オランダ船アンジェリーナ/飯野海運委託、2,086トン)[91]を発見し、魚雷を6本発射して2本命中させた[92]。ボーンフィッシュは、魚雷が命中した安城丸が急速に速力が低下していく姿を観測し続けた。戦後の日本の記録では、安城丸はこのまま沈没したと結論付けられた。

9月30日、ボーンフィッシュはフラッシャー、レイポン (USS Lapon, SS-260) と合流してウルフパックを構成した[93]。10月10日、ボーンフィッシュはレイポンとともに北緯16度20分 東経119度45分 / 北緯16.333度 東経119.750度 / 16.333; 119.750ルソン島ボリナオ岬近海でタマ29船団を発見、4,000トン級輸送船に対して魚雷を6本発射し、3つの命中を得たと判断された[94]。レイポンは輸送船江尻丸(日本郵船、6,968トン)を撃沈した。この後、ボーンフィッシュはルソン島を攻撃する第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)に対する救助配備任務にも就く。10月14日、ボーンフィッシュは北緯16度17分 東経119度45分 / 北緯16.283度 東経119.750度 / 16.283; 119.750リンガエン湾南西沖で2隻の輸送船と護衛艦を発見し、二番目の目標に対して魚雷を4本発射[95]。魚雷は輸送船伏見丸(東洋海運、2,546トン)に命中してこれを撃沈した。10月19日未明には、空母バンカー・ヒル (USS Bunker Hill, CV-9) 所属の2名のパイロットを救助した[96]。その夜、ボーンフィッシュは哨戒海域を去り、10月27日にサイパン島に入港して燃料を補給した[97]。11月8日、ボーンフィッシュは62日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコに回航され、11月18日から1945年2月13日までベスレヘム・スチールオーバーホールに入った。終了後、モントレーで訓練を行い、3月20日に真珠湾に戻った後、次期哨戒のためグアムアプラ港に回航された[98]

第7の哨戒 1945年3月 - 5月[編集]

4月6日、ボーンフィッシュは7回目の哨戒で東シナ海に向かった[99]。しかし、この哨戒ではわずかな接触しかなかった。そのほとんどは対潜艦艇であり、4月13日夜には北緯34度01分 東経127度58分 / 北緯34.017度 東経127.967度 / 34.017; 127.967の地点で、そのうちの1隻を撃沈しようと接近し、魚雷を3本発射したものの命中せず、目標は大急ぎで去っていった[100]。4月16日には、朝鮮半島南方で2人の日本人パイロットを救助。4月21日から22日にかけては、対馬海峡のうち北緯31度54分 東経128度11分 / 北緯31.900度 東経128.183度 / 31.900; 128.183から北緯31度20分 東経127度34分 / 北緯31.333度 東経127.567度 / 31.333; 127.567に至る海域における機雷の敷設状況を調査した[101]。5月7日、ボーンフィッシュは31日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。

最後の哨戒 1945年5月 - 6月・バーニー作戦[編集]

5月28日、ボーンフィッシュは8回目の哨戒でバーニー作戦に参加して日本海に向かった。このバーニー作戦は、この時点の日本に残されたほぼ唯一の重要航路に打撃を与えるものであり、対馬海峡の機雷原突破と日本海を悠然と航行する日本船は、目標の減少に嘆いていた潜水艦部隊にとっては絶好のスリルであり獲物であった[102]。この作戦には9隻の潜水艦が投入され「ヘルキャッツ」 Hellcats と命名された[103]。各潜水艦は三群に分けられ、シードッグ (USS Sea Dog, SS-401) 艦長のアール・T・ハイデマン少佐(アナポリス1932年組)が総司令となった。ボーンフィッシュはタニー (USS Tunny, SS-282) 、スケート (USS Skate, SS-305) と共にウルフパック「ピアースズ・ポールキャッツ」 Pierce's Polecats を組み、第一陣「ハイデマンズ・ヘップキャッツ」 Hydeman's Hep Cats が5月27日に出撃してから24時間後に出航し、対馬海峡に進出した[103]

リレー式に対馬海峡を突破したシードッグ以下の潜水艦は三群それぞれの担当海域に向かい、6月9日日の出時と定められていた攻撃開始を待った[103]。「ピアースズ・ポールキャッツ」は能登半島以西の沿岸部に進出した。6月16日朝、ボーンフィッシュは北緯38度40分 東経135度24分 / 北緯38.667度 東経135.400度 / 38.667; 135.400丹後半島の沖でタニーと会合して戦果報告を行ったが[104][105]、その報告と日本側資料によれば、6月13日に北緯38度30分 東経136度57分 / 北緯38.500度 東経136.950度 / 38.500; 136.950の能登半島輪島の沖合い120キロ付近で、新潟から清津に向かっていた輸送船牡鹿山丸(三井船舶、6,892トン)を発見し、ボーンフィッシュは牡鹿山丸を雷撃によりあっさり撃沈した。牡鹿山丸はバーニー作戦で撃沈した最も大きな艦船だった。ボーンフィッシュとタニーは十分な間合いを取りながら6月18日朝まで共に哨戒を行い、またボーンフィッシュは日本と羅津清津間の交通路を断つべく富山湾での白昼潜航哨戒の許可を求めた[105]。6月18日朝、富山湾での哨戒の許可を得たボーンフィッシュは、北緯38度15分 東経136度24分 / 北緯38.250度 東経136.400度 / 38.250; 136.400若狭湾北方でタニーと別れた[104][106]。これが、アメリカ側がボーンフィッシュを見た最後であった。6月23日、利尻島沖で集結した潜水艦の中にボーンフィッシュがいないことに気づき、タニーは先任艦の務めとして幾度と無くボーンフィッシュとの交信を試みたが徒労に終わった。7月30日、ボーンフィッシュは喪失したと判定された。

ボーンフィッシュの最期[編集]

6月19日、能登半島松波に面する七尾湾で輸送船坤山丸(興国汽船、5,488トン)がボーンフィッシュの雷撃により撃沈された。この時、近くの富山湾では海防艦沖縄第207号海防艦、第63号海防艦の3隻の海防艦で編成されていた第三十一海防隊が訓練を実施していたが、「商船(坤山丸)一隻敵潜雷撃を受け七尾沖にて沈没」の報を受けて現場に急行[107]。坤山丸の生存者を発見することは出来なかった。しかしその時、沖縄の三式水中探信儀が潜水艦の強いエコーを捉えた[107]。沖縄は爆雷の爆発深度を90メートルと120メートルに設定し攻撃を開始[107]。第207号、第63号がこれに続き、近くを航行中だった2隻の海防艦、第75号海防艦と第158号海防艦も応援に駆けつけ爆雷攻撃を実施した[108]。それらによる集中攻撃の結果エコーが消滅し、翌日にはその場にはコルク片や重油の帯が流出していた[108]。これがボーンフィッシュの最期であると考えられる[108]。ボーンフィッシュの沈没位置は、アメリカ側記録では北緯37度18分 東経137度55分 / 北緯37.300度 東経137.917度 / 37.300; 137.917となっている[109]。ボーンフィッシュを撃沈した5隻の海防艦は舞鶴鎮守府司令長官田結穣中将から以下のような感状を授与された[110]

第二〇七、第六三、第七五、第一五八海防艦及沖縄ガ六月十九日緊密ナル連絡ノ下ニ七尾沖ニ於テ敵潜水艦ヲヨク捕捉シ適確ナル攻撃ヲ加ヘ確実ニ之ヲ撃沈本府担任海面ニ於ケル初ノ戦果ヲ挙ゲタルハ大ニ可ナリ[107]

ボーンフィッシュは第二次世界大戦の戦功で7個の従軍星章を受章した。また第1、第3、4、5、6回目の哨戒の功績で海軍殊勲部隊章を受章している。なお、ボーンフィッシュの撃沈に貢献した殊勲の5隻の海防艦は、沖縄が1945年7月30日、舞鶴にて空襲を受け大破着底した以外はすべて無事に終戦を迎えた。

登場作品[編集]

映画[編集]

小説[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter V: 1943” (英語). HyperWar. 2012年3月21日閲覧。では、この目標の船名を "Toyohime Maru" とする。
  2. ^ #Roscoe p.531 、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter VI: 1944” (英語). HyperWar. 2012年3月21日閲覧。では、この目標を "Tokiwa Maru Passenger-Cargo 806(トン)" としている。

出典[編集]

  1. ^ #海と空p.170
  2. ^ a b c #Friedman
  3. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.206
  4. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.10
  5. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.132
  6. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.13
  7. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.14
  8. ^ a b c #一護1809p.33
  9. ^ #SS-287, USS BOWFIN, Part 1p.15
  10. ^ #SS-287, USS BOWFIN, Part 1p.16
  11. ^ #十一特根1809p.5
  12. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.15, pp.32-33
  13. ^ #商船誠心丸戦闘詳報pp.30-32
  14. ^ #SS-286, USS BILLFISHp.24
  15. ^ #一護1809p.29
  16. ^ a b c d #郵船戦時上p.359
  17. ^ #十一特根1809p.6
  18. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.16-17, pp.34-36
  19. ^ #商船豫州丸戦闘詳報
  20. ^ #商船鹿島丸戦闘詳報
  21. ^ a b #十一特根1810p.12
  22. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.21-22, pp.37-39
  23. ^ #商船対馬丸戦闘詳報
  24. ^ #一護1810p.10
  25. ^ #十一特根1810pp.12-13
  26. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.23-24, pp.39-41
  27. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.24
  28. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.25, pp.41-43, p.48
  29. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.27,49
  30. ^ a b c d #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.62
  31. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.63
  32. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.64-65
  33. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.66
  34. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.67-68
  35. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.69,74
  36. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.70,74, pp.84-86
  37. ^ a b c #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.101
  38. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.103
  39. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.105-106
  40. ^ #一護1901p.23
  41. ^ a b #一護1902p.48
  42. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.106-107, pp.128-131
  43. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.128-131
  44. ^ a b #十一特根1902p.3
  45. ^ a b #十一特根1902p.4
  46. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.109-110, pp.132-134
  47. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.111
  48. ^ #十一特根1902p.5
  49. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.113,137
  50. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.154
  51. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.154-156
  52. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.157
  53. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.157-159
  54. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.189
  55. ^ a b c d #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.165-166
  56. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.167
  57. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.167-171, pp.198-200
  58. ^ a b #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.172
  59. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.173, pp.201-203
  60. ^ #日栄丸p.3
  61. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.175
  62. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.175,206
  63. ^ #響の栄光p.252,256
  64. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.204
  65. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.216
  66. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.177-178
  67. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.181-182
  68. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.184
  69. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.227,296
  70. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.229-231, p.297
  71. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.235-236, pp.282-284, pp.289-291
  72. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.237-239, pp.298-299
  73. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.14
  74. ^ a b The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter VI: 1944” (英語). HyperWar. 2012年3月21日閲覧。
  75. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.241-242, p.299
  76. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.243-245, p.300
  77. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.247-248, p.300
  78. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.1
  79. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.249-250, pp.284-285, pp.291-292
  80. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.251-256
  81. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.258-260
  82. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.262, pp.285-286, p.293
  83. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.266
  84. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.268, pp.288-289, p.294
  85. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.270-271, p.278
  86. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1pp.271-272
  87. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.20
  88. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.28
  89. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2pp.30-32, pp.97-98
  90. ^ #伊達p.231
  91. ^ #正岡p.79
  92. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2pp.33-35, pp.100-103
  93. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2pp.37-38
  94. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2pp.48-51, p.76, pp.104-107
  95. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2pp.55-56
  96. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.64
  97. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2pp.70-71
  98. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.132
  99. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.133
  100. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.136-138, pp.162-164
  101. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 2pp.194-198
  102. ^ #戦史46p.551
  103. ^ a b c #戦史46p.552
  104. ^ a b #SS-223, USS BONEFISH, Part 2p.199
  105. ^ a b #SS-282, USS TUNNY, Part 2p.10
  106. ^ #SS-282, USS TUNNY, Part 2p.12
  107. ^ a b c d #海防艦戦記p.313
  108. ^ a b c 潜水艦攻撃、177ページ
  109. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter VII: 1945” (英語). HyperWar. 2012年3月21日閲覧。
  110. ^ #海防艦戦記p.313,651

参考文献[編集]

  • (issuu) SS-223, USS BONEFISH, Part 1. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-223_bonefish_part1?mode=a_p. 
  • (issuu) SS-223, USS BONEFISH, Part 2. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-223_bonefish_part2?mode=a_p. 
  • (issuu) SS-286, USS BILLFISH. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-286_billfish?mode=a_p. 
  • (issuu) SS-287, USS BOWFIN, Part 1. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-287_bowfin_part1?mode=a_p. 
  • (issuu) SS-282, USS TUNNY, Part 2. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-282_tunny_part2?mode=a_p. 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030139800 『自昭和十八年九月一日 至同九月三十日 (第一海上護衛隊)戦時日誌』、21-46頁。
    • Ref.C08030139900 『自昭和十八年十月一日 至同十八年十月三十一日 第一海上護衛隊戦時日誌』、1-26頁。
    • Ref.C08030257500 『自昭和十八年九月一日 至昭和十八年九月三十日 第十一特別根拠地隊戦時日誌』、1-9頁。
    • Ref.C08030257500 『自昭和十八年十月一日 至昭和十八年十月三十一日 第十一特別根拠地隊戦時日誌』、10-19頁。
    • Ref.C08030463100 『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二二九号』、26-32頁。
    • Ref.C08030463100 『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二三〇号』、33-36頁。
    • Ref.C08030463200 『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二五八号』、40-44頁。
    • Ref.C08030463200 『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二五九号』、45-48頁。
    • Ref.C08030463300 『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二七一号』、22-26頁。
    • Ref.C08030465700 『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二四二号』、5-8頁。
    • Ref.C08030463900 『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二六八号』、14-15頁。
    • Ref.C08030621500 『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第二号哨戒艇戦時日誌』。
    • Ref.C08030257600 『自昭和十九年二月一日 至昭和十九年二月二十九日 第十一特別根拠地隊戦時日誌』、1-11頁。
    • Ref.C08030140300 『自昭和十九年一月一日至昭和十九年一月三十一日 第一海上護衛隊戦時日誌』、1-28頁。
    • Ref.C08030140300 『自昭和十九年二月一日至昭和十九年二月二十九日 第一海上護衛隊戦時日誌』、29-53頁。
    • Ref.C08030685100 『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 特設運送船(給油船)日栄丸戦時日誌』。
  • 深谷甫(編)「写真 米国海軍」、『増刊 海と空』、海と空社、1940年
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3. 
  • 財団法人海上労働協会(編) 『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』 財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6。
  • 日本郵船戦時船史編纂委員会 『日本郵船戦時船史』上、日本郵船、1971年
  • 防衛研究所戦史室編 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社1971年
  • ひびき会(編) 『不沈艦 響の栄光』 ひびき会、1978年
  • 海防艦顕彰会(編) 『海防艦戦記』 海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 木俣滋郎 『日本水雷戦史』 図書出版社、1986年
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』 出版協同社、1987年ISBN 4-87970-047-9。
  • 木俣滋郎 『敵潜水艦攻撃』 朝日ソノラマ1989年ISBN 4-257-17218-5。
  • 木俣滋郎『潜水艦攻撃 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2289-8
    • 上記『敵潜水艦攻撃』の改題版
  • 伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」 『写真 日本の軍艦14 小艦艇II』 雑誌「」編集部(編)、光人社、1990年ISBN 4-7698-0464-4。
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. pp. pp .285-304. ISBN 1-55750-263-3. 
  • 野間恒 『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』 野間恒(私家版)、2004年
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」、『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年
  • 正岡勝直(編)「小型艦艇正岡調査ノート5 戦利船舶、拿捕船関係」、『戦前船舶資料集』第130号、戦前船舶研究会、2006年、 7-88頁。

関連項目[編集]

座標: 北緯37度18分 東経137度55分 / 北緯37.300度 東経137.917度 / 37.300; 137.917