マイク・モーガン (野球)
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![]() AA級ナッシュビル・サウンズでの現役時代 (1981年) | |
基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | カリフォルニア州トゥーレアリ郡トゥーレアリ |
生年月日 | 1959年10月8日(59歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 225 lb =約102.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1978年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 | 1978年6月11日 |
最終出場 | 2002年9月2日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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マイケル・トーマス・モーガン(Michael Thomas Morgan, 1959年10月8日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州トゥーレアリ郡トゥーレアリ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
1970年代(1978年)から2000年代(2002年)まで22年間現役でプレーした4ディケード選手でもある。
経歴[編集]
1978年6月のMLBドラフト1巡目(全体4位)でオークランド・アスレチックスから指名され、プロ入り。ドラフト直後の6月11日にマイナーを経験せずにメジャーデビューを果たす[1]も、0勝3敗に終わった。翌1979年も2勝10敗と力不足は明らかで、マイナー落ちした。
その後、シアトル・マリナーズでプレーの1986年に初の二桁勝利となる11勝を挙げるも、アメリカンリーグワーストとなる17敗を喫し、翌1987年も同じく17敗した。
ロサンゼルス・ドジャースでプレーの1990年にはナショナルリーグ最多の4完封を含む11勝、続く1991年は11年目にして初の勝ち越しとなる14勝10敗を記録し、オールスターにも選出された。シカゴ・カブスへ移籍した1992年には自己最多の16勝(リーグ3位)、防御率2.55と好投した。テキサス・レンジャーズでプレーの1999年には6年ぶりの二桁となる13勝を挙げている。
アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍し、4ディケード投手となった2000年は自己最多60試合に登板した。2001年は初めてワールドシリーズの檜舞台に立ち、4.2回を無失点に抑えた[2]。翌2002年に引退した。
投球スタイル[編集]
沈む速球とスライダーでゴロを打たせる投球を得意としていた[2]。
詳細情報[編集]
記録[編集]
- MLBオールスターゲーム選出:1回(1991年)
背番号[編集]
- 15(1978年 - 1979年)
- 39(1982年 - 同年途中)
- 63(1982年 - 同年途中)
- 30(1983年、1998年 - 同年途中)
- 35(1985年 - 1986年、1992年 - 1995年途中)
- 16(1987年)
- 12(1988年)
- 36(1989年 - 1991年、1995年途中 - 1996年途中、1997年途中 - 同年終了、1999年、2001年 - 2002年)
- 31(1996年途中 - 1997年途中)
- 38(1998年途中 - 同年終了)
- 32(2000年)
脚注[編集]
- ^ “Baltimore Orioles at Oakland Athletics Box Score, June 11, 1978” (英語). Baseball-Reference.com. 2019年8月24日閲覧。
- ^ a b 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、619頁。ISBN 978-4-905369-67-7。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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