マイシンザン

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マイシンザン
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1990年3月7日
死没 2013年3月16日(没・23歳)
登録日 1992年4月16日
抹消日 1996年10月16日
ミホシンザン
ファイブソロン
母の父 パーソロン
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産 武田牧場
馬主 菅原吾一
調教師 山本正司栗東
競走成績
生涯成績 12戦4勝
獲得賞金 1億3889万7000円
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マイシンザン日本競走馬中央競馬NHK杯朝日チャレンジカップなどに優勝した。その後種牡馬を経て乗馬となった。全弟に中央競馬で3勝をあげたマイジェントルマンがいる。

主戦騎手松永幹夫

戦績[編集]

1992年12月阪神競馬場の新馬戦でデビュー、2戦目で2着馬に1.4秒の大差をつけて初勝利を飾る。3戦目はシンザン記念に出走、名前と血統から2番人気に推されるも、気性の悪いところを見せ殿負けを喫した。次走ダート1800mの飛梅賞も惨敗したが、連闘で挑んだこぶし賞では京都芝内回り1600mのレコードタイムで勝利を収めた。

休養を挟んだ皐月賞では9着だったが、日本ダービートライアル競走であるNHK杯では1番人気のガレオンに3馬身半差をつけレースレコードで優勝した[1]。本番の日本ダービーでは、大外から並びかけるも勝ったウイニングチケットから0.6秒差の5着に終わった。秋は京都新聞杯を目指していたが、屈腱炎を発症して戦線離脱。以後、現役生活を通じて故障に苦しむことになる。

1年4ヶ月の長期休養を経て、毎日王冠天皇賞(秋)に挑んだが、共に入れ込みもあって敗退。そして2度目の屈腱炎を発症した。

11ヶ月の長期休養の後、朝日チャレンジカップで復帰。直線で先に抜け出したスプリングバンブーを差し切り、自身2度目となるレコードタイムでの優勝。続く毎日王冠では、3番人気に推されるも重馬場で切れ味を発揮できずに5着に終わった。天皇賞(秋)は当初は除外対象も回避馬があって出馬表に名を連ねることができたが、前日に3度目の屈腱炎を発症して出走を取り消した[2]。その後、再び長期休養を経て天皇賞(秋)を目指すも、4度目となる屈腱炎を発症して現役続行を断念した。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名 頭数 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム(上がり タイム
勝ち馬/(2着馬)
1992.12.05 阪神 3歳新馬 10 04.0 0(1人) 02着 松永幹夫 54 芝1400m(良) 1.24.2 (35.2) -0.0 オーゴンテイオー
0000.12.19 阪神 3歳新馬 11 01.6 0(1人) 01着 松永幹夫 54 芝1200m(良) 1.11.9 (36.4) -1.4 (ニッポーグランプリ)
1993.01.17 京都 シンザン記念 GIII 13 04.3 0(2人) 13着 松永幹夫 55 芝1600m(良) 1.38.7 (37.7) -2.8 アンバーライオン
0000.02.06 京都 飛梅賞 10 02.9 0(1人) 06着 松永幹夫 55 ダ1800m(良) 1.54.5 (37.8) -1.0 ニシケンスキー
0000.02.13 京都 こぶし賞 15 09.2 0(4人) 01着 松永幹夫 55 芝1600m(良) R1.34.9 (35.1) -0.3 (ケイウーマン)
0000.04.18 中山 皐月賞 GI 18 49.5 (13人) 09着 鹿戸雄一 57 芝2000m(良) 2.00.9 (35.2) -0.7 ナリタタイシン
0000.05.09 東京 NHK杯 GII 13 08.9 0(4人) 01着 松永幹夫 56 芝2000m(良) 2.00.7 (35.0) -0.6 (ガレオン)
0000.05.30 東京 東京優駿 GI 18 09.0 0(4人) 05着 田原成貴 57 芝2400m(良) 2.26.1 (36.8) -0.6 ウイニングチケット
1994.10.09 東京 毎日王冠 GII 11 13.2 0(7人) 07着 松永幹夫 58 芝1800m(良) 1.45.2 (35.8) -0.6 ネーハイシーザー
0000.10.30 東京 天皇賞(秋) GI 13 018.1 0(5人) 11着 田原成貴 58 芝2000m(良) 1.59.4 (34.7) -0.8 ネーハイシーザー
1995.09.10 京都 朝日チャレンジC GIII 12 10.0 0(4人) 01着 熊沢重文 55 芝2000m(良) R1.58.0 (34.3) -0.0 (スプリングバンブー)
0000.10.08 東京 毎日王冠 GII 14 04.5 0(3人) 05着 松永幹夫 58 芝1800m(重) 1.49.1 (35.5) -0.7 スガノオージ
0000.10.29 東京 天皇賞(秋) GI 17 取消 松永幹夫 58 芝2000m(良) サクラチトセオー

その後[編集]

引退後はCBスタッドにて種牡馬として供用され1998,99年の2年間で19頭、のち2003年にマイティシンザンの計20頭の産駒を残した。2000年以降は名馬のふるさとステーションに移動したが、ステーションが閉鎖され行く末が危ぶまれていた。その後ワイルドブラスターとともに個人に引き取られ、静岡の乗馬クラブEQUINE-HOLICで乗馬として暮らしていた。2011年12月には山梨県ウインズ石和での撮影会の為に当地を来訪したこともある。

2013年3月16日腸捻転で死亡した[3]

馬柄[編集]

現役時代の印象からは気が荒いと思われがちだが、性格はいたっておとなしく気まま。頭はよく、自力で馬栓棒を外してしまうという。CBスタッド時代から一緒だったワイルドブラスターとは仲がよかった。好きなものはバナナ、遠くを眺めること。

種牡馬成績[編集]

  • 産駒数 / 種付け数 20 / 26頭
  • 勝ち馬頭数 / 出走頭数 11 / 19頭
  • 総獲得賞金 約1億2000万円

代表産駒

  • シルクセレクション 129戦26勝(JRA、愛知、南関東、北海道、盛岡、高知) 総賞金4992万円(シンザンの父系としては最後の競走馬)
  • マイパワー 66戦10勝(笠松、JRA、南関東) 総賞金3035万円
  • シルキーウイッシュ JRAで1勝

繁殖入りした産駒はいない。2017年現在もマイパワーが乗用馬登録されている。マイシンザンの全兄のマイジェントルマンも常用馬登録されているようである(2016年現在)。

血統表[編集]

マイシンザン血統ボワルセル系 / Theft5×5=6.25%) (血統表の出典)[§ 1]

ミホシンザン
1982 鹿毛
父の父
シンザン
1961 鹿毛
*ヒンドスタン
Hindostan
Bois Roussel
Sonibai
ハヤノボリ ハヤタケ
第5バッカナムビューチー
父の母
ナポリジョオー
1975 栗毛
*ムーティエ
Moutiers
Sicambre
Ballynash
*タイタイ
Tai-Tai
Will Somers
Anneiv

ファイブソロン
1979 鹿毛
*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
ファイブドウター
1972 鹿毛
*ダンスール
Danseur
Tantieme
La Danse
ウズシオ *オーロイ
ヤシマテンプル F-No.5
母系(F-No.) 種正系(FN:F5-h) [§ 2]
5代内の近親交配 セフト 5×5 [§ 3]
出典
  1. ^ [4]
  2. ^ [5][4]
  3. ^ [4]

父系1955年輸入のヒンドスタンに遡り、現存する日本土着の父系としては最も古い。また牝系も古く、種正系[5](英名Young Man's Fancy 1927年輸入、御料牧場基礎牝馬)に属している。

脚注[編集]

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  1. ^ 『優駿』1993年7月号、日本中央競馬会、144頁
  2. ^ なお、取り消すまではナリタブライアンに次ぐ2番人気のオッズをつけていた。
  3. ^ 訃報乗馬クラブ EQUINE-HOLIC 2013年3月21日閲覧
  4. ^ a b c 血統情報:5代血統表|マイシンザン|JBISサーチ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年6月18日閲覧。
  5. ^ a b 『優駿』1993年7月号、日本中央競馬会、145頁