マインドコントロール

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マインドコントロール: Mind control)とは、操作者からの影響や強制を気づかれないうちに、他者の精神過程や行動を操作して、操作者の都合に合わせた特定の意思決定・行動へと誘導すること・技術・概念である[1][2][3]マインドコントロール論とも。不法行為に当たるほどの暴力や強い精神的圧力といった強制的手法を用いない、またはほとんど用いない点で、洗脳とは異なるとされる[2][4]

概要[編集]

元々マインドコントロールという言葉は、「潜在能力を引き出すためのトレーニング法」という自己啓発的でポジティブな意味合いで使われていた[4]。マインドコントロールには、学校や教育、様々なトレーニングで使われる人の認知行動原理と同じ技術が用いられる[3]。自らの心を平静に保ったり、集中力を高めるなど、心理状態を制御・調整する意味で、この言葉が使われることもある[3][5]。そのため、良いマインドコントロールと悪いマインドコントロールがあるという考え方もあるが、一般的には、「破壊的カルト」等のように何らかの詐術的な意味、他者を騙す性格を持ったものをマインドコントロール、本人に役立つ心理学の応用をセルフコントロールと言う[3][2][6]。本項では前者について説明する。

マインドコントロール論では、支配された人の意識状態は、普段の正常な意識とはかけ離れたものになるとされる[7]。(1) 破壊的カルト教団による信者の利用、(2) 社会心理学的技術の応用、(2) 他律的行動支配 の3つが一般定義である[7]。人格の「解凍・変革・再凍結」の理論をベースに、認知不協和理論や影響力論、ジャック・ヴァーノンの感覚遮断実験、フィリップ・ジンバルドー監獄実験、プライミング効果論などの社会心理学的テクニックを活用して行われるとされる[4]。宗教的自我変容を最も世俗的理解に立って説明したモデルであり、世間に広く知られている[7]

社会心理学の「社会的影響力の行使、説得」という分野においては、不法行為責任を追及するために相当因果関係を説明する議論として、かなり議論が確立されており、若者の消費者被害を心理的要因から分析する等、近年も活用されている[8][9]。社会心理学者の西田公昭以外にマインドコントロール論を専攻する者がいないなど、専門の研究者は少ない[7]。近年目立った議論の発展がなく、理論面・実践面から様々な疑問や批判が向けられている[4]。宗教研究の分野では、国内外でも懐疑的な見方が少なくない[4][7][8]。心理学・精神医学では、マインドコントロールという分析概念は未だに公認されていない[7]

なお、マインドコントロール論への批判を、カルト側が自らの問題を擁護し正当化するために利用することがあり、注意を要する[8]。マインドコントロール論の議論と、マインドコントロールと社会で批判されるような宗教団体による社会問題の有無は、別の次元の話である[8]

発祥[編集]

近代のマインドコントロールは、1950年代中国共産党が反対者の転向に用いた「洗脳」が知られている[10]。40年代の中国で共産主義に賛同しない人間を収容施設で思想改造しようとした試みを研究したロバート・J・リフトン著作『思想改造の心理──中国における洗脳の研究』(1961年)がマインドコントロール論の出発点とされる[4]。調査した25人のうち、共産主義に転向した者は1人のみであり、リフトンは「彼らを説得して、共産主義の世界観へ彼らを変えさせるという観点からすると、そのプログラムはたしかに、失敗だと判断せねばならない」と述べている[4]。しかし、この研究はのちにマインドコントロール論者たちにより、失敗だった事を曖昧にしたまま「マインド・コントロールは洗脳よりも『もっと巧妙で洗練されている』」という形で触れられるようになった[4]

1970年代アメリカ合衆国において、当時史上最大の被害者を出したカルト教団の集団自殺人民寺院事件があり、カルト宗教の信者などが周囲から見てまったく別人のようになり、以前のような家庭生活を送ることや脱会させることが困難になるなどし、家族・友人らによってカルトの恐怖が広く語られるようになった[11]。1988年には、統一教会の元学生リーダーで脱会後心理学を学びカルト教団信者の脱会を助けるカウンセラーとして活動しているスティーヴン・ハッサンが『マインドコントロールの恐怖』を刊行し(93 年に邦訳)、1995年には社会心理学者の西田公昭が『マインド・コントロールとは何か』を出版、マインドコントロール論は「カルト」を恐れ嫌悪する感情の後押しを受けて急速に広がっていった[4]

日本[編集]

統一教会などの報道を通じ、カルト宗教の対策に取り組む弁護士らにより語られるになった[11]1992年の統一教会の合同結婚式に参加した山崎浩子が、翌1993年に婚約の解消と統一教会から脱会を表明した記者会見で、「マインドコントロールされていました」と発言したことによりこの語が広く認知されるようになった[12][13][7]。山崎浩子がこの言葉を知ったのは、統一教会脱会信者の支援を続けている弁護士・牧師グループを通じてであり、彼らはスティーブン・ハッサン著『マインド・コントロールの恐怖』に依拠していた[7]。日本にカルト、マインドコントロール論を紹介し、メディアに広め用語として定着させたのは、統一教会信者の奪回・脱会を目的とする反カルトの立場に立つ人々だった[11]。社会心理学者の西田公昭は、この記者会見の報道の際に、マインドコントロールの定義をきちんと説明する人がなく、「心の操作」「精神の操作」「自分自身の心の調整」など、様々な意味に使われるようになってしまったと述べている[8]

同年4月にハッサンの著作が統一教会信者の脱会カウンセリングを二十年来続けていた浅見定雄の訳で出版され、本書では統一教会の信者獲得のテクニックが「心理学的」に分析された[7]

実践家外でマインドコントロール論を展開しているのは、西田公昭で、彼の議論はハッサンの議論を心理学実験の傍証によって発展させたものである[7]。櫻井義秀によると、彼以外にマインドコントロール論を専攻している学者はみられない[7]

オウム真理教団は1994年まで、現代社会こそがマインドコントロールの場に他ならないという主張を、機関誌を通じて盛んに行っていた[11]。1995年にオウム真理教事件が起こると、教団は逆に信者をマインドコントロールしていたという批判を受けることになった[11]

オウム真理教事件に対して、マスコミや反カルト運動家は、マインドコントロールという言葉を犯罪を犯した信者の心理状態を示すものとして使用した[11]。さらに信者の裁判で、信者の心理鑑定の証人として一部の心理学者がマインドコントロール論を述べ、教団がマインドコントロールを行っていたと社会的に公認された[11]。被告の信者の中には、法的戦術としてマインドコントロールされていたことを主張し「尋常な精神状態ではなかったために責任能力を欠いている」ことを弁護するものも出た[11]。ただし、裁判所はオウム真理教による「マインドコントロール」が信者らに対してあったという事実認定は行わず、「マインドコントロール」行為を直接不法行為と認定していない[8]

主張・説明[編集]

マインドコントロール論に肯定的な側[編集]

スティーヴン・ハッサン統一教会元信者、精神的自由資料館長、マインド・コントロール対策カウンセラー)[14]
「この技法は、ある特定の目的に向かうよう、そのように思い、考え、行動するべく誘導するものである。」
西田公昭(社会心理学者)
「心理操作(Psychological Manipulation)という言葉の方が適格であり、国際学会ではこちらを使われることが多い。あこぎなまでにこの手法を駆使して極端に強い心理的な拘束を与え、依存、搾取、虐待、殺人といった重大な結果を引き起こす現象をひとことで言い表したいためにつくられた。 「洗脳」と呼ばれる拷問的手法とは異なり、物理的な強制を用いない代わりに、欺瞞的なコミュニケーションを用いる。 新たな意思決定装置(ビリーフ・システム)に誘導して、元には戻らせないように駆動させ続ける。」[9]
「これまでの研究や報告からまとめると、破壊的カルトのマインド・コントロールを受けたメンバーは、一般に以下のような特徴を持って生活することが多いといえる。彼らは共同生活をすることも多く、一人になって何かについて自分で熟慮する時間は少ない。また彼らは切迫感と無力感とをセットにしながら恐怖感を煽られ、常に焦燥感や不安の入り混じった緊張状態におかれる。メンバーはこのような緊張状態の中で、睡眠時間も極端に少なく、ほとんど休みの日もなく、彼らは起床から就寝までスケジュールが詰まっており、過激な重労働 (新メンバーの獲得、資金調達、自己修練) に従事している。また経済的に管理され、さらには服装、異性感情、対人関係ならびに家族形態や結婚生活をも含む私生活のほとんど全てが制限・管理されているケースもある。またさらには、家族を含む反対する者を蔑視し、警戒するよう指示され、集団メンバー以外との関係を一切絶つことを強く望まれる。そしてこのような行動の全てに対して、地位や褒賞などの賞と、侮蔑、体罰、降格、追放などの罰の強化子が与えられる。以上のような生活によって、破壊的カルトのメンバーは、自己決定権を放棄して、集団のリーダーに対して全面的に依存・服従するように求められるのである。
このような依存・服従と引き換えに彼らは新たなアイデンティティ、人生の目標や理想、歴史や世界観、準拠枠となる集団を獲得し、心理的な安定や幸福感を獲得する。 しかし、メンバーの中には、所属集団の破壊性や矛盾した思想を知り、心理的苦痛を伴いつつも集団からの脱会を決意する事態が生じている。一般に、集団に対して全面的に依存・服従的な状態にある者が離脱するということは、極めて重大な心理的危機を意味する。 西田 (1995)によると、脱会する事情は、①欺瞞や教義矛盾の自力発見、②組織やリーダーに対する幻減、③追放、④逃亡、⑤外部介入、⑥強制離散の6パターンであり、いかなる事情で脱会したにしても心理的なケアが必要であると指摘している。」[15]

マインドコントロール論に懐疑的な側[編集]

マインドコントロールを行うカルト側の情報提供が進まず、脱会者と支援者の証言がもとであるとして、マインドコントロール論はデータ的に偏りがあるという主張がある[16]

櫻井義秀北海道大学教授、宗教学者
「オウム真理教のような反社会的な宗教集団が存在し、多くの信者を動員して未曾有の犯罪をなしてしまったことを一般の人々に説明する格好の認識枠組みとして、ジャーナリズムがカルト、マインド・コントロール論にとびついたため、説得力のある議論として世論においても市民権を得るに至ったのである。」[11]
「マインド・コントロールという理論は、態度変容を遂げた人物と利害関係を持つアンチ・カルト集団が、信者の奪回・脱会を促進するという自らの行動を正当化するために用いている議論であり、立論の当初から価値中立的なものではなかった。」[11]
「現代の資本主義システム社会は自身の再生産のために、消費者の欲望を喚起して需要を掘り起こすコマーシャリズムの戦略を採らざるを得ない。このような消費社会においては、情報・シンボル・記号による他者の操作が日常化しているために、個人のアイデンティティ、近代的個人という概念自体が揺さぶられている。自分がいつの聞にか誰かに操られているのではないかという感覚はそれほど特殊なものではないのかもしれない。これがマインド・コントロール論を受容する主要な要因であろう。」[17]
「1995年3月20日の地下鉄サリン事件以来、オウム真浬教信者の行動原理を説明する論理として「マインド・コントロール」という言葉がマスメディアに流行したが、言説レベルの「マインド・コントロール論」と、不法行為責任を追及するために相当因果関係を説明する議論として主張された「マインド・コントロール論」は次元を異にする。」[8]
「(櫻井は)「マインド・コントロール論」による入信の説明は、宗教社会学の議論からは認めることができないと年来主張してきたが、「マインド・コントロール」という社会的告発に相当する宗教集団がひきおこした社会問題が存在していることは認めてきた」[8]
大田俊寛(宗教学者)
「オウム問題とは、「教団が無垢な一般人をマインド・コントロールして入信させた」「教祖である麻原彰晃が信者たちをマインド・コントロールしてテロを遂行させた」という単純な構図で分析され得るようなものではまったくなく、管見の限りでは、マインド・コントロール論を用いてオウムという現象を一貫して説明し得たような著作や論文も存在しない。」[4]
「マインド・コントロール自体は良くも悪くもない、カルトがその技術を「悪用」していることが問題だ、と主張されるが、もしそうなら、カルト問題にあえてマインド・コントロール論を持ち出す意義自体が消滅する。」[4]
「社会心理学が指摘したように、近代の社会システムにおいて人間は、受動的・依存的になりやすい。とはいえ、「人間が集団の力や場の力に支配され、あたかもロボットのように精神を完全にコントロールされてしまう」というのは、明らかに現実離れした極論。 本来われわれが目標とすべきは、近代の人間が受動的・依存的になりやすいという事実を認めた上で、そこから脱却する方途を見出すことであったはず。そのためには、周囲からいかなる影響を受けようとも、最終的には自ら考え、自ら決断し、自ら責任を取らなければならないという、主体性の原理の重要性を強調し続けなければならないし、同時に、健全な主体性を発揮するために必要とされる幅広い知識を身に付ける努力を怠ってはならないだろう。」[4]

論点[編集]

信教の自由の問題[編集]

マインドコントロール論では、「解凍・変革・再凍結」のプロセスに従い信念体系が変化するとされるが、これはそもそも宗教全般でみられる宗教的回心の過程なのではないかという指摘がある[4]。宗教の入信行為に見られる自己の意識・身体感覚の変容という事象を4つの象限(世俗性・異質性・同質性・宗教性)で一般化・類型化すると、世俗性・異質性の象限にマインドコントロール・洗脳が、世俗性・同質性の象限に自己啓発セミナー等での自己開発・変性意識が、異質性・宗教性の象限に宗教的回心が、同質性・宗教性の象限に宗教的サブカルチャーによる癒しがあげられる[7]。同じ事象に異なる説明がなされるのである[7]

破壊的カルト教団による信者の利用という考えは、マインドコントロール論の核心であるが、当人が如何なる信教を支持しようとも当人の自由であるという基本的人権の「信教の自由」に抵触し、また、人間の宗教的行為や宗教集団の多面性を理解するのに有益でないという問題がある[7]

カルトの理解の問題[編集]

カルトの信者は、単純で偏った特定の思考や考え方を支持するが、それは彼らが様々な問題を抱え、解決しようとしたことを端緒とする[4]。そうしたカルト問題の本質を無視してマインドコントロール論で説明すると、問題の本質が誤認されてしまう[4]。宗教学者の大田俊寛は、そのため一般社会にいつまでも不全感・不安感が残ると指摘している[4]

そもそも可能なのか[編集]

マインドコントロールが文字通りあるとすれば、「まったく気づかないうちにカルトの一員となり、無自覚なまま霊感商法やテロリズムといった反社会的行為にさえ手を染めるようになる」はずだが、具体的な事例がなく、実験で実証されたこともないため、そもそも可能なのかどうかが不明である[4]。大田俊寛は、「こうした種類のカルトは、人々が『精神を操作される』ことによって生じたのではない。『科学的な精神操作が可能である』という幻想が広まり、人々が自らそれを信じ込むことによって生じた、と考えるべきである」と述べている[4]。櫻井義秀は、マインドコントロールは社会心理学的技術の応用とされるが、宗教における入信行為の説明として不十分であるとしている[7]

責任の所在の問題[編集]

マインドコントロール論はカルト問題を、マインドコントロールした団体が悪い、その中心にいた指導者が悪いという一方的な形に矮小化し、当該団体と周辺社会、教祖と信者のあいだに生じる複雑な相互作用を無視し、責任の所在を極端に偏って考えがちで、その後の関係者の処遇も公正を欠くことになりやすい[4]。また、当事者がマインドコントロールされていたという理由ですべてをカルトの責任だとすることは、自分自身の主体性を根本的に否定し、自分の行動の責任を全く認めない歪さを生じかねない面がある[4]。他律的行動支配はマインドコントロールの定義の一つだが、社会的行為において論理的な命題を構成できないという問題がある[7]

対話の妨げ[編集]

カルトと呼ばれるような団体の問題の解決には、冷静で粘り強い継続的な対話が欠かせないが、マインドコントロール論は、人々にカルトの人間と話すと操られるかもしれないという恐怖感を与えるため、対話が阻害されてしまう[4]。また、マインドコントロールの破壊的カルト教団による信者の利用という定義は、価値中立的な認識ではない[7]

被害妄想の昂進[編集]

マインドコントロール論は、「見えない敵が密かに自分をコントロールしようとしている」という陰謀論と極めて似ている[4]。大田俊寛は、カルト側もマインドコントロール論を信じて被害妄想を膨らませ、カルトを批判する外部と互いが信じるマインドコントロール論を応酬し、被害妄想が被害妄想を増大させる悪循環で事態が悪化する恐れがあると述べている[4]

法的な問題[編集]

裁判で、関係者の行動すべてを「マインドコントロールされていたか否か」を解明し(そもそも解明できるのかという問題もある)、審理をスムーズに進めることは、極めて困難である[4]。大田俊寛は、また「マインドコントロールされていたから」という理由で犯罪への責任が減免されれば、個人の主体性に立脚する近代の法秩序を維持することができないとしている[4]

裁判事例[編集]

統一教会に対する「青春を返せ訴訟」[編集]

青春を返せ訴訟」とは、札幌で1987年に統一教会を相手取り提訴された事件を皮切りに、全国で8件起こされた人格権、財産権侵害への損害賠償請求訴訟の総称であり、違法伝道訴訟である[8]。統一教会の布教行為は、脅迫や暴力といった信仰を強制する外形的暴力を伴うものでなく、見かけ上そうした不法行為に該当するものではなかったため、入信の原因が自己選択かマインドコントロールかという議論が持ち出された[8]

教団側は、マインドコントロールというものの存在を否定し、入信は自由意思によるものであると主張してきた[要出典]。訴訟の当初、裁判所は「原告らの主張するいわゆるマインドコントロールは、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねにより一定の思想を植え付けることをいうと捉えたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」(1998年3月26日 名古屋地裁)などとして元信者側の主張を退けてきたが、1997年4月19日の奈良地裁の「『統一教会』の献金勧誘システムは、不公正な方法を用い、教化の過程を経てその批判力を衰退させて献金させるものと言わざるを得ず、違法と評価するのが相当である」とした判決や、2001年最高裁において「統一教会」の上告が棄却され、元信者側の勝訴として確定した広島高裁岡山支部判決では、不法行為が成立するかどうかの認定判断にマインドコントロールという概念は使えないとされた[要出典]。判決では「教義の実践の名のもとに他人の法益を侵害するものであって、違法なものというべく、故意による一体的な一連の不法行為と評価される」と記された[18]

オウム真理教による一連の裁判[編集]

裁判所は、オウム真理教による「マインドコントロール」が信者らに対してあったという事実認定は行わず、「マインドコントロール」行為を直接不法行為と認定していない[8]2000年6月6日、「地下鉄サリン事件」など10事件で起訴されたオウム真理教の井上嘉浩被告に対して、東京地裁は、検察の死刑求刑に対し無期懲役との判決を下した[要出典]。井上弘通裁判長は「死刑を選択することは当然に許されるべきで、むしろそれを選択すべきであるとすらいえる」としながらも、西田公昭の「修行を通してマインドコントロールを受け、松本被告の命令に反することができなかった」との鑑定結果を受け、「有利な情状の一つとして評価できる」として極刑選択を避けた[要出典]。但し、控訴審では死刑判決を受け、2009年12月10日上告棄却2010年1月12日に上告審判決に対する訂正申し立てが棄却され[19]、死刑が確定した[要出典]

応用[編集]

自己暗示の一つとして能力開発への応用すること[20]犯罪抑止やタバコアルコール等を含む薬物依存の治療などに効果的だと考える動きもある[21]スティーヴン・ハッサンによると「本来、自由であるべき個人の行動原則を誘導・操作するため、道義的な問題をはらむ部分があり、マインドコントロールの手法に対する批判が多々あるが、この技法を利用して社会規範意識の刷り込みによる犯罪者の矯正や、心理的に手を出してしまいやすい薬物依存に悩む人の意識改革を目指すグループも存在する」とのこと[14]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 西田公昭 科学研究費助成事業 研究成果報告書「マインド・コントロール防衛スキルの構造とその心理特性の測定法の開発」 科研費による研究 平成27年6月19日
  2. ^ a b c 『実用日本語表現辞典』
  3. ^ a b c d 山根寛 2001.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 大田俊寛 (2018年9月28日). “社会心理学の「精神操作」幻想 ~グループ・ダイナミックスからマインド・コントロールへ~”. 科研基盤研究A「身心変容技法の比較宗教学-心と体とモノをつなぐワザの総合的研究」(2011年度-2014年度)身心変容技法研究会. 2020年5月18日閲覧。
  5. ^ 三省堂『大辞林』
  6. ^ 西田公昭 講演『マインドコントロールとは何か』 1995年、カルト被害を考える会
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 櫻井義秀 1996.
  8. ^ a b c d e f g h i j k 櫻井義秀 2003.
  9. ^ a b 西田公昭 「マインド・コントロールとは?」 第5回「若者の消費者被害の心理的要因からの分析に係る検討会」平成30年5月25日開催、消費者庁
  10. ^ ロバート・ジェイ・リフトン思想改造と全体主義の心理学英語版』、1981年、ISBN 9780807842539、ISBN 9780393002218、ISBN 9781614276753
  11. ^ a b c d e f g h i j 櫻井義秀 1997, p. 115.
  12. ^ 紀藤正樹(著)『21世紀の宗教法人法』(朝日新聞社 1995年11月 ISBN 978-4-02-273068-8 )
  13. ^ 宗教社会学の会(編) 『新世紀の宗教―「聖なるもの」の現代的諸相』(創元社 2002年11月)ISBN 978-4-422-14022-3 )
  14. ^ a b スティーヴン・ハッサン浅見定雄 (訳) 『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版 1993年6月) ISBN 978-4-7652-3071-1
  15. ^ 西田公昭・黒田文月 2003.
  16. ^ 櫻井義秀 2012, p. 8.
  17. ^ 櫻井義秀 1997, p. 117.
  18. ^ 青春を返せ訴訟判決文
  19. ^ “オウム事件、井上被告の死刑確定 9人目”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2010年1月13日). オリジナルの2013年5月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130514222921/http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011301000753.html 2010年1月14日閲覧。 
  20. ^ 小林惠智『マインド・コントロールのすすめ―そのメカニズムと積極的活用法』(1995年11月)ISBN 978-4-7698-0737-7
  21. ^ マデリン・ランドー トバイアス (著), ジャンジャ ラリック (著), Madeleine Landau Tobias (原著), Janja Lalich (原著), 南 暁子 (訳), 上牧 弥生 (訳) 『自由への脱出―カルトのすべてとマインドコントロールからの解放と回復』(中央アート出版社 1998年9月) ISBN 978-4-88639-870-3

参考文献[編集]

  • 櫻井義秀オウム真理教現象の記述をめぐる一考察 : マインド・コントロール言説の批判的検討」『現代社会学研究』第9巻、北海道社会学会、1996年、 74-101頁、 doi:10.7129/jject.9.74NAID 110000523198
  • 櫻井義秀 『新宗教の形成と社会変動 : 近・現代日本における新宗教研究の再検討』 北海道大学、1997年9月30日。ISSN 04376668https://hdl.handle.net/2115/33694 
  • 山根寛「こころの移植と再生―豊かで貧しい時代の落とし穴―」『京都大学医療技術短期大学部紀要. 別冊, 健康人間学』第13巻、京都大学医療技術短期大学部、2001年、 10-15頁。
  • 櫻井義秀「「マインド・コントロール」論争と裁判 : 「強制的説得」と「不法行為責任」をめぐって」『北海道大学文学研究科紀要』第109巻、北海道大学文学研究、2003年、 59-175頁、 NAID 120000952835
  • 西田公昭・黒田文月「破壊的カルト脱会後の心理的問題についての検討 : 脱会後の経過期間およびカウンセリングの効果」『社会心理学研究』第18巻第3号、日本社会心理学会、2003年、 192-203頁、 doi:10.14966/jssp.KJ00004224829NAID 110004656850
  • 櫻井義秀 『大学のカルト対策』 北海道大学出版界、2012年12月25日。ISBN 978-4832933828。 
  • 西田公昭 『マインド・コントロールとは何か』(紀伊國屋書店 1995年) ISBN 978-4-314-00713-9
  • 西田公昭 セレクション 社会心理学 18 『「信じるこころ」の科学 ― マインド・コントロールとビリーフ・システムの社会心理学』(サイエンス社 1998年2月) ISBN 978-4-7819-0870-0
  • 安藤清志・西田公昭 編 現代のエスプリ369 『「マインド・コントロール」と心理学』 (至文堂 1998年4月) ISBN 4-7843-5369-0
  • スティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールからの救出―愛する人を取り戻すために』(教文館 2007年11月) 中村周而・山本ゆかり(訳) ISBN 4-7642-6668-7 ISBN 978-4-7642-6668-1 - Releasing the Bond: Empowering People to Think for Themselvesの日本語版。

関連項目[編集]