マウロ・タソッティ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Mauro TASSOTTI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1960年1月19日(60歳) | |||||
出身地 | ローマ | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1978-1980 |
![]() | 41 | (0) | |||
1980-1997 |
![]() | 429 | (8) | |||
代表歴 | ||||||
1978-1982 |
![]() | 10 | (1) | |||
1979 |
![]() | 1 | (0) | |||
1992-1994 |
![]() | 7 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1997-2001 |
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2001 |
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2001-2015 |
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2014 |
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2015-2016 |
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2016- |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マウロ・タソッティ(Mauro Tassotti、1960年1月19日- )は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ACミランの黄金期を支えた一人であり、1988年のソウルオリンピックではイタリア代表主将を務めた。W杯には、1994年米国大会に出場した。
経歴[編集]
選手時代[編集]
地元のクラブチームSSラツィオのユースアカデミーでキャリアをスタートさせ[1] 、1978-79シーズン、11月5日のアスコリ・カルチョ戦にてセリエAデビューを果たした。
その後、ACミランに移籍。長年に渡りレギュラーとして確実なプレーを見せ、フランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタ、パオロ・マルディーニらとともに鉄壁のDFラインを築き、ミランの黄金期を支えた[1]。ミランでの通算出場数は583試合で[1]、これはマルディーニ、バレージ、ジャンニ・リベラに次ぐ歴代4位の記録である。1988-89シーズン、チャンピオンズカップ決勝、FCステアウア・ブカレスト戦ではオーバーラップから強烈なシュートを放ち、これを相手GKが弾きルート・フリットがこぼれ球を詰めて決勝ゴールが生まれ[2]、更にクロスでフリットの2点目のゴールをアシストするなど[2]、優勝に大きな役割を果たした。1993-94シーズン、チャンピオンズリーグ決勝、FCバルセロナ戦ではバレージ、コスタクルタの出場停止という問題を抱え、バルセロナ優位という下馬評の中[3]、キャプテンとして出場しロマーリオやストイチコフを抑え優勝に貢献した[4]。
オリンピックの代表経験はあったが、フル代表デビューは1992年10月14日のスイス戦[5]、32歳と遅咲きだった。1994年ワールドカップアメリカ大会では、グループリーグ初戦のアイルランド戦で先発出場[5]、準々決勝のスペイン戦でも先発出場し、好プレーを見せていたが[6]、ルイス・エンリケに肘打ちをして鼻骨骨折させ8試合出場停止という処分を受けた[6]。その後は高齢であった事もあり、代表に呼ばれることは無かった。
指導者時代[編集]
引退後はミランに残り、ユースでの指導を経て、2001年からアシスタントコーチに就任。2014年1月13日、マッシミリアーノ・アッレグリ監督解任を受けて、暫定監督に就任。その後、クラレンス・セードルフが監督となりアシスタントコーチに戻り、セードルフの後任のフィリッポ・インザーギの下でも留任した。2015年にシニシャ・ミハイロヴィチが監督に就任するとスーパーバイザーに異動。
2016年7月に現役時代から37年間勤めたACミランを退団、旧知のアンドリー・シェフチェンコの要請を受け、ウクライナ代表のアシスタントコーチ就任が発表された。
代表歴[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c Mauro Tasotti-Milan.com
- ^ a b サッカーダイジェスト 1989年8月号 no.123 p.8-9 日本スポーツ企画出版社
- ^ NUMBER 2017年3月号[要ページ番号]
- ^ “Milan find perfect pitch in dream final”. UEFA.com (1994年5月18日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ a b “Mauro Tassotti National team”. www.transfermarket. 2020年7月25日閲覧。
- ^ a b Mondiali 1994: -strie dicalcio 2018年1月8日
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