マクシミリアン・ツー・ザルム=ザルム

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マクシミリアン・フリードリヒ・エルンスト・ツー・ザルム=ザルムMaximilian Friedrich Ernst Prinz zu Salm-Salm, 1732年11月28日 アンホルト城ドイツ語版 - 1773年9月14日 アントウェルペン)は、ドイツベルギー系の貴族、軍人。ザルム=ザルム侯、ホーホストラーテン英語版公爵。ハプスブルク帝国軍に仕え、帝室侍従、墺領ルクセンブルク総督、皇帝軍陸軍中将の任にあった。同時にオーバーライン・クライスドイツ語版軍の陸軍中将でもあった。

生涯[編集]

ザルム侯ルートヴィヒ・オットーの長女ドロテア(1702年 - 1751年)とその夫で分家筋のザルム=ホーホストラーテン伯ニコラウス・レオポルトの間の次男として生まれた。1738年祖父が死ぬと、婿入りしていた父がザルム侯家の所領と資産を相続し、ザルム=ザルム侯位を授けられた。幼くしてマルタ騎士団の騎士、ケルン大司教座聖堂参事会員に名を連ねた。父が名誉連隊長を務める皇帝軍第14歩兵連隊ドイツ語版所属の大尉に任官。1755年中佐、1758年大佐、1763年少将と順調に出世した。1749年フーベルトゥス勲章英語版、1758年マリア・テレジア軍事勲章[1]、1772年金羊毛勲章を受章している。七年戦争に従軍してコリンの戦い参加時に負傷。1759年ボヘミア西部アシュでの小規模戦闘に敗れ、プロイセン軍の捕虜となった。

1770年父が死去、長男である兄ルートヴィヒが聖職禄を保有する聖職者だったため、父は遺言で次男マクシミリアンを後継者に指名していたが、ルートヴィヒは還俗して家督を継ぐことを主張、兄弟の跡目争いは帝国最高法院ドイツ語版での訴訟に発展した。1771年6月5日、パリにて兄弟の和解が成立し、兄ルートヴィヒがザルム=ザルム家の家督と資産を継承したが、マクシミリアンにはホーホストラーテン公爵の称号と所領の相続が認められた。1773年、40歳で死去。1778年ルートヴィヒが子供のないまま死ぬと、マクシミリアンの息子コンスタンティンが伯父のザルム=ザルム侯位を引き継いだ[2]

子女[編集]

1756年母の妹クリスティーネとその早世した夫ヘッセン=ローテンブルク方伯世子ヨーゼフの次女マリー・ルイーゼ(1729年 - 1800年)と結婚。叔母クリスティーネと父ニコラウス・レオポルトは、互いの連れ合いを亡くした後の1753年に再婚していた。マクシミリアンとマリー・ルイーゼの夫婦には7人の子が生まれた[3]

  • ニコラウス・レオポルト(1760年 - 1768年)
  • コンスタンティン・アレクサンダー・ヨーゼフ・ヨハン・ネポムク(1762年 - 1828年) - ザルム=ザルム侯
  • ルートヴィヒ(1765年)
  • ゲオルク・アダム・フランツ(1766年 - 1834年) - オーストリア帝国陸軍騎兵大尉
  • ヴィルヘルム・フロレンティン・フリードリヒ(1769年 - 1824年) - ケルン、ストラスブール、シュパイヤー司教座聖堂参事会員
  • ルートヴィヒ・オットー・オスヴァルト(1772年 - 1822年) - サルデーニャ陸軍大佐
  • マリア・アンナ・ヘンリエッタ(1773年 - 1776年)

参考文献[編集]

  • Constantin von Wurzbach: Salm-Salm, Maximilian Friedrich Ernst Fürst. In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. 28. Theil. Kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei, Wien 1874, S. 144 f.
  • Fortgesetzte neue genealogisch-historische Nachrichten von den vornehmsten Begebenheiten, welche sich an den europäischen Höfen zugetragen, Band 74, S. 592 f. Digitalisat.

引用[編集]

  1. ^ Jaromir Hirtenfeld: Der Militär-Maria-Theresien-Orden und seine Mitglieder, Kaiserliche Hof- und Staatsdruckerei, Wien 1857, S. 1727–1728.
  2. ^ Emanuel zu Salm-Salm: Die Entstehung des fürstlich Salm-Salm'schen Fideikommisses unter besonderer Berücksichtigung der vor den höchsten Reichsgerichten geführten Prozesse bis zum Pariser Brüdervergleich vom 5. Juli 1771, Universität Münster, Dissertation 1995, ISBN 3-8258-2605-8
  3. ^ Emanuel Weber, Neues genealogisches Taschenbuch. - Wien, Tandler 1820-21, S.170, Digitalisat