マドゥライ・スルターン朝

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マドゥライ・スルターン朝
Madurai Sultanate
トゥグルク朝
パーンディヤ朝
1334年 - 1378年 ヴィジャヤナガル王国
公用語 ペルシア語
首都 マドゥライ
スルターン
xxxx年 - xxxx年 不明
変遷
成立 1334年
滅亡 1378年

マドゥライ・スルターン朝(マドゥライ・スルターンちょう、ペルシア語:مابار سلطنت、英語:Madurai Sultanate)は、インドタミル地方に存在したイスラーム王朝1334年 - 1378年)。マドゥライ王国とも呼ばれる。首都はマドゥライ

歴史[編集]

ジャラールッディーン・アフサン・シャーのコイン

14世紀初頭、デリー・スルターン朝トゥグルク朝の時代、その君主ムハンマド・ビン・トゥグルクダウラターバード遷都などの失政を重ね、各地は不穏な状況となった。

1334年、ムハンマド・ビン・トゥグルクがダウラターバードからデリーに引き上げると、同年に南インドのタミル地方(当時はマーバールと呼ばれた)の地方長官ジャラールッディーン・アフサン・ハーンはトゥグルク朝から独立し、マドゥライ・スルターン朝を建国した[1]

ムハンマド・ビン・トゥグルクは軍を率いてこの反乱を鎮圧しようとしたが、タミル地方に到着する前に軍の大部分が伝染病にかかったため、この地域はトゥグルク朝の支配から離れた[2]

また、1336年に南インドではカルナータカ地方の統治を任されていたハリハラブッカの兄弟もトゥグルク朝から独立し、ヴィジャヤナガル王国を建国した[3]

マドゥライ・スルターン朝は同じ南インドのホイサラ朝と争い、1342年にホイサラ朝との戦いでその王バッラーラ3世を戦死させたが[4]、1346年にホイサラ朝の領土はヴィジャヤナガル王国に併合された。

その後、マドゥライ・スルターン朝はヴィジャヤナガル王国に押されるようになり、1370年にクマーラ・カンパナ率いるヴィジャヤナガル王国の遠征軍により制圧された[5]

その後、1378年にマドゥライ・スルターン朝はヴィジャヤナガル王国の君主ハリハラ2世により、その領土の併合が宣言された[6]

脚注[編集]

  1. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.126
  2. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.140
  3. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.149
  4. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.124
  5. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.126
  6. ^ Nilakanta Sastri, p.241

参考文献[編集]

  • フランシス・ロビンソン; 月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』 創元社、2009年 
  • 辛島昇 『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』 山川出版社、2007年 
  • Sastri, KA Nilakanta (2005) [1955], A History of South India (Paperback ed.), Chennai: Oxford University Press, http://books.google.com/books?id=1p6AOwAACAAJ 

関連項目[編集]