マリオ・バレンズエラ
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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はバレンズエラ、第二姓(母方の姓)はオスーナです。 |
メキシコシティ・レッドデビルズ #27 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | ゲレーロ州サン・マルコス |
生年月日 | 1977年3月10日(42歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 225 lb =約102.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1996年 アマチュアFA |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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マリオ・バレンズエラ・オスーナ(Mario Valenzuela Osuna, 1977年3月10日 - )はメキシコ出身の野球選手。 ポジションは外野手。右投右打。現在はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズに所属している。巧打力に長打力を兼ね備えたメキシカンリーグ屈指のスラッガー。
経歴[編集]
ホワイトソックス傘下時代[編集]
1996年にシカゴ・ホワイトソックスと契約し、ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ホワイトソックスで21試合に出場。1本塁打8打点、打率.260だった。
1997年はメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズでプレー。
1998年はルーキー級ブリストル・ホワイトソックスでプレー。
1999年はA級バーリントン・ビーズでプレー。
2000年はA+級ウィンストン・セイラム・ワートホッグスでプレー。
2001年はAA級バーミングハム・バロンズ、AAA級シャーロット・ナイツでプレー。
2002年は怪我で全休した。
2003年はAAA級シャーロット、ルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックスでプレー。
2004年はAAA級シャーロットでプレー。119試合に出場し、25本塁打66打点3盗塁、打率.263だった。
メキシカンリーグ時代[編集]
2006年、第1回WBCのメキシコ代表に選出された。2次リーグの対アメリカ戦でロジャー・クレメンスから放った打球がライトポールに直撃したが、責任審判ボブ・デービッドソンにより二塁打と判定された。これは本来なら本塁打として扱われるべきであるとして、デービッドソンの誤審疑惑のひとつとなった。同年からメキシカンリーグのサルティーヨに復帰。
2009年にも第2回WBCのメキシコ代表に選出された。同年メキシコシティ・レッドデビルズへ移籍。
外部リンク[編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Baseball References (minors)
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