マリンエキスプレス

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株式会社マリンエキスプレス
Marine Express Co.,Ltd
Miyazaki Port Ferry Terminal.JPG
本社が存在した宮崎港フェリーターミナル
(宮崎県宮崎市)
種類 株式会社
略称 ME
本社所在地 日本の旗 日本
880-0858
宮崎県宮崎市港3-14[1]
本店所在地 104-0032
東京都中央区八丁堀2−30−13[1]
設立 1990年8月(「シーコムフェリー」として)[1]
業種 海運業
代表者 代表取締役 黒木政典
資本金 20億4000万円[1]
売上高 約64億円(2005年3月期)[1]
支店舗数 11
特記事項:2006年解散
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マリンエキスプレスは、かつて日本に存在した海運会社。前身は日本カーフェリー(1965年 - 1990年)で、シーコムに買収されシーコムフェリー(1990年 - 1992年)となった後マリンエキスプレスとなる。

概要[編集]

東京湾の木更津航路(川崎港 - 木更津港)・市原航路(川崎港 - 千葉港市原地区)を70分で結ぶ小型カーフェリーを運航していたが、後に京浜航路(川崎港 - 日向港)への大型カーフェリー運航も開始し徐々に規模を拡大した。

1997年には東京湾アクアライン開通により木更津航路を廃止。その後2004年8月には原油価格高騰などの煽りを受け業績が悪化、分社化を実施し宮崎カーフェリーを設立。経営が悪化していた京浜航路はマリンエキスプレス、大阪・貝塚航路は宮崎カーフェリーの運航となった。

しかし2005年6月の川崎港発の宮崎港行き(京浜航路)の最終航海をもってマリンエキスプレスが分社化実施後自社運航していた航路は全て休止となった。その後2005年12月には、マリンエキスプレスの所有していた資産の売却、譲渡が始まり、特別清算が開始されている。分社化された宮崎カーフェリーの事業は引き続き行われている。

本社・支店[編集]

沿革[編集]

  • 1964年 8月:日本カーフェリー(本社・東京都)設立[2]、資本金4億円[3]
  • 1965年 4月: 川崎港 - 木更津港に航路開設。「あさなぎ」「あかつき」「あさあけ」の3隻を就航。
  • 1966年 7月: 川崎港 - 市原港航路を開設。
  • 1971年
  • 1972年
    • 5月: 宮崎カーフェリー(初代)が 大阪港 - 日向細島港の大阪航路を開設。「せんとぽーりあ」、「はいびすかす」を転用。
    • 7月: 日本カーフェリーが宮崎カーフェリー(初代)を吸収合併[5][3]
  • 1974年
    • 3月: 京浜航路に当時としては国内最高速(25.6ノット)船である「高千穂丸」(9,536t)、「美々津丸」(9,552t)を就航。「ふぇにっくす」を大阪航路へ転配。
    • 3月: 広島港 - 日向細島港の広島航路を開設[3]。「せんとぽーりあ」、「ぶーげんびりあ」を大阪航路とあわせて運航。
  • 1975年
    • 6月: 広島航路に広別汽船より購入した「ふたば」(旧・鶴見)を就航。
    • 7月: 川崎港 - 市原港航路を休止[6]
    • 11月: はまゆうを大阪航路へ転配。るぴなすを海外売却。
    • 11月: 神戸航路に「えびの」(旧・あるなする)を就航。
  • 1976年
    • 7月2日: 広島航路の「ふたば」、諸島水道にて台湾籍の貨物船と衝突し沈没[7]
    • 6月: 「はいびすかす」を海外売却
    • 11月: 神戸航路に「さいとばる」(旧・フェリーかしい)を就航
  • 1978年
    • 9月: 神戸航路の「さいとばる」、来島海峡にて韓国籍タンカーと衝突。沈没。
    • 11月: 神戸航路に「みやさき」(旧いせ丸)を就航
  • 1980年 3月: 大阪港 - 志布志港の志布志航路を開設[3]。「おおすみ」(9,237t)を就航。
  • 1982年
    • 1月: 広島航路を廃止。
    • 6月: 志布志航路を廃止[3]。「おおすみ」は神戸航路に転配。
  • 1985年10月14日:大阪港停泊中の「せんとぽーりあ」で車両甲板の冷凍車から火災発生[8]
  • 1986年 3月: 「おおすみ」を海外売却。
  • 1990年
    • 4月: 大阪航路の発着地を日向細島港から宮崎港に変更[9][3]
    • 8月:累積赤字解消を目的にシーコムへの営業権譲渡に合意[10][3]
    • 12月20日: 日本カーフェリー、京浜航路・大阪航路・神戸航路をシーコムフェリーに営業譲渡[3][11]
  • 1992年
    • 10月1日: シーコム破産に伴い日本長期信用銀行が資産を買い取りシーコムフェリーからマリンエキスプレスに社名変更[12][13][11]、CIロゴマークを制定し紺碧の海を表す「プログレス・ブルー」に四つの航路数と「心」を表す4つ波のマークで中央の太い2本線は会社と得意先の強い絆を現した[1][14][3]
    • 11月: 京浜航路に「パシフィックエキスプレス」(11,581t)を就航。「美々津丸」は大阪航路へ転配。
    • 12月: 「美々津丸」、大阪航路就航。「はまゆう」は海外売却。
  • 1993年
    • 6月: 京浜航路に「フェニックスエキスプレス」(11,578t)を就航。「高千穂丸」は大阪航路へ転配。
    • 12月: 「高千穂丸」、大阪航路就航。「せんとぽーりあ」は海外売却。
  • 1994年 4月: 京浜航路の発着地に宮崎港を追加[3]。隔日で日向細島港宮崎港で運航。
  • 1996年12月: 大阪航路に「みやざきエキスプレス」(11,931t)を就航。「高千穂丸」は神戸航路へ転配。「えびの」は海外売却。
  • 1997年12月: 東京湾アクアライン開通に伴い、木更津航路廃止。従業員の離職対策として設立した東京ベイサービスが、バス運行開始。
  • 1998年 4月: 「オアシス」・「レインボー」・「オリオン」・「オーロラ」4隻を海外売却。
  • 1997年 7月: 大阪航路に「おおさかエキスプレス」(11,933t)を就航。「美々津丸」は海外売却。
  • 1998年 5月: 神戸航路廃止。高千穂丸は係船の後に海外売却。
  • 1999年 1月29日:本社を東京から宮崎市へ移転[15]
  • 2001年11月30日:京浜航路の那智勝浦・高知への追加寄港を申請[16]
  • 2002年
    • 2月: 京浜航路の宮崎線を那智勝浦港へ寄港開始[3]
    • 10月: 京浜航路の日向線を高知新港へ寄港開始[3]
  • 2004年
  • 2005年
    • 6月: 看板路線である京浜航路が6月18日より運航休止。「パシフィックエキスプレス」を売却、「フェニックスエキスプレス」を貝塚航路に転配。
    • 10月: 会社解散を決議[1]、本店を東京本部に移転。
    • 12月: 川崎ターミナルを民間会社に売却、そのほかのターミナルは各行政へ無償にて譲渡した。
    • 12月: 特別清算を開始。負債は約351億円[1]
  • 2006年 5月: 特別清算終結確定。これによりマリンエキスプレスは完全消滅した。

航路[編集]

細島港での「フェニックスエキスプレス」(京浜航路)と「フェリーひむか」(貝塚航路)

譲渡航路(宮崎カーフェリーに譲渡)[編集]

廃止航路[編集]

  • 川崎港 - 千葉港(市原) (1965年4月 - 1974年7月)
  • 川崎港 - 木更津港 (1965年4月1日 - 1997年4月)
  • 神戸港 - 日向細島港 (1971年6月5日 - 1998年5月)
  • 大阪港 - 日向細島港 (1972年5月 - 1990年3月)
  • 広島港 - 日向細島港 (1974年3月 - 1982年1月)
  • 大阪港 - 志布志港 (1980年3月 - 1982年11月)
  • 川崎港 - 日向細島港(1971年3月 - 2005年6月)
  • 川崎港 - 宮崎港(1994年4月 - 2005年6月 2002年2月からは宮崎発片道のみ)
  • 川崎港 - 高知新港 - 日向細島港 (2002年4月15日 - 2005年6月11日)
  • 川崎港 - 那智勝浦港 - 宮崎港 (2002年2月1日 - 2005年6月18日)

前身企業[編集]

日本カーフェリー(NCF)
1964年(昭和39年)8月18日設立 資本金25億円
法人株主 三井観光開発、三井物産日本鋼管新日本製鐵日本石油出光興産
内航海運業の北星海運(北海道炭礦汽船系列)が設立した企業で、川崎と木更津を結ぶ近距離フェリーから、関東・関西と宮崎を結ぶ長距離フェリーに業務を拡大。
殆どのターミナルは自社所有物件だった事や、当初より旅客・乗用車を重視した豪華なカーフェリーを多数建造した為に早期から需要と実情が合わなかった為に経営が悪化し、途中出資者は観光施設運営の三井観光開発に変わったが、その後融資元の日本長期信用銀行が介入してシーコムが経営権を買収。
シーコムフェリー
バブル期にリゾート開発で名を馳せたイ・アイ・イ・インターナショナル2000年に倒産)と、 当時、同社傘下の企業となっていた海運会社シーコム(2007年4月12日、破産手続き開始。)の共同出資で設立され、日本カーフェリーはシーコムフェリーに事業譲渡して1990年12月に解散。
その後出資2社のバブル崩壊による経営不振で2社の融資元である日本長期信用銀行が介入し、 1992年10月に2社との関係を解消しマリンエキスプレスに社名変更。

過去に在籍した船舶[編集]

譲渡船舶(宮崎カーフェリーに譲渡)[編集]

  • フェニックス エキスプレス
    • 総トン数:11,578t
    • 全長:170.0m、全幅25.0m
    • 出力:23,100hp×2
    • 航行速力:26.2ノット
    • 就航:1993年6月10日
    • 建造:三菱重工業下関建造所
    • 旅客定員:660人、車両積載数:トラック141台、乗用車:90台
  • みやざきエキスプレス
    • 総トン数:11,931t
    • 全長:170.0m、全幅27.0m
    • 出力:19,800hp×2
    • 航行速力:25ノット
    • 就航:1996年12月2日
    • 建造:三菱重工業下関建造所
    • 旅客定員:660人、車両積載数:トラック130台、乗用車85台
  • おおさかエキスプレス
    • 総トン数:11,933t
    • 全長:170.0m、全幅27.0m
    • 出力:19,800hp×2
    • 航行速力:25ノット
    • 就航:1997年7月28日
    • 建造:三菱重工業下関建造所
    • 旅客定員:660人、車両積載数:トラック130台、乗用車85台
  • フェリーひむか - 元九越フェリー「れいんぼうべる
    • 全長195.95m、幅27.0m
    • 総トン数:13,597t
    • 航行速力:24ノット
    • 竣工:1995年7月
    • 就航:2004年3月24日
    • 建造:三菱重工業下関建造所
    • 旅客定員:350人、車両積載数:トラック100台、乗用車100台
    • 貝塚航路に就航。

引退・事故除籍した船舶[編集]

  • ふぇにっくす
    • 起工昭和45年2月28日、進水昭和45年10月2日、竣工昭和46年1月30日。就航昭和46年3月1日
    • 造船所 三菱重工業神戸造船所
    • 総トン数5954.34、全長118m、垂線間長106.00m、型幅20.40m
    • 喫水(満)5.717m、(空)4.36m
    • スペリー社ジャイロフィン1対、バウスラスター800ps(推力)9.1トン
    • 速力max21.9Kn、航海速力20Kn、航続距離1600M、 急停止467mm、1分32秒
    • 主機NKK-SEMT-Pielstick 4サイクル 12PC2V (max)5460PS*200rpm*2 (常用)4640PS*189rpm*2
    • プロペラ4翼可変ピッチ 径約3500mm 互いに外転  Maxtransfer484m,Maxadvance403m
    • 1975年に引退して、アルジェリアへ売却された。
  • せんとぽーりあ
    • 総トン数5,960、全長118.0m、型幅20.40m。
    • 昭和46年竣工、平成5年売却。
    • 造船所 日本鋼管清水造船所
    • 航海速力20.0ノット、最高速力21.9ノット
    • 旅客定員1,010名
    • 車両積載数8トントラック40台・乗用車110台
    • 1993年12月、高千穂丸の大阪航路転配により引退して、フィリピンへ売却された。
  • ぶーげんびりあ
    • 総トン数5,964、全長118.0m、型幅20.40m。
    • 昭和46年竣工、昭和51年売却。
    • 造船所 日本鋼管清水造船所
  • はいびすかす
    • 総トン数5,954、全長118.0m、型幅20.40m。
    • 昭和46年竣工、昭和51年売却。
    • 造船所 日本鋼管清水造船所
  • はまゆう
    • 総トン数 5,886 トン、全長118.0m、全幅20.4m
    • 竣工 昭和46年
    • 造船所 林兼造船下関造船所
    • 航海速力20.0ノット、最高速力21.9ノット
    • 旅客定員1,010名、車両積載数トラック40台・乗用車110台
    • 神戸 - 日向航路に就航。1975年大阪 - 日向航路に転属、1992年売却。
  • るぴなす
    • 総トン数 5,909 トン、全長118.0m、全幅20.4m
    • 竣工 昭和46年
    • 造船所 林兼造船下関造船所
    • 旅客定員984名、車両積載数トラック40台・乗用車110台
    • 神戸 - 日向航路に就航。1975年11月、台湾カーフェリーに売却され「花蓮」と改名。1983年9月9日、エレン台風により座礁、全損。
  • 高千穂丸
    • 1973年10月24日竣工、1974年3月1日就航
    • 日本鋼管清水造船所建造
    • 9536.23総トン、全長159.50m、型幅21.5m
    • 速力最大27.4Kn、航海速力25.6Kn,主機 三菱MAN V9V、18000PS*2、
    • 旅客982名
    • 車両積載数:8トントラック62台、乗用車150台
    • バウスラスター推力15トン(960kW)
    • 前進中機関後進発令26.3Knから停止まで451m、1分22.1秒、
    • 停止惰力前進中機関停止26.3Kn→5Knの場合移動距離914m、所要時間2分9秒、最大縦距584m、最大横距654m
    • 1998年5月、神戸 - 日向航路廃止により引退して、キプロスへ売却された。
  • 美々津丸
    • 1973年竣工
    • 内海造船瀬戸田工場建造
    • 9,551総トン、全長159.50m、型幅21.5m
    • 旅客定員982名、車両積載量:8トントラック62台、乗用車150台
    • 1997年7月、おおさかエキスプレスの就航により引退して、フィリピンへ売却された。
  • えびの - 元 太平洋沿海フェリー「あるなする」
    • 1973年3月20日竣工
    • 日本海重工業富山造船所建造
    • 6826.63総トン、全長132.10m、型幅22.68m、満載喫水5.75m
    • 旅客定員938名
    • 車両積載量:トラック65台、乗用車105台
    • バウスラスター推力9.1トン
    • 速力最大22.42ノット、航海速力19.5ノット、最短停止距離 641m、1分48秒、最大縦距 483m、最大横距 580m
    • 1996年12月、みやざきエキスプレスの就航により、高千穂丸が神戸航路へ転配され引退して、フィリピンへ売却された。
  • さいとばる
    • 1972年(昭和47年)竣工
    • 林兼造船下関造船所建造
    • 6496総トン、全長140.9m、全幅22.4m。
    • 旅客定員583名
    • 名門カーフェリー「フェリーかしい」。
    • 1976年に神戸 - 日向航路に就航。
    • 1978年9月3日に来島海峡で韓国船籍タンカー「チャン・ウォン」と衝突し沈没、サルベージされて広島県で解体。
  • みやさき - 元 フジフェリー「いせ丸
    • 1973年(昭和48年)7月9日竣工
    • 林兼造船下関造船所建造
    • 総トン数7050.42、全長140.85m、型幅22.40m、満載喫水5.82m  水密区画 14
    • 最大縦距 550m 最大横距683m 最短停止距離 580m(所要時間1分50秒) 停止惰力  714m(所要時間2分00秒)
    • 港内速力全速中後進発令から船体停止 移動距離 320m 所要時間1分35秒
    • 満載喫水 5.82m 主機 ディーゼル1000ps:2機
    • 乗組員 41名  船籍港 東京
    • 旅客定員670名
    • 車両積載数:8トントラック90台、乗用車80台
    • バウスラスター推力9.4トン
    • 船体横傾斜修正の為の有効なバラストタンクは設置されていなかった
    • 速力最大23.95Kn,航海速力21.5Kn、最短停止距離580m、1分50秒
    • 1996年平成8年)に神戸航路の減便とみやざきエキスプレスの就航により、えびの丸とともに引退。
  • ふたば
    • 全長82.5m、1,933総トン。
    • 旅客定員610名。
    • 広別汽船「鶴見」。1975年に広島 - 日向航路に就航。1976年7月7日にパナマ船籍貨物船「グレート・ビクトリー」と衝突し沈没。
  • さるびあ
    • 1972年竣工。全長86.4m、型幅15.0m、型深5.4m。
    • 旅客定員606名。波止浜造船建造。
    • 元 神紀フェリー「紀州」。1976年「ふたば」の代船として就航。
  • おおすみ
    • 1980年竣工。9,237総トン、全長159.6m、型幅21.5m、型深13.7m、出力36,000馬力、航海速力23.3ノット、最大速力27.2ノット。
    • 旅客定員733名、車両積載数:8トントラック110台・乗用車67台。幸陽船渠建造。
    • 大阪 - 志布志航路に就航、1982年に神戸 - 日向航路に転配、1986年韓国へ売却。
  • パシフィック エキスプレス(2005/10 韓国へ海外売却)
    • 総トン数:11,582t
    • 全長:170.0m、全幅25.0m
    • 出力:23,100hp×2
    • 航行速力:26.2ノット、最高速力:27.7ノット
    • 就航:1992年11月20日
    • 建造:三菱重工業下関建造所
    • 旅客定員:660人、車両積載数:トラック141台、乗用車:90台
  • あさあけ
    • 1965年就航。492総トン、全長38.0m、型幅16.0m、型深4.1m、出力650馬力、航海速力13ノット、最大速力14.1ノット。
    • 旅客定員400名、車両積載数:乗用車50台。日本鋼管浅野造船所建造、川崎 - 木更津航路に就航。
  • あかつき
    • 1965年就航。492総トン、全長38.0m、型幅16.0m、型深4.1m、出力650馬力、航海速力13ノット、最大速力14.1ノット。
    • 旅客定員528名、車両積載数:乗用車50台。日本鋼管浅野造船所建造、川崎 - 木更津航路に就航。
  • あさなぎ
    • 1965年就航。492総トン、全長38.0m、型幅16.0m、型深4.1m、出力650馬力、航海速力13ノット、最大速力14.1ノット。
    • 旅客定員528名、車両積載数:乗用車50台。日本鋼管浅野造船所建造、川崎 - 木更津航路に就航。
  • ありあけ
    • 1966年就航。498総トン、全長38.0m、型幅16.0m、型深4.1m、出力650馬力、航海速力13ノット、最大速力14.1ノット。
    • 旅客定員530名、車両積載数:乗用車50台。日本鋼管清水造船所建造。東京湾航路に就航。
    • 同型船:あさなぎ
  • あさかぜ
    • 1967年就航。578総トン、日本鋼管浅野造船所建造。東京湾航路に就航。
  • あおぞら
    • 1968年就航。565総トン、日本鋼管浅野造船所建造。東京湾航路に就航。
  • あけぼの
    • 1968年就航。564総トン、日本鋼管浅野造船所建造。東京湾航路に就航。
  • あさしお
    • 1970年就航。565総トン、全長38.0m、型幅16.0m、型深4.1m、出力650馬力、航海速力13ノット、最大速力14.ノット。
    • 旅客定員530名、車両積載数:乗用車50台。東北造船建造、東京湾航路に就航。
  • あさぐも
    • 1971年就航。605総トン、日本鋼管浅野造船所建造。東京湾航路に就航。
  • オアシス[18]
    • 1990年竣工。697総トン、出力2400馬力、航海速力13.65ノット日本鋼管鶴見製作所建造。東京湾航路に就航。
    • 旅客定員599名、車両積載数:トラック14台、乗用車8台。
    • 東京湾航路に就航。1997年航路廃止後、海外売船。
  • オーロラ
    • 東京湾航路に就航。1997年航路廃止後、海外売船。
  • オリオン
    • 東京湾航路に就航。1997年航路廃止後、海外売船。
  • レインボー
    • 東京湾航路に就航。1997年航路廃止後、海外売船。

登場する作品[編集]

日本カー・フェリー時代
  • 仮面ライダー
    • 第40話「死斗! 怪人スノーマン対二人のライダー」
    • 川崎・日向(宮崎)航路就航の「ぶーげんびりあ」と僚船の「せんとぽーりあ」の外観と内部がロケで使用されている。主人公の一文字隼人(ライダー2号。船員に変装)と死神博士(貴賓室に乗船)、怪人スノーマンほか一行は、せんとぽーりあに乗船して、川崎から日向経由(所要25時間)で鹿児島に移動する設定になっている。
  • 西部警察 PART-IIIテレビ朝日系で放送されていた刑事ドラマ
    • 第17話「吠えろ!! 桜島-鹿児島篇-」・第18話「パニック・博多どんたく-福岡篇-」の撮影が川崎-日向航路「高千穂丸」で行われ、同番組のロケ車両も輸送された。
  • 男女7人秋物語TBS系)
    • 明石家さんまが演じる主人公・今井良介が、当社のカーフェリーで木更津から川崎まで通勤する設定だった。
  • ゴリラ・警視庁捜査第8班(1989年から1990年にかけてテレビ朝日系で放送されていた刑事ドラマ)
    • 第10話「博多大追撃」、第13話「潜行大作戦」の九州博多ロケにおいて、川崎-日向(宮崎)航路の高千穂丸船内などで撮影が行われ、同番組のロケ車両も輸送された。
マリンエキスプレス時代

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 倒産速報(株)マリンエキスプレス”. 東京商工リサーチ. 2017年11月22日閲覧。
  2. ^ 来春から川崎-木更津間の運転計画「日本カーフェリー」設立 - 1964年8月18日朝日新聞朝刊5面
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n マリンエキスプレス川崎~日向・宮崎航路休止の理由を聞く - 月刊内航海運2005年7月号(内航ジャーナル)
  4. ^ 話題を追って フェリー就航を祝う (PDF) 」 『広報ひゅうが』第190号、日向市役所総務課秘書広報係、1971年3月、 7頁、2018年5月13日閲覧。
  5. ^ 兄弟会社が合併 フェリー業界で最大に - 1972年7月12日朝日新聞朝刊8面
  6. ^ 川崎-市原間 来月から廃止 日本カーフェリー - 1975年6月24日朝日新聞朝刊21面(首都圏版)
  7. ^ カーフェリー衝突 伊予灘で沈没 一人死に三人不明 - 1976年7月3日朝日新聞朝刊1面(首都圏版)
  8. ^ フェリーで火事 大阪港停泊中 - 1985年10月15日朝日新聞朝刊23面
  9. ^ フォトニュース 日向発最終便 (PDF) 」 『広報ひゅうが』、日向市役所企画課、1990年4月、 8頁、2018年5月13日閲覧。
  10. ^ 日本カーフェリー営業権・資産 シーコム社に譲渡へ - 1990年8月28日朝日新聞朝刊8面
  11. ^ a b 九州運輸要覧(海運編)平成12年度版 表2-19 長距離フェリー航路一覧(九州に発着するもの) - 日本財団図書館
  12. ^ ひと インタビュー 旧長銀から出向 坂本憲聰・マリンエキスプレス社長 - 内航近海海運2000年11月号
  13. ^ a b 敗軍の将、兵を語る 黒木政典氏[マリンエキスプレス前社長] 理解不能の原油高に沈む - 日経ビジネス2006年4月3日号
  14. ^ 新造船投入を機に海陸一体となって尊敬される会社へ 荒尾マリンエキスプレス社長語る - 海運1993年1月号(日本海運集会所)
  15. ^ マリンエキスプレス/宮崎に本社を移転。合理化策の一環で - 日本海事新聞1999年2月1日
  16. ^ マリンエキスプレス/川崎-宮崎・日向航路、那智勝浦・高知に来年追加寄港へ。あす国交省に申請 - 日本海事新聞2001年11月29日
  17. ^ 市政の動き カーフェリーの新航路が開設されました (PDF) 」 『広報ひゅうが』第587号、日向市役所総務課、2004年4月、 3頁、2018年5月13日閲覧。
  18. ^ 平成2年 WHEEL HOUSE, CONTROL ROOM (PDF)”. 日本船舶海洋工学会関西支部 造船資料保存委員会 (2016年2月11日). 2018年5月13日閲覧。

関連項目[編集]