マルガリータ・ネルケン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルガリータ・ネルケン
Margarita Nelken, en Mundo Gráfico.jpg
Mundo Gráfico』誌、1921年12月7日号に掲載された肖像写真。
生誕 マリア・テレサ・レア・ネルケン・イ・マンスベルガー
1894年7月5日
スペインの旗 スペイン王国 マドリード
死没 1968年3月9日
メキシコの旗 メキシコ メキシコシティ
国籍 スペインの旗 スペイン共和国
職業 政治家美術評論家著作家
署名
Firma de Margarita Nelken.svg

マルガリータ・ネルケン(Margarita Nelken、1894年7月5日1968年3月9日)は、スペインフェミニスト著作家スペイン第二共和政期における先駆的女性政治家のひとり。1930年代のスペインにおいて、広く知られた知識人であり、同国における最も早い時期の女性運動の中心人物のひとりであった。

生い立ちと教育[編集]

フリオ・ロメロ・デ・トレススペイン語版によるネルケンの肖像画、1929年。

ネルケンは、マリア・テレサ・レア・ネルケン・イ・マンスベルガー (María Teresa Lea Nelken y Mansberger) として[1]1894年マドリードで生まれた[2]。両親は、ドイツ系ユダヤ人の出自をもち、宝石店を所有していた[2]。彼女は、音楽、油彩、語学を学び[2]母語であったスペイン語のほかに、フランス語ドイツ語英語を話せるようなった[1]。妹のカルメン・エバ・ネルケン英語版は、女優で著作家であった[3]

経歴[編集]

ネルケンは、1923年の著書『La trampa del arenal』(「砂の罠」の意)をはじめ、社会政治的色彩を帯びたフィクションの著作を1920年代に複数発表した[4]。他にも、1922年に発表した『La condición social de la mujer en España』(「スペインにおける女性の社会的状態」の意)などの著書があった[5]。さらに、スペインの女流作家や女性政治家たちに関する著作群や、短編小説類も発表していた[6]。彼女は戦闘的なフェミニズムの立場から、女性労働者の搾取が、男女を問わず労働者全体に不利益をもたらすと主張した[7]

政治家として[編集]

1931年、彼女は社会党 (PSOE) の党員となり[8]、同年10月の議会の一部改選選挙に社会主義グループ (Agrupación Socialista) の候補者としてバダホスの選挙区から出馬した[3]。当選した彼女は、制憲議会スペイン語版の一員となった[9][10]。彼女は1933年11月、および、1936年2月の選挙でも再選された[3]

制憲議会には、ネルケンのほか、ビクトリア・ケントスペイン語版英語版クララ・カンポアモールスペイン語版英語版が、スペイン史上初の女性議員として参加していた[11]。 ネルケンはフェミニストだったが、ケントとともに、カトリック教会と伝統主義の強い影響下にあるスペインの女性たちに選挙権が与えられれば、それは右翼にとって有利に働くことが見込まれると考え、女性の普通投票権は時期尚早だとして反対した[9][11][12]

農地改革の熱烈な支持者であった彼女は、その民族的背景やフェミニズム的主張が右派からの攻撃の的となった[13]1934年アストゥリアス州で、「アストゥリアス革命スペイン語版」と称された炭鉱労働者たちの大規模なストライキが発生した後、彼女は軍事的反乱を企てたとして糾弾され、スペインを離れた。出国した彼女は、パリに居を定め、スカンジナビア諸国ソビエト連邦を訪問し、弾圧の犠牲者たちを支援するための資金集めをおこなった[14]。その後、1936年にはスペインに帰国。スペイン内戦が始まると、マドリードにとどまり、トレド美術館の美術品をスペイン銀行金庫室へと移送する指揮をとり、また、しばしばラジオ放送で演説して民兵たちの士気を鼓舞した[15]。その後、フランシスコ・ラルゴ・カバジェーロスペイン語版の指導力に失望した彼女は社会党を離れ、スペイン共産党 (PCE) に入党した[16]

亡命と死[編集]

彼女は1939年まで議会の一員であり、スペイン第二共和政を支持した社会主義者であったため、スペイン内戦の終結に際して妹とともにメキシコへ亡命した[3]。メキシコでは、美術評論家として活動した[2][6]。また、『Los judíos en la cultura hispánica』(「スペイン文化におけるユダヤ人たち」の意)と題した著書をメキシコで出版したが、同書は2009年スペインで AHebraica によって復刻された[3]

ネルケンは、1968年3月9日メキシコシティで死去した[3][17]

脚注[編集]

  1. ^ a b Preston 2002, p. 301.
  2. ^ a b c d Janet Pérez; Maureen Ihrie (2002). The Feminist Encyclopedia of Spanish Literature: N-Z. Greenwood Publishing Group. pp. 439. ISBN 978-0-313-32445-1. https://books.google.com/books?id=h_lor-uEJr0C&pg=PA439 2013年7月13日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f “An essay by Margarita Nelken published for the first time in Spain”. Routes of Sepharad (5). (March 2010). オリジナルの2012-02-03時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120203101936/http://www.redjuderias.org/red/upload/boletin/pdf/Boletin_Red_Abril_en.pdf 2013年7月13日閲覧。. 
  4. ^ Harriet Turner; Adelaida L Pez De Mart Nez (2003-09-11). The Cambridge Companion to the Spanish Novel: From 1600 to the Present. Cambridge University Press. pp. 167. ISBN 978-0-521-77815-2. https://archive.org/details/cambridgecompani00harr_0 2013年7月13日閲覧。 
  5. ^ First-Wave Spanish Feminism”. PSU. 2013年7月13日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ a b Catherine Davies (1 December 2000). Spanish Women's Writing 1849-1996. Continuum. pp. 110. ISBN 978-0-567-55958-6. https://books.google.com/books?id=ppRtzQXGS8wC&pg=PA110 2013年7月13日閲覧。 
  7. ^ Ackelsberg, Martha A. (1991). Free Women of Spain: Anarchism and the Struggle for the Emancipation of Women. Oakland: AK Press. ISBN 1-902593-96-0. http://libcom.org/files/Ackelsberg%20-%20Free%20Women%20of%20Spain%20-%20Anarchism%20and%20the%20Struggle%20for%20the%20Emancipation%20of%20Women.pdf 
  8. ^ Preston 2002, p. 318.
  9. ^ a b “The Second Republic: The conquery of women’s vote”. Comenius Project. (2006–2007). http://www.estelacantabra.com/comenius/SPANISHCENTURY.pdf 2013年7月13日閲覧。. 
  10. ^ Preston 2002, p. 319.
  11. ^ a b 齋藤明美「あるスペイン人女性による戦争と亡命の記録 : ビクトリア・ケント著『パリの四年間 (1940-1944) 』」『駒澤大学外国語論集』第3号、駒澤大学総合教育研究部外国語第1・第2部門、2007年、 5-6頁。 NAID 120006616672
  12. ^ Preston 2002, p. 322.
  13. ^ Preston 2002, p. 319, 321, 354.
  14. ^ Preston 2002, p. 341-342.
  15. ^ Preston 2002, p. 357.
  16. ^ Preston 2002, p. 364.
  17. ^ Preston 2002, p. 406.

参考文献[編集]