マルクス・アエミリウス・スカウルス

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マルクス・アエミリウス・スカウルス(Marcus Aemilius Scaurus、紀元前163年ごろ - 紀元前89年)は、紀元前115年の執政官であり、共和政ローマにおいて最も有能で有力な政治家の1人とされている。

スカウルスはパトリキの一族の出身だが、裕福ではなかった。生活を維持するため、父は炭の業者となった。しかしスカウルスは(元老院議員は商売に規制がされていた)、政治家として活動を開始した。

スカウルスの「クルスス・ホノルム」の出発点として、彼はまずヒスパニア地方のトリブヌス・ミリトゥム(高級幕僚)となった。次にアエディリス・クルリスとなって公の競技の責任者となり、紀元前120年にはプラエトルとなった。同年、元老院の第一人者(プリンケプス・セナトゥス)に推薦され、元老院で承認されている。紀元前115年、マルクス・カエキリウス・メテッルス (en) と共に執政官に選ばれた。

紀元前115年ごろはユグルタ戦争の準備段階の時期であり、歴史家ガイウス・サッルスティウス・クリスプスによればユグルタは元老院に多額の賄賂を送り、自分に有利な決定がなされるよう誘導していたという。その不道徳さを説明するため、サッルスティウスはスカウルスの性格について次のように記している。

一方で、裕福さよりも正義と公正が重要と考える少数の人々は、アドヘルバルに援助を与えヒエンプサル殺害について厳しく追求すべきだとした。その中でもアエミリウス・スカウルスは目立っており、エネルギーと権力欲と名声欲にあふれた貴族であり、自らの過ちを隠す賢さを持っていた。王(ユグルタ)が賄賂を贈ったとき、スカウルスはこれが露見すれば一般民衆の憤慨を引き起こすだろうと考え、習慣的な貪欲さを抑制した。

Bellum Jugurthinum, I. 15

元老院のリーダーとして、彼は外国の王との争いを解決するためにしばしば外国に赴いた。紀元前109年、マルクス・リウィウス・ドルスス (en) と共にケンソルに選ばれたが、翌年ドルススが亡くなり、ケンソル職も交代になった。ケンソルとしてアエリミア・スカウリ街道の建設を命じ、いくつかの橋を修復した。紀元前104年、ローマへの穀物供給の責任者となった。穀物供給はローマの生命線であり、これは非常に重要な役職で、最も信頼できる人物だけが任命された。スカウルスは政治家としては元老院の保守派貴族のリーダーを長年務めた。

彼の2度目の妻 Caecilia Metella Dalmatica は、後にルキウス・コルネリウス・スッラの3度目の妻となっている。この結婚で次の2人の子供が生まれた。

参考文献[編集]

  • The Chronicles of the Roman Republic - Philip Matyszak