マルセロ・シルバ・ラモス

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はダ・シウバ第二姓(父方の)はラモスです。
マルセロ・ラモス Football pictogram.svg
名前
本名 マルセロ・ダ・シウバ・ラモス
Marcelo da Silva Ramos
ラテン文字 Marcelo Ramos
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1973-06-25) 1973年6月25日(44歳)
出身地 サルヴァドール
身長 177cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1986-1990 ブラジルの旗 バイーア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1994 ブラジルの旗 バイーア 57 (21)
1995-1996 ブラジルの旗 クルゼイロ 46 (25)
1996-1997 オランダの旗 PSV 22 (11)
1997-2000 ブラジルの旗 クルゼイロ
2000 ブラジルの旗 パルメイラス (loan)
2000 ブラジルの旗 サンパウロ (loan) 20 (10)
2001-2002 日本の旗 名古屋グランパス 20 (6)
2002-2003 ブラジルの旗 クルゼイロ 22 (6)
2003 日本の旗 サンフレッチェ広島 32 (14)
2004 ブラジルの旗 コリンチャンス 29 (1)
2005 ブラジルの旗 ヴィトーリア 4 (0)
2005-2007 コロンビアの旗 アトレティコ・ナシオナル 28 (4)
2007 ブラジルの旗 サンタクルス
2007-2008 ブラジルの旗 アトレチコ・パラナエンセ
2008 ブラジルの旗 バイーア
2009 ブラジルの旗 サンタクルス
2009 ブラジルの旗 イパチンガ
2010 ブラジルの旗 マドゥレイラ 28 (10)
2010 ブラジルの旗 パイサンドゥ
2011 ブラジルの旗 マドゥレイラ
2011 ブラジルの旗 アラシャ
2011 ブラジルの旗 イツンビアラ
2012 ブラジルの旗 イピランガ-BA
代表歴2
1995 ブラジルの旗 ブラジル 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年07月08日現在。
2. 2007年10月16日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルセロ・ダ・シウバ・ラモス(Marcelo da Silva Ramos、1973年6月25日 - )は、ブラジルバイーア州サルヴァドール出身の元サッカー選手[1]。ポジションはFW

通称はブラジルでは「マルセロ・ラモス[1]、オランダと日本では「マルセロ[2]。「マルセロ・シルバ・ラモス」はJリーグ入団時に公表した名前[2] であるため本表題でもそれに従う。

経歴[編集]

現役前期[編集]

7歳からサッカーを始め、1986年13歳の時にECバイーアアカデミーに合格し、1989年16歳の頃にはバイーアU-20でプレーしていた[1]

1991年にトップチームに昇格すると翌1992年に本格的にデビュー、1993年には先発メンバーに抜擢され、サポーターのアイドルとなった[1]。1993年・1994年のカンピオナート・バイアーノ制覇に貢献した。

1995年、移籍したロナウドの代わりのFWを探していたクルゼイロECに移籍する[1]。同年のカンピオナート・ブラジレイロでチーム得点王、「Flecha Azul(青い矢)」と愛称で呼ばれた[1]。1996年カンピオナート・ミネイロおよびコパ・ド・ブラジル制覇に貢献した[1]

また、1995年にはブラジル代表として国際Aマッチ1試合出場している。

1996年、またもロナウドの後釜としてPSVアイントホーフェンに移籍するも、ロナウドの代わりとしては十分な活躍ではなく1シーズンで退団する[1]

1997年、コパ・リベルタドーレス制覇の切り札として古巣クルゼイロが獲得を熱望したことから戻ると、リベルタドーレスをはじめカンピオナート・ミネイロやレコパ・スダメリカーナ制覇に貢献した。1997年トヨタカップボルシア・ドルトムント戦にも途中交代で出場している[3]

現役中期[編集]

2000年、新天地でサッカーをしたいと移籍を志願しSEパルメイラスへレンタルで入団したが、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督と良好な関係を築けずベンチが続いた[1]。そこで同年「サンドロ・ヒロシ事件」(コパ・ジョアン・アヴェランジェ参照)発生のためチーム編成が困難となっていたサンパウロFCへレンタル移籍しレギュラーに定着する[1]

2001年8月、引退を表明したドラガン・ストイコビッチの代わりとして名古屋グランパスエイトに入団する[4]。翌2002年、ズデンコ・ベルデニックが新監督に就任、ベルデニックはイヴィツァ・ヴァスティッチをチームの軸としたため構想外となり、同年5月に退団する。

2002年、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督のもと3冠を目指して補強していた古巣クルゼイロに戻る[1]

そこへ、2003年5月当時J2で昇格争いをしていたサンフレッチェ広島からオファーが届き入団し[2]、J1昇格に貢献したが、最も期待された得点は思ったより伸びなかったこともあり、1年で構想外になる。

2004年、コリンチャンスへ移籍するも、試合中の骨折により復帰に5ヶ月間かかり得点も奪えないことからメディアからバッシングを受け、退団を決意する[1]

現役晩年[編集]

2005年、マルセロが若年期を過ごしたバイーアのライバルチームであるECヴィトーリアへ移籍するも、半年をまたずに退団し、その後は2ヶ月間フリーだった[1]

同2005年、コロンビアリーグアトレティコ・ナシオナルに移籍する[1]。コパ・リベルタドーレス2006にも出場している[1]

2007年、母国ブラジルへ戻りクラブを転々とした。年齢によるコンディション低下のため満足にプレーできる状況ではなくなっていた[1]。2012年末を持って現役引退した[1]

今後は指導者への道を進む予定となっている[1]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1992 バイーア 17 8
1993 バイーア 14 6
1994 バイーア 26 7
1995 クルゼイロ 22 15
1996 クルゼイロ 24 10
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
1996-97 PSV エールディヴィジ 22 11
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1997 クルゼイロ 24 10
1998 クルゼイロ 29 8
1999 クルゼイロ 20 6
2000 クルゼイロ
2000 サンパウロ 20 10
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2001 名古屋 23 J1 13 3 3 0 0 0 16 3
2002 名古屋 9 J1 7 3 4 3 - 11 6
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2002 クルゼイロ 23 6
2003 クルゼイロ 3 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2003 広島 10 J2 32 14 - 4 1 36 15
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2004 コリンチャンス 29 1
2005 ヴィトーリア 2部
コロンビア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2005 アトレティコ・ナシオナル 9 1
2006 アトレティコ・ナシオナル 19 4
2007 アトレティコ・ナシオナル
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2007 サンタクルス
2007 アトレチコ-PR
2008 アトレチコ-PR
2009 サンタクルス
2009 イパチンガ
2010 マドゥレイラ
2010 パイサンドゥ
通算 ブラジル 1部
ブラジル 2部
オランダ エールディヴィジ 22 11
日本 J1 20 6 7 3 0 0 27 9
日本 J2 32 14 - 4 1 36 15
コロンビア 28 5
総通算

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Observatorio Do Esporte
  2. ^ a b c マルセロ選手の加入記者会見のコメントについて”. J's GOAL (2003年5月7日). 2013年7月8日閲覧。
  3. ^ Intercontinental Club Cup 1997”. rsssf. 2013年7月8日閲覧。
  4. ^ ストイコビッチ引退試合レポート 永遠の伝説と化した“妖精””. スポーツナビ (2001年). 2013年7月8日閲覧。

関連項目[編集]