マンモス校
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マンモス校(マンモスこう)とは、人数規模が大きい学校のことを指す。
概説[編集]
マンモス校は、1970年代から1990年代にかけて、小学校や中学校では、特に郊外に住宅ができたものの既存の学校に通うといったケースにおいて多々見られ、高等学校では当時のベビーブームによる私立学校の大規模化とともにこの名称が使われた。
定義としては、中学校や高等学校では全校生徒が1000人を超えたり、一学年につき300人を超えたり、10クラスを超えたりした場合に使われるケースが多い。既存の学校施設が手狭になり、臨時にプレハブの仮校舎を建てて使用するケースや、校舎内に新しく校舎を建てるケース、その学校の周辺に学校を分割・新設するケースもあった。
大阪府堺市では1970年代から1980年代にかけてマンモス中学校が大量に発生し社会問題となった。要因としては、大阪市のベッドタウン化が急激に進んだことに伴う人口の増加と、それに対応するだけの中学校建設財源が確保できなかったことが挙げられる。堺市は財源を確保する目的で臨海部を開発し工場誘致を進めた(堺泉北臨海工業地帯)ものの、今度は公害が問題化する。また、堺市が想定していたほど税収も見込めなかったため、マンモス中学校は放置されたままだった。
1980年代に入ってようやく分離・新設校の開設が進み、また1990年代から生徒数が減少に転じたこともあり、徐々にマンモス校は解消されていった。
鹿児島市立坂元小学校は1974年に生徒数972人で開校して1982年に最大2,245人を数えたが、1985年に学校新設分離により1,220人に、さらに1993年にも新設分離により584人にまでなり生徒人数が適正化されている。
2017年に全国一のマンモス小学校となった北海道千歳市立北陽小学校は1,400人を超えている[1][2]。
現状[編集]
現在では新設校の増加や少子化によりマンモス校は少なくなっているが、東京特別区・神奈川県川崎市など高層マンションの建設が盛んな地域では、逆にマンモス校化している学校もある。
教育においては学年内での生徒の把握や生活、成績指導が難しくなるといった問題などがあり、部活動においては部活動の裾野が広がる可能性は高いものの、過度に人気の高い部活において入部が先着順や抽選となる、レギュラーになれる者が少ない、人数が多過ぎて備品や教室が足りないなど、練習に支障が生じる問題がある。
脚注[編集]
- ^ “友達いっぱい よろしくね マンモス千歳・北陽小に255人”. 北海道新聞. (2018年4月6日) 2018年5月19日閲覧。
- ^ “北海道・北陽小 全国一のマンモス校を分離へ”. 毎日新聞. (2018年3月1日) 2018年5月19日閲覧。
関連項目[編集]
- マスプロ大学
- 大学倒産時代
- 川崎市立西中原中学校 - 中学校で最大規模